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54.意地悪


 馬車の中で、ヒューゴはひとつ大きな伸びをした。


 聖戦まで、あと十日というところまで迫っていた。

 ヒューゴは先に現地入りするために、馬車での移動中であった。

 馬車の車輪のゴロゴロとした音が聞こえる。

 馬車内はお世辞にも快適とは言い難い揺れにヒューゴはため息をつく。

 

 慣れたものといえば慣れたものではあるが、やはり馬車での旅は退屈であった。

 ミューズでは空を飛ぶ魔道具で移動をするのが当たり前だと聞いている。

 そんなものがあればどんなに楽かとヒューゴは思う。


 ある意味で、ヒューゴはこれから、そんなものをこの世界に呼び込むために戦うのだ。

 ネモフィラ・ルーベル。かの女性をヒューゴは思い出す。

 女神と同じ紫色の瞳をした女性。

 それなのに、臆病なところは一部もなく、歴戦の英傑のように堂々としているように見えた。

 年若い女性なのに、なかなかどうして馬鹿にはできない。


 初めは、ローグ公の気まぐれかと思ったのだ。

 ベース・プラギットの作品がローグ公の大のお気に入りなのはヒューゴも知っていた。

 それが実はあのネモフィラ・ルーベルの作品だったと聞けば、ローグ公が多少なりの贔屓をするのはヒューゴとしても不思議には思わなかった。


 にしても、とは思う。

 まさか聖戦などというものが出てくるとは。

 

 聖戦は神話の中での話であり、実際の帝国の制度としては、皇帝の度量の広さを示すためだけの形骸でしかなかったはずだ。

 それなのに、あのネモフィラ・ルーベルはそれを実現したのだ。

 そして、ヒューゴ・バートンはその聖戦で戦うのだ。


 主君の命とあらば命がけの戦いも厭わないヒューゴであったが、紫の瞳をした、平民でしかないはずの少女が挑む聖戦に携わるとは、夢にも思っていなかった。

 それも、聖戦にかけられた請願は「ミューズとの平和な交流を」である。


 願いだけを聞けば、頭の中がお花畑の少女の願いと思っても仕方のないものであった。

 だが、ネモフィラ・ルーベルを見て、ヒューゴは考えを改めた。

 とらえどころのない人物だと思った。

 彼女を目にして、なぜか少女の夢想とは考えられなくなった。


 ローグ公の反応も贔屓の芸術家に対するものとは思えず、天命にでも従うかのような口調でヒューゴに戦いを命じた。


 圧倒者が動いている、というのもそれに輪をかけていた。

 あれは、おおよそ人に御せるようなものではないと認識している。

 それが年若い少女に協力しているというのは、暴竜が子犬に跪いているのを見るより奇妙な光景に見えた。


 もしかしたら、自分は歴史の分岐点にいるのかもしれない。

 ヒューゴはそう感じ始めていた。


 命をかける価値を感じ初めていた。

 願わくば、この戦いが人々の幸福に繋がればと思う。



 奇襲は、思いがけぬ襲撃であるからこそ奇襲なのだ。


 だから、始まりは突然の馬車の揺れから起こった。


 征伐者の名は伊達ではない。


 ヒューゴはその揺れを一秒と関わらず異常なものと認め、二秒が経つ前に馬車の扉を蹴破って飛び出していた。


 飛び出すと同時に刺突剣を抜き、周囲を警戒する。


 着地に合わせ、傾いでいた馬車が横倒しになり、荒々しい音が響いた。

 

 馬。


 首から上が消失した馬の姿が見えていた。


 上半身と下半身が分断されて息絶えている御者の姿が見えていた。


 そして、銀髪の、赤い瞳をした少年が街道の中心に、道を阻むように立っていた。

 周囲に人の気配がない以上、この少年が襲撃者に違いない。


 ヒューゴは刺突剣を少年に向けて構え、言った。


「何者か!」


 聞かずとも目星は着いていた。その特徴的な容姿は、プライマの軍人で知らぬものはいないだろう。

 抹消者だ。皇帝の懐刀。魔に魅入られたとされる男。

 

「抹消者、と言えばわかるかな?」


 もう間違いなかった。

 帝国の抹消者がなにをしに来たのか。

 決まっている。ヒューゴを消しに来たのだ。


 抹消者は、ただ道に立っていた。

 構えもせず、脱力して、単にたっているだけにしか見えない。


 ヒューゴは全身が泡立つような感覚に襲われた。


 自分は、やれるのか。

 

