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8.苦手


 翌日になってルクは戻ってきた。

 宿の朝食の席で、ネモとロイはルクの報告を聞くことになった。


「で? わかったのか?」


 ロイは朝食をもぐもぐしながらおざなりな感じで聞く。

 ネモの方はと言えば、一旦食べるのをやめて、テーブルの上であぐらをかくルクを見ている。

 こうしてテーブルの上に乗っていると人形みたいでかわいいが、座り方は女性としてどうなのかとはちょっと思う。


「アタシを誰だと思ってるの。女神の国の使節団とやらの位置はわかったわよ」

「さすが俺の相棒」

「こういう時だけ調子のいい。まあいいわ。女神の国の人間はいくつかのグループに分かれているの。帝都に十五人。全体の約半数ね。それからアウンゴラに八人。カリオンに七人と、それと気になるのがひとり」

「ひとり? まさか単独で動いてる人がいるんですか?」

「そう、そのまさか。どういうつもりかわからないけどね。商業都市ライゼルにひとり単独で行動してる人間がいるの。同じグループから先行してるのか、それとも単独で何かしらの任務なのかわからないけど、ちょっと不用心な感じがするわよね。まあ向こうからしたらこの世界で危険なのはモンスターで、同じ人間に襲われるなんてそうそう考えないのかもしれないけど」

「ライゼルっていやぁここからそれほど遠くないな。どうする?」


 ロイの視線がネモに向いているのを目にし、ようやく自分がきかれているのだと理解した。


「もしその人が狙われたら、ロイさんはその人を守れますか?」

「バカにしているのか?」

「じゃあ行きましょう」


 接触しない理由はなにもなかった。

 そのひとりこそネモたちがいる地点から、最も近い女神の国の人間だったのだ。

 接触できれば最低でも、こちらの世界の人間が一枚岩ではないこと、使節団全体に危険が及んでいる可能性があることは伝えられる。

 もしそのひとりをアーキ密教が狙った場合、守ることができる。


 それにもうひとつ、ネモが女神の国に行ってみたいという意思を伝えることができる。

 これに関しては、女神の国がネモをどう考えているか次第だろう。

 ネモが作った作品に非常に高い価値を見出している、というのはぼんやりと理解してはいるものの、それがどこまでのものなのかはわからなかった。

 連れて行ってくれと伝えてそれが許されるほどの価値なのかは、正直な話会ってみなければわからないと思う。


 出発はすぐに決まった。

 もしアーキ密教が先に動いた場合はどうしようもない。

 ネモが女神の国の人間と出会えるかは、時間との勝負だ。

 移動手段は馬を借りての早駆けになった。

 ネモは馬にひとりで乗れないため、ロイとの二人乗りになった。


「俺ひとりなら走った方が早いんだがな」


 それがロイの言葉だった。

 冗談なのか本当なのかネモにはわからず、曖昧な笑みを浮かべるしかできなかった。

 馬を借りての乗り継ぎ乗り継ぎから、ネモたちは僅か三日でライゼルに到着した。

 

「まだいると思うわよ間に合ったみたい」


 こうしてなんとか間に合ったわけであるが、


「そりゃ良かった。じゃあ俺が必要になったら呼んでくれ。事が進むまでは適当に過ごす」

「一緒に来てはくれないんですか?」

「暴力が必要になったら呼んでくれ。嬢ちゃんにはルクをつけてやる。ルク経由で俺を呼べば駆けつけてやるよ」


 ネモは妖精のルクとふたりで、女神の国の人間を探すことになったのである。



***



 宿を借りるなどの活動拠点の確保、それに疲労困憊であったネモの休息で一日が潰れ、動き出しは翌日からとなった。

 ネモはこの強行軍で路銀に不安を抱いていたが、そこはなぜかロイが出してくれた。

 それなら人探しも手伝ってくれればいいのに、とネモは思うのだが、そこはなにかこだわりがあるらしい。


「ねぇ、ネモフィラはなんで目を隠してるの?」

「ネモでいいですよ、ルクさん」

「ならアタシもルクでいいわ。それでなんで隠してるの?」

「えっと、それは……」


 朝、着替えて支度をしている最中であった。

 ネモの瞳は薄い紫色をしている。これは、伝承に伝わる女神の瞳と同じ色だ。

 これはなにも魔法的なものではなく単に生まれつきの色というだけなのだが、人によってはこれだけで臆病だとか信心がなさそうだと勝手なイメージを抱いたりするので隠しているのだ。

