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琥珀色の呪文  作者: Shellie May
33/80

(33) 頑な心

翌朝…目覚めた黒澤の枕元に、普段着を着た妃奈が座っていた。

「…おはよ」

「…おはよう…どうした…そんな格好をして?」

「アタシ、今日退院なんだ」

「えっ!?」

「……」

「聞いてないぞ!?いつ決まった!?」

「昨日」

「何があった、妃奈っ!?武蔵先生はっ!?承知してるのか!?」

ガバッと起き上がると、ズゥンという鈍い頭痛とふらつきを覚え、黒澤は顔を歪めながらも妃奈の腕をしっかりと掴んだ。

「…又、熱が出てるんだ…横になって休めよ」

「そんな事は、どうでもいい!!どういう事だ、妃奈!?」

「別に大した事じゃない。治療もしないで反抗してる患者は、面倒見れないって事だ。厄介な問題も起こしたし…病院側も追い出せて清々してんだろ?」

「何言ってる!?そんな事、許されていい筈がない!!俺が直接病院に掛け合って…」

「アタシが納得したんだ」

「……」

「病院訴えたりするなよ?武蔵先生は、最後迄引き留めてくれた…退院するって決めたのは、アタシなんだからな」

「…俺と一緒に退院しよう…2、3日待ってくれ、妃奈」

「もう退院するって言っちまったんだよ…病院側も手続きしてる。それより、横になって休めよ…躰辛いだろ?」

気遣いを見せる妃奈の躰を抱き寄せると、黒澤は彼女の首筋に顔を埋めた。

「……何考えてる、妃奈?」

「別に」

「嘘だ」

「……黒澤の所も出る…そう決めただけだ」

「何故!?」

「あそこには、戻れない…わかるだろ?」

「わからない!わかりたくもない!!」

「…子供みたいだな、黒澤」

小さく溜め息を吐く妃奈の躰を、黒澤は強く抱き締めた。

「…お前…何にもわかってない!!5年だぞ!?独りになってしまった妃奈の消息を捜し続けて…やっと母親の実家を捜し当てて、鶴岡オーナーを説得して手続きをしたら、お前の消息は不明だと言われて…俺が…この5年、どんな思いで妃奈の事を捜していたと思ってる!?」

「…黒澤」

「……もう…あんな思いは真っ平だ…当てもなく…闇雲に捜し続ける日々なんて…」

「……ごめん」

小さく謝罪の言葉を(つぶ)く妃奈に、黒澤は再び噛み付いた。

「何を謝る!?お前が何か悪い事でもしたか!?」

「……」

「俺が、勝手に捜してただけだ!!何でもかんでも自分に責任があるみたいな顔をして、謝ってるんじゃない!!」

「…ごめん」

「……」

「でも…やっぱり、アタシが悪いんだと思う」

黒澤から離れて立ち上がると、妃奈は病室の空調のスイッチを入れた。

「昔からさ…『お前は人を苛々(いらいら)させる』って、『お前は疫病神だ』って言われて来たんだ。何ふざけた事言ってんだって、ずっと思って来たけど…武蔵先生と話してて思った。アタシ…頭イカれてんのかも知んない」

