第三百四十四話 本陣の行方
明朝。
ギードは寒さを感じながら天幕を出た。
「おはようございます。ギード様」
「ふっ……僕としたことが、逸る気持ちを抑えきれなかったらしい」
自らに酔ったような口調で呟きながら、ギードは髪をかき上げる。
そして天幕の護衛につく兵士に命じた。
「馬を用意しろ。本陣に向かう」
「はっ!」
馬を待ちながらギードは城を見つめる。
見事に敵の反撃を打ち破り、城壁に上る自分を幻視しながら。
そんなギードを祝福するように、前線でも歓声らしきものが上がった。
「兵士たちも猛っているのか……この戦、勝ったな」
士気の高さは尋常ではない。
竜王子に敗北し、城に逃げることしかできなかったレオの軍勢では太刀打ちできないだろう。
そんな予想をしているギードの耳に馬の足音が聞こえてきた。
しかし、それはあまりにも大きかった。
「な、なんだ……?」
「ご報告! 敵襲! 敵襲にございます!!」
「敵襲だと!? 敵は城にいるはず!」
「打って出てきたのです! 前線は容易く切り裂かれ、我が軍は混乱状態でございます!」
馬を引きつれた兵士は報告しながら、ギードの顔色を窺った。
完全な奇襲だった。
これを持ち直すには指揮官が前線に出るか、一度全軍を退かせるかしかない。
だが、ギードはそれらの指示を出さなかった。
「くそっ! 貸せ!」
「ギード様!?」
ギードは馬の手綱を奪うと、そこに跨る。
そして驚く兵士に告げた。
「死守だ! 死んでも通すな! 僕はヘンリック殿下の下へ行く!」
「それでは長く持ちません!」
「一分でも時間を稼ぐんだ! できないなんて言わせないぞ!」
そのままギードは馬を走らせて本陣に向かってしまった。
この場の指揮官がいなくなった。
大した指示も出さず。
兵士は顔を歪めるが、馬の足音は次第に大きくなっていく。
敵の奇襲部隊はもうすぐそこまで来ていた。
「くそっ!」
兵士は槍を持って馬の足音に向かって走っていく。
すると、先頭を走る若い騎士が見えた。
その騎士に向かって兵士は槍を突き出す。
「やぁぁぁぁぁぁぁ!!」
しかし、その槍は半ばで切り落とされた。
目にもとまらぬ剣捌きだった。
死を覚悟して、兵士は目を瞑る。
だが、追撃はなかった。
「命を粗末にするな。抵抗しないならば誰も手は出さない」
「……え?」
「雑魚に構うな! 狙うは敵本陣! このレオナルトに命を預けられる者だけついてこい!!」
号令をかけながら若い騎士、レオナルトは兵士の横を通り過ぎて行った。
そのまま多くの騎馬が兵士の横を通っていく。
自分が襲った相手が敵軍の総大将だと知り、兵士は負けを確信した。
敵を前にして逃げる指揮官がいるこちらの軍が勝てるわけがないと。
■■■
「ヘンリック殿下!」
「ギード! 奇襲だ! レオナルトが卑怯にも奇襲を仕掛けてきたぞ!」
「はい! 報告を受けました!」
本陣の天幕。
狼狽するヘンリックに対してギードは跪く。
そして真っ先に提案した。
「敵の狙いは殿下です。ここは一度、本陣を下げてはいかがでしょう?」
「ふざけるな! そんなことをすれば全軍が崩壊する! 殿下! 本陣を押し出して、敵に反撃を加えましょう!」
傍に控える将軍はギードの提案に激怒した。
本陣だけを下げるなど、総大将が逃げ出すに等しい。そんなことになればどんな兵士でも戦わない。
しかし。
「ギードの言う通りだ……レオナルトが僕を狙ってくる……下がるぞ!」
「さすが殿下です!」
「ヘンリック殿下! それならば全軍に退却をお命じください! 本陣だけ下がるなどあってはなりません!」
「全軍で下がったら誰がレオナルトの足止めをするんだ!? 僕は総大将だぞ!? 僕が討たれたら終わりなんだ!」
「全軍が崩壊しますぞ!? ここで本陣だけ下がれば、我が陣営が一気に不利となります! 大戦犯として後世に名を残すおつもりですか!? ゴードン殿下の弟君でも命はありませんぞ!?」
「そ、そんな……」
「ヘンリック殿下! 問題ありません! すべては後方に下がったウィリアムのせいなのです! 奴がここにいればこんなことにはならなかった!」
