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19.変身


 ネモの家、というか屋敷は郊外にある。

 リの国の首都からそれなりに離れた場所ではあるが、交通手段の発展具合から言えば比較的近い距離にあると言える。

 飛行艇フライヤーの着陸音が聞こえ、ついでシラユキがネモの部屋をノックした。


「ユリ様がお見えです。どのようにいたしますか?」

「入ってもらって、まだ準備ができてないから」


 ネモが悪いわけではない、ユリが来るのが早すぎるのだ。

 今日は二人で出かける約束になっていた。

 目的はリの国の首都であるエターリの観光だ。

 元々はサザンカに案内してもらう予定だったが、サザンカは多忙でなかなか都合が合わず、そこにユリが買って出たというわけだ。

 ユリとてネモが形式的に立ち上げる会社の、実質的な社長として準備に大忙しなはずであり、ネモと出かける余裕などないはずなのだが、


「大丈夫! 気合でなんとかするから!」


 とシラユキに告げてから一週間が過ぎ、こうして出かける機会を作ったようなのだ。

 正直な話、ネモにはユリがなにをしているのかまったくわかっていないのだが、シラユキが文句を言わずにこうして家に招き入れようとしている、ということは必要な仕事はこなしているということなのだろう。

 シラユキが選別していた最終候補に残っていただけあって、本当に優秀なのは間違いないようだ。


 まだどういった服で出かけるかも考えていた段階であり、ネモはどうするべきか迷ったが、とりあえずユリを出迎えることにした。

 一階まで降りると、そこには既にユリの姿があった。

 ユリはネモの姿を見るなり目を見開いて、


「ネモぴ~! 会いたかったよぉ~!!」


 ユリは走ってネモに抱きつき、おいおいと泣き真似をする。

 同性とですらこんなに密着するのは初めてに近い経験であった。

 ユリからはいいにおいがした。 


「あ、あのっ、お久しぶりです?」


 突然抱きつかれ、ネモはなんだかよくわからない挨拶をしてしまった。

 満足したのかユリはネモを開放する。


「ごめんね、こんなに早く押しかけちゃって」

「確か十時から、で合ってますよね?」

「そうそう、でもちょっと先に来てやりたいことがあってね」

「やりたいこと?」


 ユリはネモを見てニヤリと笑った。


「じゃじゃーん! ネモぴのイメチェンをしようと思います!」


 ユリは言って両手を上げ、ぴょんぴょんと飛び跳ねる。


「いめ……ちぇん……?」


 ユリの言葉はネモにはわからないものが多かった。

 ネモがミューズに来ててから五十日と経っていない。

 起源が同じ、ということで言語は理解できるのだが、この世界独自の言葉や物だとわからないものもまだ多くあった。

 それに加えて、ユリは俗語を多用する。そうなるとネモはお手上げで、文脈から意味を理解するのも難しかった。


「そそ、せっかく一緒に出かけるんだからさ、ネモぴもオシャレしちゃおう?」

「わたしがですか!?」


 ユリの姿を見る。

 こちらの世界流なのか、それともユリ個人の趣味なのか、肌の露出が多い洒落た軽装だった。

 それなのに卑猥な感じはせずに可愛らしい雰囲気が出ているのが不思議で、着ている人間がそうさせているのかもしれない。

 ネモは自分がユリと同じ格好をしている様を思い浮かべる。むりむりむりむりと想像の中で必死に首を横に振った。


「わ、わたしはそんな服着れませんよっ!」


 ユリがケタケタ笑う。


「違う違うネモぴにはこんな服着せないし。ウチがネモぴにピッタリのコーデしてあげるから!」


 ね? とユリはネモを覗き込んでくる。

 どうしよう、とネモは考える。

 正直興味がないわけではない。ネモも子供の頃は、普通の少女よろしくお姫様に憧れたものだ。

 しかし、環境がそんな贅沢を許さなかったし、紫色の瞳もそれを許さなかった。紫色の瞳をしたお姫様などいるはずがないのだから。

 

