カフェラテ 3
感謝って難しいと日々思う私です。
そして明日イリーナ編は終了します。
取り出したコーヒー豆をミルに入れ挽いていく。ガリガリと小さく心地よい音が三人の耳に届く。イリーナは少し訝しげな顔をし、レントはカズヤの行動をじっと見ている。クレストは本格的にコーヒーを淹れることに感心したのか、少し目を開きコーヒーミルに目をやる。いきなり耳に入った音に意識が逸れたのか、イリーナはふてくされた様子で頬杖をつく。
「なにを作ってるの?」
「カフェラテ」
「急だね」
「誰かさんのお怒りを鎮めて欲しいって依頼があったもんで」
「レント!」
「俺に言うな。事実なんだから」
自身の行動を振り返るように言われて恥ずかしかったのか、顔を真っ赤にして名を呼ぶイリーナにレントは肩を竦める。反論したくても恥ずかしい行動をしたのは事実なので、イリーナは黙って彼の言葉を受け入れた。が、納得はしていないので彼の足に何度か軽く蹴りを入れている。
「おい、恥ずかしいからって人の足蹴るな」
「……ふん!」
少し幼く見える彼女を見て、凛々しい姿しか目にしたことないクレストは笑う。笑い声を聞いたイリーナはキッとした顔でクレストに振り向いた。
「なんですかクレストさん」
「少し新鮮かも、年相応のイリーナちゃんを見るのは」
「え、イリーナはまだガキッ!? いってえなおい!」
「ガキとか言うな!」
「暴力に訴えるあたりガキだと思いますー!」
「なんですって!?」
また騒ぎ出す二人を微笑ましい目でクレストは見つめている。カズヤは騒がしい二人にやれやれと思いつつも、コーヒーを淹れる手を止めない。クレストの言う通り、年相応な二人を見るのは初めてに等しく、少し新鮮に思えたからだ。
コーヒーサーバーに紙のフィルターをセットし、お湯を注ぎ紙を洗う。こうしないと紙の匂いがしてコーヒーの香りが堪能できなくなってしまう。残ったお湯は三人分のマグカップに注ぎ温めておく。コーヒーサーバーたちが温まったのを確認しお湯を捨て、挽いておいた豆を入れ平らにしておく。砂時計をひっくり返すのと同時に満遍なく行き渡るようにお湯を注ぎ、三十秒ほど蒸らす。その間にスプーンで粉を混ぜるのを忘れずに。この工程を忘れるとダマになっている粉もあるので均一に蒸らすために必要だ。
砂が全て落ちていくのを見てカズヤはもう一度お湯を注いだ。少し高い位置から注ぐ姿は様になっていて、先ほどまで言い合いしていた二人がじっと見つめる。視線に気づいたカズヤが照れたように笑うが、手を止める気配はない。
「ずいぶん手馴れているのですね」
「コーヒーを淹れるの好きなんですよ」
「そうでしょうね。あなたの動きからよく研究されているのが分かります」
「それは光栄です」
そんな大人のやり取りを、子ども二人は目を輝かせて見ていた。なにあれかっこいい。わかる。ああいう大人になりたい、なんてひそひそ話す二人に大人たちは堪えきれず笑いだした。笑われた子どもたちは、自分たちの幼さを自覚して拗ねた顔をしてカフェラテの完成を待つ。自分たちももう少しで大人の仲間入りなのに、二人には程遠いと思うのが少し悔しい。
「二人はそのままでいいんですよ」
「でも私も早く大人になりたいです」
「どうして大人になりたいのですか?」
クレストの質問にイリーナは狼狽えた。というのも、自身の中の大人像が上手く浮かんでいないからだ。
「えっと、自分の行動に責任を持てるから、ですかね?」
「それは今この時でもできますよ?」
「うぅ、そうですけど……でもこうして言われると分からないです」
「難しい問題だもんな。大人になるって」
カズヤの言葉にクレストが頷く。
「大人になるというのは存外難しいものです。私も大人になりきれてませんからね」
「えっ、嘘だ」
「本当ですよ。もう一度質問しますけど、大人とはどんな人だと思いますか?」
クレストの質問にイリーナとレントは顔を合わせた。大人、大人と言えば責任感がある。子どもを守る……と言ったことが浮かぶが、クレストの望む答えではないと二人は何となく察していた。
黙っている二人を見て、クレストが言う。
「大人というのは、感謝を忘れない人のことを指すと私は思っています」
「感謝?」
「ええ、でもこの感謝はお礼の意味ではありませんよ?」
「お礼以外の感謝って?」
「……なんだか難しいな」
「ゆっくりでいいんです。いつかわかる日が来ますよ」
できたようですよ、と差し出されたカフェラテを二人は飲む。ほろ苦さの中に残るミルクの甘さが、心を落ち着かせるように訴えかけてくる気がしてほっと一息ついた。クレストもカフェラテを飲みカズヤを見て微笑んだ。
「美味しいですね。このお店に来たのは初めてですが、イリーナちゃんがここに連れてきたのも分かる気がします」
「そりゃどうも、美味しさには自信があるんでね」
