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49.始まりが繋がる場所


 失敗ができない上に、速さまで求められていた。

 交渉したうえで上級貴族からの支持が得られなければ皇帝の元まで話が伝わるのは自明の理で、一度も失敗することはできない。

 仮に支持を得られたとしても、時間をかけてしまえば皇帝はネモの動きを察知するだろう。

 そうなってしまったら最後、皇帝から直接命令が下る可能性まである。

 ネモフィラ・ルーベルに味方をするな、と。

 絶対に失敗はできず、迅速に行わなければならなかった。


 ローグ大公は大陸でも最大の勢力を誇る貴族の一人だ。

 その領地は大陸の二割を占め、下手な国よりも広い範囲を統治している。

 若かりし頃は軍神とまで言われた男で、帝国の大陸統一に多大な貢献をした英雄だ。


 ネモは、そんな男の屋敷に来ていた。

 来訪の話は、あっさりと通った。

 ネモは、プライマでは未だに単なる平民でしかない。

 そんな人間が、帝国で五指に入るような人物にどうやって接触するのか。


 ネモとしては非常に難しい問題であり、解決できるかも怪しいものだと考えていたが、ロイの紹介ですぐにお目通りが叶うことになった。

 ロイとてローグ公とは親しい間がらではなく、単なる爵位持ちとしてコンタクトがとれただけだ。

 だからこそ、ネモの来訪が許されたのは尚の事意外だった。


 ロイとルインが護衛として着いてきていたが、奥まった部屋まで通されたのはネモだけであった。

 ルインが罠ではないかと疑っていたが、ロイの方はそんなつまらんことをする人間じゃないと抗弁した。

 ネモとしても使用人の雰囲気から嫌な予感はしなかったのでルインに心配ないと伝えると、今までの態度が嘘のように従ってくれた。


 応接室の奥側の扉が開いた。


 現れたのは、小さな色眼鏡をした、ぽっちゃりとした体型の、車椅子に乗った老人であった。

 老人は車椅子を侍女に押されて部屋へと入ってきたのだった。

 ローグ大公。御年八十一歳。その人であった。


 ネモは立ち上がり、スカートを軽くつまんで会釈をした。


「ああ、よいよい、楽にしてくれ」


 ネモは頭を上げた。

 

 ローグ大公がネモの瞳を見ていた。


「変わった色の目をしているのだね」

「あっ、えっと、すみません!」


 しまった、とネモは思った。

 あまりにもミューズの生活に慣れてしまい、瞳を隠すことを忘れていた。

 印象を悪くしたかもしれない。

 すると老人は愉快そうに笑った。


「なにがすまないんだね? 美しい色じゃないか」

「あ、ありがとうございます」


 言ってからネモは反応として正しかったのか不安になる。

 ローグ大公の目は穏やかで、見ていると吸い込まれそうであった。

 心の奥底まで見透かされているのではないかという気になる。


「ちょっとはずしてくれるかな?」


 ローグ大公が侍女に声をかけると、侍女はネモに会釈だけして部屋を出た。


「さて」


 ローグ大公は膝の上で手を組んだ。


「ネモフィラ・ルーベル、君の噂は色々と聞いているよ。こんな老いぼれにいったいなんの用かな?」


 ローグ大公の目を見て、小細工は意味を成さないと感じた。

 ネモは単刀直入に切り込んだ。


「わたしは皇帝に、聖戦を挑みたいと考えています。ローグ大公にはその支持をいただきたく参りました」


 衝撃を受けないはずはない発言なのに、ローグ公は超然としていた。


「ほう、一体なにを願うつもりかね?」

「両世界の、平和な交流を」


 ローグ大公は、感情の読み取れない微笑みを浮かべていた。


「ちょっと散歩でもしながら話そうか。車椅子を押してくれるかね?」

「はい、もちろんです」


 ネモは失礼します、とローグ大公のうしろにまわり、車椅子の持ち手を握った。


「部屋から出て、右手の通路をまっすぐ進んでくれ」


 ネモは言われた通りにした。

 部屋を出て、廊下を右に進んだ。

 あくまでも屋敷ではあるが、その大きさは城と言っても差し支えないほどであった。

 あるいは土地だけの面積で言えば帝都の城よりもよほど大きい。


 ローグ大公は車椅子を押されながら話しだした。 


「なぜ私だったのだね? 聖戦の支持ができる上級貴族は他にもたくさんいたはずだ」

「ヴェザンティ老が、支持してくれる貴族として、ローグ公の名前を出したからです」


 この老人に虚飾は通じない気がした。

 ネモは、真実を、思ったことを、初めに浮かんだ言葉を口にしようと決めた。


「君はそこまで遠見を信じているのかね?」

「いえ、わたしはわたしの感性を信じております。ヴェザンティ老の言葉を聞いて、悪い予感はしませんでした。だからわたしはここにいて、ローグ大公はわたしを通して話してくれているのだと思っています」

「感性? きみは直感だけでわたしの元まで来たと?」

「ある意味では。ロイ・ヒューリーから教わったことです。直感を信じろと。そうしてわたしは生き延びて、ミューズで暮らし、またプライマに戻り、田舎村の職人見習いでしかなかったわたしが、今こうしてローグ大公の車椅子をお押ししています」

