35.四度目の正直
ネモとユリがリビングでくつろいでいる時であった。
シラユキが現れ、いつもと変わらぬ態度で無感動に口を開いた。
「またツツジ様からの念話ですが、どうなさいますか?」
「今はとりこみ中だからって伝えておいて」
「かしこまりました」
ユリがネモを好気の眼差しで覗き込んでくる。
「また、って?」
それにはネモではなくシラユキが答えた。
「これで三度目です、ツツジ様からの念話があったのは」
「ツツジっていうのはだれ?」
「ガードのツツジ様です。この間のパーティで警備に参加していた」
「ちょっとシラユキ!!」
「なにか問題でも?」
シラユキがどことなく不満そうな目をネモに向けている。
もしかしたら怒っているのかもしれない。
一度目、二度目と念話がかかってきて、そのたびにネモは適当な理由をつけて出るのを拒否してきた。
二度目に断った時、シラユキから「お嫌でしたら取り次がずに、シラユキの方で処理することもできますが」と言ってくれたのに対して、そこまではしなくて良いと答えたのだ。
そんな事を言っておいてまたかかってきたら断る、というのはシラユキにとっては面白くないことだったのかもしれない。
とはいえ、取り込み中は本当だった。
久しぶりにユリが来て近況や会社の話をしていたところだった。
パーティを行った成果は目に見えてあったらしく、ユリからはいくつもの明るい報告を聞いた。
「ガードのツツジって、あのツツジ?」
「そのツツジだと思います、ツツジ・ハーティーチ」
「どうして連絡が来るの?」
「それは、ネモ様がツツジ様にご自身の連絡先を教えたからだと思われます」
「シラユキ、お茶のおかわりをお願いできない?」
露骨な追い出しであった。それでもシラユキは不満を見せず素直に従い、リビングから出ていった。
「ねぇねぇネモぴ、どういうことなの? もしかしてネモぴと恋バナできちゃったりする!?」
「そういうのじゃないですってば!!」
「じゃあどういうのなの?」
「それは……」
とネモは言葉に詰まる。
「ユリさん、わたしたちが一番最初にエターリに行った時のこと覚えてますか?」
「モチ覚えてる。なんなら辛い時思い出したりしてる」
「そ、そうですか。その時公園で、男の人に話しかけられたの覚えてますか?」
ユリは顎に手を当て、宙に視線を漂わせながら考えて、
「あー、あのナンパ男! ネモぴが盛大に振フッたヤツ!」
「それがツツジさんです」
ユリは目をパチクリさせ、それから髪の毛を弄り回し、
「マジ?」
「ユリさんが雇ったんですよね?」
「それはそう。ツツジ・ハーティーチ。あの業界じゃちょっと名前の通った子でね。軍学校の首席だったけど軍に入らずにそのまま流れの用心棒。二年前の人質救出事件で一躍有名人。個人だけどそこいらのガードよりはよっぽど腕が立つのは間違いなかったから雇ったの。しかし二年近く前の公園ねー、繋がらなかったなー」
「とにかく、偶然の再会だったんです」
「で、イケメンだから連絡先を教えたのね?」
「違いますよっ!!」
「じゃあなに?」
「それは……」
言えなかった。
ツツジが泣き出したのが余りにも哀れだったから教えてしまったなどと。
他言するのはいくらなんでも気の毒な気がしたし、もしかしたら嘘だと思われてしまうかもしれないという心配もあった。
「ツツジさんの名誉のために言えません」
「ふーん」
となにやらユリは勝手に納得しているようであった。
「それで、なんで出ないの?」
「それは、知らない人ですし」
「知ってはいるでしょ?」
「あんまり知りません」
「最初は誰だってそうじゃない?」
「それはそうですけど」
「どうせデートのお誘いでしょ、そんなの」
「で、で、で、で、デートのお誘いなんですか!?」
「でしょ、そんなの」
「じゃあ絶対に出ません!!」
「なんでよ?」
「だって! そんなの! わたしまだ……その……」
ユリは優しい姉のように笑った。
「いいんじゃない? そういうのも経験だし」
「で、でも……」
「なんかネモぴは重く考え過ぎちゃってるんじゃないかな?」
「だって、男の人ですし」
「プライマじゃどうだったかわからないけどね、ミューズだと男の人と遊ぶなんて別に普通なの。ちょっと話したから特別な関係とかそういうのはないわけ」
「じゃ、じゃあツツジさんが女性二人といたのはどうなんですか?」
「あー、あれはまあ遊び人かなー」