「素晴らしいことです」
大人のやり取りにを目にしつつ、子ども二人はクレストの言葉の意味を考えていた。感謝、感謝とはいったいなんなのか、感謝の言葉の意味が分かれば、見えてくるものもあるのだろうか。
「イリーナちゃん」
クレストに声を掛けられ、イリーナは彼を見る。こちらを見つめる彼の瞳は真剣で、イリーナも釣られて真顔になる。
「今回の試験では、もしかしたらイリーナちゃんは落ちているかもしれません」
「……はい」
「ですがそれは、あなたの実力不足ではなくこちらの責任です。制度を変えようとして上手く動けなかった私たちの責任。あなたに、いえ、あなた達受験者に不快な思いをさせてしまい申し訳ございませんでした。一人の教師として謝罪をさせてください」
そう言って頭を下げるクレストをイリーナは見つめる。どうして彼が謝るのだろうか、イリーナに害を与えた人ではないのに。しかし害を与えた彼らが謝ったとて、イリーナの心に根付いた黒い思いは完全に消えることはない。なんて返事をしたらいいのか分からず戸惑っていると、クレストが顔を上げた。
「これはケジメです」
彼の声色は固い。
「あなたのような受験者を一人でも多く無くすために、私たちは組織の改善に尽力します。ですからあなたに教師になる夢を諦めて欲しくはないのです。あなたの理想は気高く、素晴らしいもの。その芽を摘んで欲しくはない」
「……して」
イリーナが言う。
「どうして、そこまでして私を気にかけるんですか?」
「あなたが努力しているのを見てきましたから。夢半ばで終わって欲しくないんです」
──イリーナの頑張りを見てる人はちゃんといる
息を飲んだ。カズヤが以前言った言葉がこうして体現していること、自身をちゃんと見ている人がいることに。イリーナは泣きそうになりながら、クレストの話を聞いた。
「もちろん、夢を諦めないと先ほど啖呵をきったのは見ました。ですがあなたの目指す道が困難なのも分かっていますよね?」
「はい……」
「そこで!」
明るい声色でクレストは言う。三人が彼を見ると、茶目っ気たっぷりにウインクをして彼はイリーナに提案した。
「イリーナちゃんが良ければ私の助手になってくれませんか?」
「助手?」
「ええ。実は私、後輩育成をしたいと以前から考えていまして。イリーナちゃんが良ければしばらくの間、私の助手として手伝いをして欲しいのです」
「助手と言ってもどんな……?」
「週に二日ほど、孤児院で教室を開いているんです。その時に私の補佐として授業のお手伝いをして欲しいんですよ」
「……」
突然の話についていけないのか、イリーナの頭の中はぐるぐるしていた。カズヤもレントもいきなりの話でどう反応したらいいか分からず、クレストをただ見つめている。クレストはにこにこしながらカフェラテを飲み、マグカップを置いた。
「私の助手をしていたという実績があれば、来年の試験では有利になります。もちろん、イリーナちゃん以外の受験者に声をかける予定ではありますが、悪い話ではありません」
「いや、だとしてもいきなりすぎやしないか?」
「そうでしょうか? この国では試験に合格した翌日から教師の資格が持てます。つまり実践経験がないまま教壇に立つことが多い。……まぁ、私がその当事者なんですがね」
遠い目をして言うクレストにカズヤは彼なりに苦労していたのだなと心の中で合唱した。過去から帰ってきたクレストは咳払いをして話を続けた。
「そこで、組織改善の間に教師の卵として有能な人材を育ててしまおうと思いまして。実践経験があるものが一人でもいるならこちらとしては大いに助かりますしね」
「でもそれで来年の試験受からなかったらどうするんですか? イリーナが落ちないとは限らないじゃないっすか」
「それは本人の実力不足です。そこで落ちて諦めるかどうかは本人の意思に任せます。私としては有能な人材を一人でも多く確保しておきたいのです。そこに性差や年齢など関係ありません」
イリーナは彼の言葉にハッとした。性差や年齢など関係ない、教師を目指しているのならできることをやりなさい。クレストの言葉の意味が分かり、イリーナの胸は歓喜に満ちる。彼はイリーナを一人の人間として見ている。彼の真摯さにイリーナはありがたみを感じた。これが彼の話していた感謝なのかは分からない。だが一つ言えるのは、ここまで応援してくれたカズヤやエレインを始め、たくさんの人に支えられたから今があるのだということ。
イリーナは少しだけ、大人になれた気がした。
「クレストさん」
イリーナの頬から涙がこぼれ落ちる。それは暖かくてきれいなひとしずくだった。
「私に助手をさせてください!」
クレストを見つめる彼女の瞳は希望に満ちていた。
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