第三百八十五話 姉到着
その日はついにやってきた。
「殿下、出迎えの準備が整いました」
「わかりました。失礼のないように」
「承知しました」
「よろしくお願いします。機嫌次第で俺への扱いが変わるので」
そう言って俺はラインフェルト公爵に頭を下げた。
切実に。
なにせ出迎える相手は理不尽の権化、リーゼ姉上だ。
失礼があれば倍返しが俺に飛んでくる。
出迎えには五千の騎士が出る。
帝国皇女にして帝国元帥の出迎えだ。これでも大人しいほうだろう。
「リーゼロッテ殿下はアルノルト殿下が活躍したことを喜んでおりました。心配する必要はないかと」
「まだあの人のことがわかってないみたいですね。あの人にとって弟はおもちゃなんです。おもちゃの扱いは機嫌次第。些細な事で理不尽が降ってくるんですよ」
「愛ゆえかと」
「……」
返す言葉が見つからず、俺は肩を落としながら退室を促す。
そして誰もいなくなった部屋で盛大にため息を吐いた。
「……嫌だなぁ……」
帝都で適当に過ごしているときに会うならまだしも、こうして役職を持った状態でリーゼ姉上と会うなんて地獄だ。
しかも地獄が向こうからやってくる。回避不可能。こちらを自動追尾してくる以上、受けて立つしかない。
果たして俺の防御が持つのかどうか。
試されるのは弟力。
どれだけ姉の機嫌を取れるかですべてが決まる。
「アル様! お菓子が焼きあがりました!」
「さすがフィーネだ! よくやってくれた! これで武器は揃ったぞ!」
朝からフィーネにはお菓子作りを頼んでいた。
甘い物があればそこそこ機嫌がよくなることは周知の事実。
これで勝率はグンと上がるだろう。
「勝ったな!」
■■■
五千の騎士たちがリーゼ姉上の出迎えの準備のため、門の前に二列で整列した。
騎士たちによってつくられた道。
そこを数騎の側近と共に走ってくるのは、蒼いマントを翻した金髪の女性。
帝国第一皇女にして帝国元帥、リーゼロッテ・レークス・アードラー。
帝国一ヤバい女が来たのだ。
「――わざわざ北部全権代官が出迎える必要はなかったぞ?」
「役職は関係ありません。弟が姉を出迎えるだけですから」
そう言って俺は馬上のリーゼ姉上に頭を下げる。
「ようこそ、お越しくださいました。長旅お疲れ様です、リーゼ姉上。ご壮健そうでなによりです」
「お前も元気そうだな? アル」
「姉上には負けますよ」
そう笑顔で返しつつ、俺は内心でガッツポーズをしていた。
完璧だ。
完璧な流れを演出している。
いつぞやのようにやり直しをさせられることもないだろう。
そう自分で自分を称賛していると。
姉上の目つきが鋭いものへ変わった。
「ところで……これは何の騒ぎだ?」
「えっと……リーゼ姉上の出迎えですが……」
「愚か者。出迎えにこれだけの兵を割けるなら民のために動かせ」
「い、いえ、ちゃんと他の仕事には支障がないようにはしていまして……」
「これだけの兵がいれば新たなこともできるだろう。できるのにやらない理由はないと思うが?」
「ですが……リーゼ姉上は帝国元帥ですし……」
「緊急時に歓迎など無用。よく覚えておけ。民は戦場を見に来たりはしない。民が見る兵の姿は戦場以外の姿だ。だからこそ、平時から民のために動かねばならん。そこで築いた信頼があるから、民は兵士を受け入れてくれるのだ。わかったら、この兵を動かせ」
「りょ、了解しました……」
「ユルゲン。お前がいながらなぜ止めない? 好き放題やらせてどうする?」
「申し訳ありません。僕が至りませんでした」
ラインフェルト公爵も頭を下げる羽目になるとは。
くそー、まさか歓迎をいらないと言うとはな。
誤算だった。いつもなら歓迎がないと不満を口にするだろうが、今は非常時。
普段はわがままし放題な姉上だが、それは我慢できないのではなく、我慢しないだけだ。
いざとなれば何もかもを我慢できる人物だ。
読み違えたか。
そんなことを思いつつ、俺は集まった騎士たちの一部を街の護衛に残し、残りは哨戒任務にあたらせた。
そしてそんなことをしている間にリーゼ姉上はさっさと屋敷の中に入ってしまう。
「機嫌を損ねてしまいましたね……」
「まだです! こっちにはお菓子がある!」
そう言って俺は前を向く。
ここで機嫌を立て直さないとこれから先、ずっと地獄だ。
とにかく機嫌を取らなければ!
