第三百四十二話 撤退の理由
城に籠るレオは退いていく竜騎士たちを見て、軍議を開いていた。
「どう見る? グライスナー侯爵」
「罠でしょう。もしくは援軍が到着したため、兵の入れ替えをしたかでしょう」
「やはりそう見るか」
「竜騎士は多少離れていてもすぐに駆け付けられます。こちらが好機とみて打って出れば、敵の反撃が待っているかと」
「……退いた敵の数は?」
「およそ七千から八千との報告です」
「……多いな」
レオはどうしても引っかかっていた。
援軍が到着したタイミングでわざわざ兵を下げるのはなぜなのか。
怪我人を下げるならわかるが、多くの竜騎士が後方に下がった。
意図が理解できなかった。
グライスナー侯爵は罠だというが、罠だとするならあからさますぎる。
さすがにこのタイミングで打って出るほど無謀ではない。
竜王子が相手の力量を読み間違えるとは思えない。
何もかもが不自然だった。
「君はどう思う? カトリナ」
軍議に参加していた面々のうち、カトリナだけが難しい顔で考え込んでいた。
自分と同じように何か引っかかりを覚えている。
そう思ってレオは意見を求めた。
「普通に考えれば罠かと。ですが、援軍一万が来て、八千を下げる。しかもこれ見よがしに。竜王子の策だとするならあまりにもお粗末とも思います」
「僕もそう思っていた。竜騎士が退いた程度で僕らが城を出ると思うほど、彼は楽観的ではない。だけど、事実として竜騎士たちは見せつけるようにして撤退した」
「こちらを迷わせるのが狙いかもしれません」
「しかし、カトリナ。向こうがこちらを迷わせる理由はなんだ? 援軍一万が到着し、包囲は完璧だ。八千が退いたとしても、今までよりも二千も多い。迷わせるべきはこちらのはずだぞ?」
「はい、お父様。それが気になっています。なぜ? という疑問がついて回るのです」
有利にある者が小細工をする必要はない。
時間稼ぎがレオの目的ではあるが、まだウィリアムが慌てるような時間でもない。今、動くのはどうしても理解できなかった。
時間の問題でないとするなら、兵糧の問題だ。
しかし。
「援軍は大量の馬車を連れていた。兵糧は十分なはずだ」
「時間も兵糧もある。それなのに小細工をした理由……」
レオは深く考え込み、周りの音を完全にシャットアウトする。
そして思考の海に潜り、ウィリアムがどうしてそんなことをしたのか。それについて考察を立て始めた。
必要がないのにやるほど効果的な策ではない。つまり必要だったからやった。
ではなぜ必要なのか?
時間に追われているわけでもなく、兵糧もある。
それでも大げさに退いて見せたのは――。
「撤退が真実だからか……」
「というと?」
「敵の竜騎士団は間違いなく退いた。加えて数千の兵も。それなら大げさに撤退してみせて、こちらを迷わせるのも理解できる」
「ですが、そうであったとしても敵の優位は変わらないのですよ?」
「そうだ。優位は変わらないはずだ。でも、小細工を弄した。つまり、敵の内情はこちらが思っているよりもひどいということだ」
「……撤退したのは竜騎士団だけでなく、竜王子も?」
「それなら納得がいく。指揮官が交代したなら絶対に攻められたくはないはずだ。指揮系統が混乱しているからね」
言いながらレオは机の上に広がった地図に目をやる。
その上に置かれた駒のうち、敵側の大駒をレオは指さす。
「援軍の総大将は?」
「いまだ判明しておりません」
「調べるんだ。想像通りならこちらにとって最大の好機がやってきたかもしれない」
ウィリアムの弱点は他国の王子であるという点だ。
これはゴードンの反乱。あまりにもウィリアムが活躍しすぎては、誰が主役かわからなくなる。
ゴードンがそれを容認していたとしても、周りが容認しない。
今までは口実がなかった。しかし、ウィリアムは敵に兵糧を焼かれ、輸送されるという失態を演じてしまった。
ウィリアムだけの責任ではないにしろ、付け込むには十分な隙だ。
「ゴードンはこの場にいない。代わりに将軍たちが御輿として担ぐのはコンラートかヘンリックだ」
「指揮官が竜王子から経験のない皇子に変わったとなれば……敵の戦力は大幅に減少したと言えますな」
「敵の指揮官が皇子に変わっていた場合、こちらから打って出ますか?」