「面白い子だ」


 背中の揺れから、ローグ大公が笑っているのがわかった。


「突き当りは左に進んでおくれ」

「はい」


 通路を曲がると、また様子が違ってきた。

 しばらく進むと屋敷と別棟をつなぐ、柱と天井だけの通路になっていた。

 壁はなく、庭の様子がよく見える。

 丁寧に手入れされた芝生が、陽の光を受けて瑞々しい緑を放っていた。

 遠く、正門からの道が横から窺えた。そこでは植木が彫刻のような様々な形に整えられているのを見たが、ここからはその剪定をしている庭師が見えた。


「私はね、自分で言うのもなんだが先代皇帝の大陸統一戦争で、最も活躍した者だ」

「はい、それは存じております」

「私の家は代々戦人の家柄でね、八十年も生きていると多くの戦争を見てきた。若かりし頃のほとんどは防衛のための戦争だ。特に帝国は大陸の中央近くにある国だった。あっちを守ったら次はこっちと、戦いの絶えない日々だったよ」


 ローグ大公の声は、老人が遠い昔を語る時だけ出せる色を帯びていた。どこか切なく、寂しげな。


「どうすればこんな争いを無くせるのか、私は本気で考えたよ」


 通路には、温かい陽の光が差し込んでいた。

 紫色の瞳をした少女が、ゆっくりと、ゆっくりと老人の車椅子を押している。


「そこで先代の皇帝だ。先代の皇帝は、大陸統一という途方もない野心を抱いた男だった。先代は私に言ったよ。大陸が統一されれば争いはなくなると。一理はあると思った。他に方法はなく、賭けてみる価値はあると思った。そうしてわたしは粉骨砕身働いたよ。結果は知っての通りだ」

「統一を、果たしたんですね」

「それから人間同士の戦争はなくなったよ。少なくとも見える範囲ではね」


 進む通路の先には、離れのような建物があった。

 ローグ大公は、どうやらそこを目指しているようであった。


「現皇帝は、最終的に女神の国への侵略を目論んでいる。そうだね?」

「はい、その通りです」

「それはわかっていたよ。現皇帝は先代に負けず劣らず野心の強い男だ。それに、現皇帝はわかりやすい功績を求めている」

「皇帝と話した時、そのように感じました」

「私としては無駄な侵略戦争など馬鹿げていると思う。しかし、我が家が代々皇帝に仕えてきたという歴史もある。そう簡単に聖戦の支持などできるものではないんだ」


 ネモとローグ大公は、離れまで辿り着いた。


「だから、それには条件がある。中へ入ってくれるかね?」


 そう言ってローグ大公は鍵を取り出してネモへと手渡した。

 ネモは鍵を使い、離れの扉を開けた。


 離れといっても、普通の家の何倍もの大きさがある。

 中は、ひとつの大きな部屋だった。

 そこはまるで美術館だった。


 絵画、彫像、陶器、刀剣、鎧。ありとあらゆる美術品が、飾られていた。

 ネモの意識はその光景に吸い込まれそうになったが、すんでのところでローグ大公の存在を思い出した。


 ローグ大公の車椅子を押して、離へと踏み込んだ。


「どうだね? 私のコレクションは」

「……素晴らしいと、思います……」


 ネモには学がない。

 美術品を見ても、それが誰の作であるとか、どういったものであるといった知識がない。

 知識がないからこそ、先入観なく、まっさらな感性でそれらを受け取ることができた。


 見ているだけで、鳥肌が立った。

 どれもこれも、人間の意思が感じられた。

 そのどれもが、造られたものではなく、美という存在をこの世に示すために元から存在していたような、そんな想像が湧き上がった。


 ネモは、この瞬間、世界のすべてを忘れ、目に見えるものにただ圧倒されていた。


「あそこの、中央の左側の区画まで移動してくれるかな?」


 ネモは我に返り、ローグ大公が示した方へと車椅子を進めた。


 そこは、陶器が飾ってある空間であった。

 どの陶器も素晴らしい以外の言葉が出てこない。

 これらがミューズに運ばれたら、自分の作品など相手にされなくなってしまうのでは、と不安になる。


 その中央に、一際美しい陶器があった。

 真っ白な、美しい流線型に形作られた壺だった。

 受ける印象はただひたすらに「無垢」だ。

 それがある空間そのものが、なにか特別な場所に感じられた。

 正常な、調和の取れた、自然な、そうであるべき世界がそこにある。

 ネモには、見覚えがあった。


「そう、その壺だよ。七年前に手に入れた、ベース・プラギット氏の作品だ」


 声が、出せなかった。


 ローグ大公は、どこか茶化すような口調で言う。


「ベース・プラギット氏の作品だと言われていたものだ」


 ローグ大公は振り返りネモの瞳を見た。

 その目には、すべてを見透かすような、老人とは思えない輝きがあった。


「わたしの…… 創ったものです……」


 覚えていた。

 ネモが師匠の前で、初めて固有能力ユニークスキルで創ったものだった。

 ネモがベース・プラギットに引き取られることになる、理由になった作品だった。


「断言していいが、私が君の一番最初のファンだよ」


 ローグ大公は嬉しそうに笑った。


「聖戦を支持する条件を提示しようか。それは、君の作品をいくつか私に提供すること」


 ローグ大公の顔には、孫をからかう祖父の笑みが浮かんでいた。


「それでどうかな?」

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