 せっかく知り合ったルクやロイにもそういった印象を与えたくはないとは思った。

 どう誤魔化そうか、と困ってルクを見ると、ルクは不思議そうな顔をしてネモの目の前をふよふよと浮いていた。

 ルクは妖精なのだ。

 ルクは妖精であって人間の宗教など気にしなそうではあるし、ついでに言えばロイはなにも気にしなそうではあった。


 ネモは前髪をかき分けてルクに瞳を見せた。


「こういうことです」

「あらかわいい! モテたくないから隠してるの?」

「いや、そうじゃなくて……」

「? じゃあどういうことなの?」

「その、瞳の色が」

「綺麗な紫じゃない」

「女神様と同じ色ですよ」

「いいじゃない」

「良くないんですよ。アーキ教は女神様を臆病で追放された神として扱っているわけですから」

「ですから?」

「この色はいいものじゃないんですよ。宗教的に好ましくないものなんです」


 それを聞いてもルクはどうでも良さそうに、


「綺麗なのに。人間ってバカなのね」


 とだけ感想を漏らした。


「まあいいわ。早速探しましょ。即見つけてロイのバカに酒を飲む時間を与えないのがアタシたちの目標よ」

「お酒を飲むために分かれたんですか?」

「それか女か。どっちにせよろくでもないわ」


 ロイの無精髭面を思い浮かべて、ネモはいかにもありそうだと思った。


「それで、女神の国の人を探すつもりなんですけど、ルク……は女神の国の人を見分けられるんですか?」

「見分けられるわよ。魔力の波長が特徴的だし、なんだか変わった魔道具アーティファクトも持ってるみたいだしね。ただ、遠くから場所を特定するのは無理。だいたいこの地域にいるってことはわかっても、ここにいるって特定するのはできないわ」

「直接目にすればわかる、ということですか?」

「だいたいそんな感じ」

「わかりました。それでは地道に探しましょう」

「アテはあるの?」

「わかりません。とりあえずは人通りの多いところを探してみましょう。市場とか、本当に女神の国の人がそこまで興味を持ってるかわかりませんけど、美術品に関係するところを探すとか」

「任せるわ。アタシはロイと違ってちゃんと手伝ってあげるから期待して」


 宿を出て街に出た。

 商業都市、というだけあって朝から活気づいている。

 ネモは街の中心を目指す。まずは中心から人の多い場所へ行き、そこから色々と考えるつもりであった。

 

 道行く間、ネモには行き交う人々とすれ違って疑問に思ったことがあった。


「どうしてみんなルクを見ないんでしょう?」


 当然の疑問だった。

 なにせ妖精である。

 妖精を見たことがある人間がいるとしても、街中で妖精を連れて歩く人間を見たことがある者はそうはいまい。

 仮にネモが妖精を連れ歩く人間とすれ違ったとしたら、振り返ってでも見てしまうと思う。

 なのに、行き交う人にはそんな気配はまるでなく、ネモのことなど全く意識してないかのように通り過ぎて行く。


「ああ、それは気付いてないからよ」

「気付いてない?」

「そそ、妖精の魔法よ。これだけ人が多い場所なら、よほど集中しないかぎりアタシの姿も声も聞こえないわ。だから今のネモは独り言を喋りながら歩く人に見えてるはず、気をつけてね」


 もう少し早く言ってほしかった。

 すれ違う大男がネモを訝しげに見ていた。

 これはおそらくルクが見えているわけではなく、ルクが言うように独り言を喋ったネモを見ているのだろう。

 恥ずかしくなってネモは顔を背けるようにして歩いた。


 女神の国の人間は、広場にはいなかった。


「あの人は?」

「違うわ」

「あっちは?」

「違う」

「あそこの人は?」

「いたらアタシから言うから」


 そんなやり取りの末、結局広場にそれらしき人はいなかった。

 次に目指したのは市場だった。

 広場と市場通りは隣接して移動はすぐだった。

 通りの左右に露店が立ち並び、商人たちが威勢良く声を上げている。

 食べもの、装飾品、武器、防具、本に小物に生活用品。

 本当に様々なものが売っていた。


 ネモが人を避けながらじぐざぐと歩いていると、ルクが急に声を出した。


「あ」


 人中であるからネモは小声できいた。


「どうしたんですか? いました?」

「いた」


 目当ての人物は、意外なほど簡単に見つかった。


 女性だった。

 もしかしたら、ルクがいなくても女神の国の人物だとわかったかもしれない。

 なにせ、えらく目立つのだ。

 美しい赤毛の長髪をした、とんでもない美人だった。

 装いは薄い水色をした不思議な外套を羽織っている。

 その女性は、露店の品をじっと眺めて品定めをしているようであった。

 顎に手をあて、品を見ては考え込むようにしている。

 