 強敵とは、何度も戦ってきた。ヒューゴはそれらに勝って、勝って、勝って、征伐者という名の英号を手に入れるまでに至った。

 強敵、といっても限度がある。

 自分はあの抹消者に勝てるのだろうか。


「なにをしに来たんだ?」


 少しでも時間が稼ぎたかった。

 馬と御者の死体を目の端で見る。

 それらは、身体の一部がまるで消失したかのように見える。


 抹消者が何らかの武器を持っているようには見えない。それは魔法によるものか、固有能力ユニークスキルによるものか、いずれにせよ一撃必死のなにかを持った相手には違いない。


 圧倒者が表の頂点だとすれば、抹消者は常に裏の頂点にいた人物だ。

 皇帝の不都合になる戦士をことごとく消してきた暗殺者。

 それがどんなに強大な戦士であろうとも、だ。


「意地悪をしにきたんだ」


 抹消者は少年のような声で言った。


「なに?」

「聖戦、あるだろ? その参加者がいなくなったら、ネモフィラ・ルーベルが困ると思ってね」

「私が一番消しやすいと?」

「誰でもよかったんだけど、他の戦士はどうも女神の国にいるみたいなんでね。めんどくさいから一番手近なのをってところさ」

「ナメないでもらいたいな」


 右手に剣を構えたまま、左手で魔力を練った。


「一対一でなら聖戦で戦うのと変わらん。ここで私がお前を消せば我々が有利になる」

「都合のいい妄想はやめなよ。悪夢は突然やってくるから悪夢なんだ」


 張り詰めた空気が、ふたりの間を満たしていた。

 避けられない争いの気配、結末はどちらかの死以外にあり得ない。


 ヒューゴは、一瞬で決めようと思った。

 抹消者は固有能力ユニークスキル持ちだと仮定する。

 固有能力ユニークスキル持ちに対する基本戦略は先手必勝だ。

 厄介なことをさせる前に勝つ。


 仕掛けた。

 左手で練っていた魔力を魔法の短剣に変えて放った。


 無数の短剣が抹消者に向けて襲いかかり、ヒューゴは抹消者に向けて距離を詰めようと踏み込む。


 抹消者は動かない。


 短剣が抹消者に迫る。短剣は抹消者に近づくとその機動を変え、抹消者の周囲を取り囲むように浮かび上がった。


 そこにヒューゴは合わせた。

 ヒューゴは二歩めの踏み込み、同時に抹消者を囲んでいた短剣が自ら意思を持つように襲いかかった。


 抹消者はひょいとわずかに屈んだだけで、すべての短剣を交わした。無数の短剣が地面へと突き刺さる。その動きはなにか騙されているような、ヒューゴにとってはあり得ない事態に映った。

 それでもヒューゴは踏み込み、必殺の刺突で屈んだ抹消者の頭部を狙おうとし、


 予感。


 それ以上踏み込んだら、死ぬ気がした。

 ヒューゴは直感に従って踏みとどまり、


 抹消者の正面の空間が、歪んだように見えた。

 回避したヒューゴへの称賛のつもりなのか、抹消者がふざけた口笛を吹く音が聞こえた。


 抹消者がヒューゴに迫ろうと跳び、


 そこをヒューゴは狙った。


 抹消者の足元に突き刺さっていた短剣が鎖へと姿を変え、抹消者の足に絡みつきその動きを封じた。

 抹消者が鎖に気づいた時にはもう、その眉間にはヒューゴの刺突剣が突き刺さっていた。


 ねじって、引き抜いた。


 抹消者が前のめりに倒れる。


 ヒューゴは、緊張を吐き出すように大きく息をついた。

 

 勝った。


 御者と馬車に目をうつし、これはこれで困った事態になったなと思った。

 それでも聖戦に出るであろう帝国の戦士を倒したことで、これで本戦でも勝ったら一番の功労者は私になるな、などと冗談めかしたことを考えていた。


 なんの前触れもなく、抹消者が立ち上がった。

 いや、立ち上がったという表現は正しくないかもしれない。

 うつ伏せに倒れたままの姿勢で、手足も使わず、倒れた動きを逆にしたように浮きあがったのだ。


「さすがに征伐者なんて言われるだけはあるね。大した魔剣士だ」


 抹消者の眉間には、傷がなかった。


「僕を殺そうと思うんなら、あれくらいじゃだめだね。跡形もなく消すくらいでないと」


 抹消者が、場違いな感じのする笑みで笑っていた。

 気配が、先程までと違った。

 その瞳が、赤い、鈍い光を放っていた。


「じゃあ再開といこうか」


 なにをする間もなかった。

 どうして詰められたのかもわからないまま距離を詰められ、咄嗟に貼った結界は嘘のようにすり抜け、抹消者の、


 手が、

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