「ふしだらですよ!!」
「ネモぴ、なんでそんなに怒ってるの?」
言われて気付いた。
ネモはいつになく興奮していた。
そして、その興奮の理由は自分でもわからなかった。
ネモはなんだか恥ずかしくなって誤魔化した。
「怒ってません」
「ネモぴかわいー」
とユリはネモの内心など知らぬ気に笑っていた。
それからユリは真剣な顔になって、
「ネモぴさ、こっちに来てからあんまり友達ができてないじゃん?」
「それは、まあ、そうですけど」
「だから経験ってことで話してみてもいいんじゃない? 彼、そういうのには慣れてそうだし、それにすごいイケメンだし」
「でも公園では――」
「それも一面。でも本当はどんな人だか知らないでしょ?」
ネモが連絡先を教えるのを拒否したら、ツツジはそのままの顔で涙をポロポロと流し、自分でもそのことに驚いていた。
公園で出会った男と同一人物とはとても思えなかった。
「実際に話して、それで気に食わなかったらまたフッてやればいいのよ。悪いやつじゃなかったら適当に遊んでもいいし。主導権は間違いなくこっちにあって、リスクはほとんどなし。どう?」
「ユリさんはどうしてそんなにツツジさんの肩を持つんですか?」
「イケメンだから」
「もういいです!」
ネモが席から立ち上がろうとすると、ユリは慌てて言い繕った。
「冗談冗談冗談だって! でも、ウチら以外にも個人的に付き合ってみる経験ってほんとに必要だと思うんだ。ネモぴこの前のパーティではかなりイイカンジに話せたっしょ? ああいうのとは違った人付きあいの経験を積む価値はきっとあるよ。だってネモぴはさ、挑戦してみて自分には合ってない、って判断したんじゃなくて、試さずになにもしてないんでしょ? そういうのもったいないと思うんだ」
ユリの言っていることにも一理あると思った。
ネモは、未だに人付き合いが苦手だ。
その原因が、怖いからほとんど試していないからというのは、確かにあるかもしれなかった。
ツツジを思い出す。
公園で、いきなりネモに声をかけてきた。
まったく初対面の、なにも知らない赤の他人に対して声をかけたわけだ。
パーティー会場でもネモに声をかけてきた。
この時のツツジは、一度公園で断られている上で再度連絡先をきいたわけだ。
さらに念話である。
ネモは二度も念話に出ることを拒否した。取り込み中とは言ったがそれはツツジも察しているだろう。
それなのに三度目の念話までかけてきたのだ。
どうしてそんなに前向きになれるのか、ネモには不思議だった。
ネモならば、一度拒絶された相手と関わろうなどとは絶対に思えなかった。
なにも考えてないのか、深い考えがあるのか、愚かなのか、勇敢なのか。
なぜそこまで臆さずに人と関わろうとするのか、ネモにはわからなかった。
聞いてみたい、という思いは、ないとは言い切れなかった。
「わからないですけど、考えてはみます」
ネモはそう告げて、その話は終わった。
シラユキがお茶のおかわりを持ってきた。
その後は、お互いとりとめのない話を楽しんだ。
***
ユリの話には、心動かされる部分が少なからずあった。
ネモは変わりたいと思っている。
弱虫な自分をどうにかしたいと思っている。
それは、こちらの世界に来てから段々と変わってきていると思う。
パーティの時はよかった。
自分で思う以上の立ち振舞いができた。
過去のネモがあの時のネモを見たら、自分だと思わないであろう自信が出るほどた。
しかし、根っこのところでは変わってないような気がしていた。
ネモは、友達が少ない。
それこそ、人付き合いの苦手さが如実に出ている証拠であった。
その気になれば交友を広げる手段などいくらでもありそうなのに、そのためには全く動いていない。
ネモは、決めた。
次に念話がかかってきたら、出よう。
正直な話、これもネモの臆病なところが出ている決断だった。
関わろうと思ったならば、自分から念話をかけてしまえばいいのに、決してそうはしない。
さらに、三度も会話すら拒否しているのだ。
さすがにあきらめているだろう、ネモの深層心理ではそういった保険があった。
つまり頭では計算をしていなくとも、心のどこかでは念話をかけてくる確率は極めて低いだろうと踏んでの、まことに情けない『覚悟』であった。
ところが、念話はきた。
しかも翌日に。
さらに言えばユリの言った通り、本当にデートのお誘いだった。