「あの人?」

「そう、あの赤髪」


 赤髪の女性は露店の前から動かない。


「どうしたの? いかないの?」

「動くまで待ちます」


 邪魔にならないように道の端に寄って待った。

 女性が露天で品定めしている時間は、ずいぶんと長かった。

 かなりの時間選んだ挙げ句、その女性は小さな装飾品をいくつか買って移動を始めた。


 ネモはその後を、気付かれないように間をあけてつけた。


「ねえ、まだ話しかけないの?」


 ネモは小声で囁くように返した。


「人通りが少なくなってから」


 無論、嘘である。

 ネモがなかなか話しかけないのは理由があった。

 緊張しているのだ。

 ネモは人と話すのがあまり得意ではない。

 その上相手は知らない人で、しかもこことは違う世界から来た人間となるとどうしたって緊張してしまう。

 すぐに話しかけてしまえばいいものを、ネモは覚悟ができずにただ後をつけるだけになってしまった。

 まだ人が多い、ここは場所が悪い、そうやって言い訳を見つけて先延ばしにしているうちに、女性は別の店に目をつけ、またしても熟考モードに入ってしまった。


「ねえ、まだ話しかけないの?」

「あの人が選び終わったら」

「さっきもそんなこと言ってなかった?」

「今度はほんとですから」


 またしてもそれなりの時間をかけ、女性はいくつかの品を買って再び動いた。


「あのさぁ……」


 いつまでも動かないネモを見て、ルクは呆れた声を出した。 


「市場を出たら、市場を出たら絶対話しかけます」

「いいけど、あの人に危険を知らせるのよね? それと女神の国に連れて行ってくれるように頼むんだっけ?」


 その通りだった。

 ネモは、自分の護衛についた帝国の人間を思い出した。

 ルドルフ、といったか。

 あの人も随分な美形であったと記憶している。

 それが、首をねじ切られて死んだのだ。

 自分の護衛についたばっかりに。

 

 あの女性も、もしかしたらそのような目に合うかもしれないのだ。

 ネモは、自分の中のありったけの勇気をかき集めた。

 それでも、ネモの勇気などたかが知れていた。かき集めたとしても、まずそもそも総量が少ないのだ。

 結局、ネモはその女性が市場通りを抜け出してからようやく話しかけるに至った。


「あ、あのっ!」

 

 ネモの声に女性は振り返り、赤く長い髪がたなびいた。

 その美しい顔立ちが不思議そうな表情に染まっていた。


「ん? お嬢さん、なんの用かしら?」


 上品そうな声が響く。


「あ、あの、その」


 理路整然と話すつもりだったのに、ネモは緊張からなにを話せばいいのかわからなくなってしまった。


「め、女神の国の人ですよね?」


 女性は一呼吸おき、どう答えるか迷ったような顔を見せてから、


「そうだけど」

「と、突然ですけど、たぶん狙われてるので気をつけてください」

「えーと、どういうことかしら?」


 当然の反応であった。

 ネモとていきなりそのような言い方をされては疑問に思っただろう。

 相手を困惑させてしまい、まともに取り合ってくれる可能性が減ったのを感じて、ネモはさらに緊張してしまう。


「その、女神の国との交流に反対する人がいて、そういう人がお姉さんを狙うんじゃないかって思うんです」


 赤髪の女性は、どうすべきか迷っているようであった。

 それも一瞬で、その顔はすぐに社交辞令的な笑みを浮かべた。


「わかった。気をつけるわ。忠告ありがとうね」


 本気で受け取っているようにはとても思えなかった。

 子供に対するあしらい同然の返し。

 それだけ言って、女性は踵を返した。


 ネモは追いかけなかった。

 これ以上話してもうまく自分の意思を伝える自信がなかったし、なによりもこの場から逃げられるなら逃げたいという意思が勝ってしまったのだ。

 

 ネモは赤髪の女性を呆然と見送るだけだった。

 ルクが姿を現し、


「あのさぁ……」


 と呆れ顔でネモを見ている。


「なんであんな言い方したの? あれじゃ誰だって相手しないわよ」

「だって……」

「だって?」


 言うか一拍迷ってから、


「恥ずかしいし」


 蹴られた。


「いたっ」


 ほっぺたに指で軽くはじかれるような、小さな衝撃があった。


 覚悟を決めたつもりであったが、実際の場でイメージ通り話せるかと言えば、人生はそんなに甘いものでもなかった。


 ネモは、人と喋るのが苦手である。

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