カレー 1
「夜分遅くに申し訳ありません。こちらにエレインは来ておりませんか?」
父親の声にエレインは口に手をやり息を殺す。どうしてここにいることがわかったのか。鼓動が早く打ち、空いた手で胸元を抑える。早く帰って欲しい。あの家には帰りたくない。エレインは縮こまり震えながら父親が去ることを願った。カズヤは青年を見つめ、誰かと問いかける。
「ああ、そうでした。名乗りもせず申し訳ありません」
優雅な一礼をし、青年は名乗る。
「私はブラン・アーノルド。エレインの父です」
「ああ、あなたが。俺はカズヤと申します。それでなぜここに?」
「最近息子がこのお店に来ているという情報を聞きまして。それであの子が家から居なくなったのでここに来たのではないかと……」
「なるほど、確かにエレインはいます」
「本当ですか……!」
カズヤの言葉に肩が跳ねる。どうしてここにいるなんて言ったんだ。家に連れ戻されるかもしれない。帰りたくない、そう思い目を瞑れば二人の話はまだ続いていた。
「……ですが、今は家に帰らせるのは得策ではないなと俺は思っています」
「……なぜでしょう?」
鋭い視線がカズヤに突き刺さる。圧の強さに呑まれかけるが、ここで引いてしまうとエレインはきっと大人に頼ることはできないだろう。ふぅと息を吐き、心を整える。交渉事は得意ではないがやるしかない。カズヤはブランと目を合わせ、はっきりと言った。
「エレインは家にいたくないと言っていました。その状態で無理やり帰らされたらあの子はもっと傷つくと思います。せめて、せめて今晩だけでいいのでここに泊めさせてくれませんか?」
「……君がしていることは誘拐と変わらない。私が今ここで夜警に通報したら誘拐犯として牢獄に行くことになるがそれでもいいのかい?」
「構いません」
脅しに屈しない彼に感心したのか、ブランは感嘆の声を漏らす。緊迫した空気が二人の間に流れるが、互いに主導権を譲り合う気はない。
「なら敢えて君に聞こう。なぜそこまでして息子を気にかける?」
「質問を質問で返すようで恐縮ですが、あなたはなぜそこまでしてエレインを連れて帰ろうとするのです?」
「父親だから当たり前だろう?」
「今までまともに気にかけていなかったのに?」
「そうだとしても他人である君が気にかける必要性はないだろう」
「エレインに今必要なのはあの子を受け入れる大人です。本来なら父親であるあなたがその役割を全うするはずですが」
「わかった。わかったよ」
ブランはそう言うとお手上げと言いたげに両手を上げた。瞬間、彼の纏う空気が柔らかくなる。
「今晩だけだ。明日は私も仕事があるから終わり次第迎えに行こう。営業時間を教えてくれるかい?」
「朝十時から夕方十八時までとなっております」
「では二十時頃に迎えに行こう。その時に今後のことで話ができたらとは思っている。その時にお礼もさせてくれ」
「……わかりました」
あまりの変わりように拍子抜けしながらもカズヤはブランの提案を受け入れる。
「先ほどはすまないね。少し驚いただろう?」
「え、ああ、まぁ、はい……」
「あの子の事が心配なのは本当だ。だが私は父親としてちゃんとあの子に向き合えていなかった」
そう話す彼の姿がカズヤには小さく見えた。ブランは店の奥に視線を向け、ぽつりと呟く。
「……私は父親失格だな」
悲しげに呟く彼に、なんて言葉を返せばいいのだろう。上辺だけの慰めなど余計惨めに思うだけだ。黙ることしかできないカズヤにブランは微笑む。その笑顔はエレインにそっくりだった。やっぱり親子だなぁ、なんてことを思っていれば、彼は頭を下げる。
「また明日来ます。それまで息子をよろしくお願いします」
彼はそう言うと店の扉を閉めた。ガチャリと音が残された二人の耳に届く。
「エレイン」
名を呼ばれたエレインは恐る恐るカウンターから顔を出す。その瞳は不安に揺れていた。
「お父様はなんて?」
「今日はここで休んでいいってさ」
「ほんとう?」
「本当。明日の二十時に迎えに来るって。明日は学校休みか?」
「うん、休みだよ」
「なら明日カレーを作るか」
「カレー? それなら僕も知ってるよ」
「おっ、ならちょうどいい。明日作ってエレインのお父さんと一緒に食べよう」
「……」
黙り込むエレインの顔をカズヤは覗き込む。
「不安か?」
「……うん」
「だよなぁ」
「……家に帰らされるかと思った」
「それはさすがに阻止しないとな。お父さんが納得してくれて助かったよ」
「……でもなんで来たのかな」
「エレインが心配だったからだよ」
「でも……」
「エレイン、これは俺の推測なんだけど……」
カズヤは先程父親が去っていった扉を見つめる。なにか思うところがあるのだろう。初めて見る表情だった。
「多分……俺たちが思っている以上にお父さんはエレインのことを愛してるんじゃないかな?」
「え……?」
思いもよらぬ言葉にエレインは目を瞬かせた。エレインが言葉投げかける前にカズヤは「明日になればわかるよ」と言い、自身をお風呂に入れるために二階に連れて行った。
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