Vol.35
聖鍵王コピーボットの朝は早い。
朝4:00にメンテナンスカプセルから出た後、自動的に今日の服装がボディに直接転送される。
昨晩までの最新情報をチェックし、確認の必要がある事項はスタッフオペレーターに問いただす。
午前中の謁見は朝6:00から11:30にかけて行われる。この時間帯のうち、9:00からの謁見は王妃組も参加する。
謁見を終えると一度、聖鍵に記憶データを送信する。
聖鍵王コピーボットは昼の定期メンテを済ませた後、外遊に出る。
各国間の意思調整を行ない、必要とあらば聖鍵騎士団の派遣などに関しても権限を行使する。
ピースフィアに対する要求なども、ある程度応えねばならない。今のところ大きな問題は起きていない……というより、起きる前に事前対処しているので、コピーボットがやることは決まりきったルーチンワークだ。
外遊から帰国すると、フェイティスからの事務的な報告書などを処理し、応対シミュレーションのレパートリーを増やすプログラムを更新した後、午後20:00にはメンテナンスカプセルに入って休眠する。
俺の朝は遅い。
夜の仕事だけはコピーボットに任せるというわけにはいかないので、俺が頑張ることになる。
だがそうなると、深夜まで寝られないこともままある。そのため、俺が起床するのは11:00~12:00の間。重役出勤である。
もちろん、こんな生活は健康に悪いのでメディカルチェックは欠かさない。このときに、聖鍵に送信されたコピーボットの記憶データを共有する。これによって、俺は誰と謁見し、どのような応対を行ったかを正確に知ることができる。
学院に転移し、昼の食堂でみんなと会う。
何があったのかとか、世間話がほとんどで、政治に関わるような話題はここではほとんど出てこない。
稀に生徒からの交流を求められることもあり、適切なレベルで応対している。将来国を動かす人間たちと仲良くなっておくのは有益だ。
基本的には俺のほうが影武者として扱われているので、たまに横柄な態度を取る生徒がやってくる。
そういった愚か者は、昼から合流した王妃組が立場を思い知らせることになる。
そう、例えば今。
「……どちらも本物として敬え、痴れ者が」
「アキヒコ様、ゴミの処理が終わりました」
「お、おう……」
敢えて呼び出された校舎裏で、不良の一団を締めあげた。
今日は鼻持ちならない貴族と、その部下の護衛騎士の息子とかが地面で蹲って呻いている。
本当、俺が侮辱されることに関して、王妃組は俺以上に容赦がない。
「それにしても、やっぱりハイカリキュラムについてこれない落ちこぼれって、どうしても出てきちゃうんだなぁ……」
「どちらにせよ、彼らは帰国してもらうしかないでしょう」
「グラーデン王国の貴族って、他と違って傲慢なのが多いよな」
「あの国は、貴族社会が大きな力を持っているからな」
おそらく、アースフィア西欧地方で一番貴族の数が多いのがグラーデンだ。
いわゆる傲慢でどうしようもない人間のクズのような貴族が多かったのもグラーデンである。
過去形なのは、グラーデン国内で秘密裏に聖鍵騎士団を動かして、口減らしをしたためである。いずれ詳しく話そう。
「アキヒコは権力に取り憑かれて、このようにならないで欲しい」
「いやいや、そもそも俺、王としての責務をあんまり果たせてないから」
「そんなことは……」
リオミさんや、そこで言い淀まれると俺としても立つ瀬がないんだけども。
「グラーデンにも、問題を起こす生徒に関する対応については了解を得てあるよ。入学に関しては寛容に受け入れるけど、騒ぎを起こすようならその限りじゃないってね」
「このあたりは、しばらく先に問題になりそうですね……」
転がってる連中を聖鍵で保健室送りにしつつ、俺は肩を竦めた。
シーリアは午後の講義があるので別れて、リオミと2人で王宮に帰る。
後宮勤めのメイドが一礼して、俺を出迎える。
「おかえりなさいませ、聖鍵陛下、リオミ様」
「今、後宮にいる側室は?」
「チグリ様とヒルデガルド様は出かけております。ベネディクト様も、現在お体には帰ってきておりません。メリーナ様もまだ船で療養中です」