カトリナの問いかけにレオは首を横に振る。
状況はレオたちに有利なように思えるが、それは表裏一体。
一歩間違えれば誘い出された形になる。
「援軍の総大将がヘンリックだった場合は攻勢をかける。けれど、コンラートの場合は動かない。十中八九、罠だ」
「どういうことですか?」
「ヘンリックはプライドが高い。ウィリアム王子と衝突することは十分ありえる。けれど、コンラートは違う。何事も適当にこなすし、実力者を排除して自分を危険に晒すような真似もしない。だからコンラートが援軍を率いてきた場合、これは罠の可能性が高い」
ヘラヘラと軽薄に笑うコンラートを思い出しながら、レオはそう言った。
皇子の中で最もアルに似ている。それがコンラートに対するレオの評価であり、それはレオの中では最大限の評価でもあった。
「コンラート皇子を警戒しておられるのですか? あまり良い評判の聞かない皇子ですが……」
「よく覚えておくといい。皇族の中で評判の悪い皇子は警戒すべきだ」
トラウゴットにしろ、アルにしろ、評判は最悪だ。
しかし、その評判と実力は一致しない。
レオはコンラートにも同じ匂いを感じていた。
「では、偵察に力を入れます。竜騎士がいない以上、空からの偵察も容易でしょう」
「任せた。なるべく気づかれないように」
「時間がかかりますが、よろしいですか?」
「構わない。ウィリアム王子がわざわざ策を使ってこちらを迷わせている以上、信用できない指揮官なんだろう。ほぼ間違いなくヘンリックだ。そしてヘンリックなら隙はいくらでもある」
「しかし、ヘンリック皇子はザンドラ皇女の配下を一部吸収しています。魔導師部隊を編成しているやもしれません」
「脅威にはならない。ヘンリックが母親や姉から謀略を学んでいたならまだしも、母親の評判が悪いのを見て、二人から距離を置いていた。ヘンリックには戦場で警戒すべき能力はない」
断言しながらレオは視線を地図に移した。
その頭にはどうやって敵を打ち破るか。それしかなかった。
レオにとってヘンリックは警戒には値しない相手だったからだ。
勉学や武芸に励んでいたヘンリックは、それなりに優秀だった。しかし飛びぬけたものがないため、どうしても目立つことができなかった。
バランスはいいが、器用貧乏。
そのまますべてを伸ばすことができたならば万能といえたかもしれないが、その域には至れなかった。
それはヘンリックもわかっていた。
だからレオをことさらにライバル視していた。
レオも系統的には同じだったからだ。
しかし、レオは万能と呼ばれる域まで自分を高めていた。
そんなレオにとって警戒すべきなのは一芸に秀でた相手。
ヘンリックのような中途半端に優秀な相手は最も与しやすい相手だった。
「安泰という立場ではないから、手柄が欲しくなったか……」
手柄争いは有利だからこそ発生する。
しかし、戦場での有利不利などすぐに変わる。
前線での経験が豊富な将軍は、どこまで自分を主張していいのかはわかっている。負けては元も子もないからだ。
しかし、ヘンリックにはその感覚がない。
「ヘンリックとウィリアム王子が合わないことなんて考えればわかるはずだけど……」
ゴードンには思い至らない。
それはレオもわかっていた。
ゴードンにとってウィリアムは自分の同盟者であり、自分の親友。ヘンリックごときが逆らうなど思いもよらないだろう。
しかし、ゴードンの周りにいる人間は気づくはず。
「向こうも一枚岩じゃないな……」
苦労しているだろうウィリアムを思いながら、レオはため息を吐く。
ゴードン陣営も一枚岩ではないが、帝国側も一枚岩ではない。
皇国との交渉はお手の物であるエリクが、いまだに交渉をまとめられないのが良い証拠だ。
皇国では最近、巨大モンスターが出現した。それにより被害も多いという話も聞いている。
帝国と手を組むのは皇国にとっても悪い話じゃない。
利害が一致しているのにいまだに交渉が難航しているのは、意図的に遅らせているから。
おそらく自分が敗走するまで交渉はまとまらないだろうとレオは読んでいた。
だが、その程度は想定内。
レオが待っていた援軍はリーゼ率いる東部国境守備軍ではないからだ。
「さて……反撃の策を考えるとしようか」
そう言ってレオは駒を動かし始めたのだった。