自分たちが後方に下がるように仕向けたのにも関わらず、ギードはそんな暴論を振りかざした。
しかし、ヘンリックにはその暴論が正しく思えた。
すべてウィリアムのせいにすればいい。
そうすれば逃げてもいい。
体を震わせながら、ヘンリックは何度も頷く。
レオナルトをライバル視し続けたのは、レオナルトのことを評価してしまう自分を恐れていたからだ。
ヘンリックは良く知っていた。レオナルトという人物の能力の高さを。
武芸にしろ、勉強にしろ。
レオナルトは常に上を見続けていた。
そんなレオナルトのことだ。先陣を切ってくるに違いない。その剣が自分の首を落とすシーンが鮮明に浮かぶ。
「殿下! ご自分に負けてはなりません! 見てください! 各将軍があちこちで抗戦中です! 敵は奇襲部隊ゆえ、そこまでの数ではありません! 本陣を前に出し、連絡を密にして耐え抜きましょう! 防ぎきれば英雄ですぞ!」
「英雄……そうだ……僕は……」
臆病風に吹かれ始めたヘンリックだったが、ここに来た理由を思い出した。
コンラートのため、そして自らの名を上げるためにここに来たのだ。
そんなヘンリックを見て、ギードは頬をひきつらせた。
ヘンリックが逃げてくれなければ自分が逃げられないからだ。
しかし、立ち直りかけたヘンリックをどん底に落とす音が戦場に響き始めた。
それは低い角笛の音だった。
「な、なんだ!?」
「角笛……まさか……」
「軍は角笛を使いません! 北部貴族です!」
そうギードが悲鳴のように告げたとき。
角笛の音の聞こえる方角に大きな雷が落ちたのだった。
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≪天空を駆ける雷よ・荒ぶる姿を大地に示せ・輝く閃光・集いて一条となれ・大地を焦がし照らし尽くさんがために――サンダー・フォール≫
五節の雷魔法。
馬上で詠唱を終えたシャルは右手を振り下ろした。
それと同時に空から巨大な雷が敵軍に降り注いだ。
乱れた敵軍を突破し、シャルたちは敵軍の本陣を目指す。
そんなシャルたちを見て、ただでさえ混乱していた敵軍の兵士は恐怖で悲鳴を上げながら逃げ惑った。
「雷神だ……! 雷神が現れたぞ!」
「ローエンシュタイン公爵だ!」
確認などしていない。
ただ強力な雷魔法を見ただけのことだが、それだけで敵軍の兵士はローエンシュタイン公爵と繋げてしまった。
その声は敵軍全体に広がっていく。
「上手くいきましたな」
「まだよ。混乱しているうちに敵本陣を討たないと」
「報告! 敵本陣が下がり始めました!」
「なに?」
部下の報告にラースが眉をひそめた。
全軍撤退の動きはない。
その報告が本当ならば本陣だけが下がったということになる。
まさかという考えがラースの頭に浮かぶ。しかし、そんなことをする指揮官がいるだろうかという疑問がそれを口にすることをためらわせた。
しかし、軍人ではないシャルはラースのように躊躇わなかった。
「本陣は撤退しているわ! 自分たちを見捨てた指揮官のために戦うつもり!? 抵抗しなければ命は奪わない! 道を空けなさい!」
シャルは声をあげながら敵の戦意を削ぐ。
本陣の軍旗が下がっていくのを見て、兵士たちの気力は萎えてしまう。
当然だ。迫る敵を食い止めようとしても援軍はなく、使いつぶされるだけなのだから。
ただの時間稼ぎに命を燃やす者はいない。そこまでの忠義をヘンリックが獲得してないからだ。
「全軍前進! 敵本陣を追うわ!」
対峙する部隊が完全に抵抗をやめたのを見て、シャルはそう号令をかけた。
そんなシャルの前にラースが馬を進めた。
「少しお下がりを。伏兵がいるやもしれません」
「いたなら蹴散らすだけよ!」
「まったく……」
シャルはラースの忠告を聞かず、馬を走らせる。
その姿にため息を吐きながら、シャルの周りに部下を配置する。
そのままシャルたちは敵の横腹を食い破り、敵本陣に迫ったのだった。