「もしかしてほんとに嫌? 嫌ならごめんね、ウチ、ネモぴと出かけられると思って舞い上がっちゃってたかも……」


 突然ユリがしゅんと大人しくなった。

 ネモはその様子を見て焦った。ユリとて好意として申し出てくれたのだ。

 それにネモも興味がないわけではない。

 そうだ。

 この世界には、ネモのことを知っている人間などほとんどいないのだ。

 なら心機一転、少し洒落た格好をしてみるのもいいかもしれない。

 新しい世界に着たのだから新しいことに挑戦する、それくらいしないでなにが人生か。

 そう考えながら、なんだかロイさんの言いそうな言葉だな、とネモは自分を笑った。


「いえ、そんなことないですよ。ただいきなりだからびっくりしちゃって」


 しゅんとしていたユリが顔を上げ、


「じゃあ?」

「お願いしちゃおうかと思います」


 ユリの顔がぱっと輝いた。


「それじゃネモぴの部屋にいこ! 大丈夫! とびっきりにしてあげるから」


 ネモの部屋へと移動した。

 部屋は片付いているので、客人を入れることになんの抵抗もなかった。

 日々きれいに清掃してくれているシラユキに心の中で感謝する。


「それじゃあまずはーーー」


 ユリは言いながら持ってきたバッグを漁っていた。

 その漁り方から、どうやらバッグは道具箱アイテムボックスのような性質があるらしい。

 ユリはバッグからバンドを取り出した。


「前髪上げてみない? 前髪下ろしたネモぴもかわいいけどー、今日はちょっと気分転換!」

「えっと、それは……」


 言われて、ネモは臆してしまう。

 瞳の色を見られて嫌われてしまったらどうしよう。


「付け方わからなかったりする? 大丈夫、ウチがいい感じにつけてあげるから」

「あっあの……」


 ユリが近づき、ネモの前髪にバンドをかけ、そのまま上へとあげた。

 ネモの瞳が顕になり、ユリの動きが固まった。

 ネモの視線とユリの視線が交わった。


 やってしまった。

 どうしよう、とネモは半ばパニックになった。

 これでユリがやめてしまうと言い出したらどうしよう。

 せっかくこの世界に来て初めて友人になれるかもしれない人だったのに。

 子供の頃の記憶が蘇る。瞳の色で嫌われ石を投げられた記憶。

 頭から血を流して孤児院の先生に泣きついた記憶。


 ユリが口を開く。


「え、ネモぴめっっっっっっっっっっっっっっっっっっっちゃ可愛くない??????」

「ごめんな……へ?」

「しかも女神様と同じ薄紫の瞳とかエモすぎなんですけど!! ネモぴマジ女神! 結婚して!!」


 ユリがものすごい勢いで捲し立て、ネモはわけもわからずに答える。


「あの、結婚は、その、ちょっと……」

「うそうそうそ結婚は冗談。でもネモぴめちゃめちゃかわいいじゃん! 尊すぎ! なんで前髪おろしてるの? そんなの世界に対する冒涜なんですけど!」

「えっと、これは、その……」


 ユリの反応に、ネモは心底驚いていた。

 この瞳が褒められたのはルクに次いで二人目だ。そういえばユリはどことなくルクに近い雰囲気をしているような気もする。


 意外、ではないのかもしれない。急な事態に頭がまわっていなかった。

 よくよく考えればこの世界は、女神様の国なのだ。

 こちらの世界の宗教について細かいことは知らないが、女神様を忌み嫌っているなんてことはまずあるまい。

 そう考えればユリの反応は不自然でもないのかもしれなかった。

 なぜ前髪をおろしているのかという質問に対して、宗教的な理由で、と答えるのはなにか違う気がして。


「その、はっ、はずかしいので……」


 とだけ答えた。

 

 また抱きつかれた。


「きゃーーーーーーーネモぴかわいすぎ!!!!」


 結構な力で抱きしめられた。

 ネモは誰かに抱きしめられるというのは初めての経験かもしれない。

 この世界の人間は、こんなに簡単に人に抱きつくのだろうか。


 ネモを開放し、ユリはネモをしっかりと見据える。


「まっかせて、ウチがネモぴをアイドルみたいにしてあげるから!」


 あいどる、というのがよくわからなかったが、ネモにはユリが、不思議と頼もしく見えた。



***

 

 

 ネモは鏡の前に立った。

 ヘアバンドで髪を上げている。

 いつも見えなかった自分の薄紫な瞳がよく見えている。

 服装は黒のシャツに、ネモの瞳と同じ、薄紫をした細い肩紐で吊るす形のワンピース――ユリがキャミワンピと言っていた――で、靴は凝った形をしたおそらくはサンダルに属するものだった。

 どれもユリが魔法のバッグから出してくれたものだ。


 ネモは、鏡に映る自分を見て、驚いた。

 まるで、自分ではないみたいだった。

 自分で自分をかわいい、と思ってしまいそこにとんでもない気恥ずかしさを感じた。

 ユリの様子から、今までネモが着たこともないような派手な姿にされるのかと思ったがそんなことはなかった。

 化粧もうっすらと気持ち程度にするだけ――ユリが素材がいいからと褒めてくれた――であったし、服装も控えめで調和がとれたものであり、ネモの好みにあっているものだった。


「ど、どうですか?」


 隣に立っていたユリに恐る恐る声をかけると、ユリは親指を立てて、


「最高」


 と抜群の笑顔で言った。


「歩きにくかったり動きにくかったりはしない?」


 ネモはちょっと動いてみる。

 服装も靴も動きやすいもので、不自由は感じない。


「動きやすいです」

「よし!!」


 ユリは拳を握った右腕を上げ、大声で言う。


「それじゃあ遊びに行くぞーーーーー!!」

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