第34話 『奇跡』
――teo-frust 211
――【MESSIAH】
――the power of god(神の力)
バトルウインドウに『超能力』である『メシア』の表示が走り、その瞬間、世界は銀色の光りに包まれた。
――retake!!
目も眩むような『奇跡』の輝きに包まれながら、視界の端にメッセージを読み取り、レオは口元を吊り上げた。
テオフラストを含む周囲の全てはラスターイメージのデジタル模様に変化する。
メシア(奇跡)の効力の一つ、時間の逆転現象だ。
――Leonhard Beker
――resist(無効化)!!
以外にも、ということはない。前兆はあった。
システムマスターである神の一時停止(PAUSE)を受け付けず、剰え反撃して見せる。現実に属する彼に、この世界の奇跡が及ばないのはある意味必然と言える。
『レオンハルト・ベッカー』に、この世界の奇跡は通用しない。
こうも置き換えられる。
『レオンハルト・ベッカー』は、この世界の奇跡の恩恵に浴することが出来ない。
数多ある物質を組成する、緑、赤、白、黒、茶、金、銀……色とりどりのエリクシールが嵐のように荒れ狂い、それに混じり理解不能なデジタル記号が飛び交っている。
ただ一人、『レオンハルト・ベッカー』は立ち尽くす。
この世界で彼だけが純粋な『異物』であり、この『世界』の秘密とは無縁である。
(これが、メシア――『奇跡』、か……)
不意に、思い出したのはニアの顔だった。
ニアには『メシア』を使用した痕跡が見られた。
仮に、この奇跡の恩恵を受けることのできない『レオンハルト・ベッカー』の再生、或いはメルクーアへの帰還を望んだとすれば……。
(ハートレスドラゴン……)
テオフラストは白い竜と言った。アレスの珠により、SDGの主人公レオンハルト・ベッカーがチートスキル『竜化』を使用した姿だ。
そこまで考えた所でラスターイメージの世界は、急激に纏まりを見せ、形を成し始めた。
未だ再構築の途上であるものの、バランスを崩し、驚いた表情のアキラ・キサラギが出現した。今にも取り零してしまいそうだが、右手にはアーティファクト『時の砂時計』を握っている。
続いて、周囲に星空のスクリーンが広がった。
戦闘開始直後の時間軸に帰りつつあるのだ。
レオはグローバルパワーの発現によるエリクシールの波動を辺りに撒き散らしながら、星の床を一歩踏み締める。
この時間の逆転現象でパラドックス化してしまう出来事が幾つかある。
レオが所持していた『レールガン』は、テオフラストに奪われたが、戦闘開始直後のテオフラストはレールガンを所持していない。
レールガンというアイテムは、時の渦に消え、消滅することになる。
召喚兵とパーフェクトフィールドについても同様だ。メシア発動直後、テオフラストと同様にデジタル化して消えた。
テオフラストに打ち込んだ『竜錨』は、再び鞘に収まった小剣として構築されつつあった。
(これからどうなる……いや、どうする……?)
レオは、星空の彼方に消えようとする彼自身のスポーツバッグを回収し、肩に担ぎ上げる。更にアキラ・キサラギの特殊武器『菊一文字』と『脇差』を拾い上げた。
「…………」
マントとトーガを濡らしていた一部の血痕が、デジタル化してアキラに吸い込まれて行く。その余りにも非現実的な光景を目の当たりにして、レオは疲れたように首を振り、視線を再生した右腕に落とす。
グローバルパワーの超再生能力が新しく作り上げた右腕は元のものと少し違う。皮膚と爪が一部角質化し、所々白い輝きを放っている。
(竜、鱗……?)