「そんな事はない!!」

「人の気持ちが…わかんない」

「……」

「アタシは、自分の事が死ぬ程キライだ!!黒澤が、アタシのどこが良くて愛してるなんて言ってくれるのかも、全然わかんない。最初は、コイツ馬鹿だって思ってたし…」

「なっ!?」

「そもそも、『愛』とか『幸せ』とか、『嬉しい』とか『楽しい』とか…よくわかんないんだ。でも、黒い感情は理解出来る。言葉に出さなくても、ビンビン感じる」

「……」

「この病院でも、黒澤の事務所でも…厄介事(やっかいごと)起こしたアタシに、皆出てって欲しいと思ってる。アタシに居場所なんてないんだよ」

「そんな事はないと言っているだろう!?」

「そう思ってるのは、黒澤と…ほんの数人の人達だけだ。わかってないのは、黒澤の方だ」

「…妃奈」

「…別に、黒澤の所に特別悪い人間が集まってるって訳じゃない。皆がそう思うのは普通の事だし…そんな風に思われる事には、アタシは慣れてるし…平気だ」

自嘲(じちょう)めいた眼差しで床を眺める妃奈に、黒澤は低く厳しい声で尋ねた。

「…お前は…そうやって、ずっと逃げて来たのか?」

「え?」

「トラブルが起きると、そうやって…ずっと逃げ続けて来たのかと聞いている!?」

「…悪い?」

「何故、解決しようとしない!?あんなに悪態吐く癖に…肝心な所で何故、(あらが)おうとしない!?」

「…だって…」

「何だ!?」

床を見詰めていた眼差しが、ゆっくりと黒澤に向けられる。

心に蓋をしていても溢れ出る寂しさと悲しさを湛えた瞳に見詰められ、黒澤は顔を歪めた。

「……皆…ホッとした顔するんだ」

「え?」

「引き留める様な事言う奴等も…出て行くって言うと、皆ホッとした顔するんだ。皆厄介事には関わり合いたくないし、しょうがないだろ?」

「だからって…他の奴等の為に、出て行くっていうのか!?あり得ないだろう!?」

「だけど…それが民主主義なんだろ?」

「…何…言ってる?」

「多数決って事だろ?出て行って欲しいって思う奴の数が多けりゃ、しょうがないじゃん?それが、民主主義ってヤツだろ?」

疑問を口にしながら寂しそうな顔を向ける妃奈を、黒澤は唖然(あぜん)と見詰めた。

そうだ…妃奈は世の中の仕組みも、愛情も…何も知らないままに放り出されたのだ。

そして、ひっそりと息を潜めて生活して来たに違いない…だが、妃奈の特異な容姿と環境の為に、それは何度となく侵食(しんしょく)され…そして彼女は、自分自身を守る為に精一杯吼えて来た。

