3.「あぅ……メルったらまたうっかりしちゃいました」
「なにぃッ⁉ 流れ星に永遠の愛を誓う約束をした男をほったらかして、女たちと浮気⁉ いいのか、テオ⁉」
「その設定いつまで続くんだろう」と若干面倒くさくなりながら、テオは遠くを見つめた。
「よくないけど別にいいです、日常茶飯事なんで」
「ま、マジかよ……これが本命の余裕ってやつか……⁉」
何やら驚愕に打ちひしがれている様子のマルティスに「まぁ、そんなところです」と無感動に返しておく。いちいち否定するのも今は億劫だ。それに浮気云々は本当にどうでもいい。それよりも何よりも……。
(あいつ、姿が見えないと思ったらそんなところに……! 俺がマルティスさんに巻き込まれて大変なことになってるっていうのに、ほんっと腹立つ!)
だが刹那、テオの憤怒を軽く凌駕する怒気がぶわりと迸った。発生源は――カーラである。
「ほう……あたしの大事な娘たちにちょっかいかけるなんて、大した節操なしじゃないか」
「む、娘⁉」
「あー、血は繋がってないが、一座のみんなは家族同然でな。ちなみにもし俺らが無断で女子の天幕に入ったりしたら、マムートのケツの前に逆さ吊りの刑だ」
マルティスがテオの耳に顔を寄せて小声で説明してくれた。
何そのえげつない刑、ぜひ今すぐ執行してほしい。
テオがそうぼやけば「やっぱり嫉妬してんじゃねぇか」と、したり顔で小突かれてしまった。断じて違うのに。
◆――☆*☽*☆――◆
流星群の到来を二日後に控えたウェントゥスは、どこもかしこも日がな一日お祭り騒ぎである。先日からヴァレンティアの連中が鬼の形相で街を巡回しているが、詳しいことは公にされていない。それよりも、一般人にとっては祭りを楽しむことが最優先だ。
だが観光客でごった返す大通りから少し外れてしまえば、別世界のように閑散とした空気が広がる。
住居から漏れる明かりが薄らぼんやりと照らす、入り組んだ路地。
冷えた暗さが立ち込めるその場所を、黒いベールと透けるような水色の長い髪を夜風になびかせ、一人の女性が一心不乱に走っていた。
年は二十代前半。モノクロを基調にした衣装は教会でよく見る修道服に似ているが、一目でシスターでないとわかる。なぜなら貞淑の誓いを立てた淑女の証であるはずの修道服には深いスリットがあって、黒いガーターベルトと白磁の太もものコントラストがチラチラ見え隠れしているのだ。しかもガーターベルトには妖しく黒光りする極太の鞭が装着されているではないか。どう考えても純潔を重んじるファトゥム教会のシスターではない。そういうサービスを提供している店の従業員と説明された方がまだ納得できる。
すると、走る振動で激しく揺れ動いていた胸元を窮屈そうに抑え込んでいたボタンが「辛抱たまらん」という具合に弾け飛んだ。シャツの間から白く柔らかそうな谷間がまろび出て、ふるんと揺れる。
しかもそちらに気を取られたせいで足元が疎かになり、爪先が石畳のちょっとした段差に引っかかってしまった。
「きゃぁんっ!」
甲高い悲鳴を上げて、谷間を丸出しにした女性が前方へ派手に転ぶ。
とっさにくるりと前転して負傷を回避したのはいい。だがその際スリットが捲れ上がってしまい、彼女の丸いお尻が一瞬、月光の下に惜しげもなく晒された。道端で煙草をくゆらせていた通行人が、思わず綺麗な二度見をする。
なんとこのシスター(仮)、下着を身に着けるのを忘れてしまっていたのである。
「あぅ……メルったらまたうっかりしちゃいました」
赤らんだ頬を手で押さえ、恥ずかしそうに独り言ちる。
うっかりどころの話ではないが、わがままバストが暴れてボタンが弾け飛ぶのも、ノーパンなのも、彼女にとってはさほど珍しいことでもないようだ。
「あっ、そんなことより……!」
自身に降りかかった災難を「そんなこと」で処理し、耽美な顔をハッと上げて再び駆け出す。
ピンヒールをカッカッカッと鳴らして走る少し先に、俊敏に走る黒い影があった。
「待って、ブー様!」
ブー様とは、その黒い影――リスにウサギの耳が生えたような、珍しい生き物の名前だ。
女性の制止を物ともせず、ブーは狭い路地を走り抜ける。だがとある寂れたバーの扉の前を通りかかると、土煙を上げてつんのめりながら急停止した。
ようやく止まったブーを手に乗せ、女性は肩で息をする。
「はぁ、はぁ……。もう、勝手にいなくなったらだめですよ、メッ!」
淡い色をした肉厚な唇を尖らせて、黒い小動物の眼前に人差し指を突きつけた。何かのプレイだったら即赤子返りしてしまいそうなほど色っぽい。
だが、ブーに反省した素振りはない。
「ケケケッ」とげっ歯類の前歯を見せていやらしく笑うと、手の平から腕を伝い、彼女の肩に乗った。そのままたわわな胸元を滑り台のようにして下り、色白な谷間にすっぽりと入る。羨ましいことに、ここがブーの定位置なのである。
「ナカ、オモシロ、ソウ!」
片言のたどたどしい声は、女性の豊満な胸元から発せられた。
空想の小人が喋るような、甲高くかすれた声だ。悪魔の囁きのようにも聞こえる。
彼女は怪訝な顔をしつつも、声の導くまま小窓へ恐る恐る近づき、中を覗き見た。
「ここって……」
そこは知る人ぞ知る裏カジノのバー。寂れた外観からは想像できないほど桁のおかしい金が毎日出入りしている。
女性が小窓を覗いていたことに気づいたらしい。内側から扉が開いた。店のオーナーだろうか。カマーベストを着て蝶ネクタイをつけた初老の男が品の良い笑みを浮かべ、彼女を品定めするようにじっとりと眺める。
「レディ、賭けるものはお持ちですか?」
「えっ? あ……あまり、手持ちはなくて……」
あまりというか、ほぼない。
ブーが走り出す直前も、「泊るところがないならうちへおいで」と声をかけてくれた下心丸出しなおじさんについていこうとしていたのだから。
「ご安心ください。あなたのような魅力的な方なら大歓迎です。皆さん、喜んでベットしてくださるでしょう」
「それって、つまり……」
「ここには気心知れたお得意様しかおりません。それも熟練で紳士な方ばかりです。きっとご安心して楽しんでいただけますよ、あなたも……」
金がないなら別のものを賭ければいいと、オーナーは言っている。彼女の艶めかしい肢体をいやらしく目でなぞりながら。
それがどういう意味なのかわからないほど初心ではない。むしろ……。
(ネージェ様もまだウェントゥスに来てないみたいだし、ちょっとくらい楽しんでも、いいわよね……?)
星降祭で落ち合う約束をした彼は、未だその姿を見せていない。何かトラブルでもあったのだろうかと思ったが、心配などあの人には無用なのはわかっている。
女性は薄紫色の淡い瞳をしっとりと蕩けさせ、酒と金と情欲が入り乱れる空間へと足を踏み入れた。魅惑的な胸の谷間から、あの「ケケケッ」という邪悪な笑い声を響かせながら――。




