1.「ヴァレンティアの奴らは、全員殺す!」
「そう言えばネージェ、昨日の野暮用ってなんだったんだ?」
看板を片手に、テオが思い出したように尋ねた。
手ぶらのネージェは露店で買った(正確には顔でサービスしてもらった)パンを頬張りながら、ニタリと笑う。
「クックックッ。そんなに吾輩に置いてけぼりにされて寂しかったのか?」
「普通に気になっただけだって」
「まぁそういうことにしておいてやろう。昨日はな、古い馴染みと約束があったのだ」
「古い馴染み? ネージェにそんな人いたんだ。相手も物好きだなぁ」
「ド失礼だな、おぬし……。星降祭で落ち合う約束をしていたのだが……すれ違ってしまったのか、とうとう会えずじまいだった」
ネージェの憂いを帯びた横顔を見やり、テオの胸中にはモヤッとしたものが渦巻く。
会えなくて残念に思うような相手が、ネージェにはいる。テオが知らない、もしくは忘れている人物なのかはわからないが、妙に胸が苛立つ。
(そういう相手、俺にはネージェしかいないのに……)
そこまで思い至り、ハッと我に返る。
いよいよマルティスのロマンス攻撃に毒されてきたのかもしれない。これではまるで、本当に嫉妬しているみたいではないか。
ないない、それだけはない。ネージェが誰とどこにいようと、人の迷惑になりさえしなければ別に構わない。それに今は一座のみんなも大切な存在だ。ネージェだけが特別なわけじゃない。
そんな風に脳内で必死に言い訳するテオの気持ちを知ってか知らずか、無駄話が好きなネージェの口は動き続ける。
「だから酒場で酒を煽っていたら、しつこく絡んできた男がいてな。仕方なく一緒に飲んでやったら、流れでそいつの宿部屋に行くことになって」
「あ、それ以上はもういいや」
「こらこら、ここからが本番なんだが?」
「どうせいつもの展開なんだろ」
「それがな、そいつまさかの初物で――」
「聞きたくないって」
テオは真顔で徹底拒否の姿勢を貫いた。
「おぬしが聞いたくせに」とぼやいたネージェは、呆れ半分にやれやれと肩をすくめる。
それからふたりは、星降祭に沸く街を気ままに歩き続けた。
勇者の衣装はよほど目立つらしく、行く先々で声をかけられる。たしかにこれは宣伝効果も抜群だ。目を輝かせた子どもたちにしつこくねだられ、ネージェも面倒くさそうにしながら、簡単な天唱術で光の玉を飛ばしてやっていた。
人だかりを歩いているうちに気づいたのだが、露店が連なる大通りから一歩外れると、ウェントゥスの街はかなり入り組んでいる。建物と建物の間に小さな階段や抜け道があったり、似ている景色の路地裏も多い。白い外壁とオレンジの屋根で統一された街並みも、方向感覚を狂わせる。
「すごいね、まるで迷路みたいだ」
「ウェントゥスはかつて城塞都市だったからな、その名残だ。市街戦を想定してわざと敵が迷いやすい造りになっている。おぬしも迷子になりたくなければ、吾輩のそばを離れるでないぞ?」
「子どもじゃないって……――ばぁッ⁉」
狭い路地を通りかかったその時、建物の影から物凄い勢いで飛び出して来た男とぶつかった。
預かった手持ち看板が壊れないようとっさにかばってそのまま倒れ込むが、男はテオを一瞥もすることなく、慌てた様子でその場から駆け出してしまう。
突然の出来事に呆けていると、一本道の路地の奥から別の壮年男性がものすごい形相で走ってくる。今度はなんだ。
「誰かそいつを捕まえてくれ! 食い逃げだ!」
「! ネージェ、これ持ってて!」
「むっ⁉ おい、テオ!」
問答無用で看板をネージェに放り投げ、テオは条件反射で男を追いかけた。
その勢いはすさまじく、壁を走って人だかりの上を飛ぶように突き進む。常人では到底追いつけないスピードだ。だいぶ後方を走るネージェが「フィジカルゴリラめ!」と悪態を吐くほど。
そうして動きづらい人混みを避けて路地へ逃げ込んだ男を追うこと数分。
行き止まりまで追い詰め、無事に男を取り押さえることができた。
通りかかった巡回中の自警団に食い逃げ犯を引き渡し、テオはひとまずほっと息をつく。
「……で、ここどこだろう?」
一心不乱に追いかけていたせいで、完全にネージェとはぐれてしまった。言ったそばから迷子だなんて。再会したらまたネチネチからかわれるのだろう。想像するだけで億劫だ。
とりあえず大通りを目指し、狭い路地を進む。
来た道を戻ろうかとも考えたが、どこも似たような景色なので、どうにも記憶が曖昧だ。住民たちは祭に出かけているのか、こういう時に限って道を尋ねる相手も見つからない。
「大聖堂さえ見えれば、場所もなんとなくわかるんだけどなぁ」
そのためにはやはり、大通りへ出なくては。
小さな階段や小道をいくつか抜ける。だが景色はさして変わらない。
同じ場所をぐるぐるしているような焦燥感が芽生え始めたその時。
頭上から、鋭い殺気が一直線に突き刺さった。
「――ッ⁉」
悪寒を振り払うように、とっさに儀礼剣を抜く。
振り向きざまに素早く構えた剣身は、建物の屋上から真っ逆さまに襲い掛かったナイフを弾き返した。
「チィッ!」
「なっ……!」
不意の一撃を受け止められて、相手が大きく舌を打った。つぎはぎだらけのみすぼらしいマントのフードから、くすんだ金髪がふわりと広がる。
驚きで目を見張るテオの前から宙を回転しながら飛び退いた人物は、しかし諦めることなく、再び姿勢を低くして踏み込んだ。
一切の迷いのないナイフが、テオの首をめがけて何度も迫る。目にも留まらぬ連撃をいなしながら、テオは焦った声で叫んだ。
「ま、待って! なんでこんな――」
「群青色の服に、青い瞳――ヴァレンティアの奴らは、全員殺す!」
「ちが……この服はショーの衣装で、俺はヴァレンティアじゃない!」
「うるせぇ、黙って死ね!」
ぶつけられる殺意はテオの肌をビリリと震わせる。まるで野生の獣だ。
吠える刺客が身軽に壁を蹴って跳躍し、テオの頭上を取った、その時。
ウェントゥスに吹いた風で、目深に被っていたフードが脱げた。
見上げたテオは、逆光を背にナイフを振りかざすその人物の姿に、ぎくりと身を強張らせる。
「き、み……」