「リプラさんとフランもまだ、フォスかな?」
「はい。ヤム様は一度お帰りになりましたが、ご学友と遊びに出かけられました」
「そっか。じゃあ、俺とリオミも出かけるから……何かあったら連絡するように」
「かしこまりました」
どうやら、久しぶりにリオミと2人の時間を作れそうだ。
「どこか行きたいところある?」
「わたしはアキヒコ様とでしたら、どこへでも」
「そう言われると難しいけど……あっ、そうだ。結局俺たち、あれから一度もバッカスに行ってないじゃないか」
「では、バッカスですね。わたしの《テレポート》で行けますよ」
こうして、俺達は久しぶりに自由都市バッカスへ赴いた。
「おお、キャンプシップが飛んでる」
「トランさんの商会のですね。フォスとバッカスは特に密接な取引を行なっていますし」
そういえば、トランさんとも最近会ってない。
商売は順調のようだし、彼のおかげでカドニアの経済は上向いてきているとも言える。
カドニアとピースフィアの雇用の大部分は、聖鍵派スタッフ以外に、トラン商会で働くという道がある。
聖鍵派スタッフは給金はそれほどではないものの、衣食住については世話してもらえ、福利厚生もばっちりだ。
一方、トラン商会は給金は賄いなどを除き、すべて貨幣で支払われる。キャンプシップの運用や商取引、各種宿泊施設の経営など手広くやっているので、人手はいくらあっても困らない。研修制度が優秀なので、カドニアの武器職人には商会の人気が高い。
「アキヒコ様……移動しましょう」
つんつんと腕をつつかれた。
周囲の人々が、俺達に気づき始めている。
トランさん曰く、バッカスでの俺の人気は高いらしいので、ひとつの場所にずっといると囲まれそうだ。
リオミが詠唱短縮した美しい声で、《インヴィジビリティ》を朗々と唄い上げた。
俺達の姿が透明になったようだ。人々が騒いでいる。
「じゃ、その辺歩こうか」
「はい」
ふたりの透明人間が、人々の間を小走りで駆け抜けた。
今日はお忍びで来ているので、市長などへの挨拶は不要だ。
適当な裏路地に駆け込んだ。
「さすがに透明なままってのも不便だから、変身しようか」
「そうですね。少々お待ちを」
今度は《シェイプチェンジ》で平均的な男性と女性に姿を変える。
更にリオミに《トゥルーシーイング》という魔法を使ってもらい、お互いの姿はちゃんとそのまま見えるようにした。
これで見知らぬ女性と浮気している気分にならずに済む。
リオミとの観光デートだ。
バッカスはフォスほどではないにせよ、ファンタジー世界の街としてはかなり広かった。
大通りには露店が軒を連ね、人々が行き来しており、非常に活気がある。
特徴的なのは、中央に行くほど大きな建物が増えていくことか。
街の中心には巨大な塔が立っていて、政治中枢として機能しているのだそうだ。
空中戦を演じた時は、あの建物の周囲をワイバーンが飛び回っていた。
観光のパンフレットのようなものをもらえたので、それで気になったところを巡ってみた。
公園の池でボートを漕いだり、服やアクセサリ店で買い物したり、みんなのお土産を買ったり。
「そろそろ、お茶にするか」
ティータイムになったので、雰囲気のありそうな喫茶店をググって調べよう……として、やめる。
最近、聖鍵派でポータルサイトを作ったと報告があったのを思い出した。
スマートフォンからアクセス可能である。また、ワールドネットというほどではないにせよ、各種情報を調べることができる。確かフォスとバッカスは対応してたはずだ。
バッカスのグルメ情報から評判のいい喫茶店を見つけた。タッチすると、お店近くのテレポーターまで跳べる仕組みだ。このままタッチすると自分だけが跳んでしまうので、接触通信でサイトの情報をリオミのスマートフォンに送る。
「ええと、これでいいのですか?」
リオミが画面をタッチすると、俺の前から消えてしまった。
俺もすぐに後を追う。
「あっ、アキヒコ様!」
「大丈夫、大丈夫。ここにいると邪魔だからどこう」