一緒に生活して来てわかった事…キツイ言葉を吐きながらも、妃奈は常に他人の顔色を窺いながら、(つつ)ましく生活していた。

何かを欲しがる訳でも、我儘を言う訳でもなく…気を張って、黒澤に対して精一杯の気遣いを見せていた。

妃奈が起こしたトラブルは、決して自分自身が巻き起こした物だけではなかっただろうに…。

「……違うのか?」

「…妃奈は、どう思っていたんだ?理不尽(りふじん)だとは、思わなかったのか?」

「…その場合、アタシの気持ちなんて関係ないんだろ?」

「……」

「それが、民主主義なんだろ?」

「……」

「……アタシ…又何か…変な事言ってんのか?」

(おび)えた様な眼差しを向ける妃奈を、黒澤は手招きをして呼び寄せた。

少し(むく)れて口を(とが)らす妃奈の手を引いて座らせると、その手を大きな自分の手で握り込んでやる。

「誰かに、そう言われたのか?」

「……」

「民主主義は、そんな場合には使わない…それに…人には、居住権(きょじゅうけん)の自由が保証されている」

「……」

「それにな、妃奈…絶対に(おか)してはならない事…人権を無視している」

「……」

「間違ってるんだ。妃奈の人権を無視した発言…恐らくは差別的発言だ。()して公共の場所での発言なら……聞いてるか?」

俯いて黙り込む妃奈に声を掛けると、コクリと頷いた。

「…でも、大勢の人に…言われた…」

「それは、数の暴力でしかない!」

大きくハァと息を吐き自分の肩を抱き締めながら、妃奈は畳に額を付ける様にしてうずくまる。

「…(だま)されてたって…事か…」

「大丈夫だ、妃奈。今から覚えて行けば…」

「畜生!!どいつもこいつも…馬鹿にしやがってっ!!」

肩を抱いたまま、ガツンガツンと額を畳に叩き付け出した妃奈を、慌てて腹を(すく)い上げて抱き起こし、黒澤は自分の股の間に座らせた。

「…畜生……だから人間なんて奴は…大嫌いなんだっ!!」

しっとりと汗を掻いた妃奈の躰はカクカクと震え、唯でさえ低い体温を下げ続ける。

そして自分を守る様に腹に足を引き付け、膝頭(ひざがしら)に顔を埋めた。

そんな妃奈の背中から黒澤は自らの体温を分け与える様に躰を添わせ、妃奈に覆い被さる様にしっかりと抱き込んでやった。

「…俺が教える…世の中の常識も、法律も…愛も…全て俺が教えてやる…」

むずかって首を振る妃奈の首筋や(うなじ)にキスを落としながら、黒澤は彼女の耳元に低く声を響かせた。

「…俺の事も…嫌いか?」

「……」

「それでも俺は、妃奈が好きだ…お前を愛している」

「…嘘だ…」

「嘘じゃない…いつも言ってるだろう?俺は、お前を守る為に生きている。俺は、妃奈を裏切らない」

「……」

「愛してるんだ、妃奈」

「…嘘だ」

尚もむずかる妃奈にキスを落としながら優しく撫でてやっても、妃奈は『嘘だ』と繰り返す。

妃奈は、撫でられる事が好きだ…抱き込んで撫でてやると、大概は黒澤の腕の中でトロリと溶けてしまう。

今日の妃奈は、いつになく頑固だ…妃奈の躰をクルリと反転させると、彼女は泣き顔を見られる事を拒む様に腕で顔を隠した。

「…何故泣いている?」

「……」

嫌がる妃奈の腕を退かせると、黒澤は涙を舐め取ってやる。

妃奈の泣き顔は妙に色気がある…彼女の躰を傷付けた奴は許せないが、彼女自身に嗜虐心(しぎゃくしん)(あお)られる気持ちは、少なからず理解が出来た。

「…アタシの事なんて…何とも思ってない癖に…」

「何故疑う?」

「黒澤が言ったんだろ!」

「何を?」

「アタシの気持ちなんて、いらないって言った!!」

「…はぁ?」

口をへの字に曲げてポロポロと涙を溢す妃奈を、黒澤は訳がわからずにマジマジと見詰め返す。

「…いつ?」

「昨日」

「言ってないぞ、そんな事…」

「……」

「お前の気持ちって?」

「……武蔵先生が…」

「先生がどうした?」

「…アタシは……黒澤の事…好きだって…」

「……」

「でも、黒澤はいらないって言った!」

「…妃奈…」

「黒澤にとって…やっぱりアタシなんか、どうでもいい存在なんだろ!?なのに何で…アタシの事好きだとか、裏切らないだとか言うんだよ!?いい加減にしろよっ!!」

「待て、妃奈…俺は本当に言ってない!!」

「言ったっ!!」

これでは水掛け論だ…黒澤は、強引に妃奈の唇を奪った。

驚く妃奈の後頭部を支え、むずかって逃げるのを封じ、逃げ惑う舌を絡め吸い上げてやる。

俺が妃奈の気持ちを無視するなんて…いや、それよりも…妃奈が俺に愛情を感じているなんて!?

妃奈が抵抗しなくなっても尚、黒澤は妃奈の口腔を(むさぼ)り続けた。

堕ちて来ればいい…俺の手の中に……そうすれば、与えられるだけの愛を注いでやれるのに…。

口腔内を犯す様な大人の口付けに、妃奈は時折ヒクリヒクリと痙攣(けいれん)し、黒澤が解放した時には全身の力が抜け、だらしなく(よだれ)を垂らして息を上げ、(おひ)えた瞳に涙を溜めながら黒澤を見上げた。

その、例えようもなく全身から解き放たれた色香に、黒澤は驚きと共に目眩(めまい)さえ覚えた。

「……こんな風になるのか…お前は…」

長く白い睫毛(まつげ)が震え、ポロリと涙が頬を伝う。

「…妃奈、お前…」

「…怖いよぅ」

ギュッと(まぶた)を閉じた途端に又涙が溢れ出るのを見て、黒澤はハッと我に返った。

「…済まない」

流れる涙をそっと拭ってやると、妃奈は紅く色付いた唇から艶かしい声を上げる。

「…嫌っ…あぁん…」

驚いて手を引くと、妃奈はブルリと震えて自分を抱き締めた。

「…妃奈」

「触んなっ!!…躰…何か変だ…」

「……」

「ゾワゾワする…嫌だ…怖い…」

「怖くない…大丈夫だ」

そっと妃奈を抱え上げると、黒澤は脱衣場に彼女を運んだ。

「…頭も…躰までイカれちまったんだ…」

「違う、妃奈…お前、俺に感じてるんだ」

「……」

「感じた事…()った事…ないのか?」

「……」

「俺の事好きか、妃奈?」

「……嫌いだ…黒澤なんか…」

「まだ、怒ってるのか?お前の気持ちがいらないなんて、思う筈ないだろう?」

「…言ったんだ」

「誤解だ…惚れた女の心が欲しくない男なんて、いる筈がないだろう!?」

「……」

「だが、不用意な事を言って、俺がお前を傷付けたんだろう…済まない」

黒澤の謝罪に、自分の躰をきつく抱き締めた妃奈は、小さく頷いた。

「それで…俺の事、どう思ってる?」

「…キライだ」

「又、大人のキスをお見舞いするぞ?」

フルフルと首を振った妃奈は、黒澤から視線を外して(つぶ)いた。

「…人を好きになるってのは…辛い物なんだな」

「そんな事はない!」

「辛いのは、ごめんだ…アタシは、要らない」

「……」

「…誰も居ない場所で、独りで過ごしたい…もう、(だま)されるのもごめんだ」

「独りが寂しくて辛いのは、お前が一番良く知ってるだろう?」

「……」

グイッと妃奈を引き寄せると、黒澤は彼女の首にカプリと噛み付き、ネロリとその首筋を辿(たど)って耳殻(じかく)に噛み付いた。

「ヒゥッ!?」

「…俺が教える…」

吐息と共に囁かれ腰が砕けそうな妃奈に腕を回し、グイッと自らの腰を押し付け、彼女の股の間に自分の(もも)を割り入れると、黒澤は再び妃奈の耳殻(じかく)を舐めて囁いた。

「…愛の素晴らしさも…辛さも…甘い疼きも、快楽も…全て俺が与えてやる」

「…ウゥッ…ンッ…」

身を震わせて喘ぐ妃奈を落ち着かせる様に、黒澤は妃奈の額にキスを落とした。

「とりあえず、シャワーを浴びて来い。火照(ほて)りが治まるから」

「……」

「退院は3日後…その後も、俺と一緒に生活する。これは決定事項だ…いいな!?」


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