■■■
屋敷に戻ると、俺はすぐにリーゼ姉上の下へ向かった。
接待をしていたのはフィーネだった。
「いつもアルが迷惑をかけてすまないな」
「いえ、私のほうが迷惑をかけています。あまり力になれる機会が少なくて……」
「気落ちする必要はない。傍にいてやってくれ」
「はい!」
あまり面識のない二人だが、リーゼ姉上はフィーネを気に入ったようだ。
親し気に話しかけるのは気に入った相手だけだからだ。
俺はそそくさとリーゼ姉上の傍へと向かうと、フィーネに視線でお菓子の用意を伝える。
「リーゼロッテ様。お菓子を焼いたのでいかがです?」
「ほう? 蒼鴎姫のお菓子か。いただこう」
リーゼ姉上は笑顔を浮かべて、フィーネの提案を受け入れた。
これはいい兆候だ。
そんな風に思っていると、フィーネが大量のお菓子を持ってきた。
前回は俺の分をすべて持っていかれたからな。
多めに作ってくれるように言っておいた。
それを見て、リーゼ姉上は目を丸くした。
「たくさん作ったものだな?」
「多すぎたでしょうか?」
「いや……」
そう言ってリーゼ姉上は小皿に少しだけお菓子を取ると、残りをフィーネに渡した。
不思議そうに首を傾げるフィーネにリーゼ姉上は告げる。
「来る途中、子供たちが沈んだ表情をしていた。お前から渡してやってくれ。これだけあれば十分足りるだろう」
「で、ですが……」
「私はこれで十分だ。よく作ってくれた。気持ちは受け取ったぞ」
そう言ってリーゼ姉上は有無を言わせずにフィーネを送り出した。
そして俺とリーゼ姉上だけが残される。
「アル、一つ言っておくことがある」
「な、なんでしょうか……?」
「私は大げさに機嫌を取ろうとする奴が嫌いだ」
「……ちなみに機嫌を取ろうとしない奴は?」
「嫌いだ」
どっちだよ……。
やはり理不尽の権化か。
「こちらに気を遣わない奴は嫌いだが、過度では鬱陶しい。適度でいいのだ。適度にやれ」
「その適度がわからないんですが……」
「まだまだだな。励め」
何を励めばいいんだろうか。
そんなことを思っていると、リーゼ姉上はいきなり地図を出した。
それは北部国境の地図だった。
「私が下見に行ったことは知っているな?」
「はい、聞いています」
「北部国境守備軍は一度崩れかけた。暫定的に将軍のハーニッシュが北部の国境をまとめている。だが、国境の守備はガタガタだ」
「報告は受けています。主要な砦を守るだけで精一杯だとか」
「他人事のように言うな。お前は北部を任されているのだ。北部国境の問題もお前が解決すべきだと思わんのか?」
「北部国境の問題は軍の問題では……?」
「お前は私の弟だ。つまりそういうことだ」
どういうことだ……?
私の弟なんだから、その程度はやってみせろということか?
まぁ、藩国侵攻についても関わる問題だから越権行為にはならないだろうが……。
「一応言っておきますが、俺はそこそこ忙しいです」
「ならまだやれるな? 国境の問題が解決するまでは攻撃には踏み切れん。侵攻の隙を突かれて被害が出てはかなわんからな。それに……宰相からの連絡もないからな」
「宰相からの連絡? そう言えば姉上。聞いておきたかったんですが、東部国境は平気なんですか? あまり長い期間、姉上がいないとなると」
「私の部下は優秀だ。私がいなくても動けるように訓練されている」
「そうですか……まぁそれならいいんですが」
「それに……時間はかからん。この戦は始まればすぐに決着がつく」
それはリーゼ姉上が出てきたからというわけじゃない。
いくらリーゼ姉上でも侵攻作戦では時間がかかる。腐っても藩国は一つの国だ。
それがすぐに決着がつくとは、どういうことだ?
「意味がわかりません。何か知っているんですか?」
「……極秘事項だ。誰にも喋るな」
「平気です」
「……宰相とエリクが協力して藩国の貴族を調略している。準備が整えば半数はこちらに付く予定だ」
「二正面作戦にしないためにですか?」
「そうだ。周りの敵は素早く片付け、王国に集中する」
「……あっさり裏切るような奴らは、こちらもあっさり裏切りますよ?」
「放置はしない。あっさり裏切った奴らは、な」
「あっさりではない奴らがいると?」
「……藩国の王女がこちらへの亡命を希望している。珍しくまともな人物のようだぞ? 藩国の良識派の代表だ。慕う民も多い。彼女側の貴族は信頼できるだろう」
藩国の内情は帝国には入ってこない。
藩国の王に王女がいたことも初耳だ。
まぁ良識を持つ人物がいるなら好都合だ。
侵攻した後に藩国を任せることができる。
併合するよりは属国にするほうがいい。
「そういうわけだ。国境の整備にも手をつけろ。準備が整えば、私が東部の騎士たちを率いて出る」
そう宣言した後、リーゼ姉上は席を立つ。
どこへ行くのかと尋ねると、姉上は当然のように言い放った。
「私は寝る。眠いからな。しばらく滞在するからサボるなよ?」
「……俺に仕事を押し付けてるわけじゃないですよね?」
「押し付けたわけじゃない。譲ったのだ。エリクが藩国の貴族を調略している。手柄が必要だろ? 私は優しい姉だからな」
なんて女だ。
最低にもほどがある。
内心で抗議しつつ、反撃が怖いので表では顔をしかめるだけで済ませる。
早く出ていけと思っていると、姉上が足を止めた。
内心を悟られたかと焦っていると。
「そうだ、アル。ゴードンとの戦は聞いたぞ?」
「な、何か問題でもありましたか……?」
「いや、見事だ。お前とレオらしい戦だったといえるだろう。よくやった、さすが私の弟だ」
それだけ言うとリーゼ姉上は部屋を出たのだった。
意外に機嫌がいいというのは本当だったかもしれないな。