民間用テレポーターの上にいつまでもいると、安全装置が働いて他の人が転移できない。いつまでも上にいるとブザーがなってしまう。
とはいえ、装置自体はかなりの数が用意されてるので、そうそう問題になることはないみたいだが。
俺達は件の喫茶店に入り、俺はコーヒーを、リオミは紅茶を注文した。
優雅なひとときである。
「リオミ、楽しい?」
「はい、もちろん。アキヒコ様は……聞くまでもなさそうですね」
新婚夫婦のおでかけデート。
このシチュエーションだけで、俺の気分は晴れやかである。
「そういえば、大学時代はよくこうやって喫茶店巡りしたなぁ……」
「おひとりでですか?」
「いや……友達とね」
本当は元カノとである。
流石にリオミの前で昔の女トークは地雷でしかない。
「羨ましいです。わたしには、そういった思い出はまるでありませんから」
「これから作ればいいよ。時間はたっぷりある」
「そこが信じられないところです。公務はもっと忙しくなると思っていましたが……」
実際のところ、聖鍵王国の前身はフラン時代の聖鍵派である。
あのときのシステムが、側室たちを取り込むことでさらに円滑に。
最終意思決定はあくまで俺だが、それまでに必要な項目はほとんど埋められている。
ぶっちゃけ、俺が動かなければならないのは聖鍵を使わないといけないときぐらいだ。
「機械……でしたっけ。それにやらせているのですか?」
「いやいや、まさか。機械はプログラムされたとおりに動くだけで、意思決定なんて無理だよ。聖鍵王ボットですら、人間を模倣して動いているに過ぎない。
ただ聖鍵王国の政治は高度にシステム化されているからね。ここに学院で今頭角を表してる優秀な生徒たちが実地研修の名目で出向してたりするし、フェイティスもいるし。聖鍵を使ったり俺が出向くのはわりと最後の手段。
で、リオミ……ちょっと相談なんだけど」
「はい、なんでしょう?」
「もし、リオミは俺が王国を捨ててどこか旅に行きたいって行ったら、ついてきてくれる?」
もちろん、王国を捨てるなんてことはしない。
いくら俺がいなくても、ある程度成立しているからといって、完全に見捨てるなんてことは有り得ない。
だけど。
「はい、必ずお側に」
リオミは迷わず即答してくれた。
「これからは身重になるので、どこまでついていけるかわかりませんが……アキヒコ様なら、なんとでもしてしまわれるでしょう」
「まあね」
うん、これなら大丈夫だろう。
俺は本題に入ることにした。
「実は、俺はリオミからある記憶を消したんだ」
「えっ……私の記憶、ですか?」
「今からそれを返す」
俺は聖鍵を一部だけ取り出して、リオミに向けた。
――聖鍵、起動。
――マイクロヒュプノウェーブ照射。
リオミの目からハイライトがフっと消え、催眠状態に陥る。
「うーん、ほんとにできてしまった」
これまで、ヒュプノウェーブブラスターはマザーシップの副砲として使用できる範囲だった。
照射範囲の縮小にも限界があり、何かと使い勝手が悪かったが……ついに、チグリが小型化に成功。バトルアライメントチップと同様の方法で、聖鍵に搭載してくれたのである。
――ヒュプノウェーブ調律開始。
――消去した記憶を復元しますか? →はい
これでOKだろうか。
聖鍵を再び格納、リオミが正気を取り戻す。
「あっ、アキヒコ様……これは!」
「……うん。隠し事をしてたこと、今まで忘れてもらってたんだ。ごめん」
「……こんなの、あんまりです」
「俺も辛かったよ……リオミとシーリアの記憶を消すのは」
「でも、戻してくれたということは、話してくださるのですね?」
俺は静かに頷いた。
「今から話すこと、絶対シーリアには言わないでほしい。どうしてかは、聞けばわかる」
ラディがザーダスであることを、俺は端的に打ち明けた。
リオミはショックを受けているようには見えない。あれ?
「そんなことでしたか……何かと思えば」
「え、何そのリアクション。ここはもっと別の反応をするシーンじゃない?」
「お言葉ですが、アキヒコ様。わたしは結構前に彼女がザーダスだと気づいてましたよ」
ガーン!