損なわれたものは還らない。この世界ではいつも。グローバルパワーの構築した右腕は再生されたのではない。よく似たものが作られたのだ。
今は動けばそれでよい。
思考を振り払い、レオは視線を上げる。戦闘開始直後、テオフラストが居た辺りだ。
そこでは、虹色の一際大きい輝きを放つデジタル模様の華が咲いていた。
直感的にレオは悟った。――情報量が多すぎるのだ。今はもう、姿を成しているアキラと違い、未だテオフラストは形を成していない。
テオフラスト――『神』の再構築には今暫くの時間が掛かりそうだ。
レオの興味は他方に移りつつあった。
テオフラストを待つのは、デスペナルティにも似た『メシア』使用による特性値の変動だ。同じ力を保持するのは難しい。決した勝敗が変わることはない。その思惑がある。
腰に重量を伴う質感が再現される。――グリムリーパーだ。
レオはグリムの魔力解放を避け、右手を頭上に咲き誇るデジタル模様の大輪――『テオフラスト』へ翳した。
「かき消してやる」
レオは未だ再構築途中のテオフラストへ容赦なく追撃を加えるため、『神官魔法』では最高位の攻撃魔法『ホーリー・レイ』の詠唱破棄を行う。
だが――
聖属性を示す金色のエリクシールは意志に応え、集中することはなく、これもまたラスターイメージのデジタル模様と化して宙に消えて行く。
時が逆転している現状では魔法――エリクシールの使用は不可能なようだ。
(残念……)
薄く笑い、レオは右手の感触を確かめるように握り締める。
アキラ・キサラギの再構築が終わった。
自身の右腕と同様に、アキラもまた損なわれたものだ。間違いのないものが、その手に帰ったか。確かめずには、いられない。
宙に浮き、一時停止しているアキラの腰に手を回す。
確かな重量を伴う感覚となって、アキラの身体はレオの腕に収まった。
「…………」
ラスターイメージの世界は落ち着いた佇まいを見せ、その中で、レオは独り、今も未だデジタル記号の飛び交う宙を見上げる。
彼は、生き返りを許さぬ『現実』という世界からやって来た。その彼にとって、アキラ・キサラギという存在は損なわれたものの一つのように思えてならない。
メシアによる時間の逆流は終わりを告げ、唐突に、アキラが短く悲鳴を上げた。
「あっ……!」
レオ――彼は無宗教だが、超自然の存在としての『神』の存在を信じている。
いずれ報いがあるだろう。だが今は、アキラを力強く抱き締めることで、ただ、その感触を確かめる。
星空のスクリーンに浮かぶ星が一つ、流れて消えて行った。
◇ ◇ ◇ ◇
「レオ……」
グローバルパワーを発現させ、色鮮やかな青いエリクシールに身を包むレオが僅かに笑みを浮かべる。草臥れ、疲れ切った笑顔だった。
アキラは呻いた。
「これ、は……?」
また、理解できない何かが起こったのだ。
『ゲンジツ』が終わり、気を散らしたほんの一瞬の間に、レオンハルト・ベッカーという男は、アキラの手の届かない場所へ行ってしまった。理解できたのはそれだけだ。
ぱきん、と軽い音を立てて、角質化したレオの頬が割れ砕け、粉雪のように散って行く。オートブレイク――自己崩壊の始まりだった。
星が、また一つ、流れて消える。
その手に、間違いのないものが帰ったか。レオは、確かめるように言った。
「なあ、奇跡を信じるか……?」
アキラは苦しそうに首を振った。流れる涙が、星空のスクリーンに消えて行く。
「わからない……でも、キミを信じるよ……」
「そうか……」
レオは自嘲の笑みを浮かべる。
己が信頼に値する人間かどうか。その思いが脳裏を過ったのだ。
アキラ・キサラギの死の直後、悔やむより、悼むより、まず先に、テオフラストの『超能力』をどのように利用して踏み躙るか。思いつき、実行した彼は果たして信頼に値するような人間なのだろうか。
「少し、疲れちまった……」
「……ボクが、支えるよ……」
静かに――ステータスウインドウが開いた。
アキラ・キサラギをパーティに加える。
赤字で点滅している。つまり、これがアキラ・キサラギをパーティに加えるラストチャンスということになる。
(そうか……そんな話だったな……)
彼自身、そこまで考えたわけではなかったが、時間の逆流により、失敗したイベントも復活したようだ。
アキラ・キサラギをパーティに加える。
ウインドウで点滅して揺れる赤い文字は、懇願しているようにも思えた。
(俺は……)
決してアキラを嫌っているわけではない。だが、未だ胸の内に蟠りがある。それに、今は封をする。
命懸けで戦ったのだ。そして、確かな報酬を得られた。
(今は……この温もりを確かめることにしよう……)
短く息を吐き、レオは小さく頷いた。
「よろしく頼む……」
アキラ・キサラギをパーティに加える。
イベントの表示欄に、completion(完遂)の文字が、踊る。




