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55/61

55.去るならば共に


 ヒューゴ卿が、消息不明であった。


 主であるローグ公は、ヒューゴ卿が生きているとは考えていないようだった。


 ネモは、歯を食いしばる。

 わたしのせいで、という気持ちと、ひたすらに申し訳ないという念しかなかい。


 話を聞いたロイが、心底面白くなさそうな舌打ちをしていたのが印象残っていた。


 ネモは初め、皇帝の仕業だと考えていた。

 聖戦を有利にするために、有力な参加者を消すという実に単純な策だ。

 しかし、どうやら皇帝は関与してないようだった。


 皇帝が、わざわざネモの元まで来たからだ。

 ネモたちは帝国が用意した帝都の宿舎で、聖戦の日まで待機することになっている。

 そこに、皇帝が来たのだ。


 ネモを呼び出して、皇帝はこう言った。


「ヒューゴ卿のことは残念だと思っている。だが、余が関与していないのは信じて欲しい。聖戦に関しては、正々堂々と戦うつもりだ。もし我が戦士が負けるようであれば、ネモフィラ・ルーベル、そなたの願いは全力で叶えることを誓おう」


 ネモはその言葉を聞いて、直感的に真実だと思った。

 リベリウス四世は、果てしない野心と、サディスティックな嗜好こそあれ、能力の低い人物ではないのは感じていた。


 たぶん聖戦において皇帝は真っ向勝負で来る。ネモはそう確信していた。


 ヒューゴ卿を亡き者にしたのは、プライマとミューズの平和的な交流を阻みたい何者かの仕業なのだろう。

 皇帝の意思ではないにしろ、皇帝の間接的な影響による要素はあったはずだ。

 だからこそ、皇帝はネモなどのために謝罪じみた訪問をしたのだろう。


 ヒューゴの欠員はネモの心をざわつかせたが、それ以上に実際的な問題が発生していた。

 ネモの陣営にいる戦士は、ロイに、ルインに、サザンカの三人だけだ。

 そこに、狂気の沙汰とも言えるネモの参戦を含めても四人。


 誰かの生贄が必要であった。

 とにかく五人は用意しなければ聖戦が成立しない。

 請願を通すには、そのうちで勝ち目のある三人全員が勝たねばならない。

 もし誰かが負けてしまえば、当たり前すぎるほど当たり前ながら、四人目に出番が回ってくるのだ。


 帝国側の戦士は、プライマとミューズの両世界で数えても上位十名に入っておかしくない強者しかいないはずだ。

 誰を入れたところで、犠牲は免れない。


 ネモだけならばいいのだ。

 ネモが死ぬことになっても、それは意義ある死になるとネモは考えている。


 それとは違い、この数合わせは完全に意味のない犠牲なのだ。


 ネモはあてがわれた宿舎の自分の部屋にいた。

 打つ手がなく、少しでも問題解決の糸口は得られないかと、この考えをシラユキに話していた。


「では、シラユキがその穴を埋めましょう」

「……え?」


 なにかを聞き間違えたのかと思った。

 シラユキは真剣な面持ちで、ネモを見ていた。


「シラユキって、戦えるの?」


 シラユキは首を横に振る。


「最低限の護衛は出来ますが、こちらの世界で戦える水準にはないでしょう」

「じゃあ!!」

「誰かが犠牲になる必要がある、そうでしょう?」


 シラユキの声は穏やかで、今までにないほど人間味があった。


「シラユキは人形ドールです。人間ではありません」

「でも……」

「でも、なんですか?」


 ネモはそれに続く言葉を自分で探す必要があった。


「人形とか、人間とか、関係なくって。シラユキにも心があるでしょう?」

「それですよ」


 ネモよりも頭ひとつは小さい、少女というよりは童女と言ったほうが相応しい人形が、優しく微笑んでいた。


「シラユキのこの身体の中には、人工的な精霊が入っています。それがシラユキの意思であり、心であり、魂の源です」

「それさえ無事なら、大丈夫だっていうこと?」

「いいえ。この精霊は身体と密接に結びつき過ぎて、身体が壊れてしまえば無事ではいられないでしょう」

「じゃあ……!!」


 シラユキは落ち着いた表情を崩さず、見た目よりも遥かに大人びた動きでネモの隣に座った。


「ネモ様、知っていますか? かつてのミューズでは主君が死ぬと、臣下もあとを追う、殉死という文化があったそうですよ」

「馬鹿なこと言わないで!!」

「ネモ様は知らないでしょうが、ミューズの一般的な人間は人形ドールに対して、そのようには接しないのですよ。ただ命令をして実行させるだけです」


 シラユキはふふっと小さな笑いを漏らした。


「ネモ様はプライマの人間だったから、そんなことは知らなかったのでしょうね。初めて会った時の事をおぼえてますか? ネモ様はこんな子供に! と大騒ぎをして」

「あ、あれはシラユキの事を人形だなんてわからなかったから!」

「今もあまり区別してらっしゃらないでしょう?」

「それは……」

「ネモ様はシラユキに色々な話を聞かせてくれましたよね。ご自身が子供の頃のこと、プライマのこと、ミューズに来てからの日々のこと。シラユキは、あの時間がとても好きでした。召使いに話すというよりも、気のおける友人のように接してくれるネモ様が好きでした。シラユキは、主に恵まれたと思います」


 シラユキの瞳が鋭さを帯びた。


「だからこそ、空いた枠をシラユキに埋めさせてください。ネモ様が天に召されるなら、シラユキもお供したいと、心から考えております」


 断る理由が、思いつかなかった。

 空いた枠に入れるのは、勝てる可能性がある戦士でなければ、誰であろうと変わらないのだ。

 そして急遽ネモに協力してくれる、勝てる可能性がある戦士など、この世には存在しない。

 なればこそ、自ら望んでいる者を入れるべきだ。


 それでも、ネモはシラユキの言葉を受け入れられなかった。

 理屈ではない。

 サザンカはまだいい。サザンカは勝てる可能性のある戦士だ。それはロイも保証してくれた。

 シラユキは違う。戦士ですらない本当の生贄だ。


 シラユキはネモの逡巡を正確に読み取った。


「わかりました。ではネモ様、決めてください。もしシラユキを人間と同等の存在と考えてくださるなら、シラユキの願いをきいてください。もし、シラユキを人形ドールだと思うなら、ただ参戦しないように命令してください。シラユキは、ネモ様の決定に従います」


 意地悪な言い方だ、とネモはシラユキを恨んだ。

 そんなシラユキは、ネモの答えがわかっているかのような、澄み切った顔をしていた。


「わかった、シラユキ、力を貸して」

「よろこんで」


 シラユキは笑いながら言う。その姿は本当に人間にしか見えない。


「それに、ネモ様は家事はからっきしですから、天国でもお手伝いが必要でしょうしね」

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