じゃあ、俺は記憶消して罪悪感を勝手に抱いてたピエロってことかよ。
「どうしてわかったの?」
「彼女を保護した時の状況から判断したのと、ディーラちゃんの失言の数々。そして、彼女の口調……さらにわたしと話すときに、とても申し訳無さそうな目をすることから……などなど。理由はいくらでもありますが」
言われてみれば確かに。
むしろ、全然気づいてないふうのシーリアがおかしいとも言える。
「リオミはザーダスのこと、恨んだりしないの?」
「それはもちろん、怒ってる部分はありますが……彼女は明らかに今までの自分を反省して、アキヒコ様に仕えています。アキヒコ様がそうするのが良いと判断する以上、わたしは何も言いません。
もちろん、ロードニアの他の貴族や父上や母上が同意見になるとは思えませんが……わたしの場合、アキヒコ様のおかげでお父様もお母様も助かっていますので。彼女に対する直接的な恨みは、ほとんどありません」
……なるほど。
まあ、リオミだったら受け入れてくれるだろうという腹づもりはあったが、彼女は既に自分の中でちゃんと消化していたんだな。
「はぁ……わたし、アキヒコ様の信用がなかったのですね。そちらのほうがショックです」
「い、いや。信じてるからこうして記憶も返したし、話したんだよ。何より、やっぱり俺の中でモヤモヤが取れなかったというか……」
「……もー。今回はちゃんと話してくれたわけですし、許してあげます」
ふぅ。
まだちょっとだけ怒ってる風ではあるが、大丈夫そうだ。
「シーリアには、話してあげないのですか? 彼女だって、きっとわかってくれますよ」
「……いや、実は」
ビジョンのことを話す。
前にリプラさんたちが殺される未来が見えたことは教えてあるので、スムーズに理解してもらえた。
「アラムに戻ってしまう……ですか」
「どうも、そうらしい。最近のシーリアはすっかり大人しくなったけど、やっぱり時々剣聖時代に戻るんだよな。多分、ザーダスに両親を殺されてる件が相当尾を引いてるから、地雷になると思う」
「うーん……」
リオミが唸ってしまった。
実際のところ、シーリアはメンタルが弱く、詰めが甘い。
情けない話だが、最も俺に近いと思える部分だ。
「俺もシーリアには話したいと思ってる。でも、シーリアかザーダスのどちらかを選ばなきゃいけないとなれば、俺はどっちかを犠牲にするなんて無理だよ」
リオミにこのことを話した理由のひとつが、相談したかったというのがある。
フェイティスはこの件に関して、ザーダスを追放すべきの一点張りだ。
他に話せそうなのが、リオミしかいなかったのである。
「……アキヒコ様は、罪悪感を取り払いたいからザーダスのことをシーリアに話したいと思っているのですか?」
「え?」
それは……多分、そうだ。
このままでは、俺がすっきりしない。
シーリアとザーダスの都合とかは関係ない。
「……そうだ」
「わかりました。では、わたしがお手伝いします」
「手伝うって……どうする気?」
「シーリアが剣聖になってしまったら、私が止めます」
「ま、待った! リオミのお腹には、赤ちゃんがいるんだぞ。そんな無茶はさせられない」
「……だからこそ、シーリアも剣を止めてくれるかもしれません」
シーリアは、俺とリオミの次に、赤ちゃんのことを喜んでくれている。
自分の家族が増えると。
「それは……危険過ぎる」
「……逆に聞きます。そこまでの危険を冒してまで、アキヒコ様は真実を告げるべきであると?」
「…………」
俺の自己満足のために。
胸に刺さった小さな刺をとるために。
妻を、子供を危険に曝すのか。
「いや、そんなことは絶対に駄目だ」
「では、諦めますか」
「それとこれとは別だ。アラムは俺が止める」
「アキヒコ様。では、きっと……罪悪感を拭いたいなんて理由じゃないんですよ」
……そうなのか?
「それが何なのかまでは、わたしにはわかりません。でも、アキヒコ様は何かに突き動かされているように思えます」
このまま、シーリアがザーダスのことを知らないまま交流を続けていく。
それもいいかもしれないと、思った。
だが、俺の中の何かが……そのままでは駄目だと囁く。
気のせいかもしれない。
でも、その思いは日増しに強くなっている。
「……リオミは頼むから、魔法を使ったりするだけにしてくれ。それでもアラムがお前を狙うようなら、絶対止める」
「わかりました」
……ビジョンは見えない。
これが致命的な結果にはならないという証左なのか、あるいは初めてのケースなのか。
今の俺にはわからない。
だが、リオミを危険に曝す訳にはいかない。
一計を案じるべし、だな。




