Vol.25
聖鍵領の後宮で過ごす初めての一夜。
蜜月の甘い時間を過ごし終え、ふたりが寝静まった頃。
彼女たちは今、精神遮蔽オプションを取り付けた指輪を外している。
今や結婚指輪の役目を果たしたこれらの装備は、ホワイト・レイの結界を張った夜の間は彼女たちも安心して外せるのだ。
俺は無言のまま着替えを済ませ、部屋を出た。
テレポーターでマザーシップのブリッジへ。
「本当によろしいのですね、ご主人様」
「ああ……俺が隠し事をしていることに関して、すべての記憶を消去してくれ」
「……かしこまりました」
俺は結局、ザーダスを保護し続けることを選んだ。
記憶消去を終えると、シーリアが去っていくビジョンも消えた。
結局俺は、一番どっちつかずの選択肢を選んだ。
やってしまったことをなかったことにする、最もずるい道を。
「……頼む、フェイティス。部屋へ」
「かしこまりました」
マザーシップのほうの部屋で、彼女と過ごす。
「……俺を最低だと、罵ってくれないか」
「ご命令とあればやりますが、わたくしはこれが次善の策だったと考えます」
「…………」
「最善はザーダス様を追放することです。今後も同じようなことを繰り返していくことになりますので」
「巨人族との同盟はどうなる……」
「ご主人様が核を搭載したICBM大陸弾道ミサイルのボタンを押せば、巨人族は山脈ごと世界から姿を消します。それで解決です」
「…………」
「あれは元々、ザーダス様の提案ですから。わたくしが支持したわけではありません」
突き放すような言動をしながらも、彼女は俺の頭を胸に抱き寄せた。
「わたくしはご主人様の共犯者です。いざとなれば、すべての罪はわたくしが被ります。何も心配なさらなくて大丈夫です」
奇妙な優しさと残酷さに包まれる感覚を覚えながら、俺は眠りに落ちた。
翌朝起きたときには、俺は後宮のベッドで目覚めていた。
フェイティスが俺をスマートフォンで転移させたのだろう。
「おはようございます、アキヒコ様」
「……おはよう」
リオミがにっこりと微笑んでくれた。
「む、おはようアキヒコ」
「おはよう」
目をこすりながら、シーリアも身を起こした。
「アキヒコ様、目元が……」
「え?」
ゴシゴシとこすると、少し水気があった。
泣いていたらしい。
「どうかしたのか?」
「……ううん、大丈夫。大丈夫だ」
俺は演技で笑顔を浮かべた。
何も心配はいらないと。
ふたりとも、それで安心してくれた。
寝る前に見せた俺を慮る素振りは欠片も見られない。
そうだ。
すべて、これで元通りになる。
あとは、俺がミスしなければいいだけだ。
罪悪感は、もちろんある。
俺を信じてくれるふたりの記憶を操作してしまった。
だけど、こうしなければシーリアかザーダスのどちらかが失われる以上、後悔はなかった。
俺は結局、決めなかったのだ。
今日は学院に通う。
生徒たちも俺が来ることに慣れてきたようで、いちいち大騒ぎすることはなくなった。
本気で売り込みをかけてくるような生徒だけが、俺の周りに残った。
この学院はかなり実践的なので、学ぶ意欲のない虚栄心だけの貴族はもうとっくの昔に退学になっている。
彼らを笑顔で応対しながら程々にあしらい、リオミたちと別れて図書館へ向かった。
図書館と言っても、ここに紙の本は一冊も蔵書されていない。
すべて電子書籍だ。備え付けのタブレット端末からアースフィアで出版されているすべての本が読める。
もちろん、魔力などは一切ないので、魔術書の類は記述を知ることができるだけだが。
ここで借りられるのは本ではなく、タブレットのほうである。
といっても、このタブレットは一度レンタルしたらイチイチ返しにくる必要はない。
あくまで静かに本を読みたい者が集まる場所なのだ。
「あ、聖鍵陛下……」
「ああ、チグリ……やっぱりここか」
彼女は講義と食事の時間以外を、ほとんど図書館で過ごしている。
チグリを談話室に誘った。
「タリウスのじっちゃんのほうは、どう?」
「毎日大変です……」
チグリは顔を真っ赤にして、耳と尻尾をぴーんと立てている。
あの爺が相手じゃ仕方ない。
「やっぱり私、魔法の才能はないみたいです……」
「じっちゃんに言われた?」
「はいぃ……遠回しにですが」
じっちゃんでも駄目となると、彼女は本格的に魔法のほうは駄目なのだろう。
「自分が満足できるまで、やってみるといいよ。ところで……チグリ。キミの論文を読ませてもらったんだけど」
「私の論文……ですか?」
俺はタブレットに彼女の論文を表示した。
「あわわわ……ロードニアの魔法学校の入学試験で提出した論文です……」
「うん、不合格のやつだね」
「うううう~……」
チグリの耳が、しょぼーんと垂れる。
「まあ、この内容じゃしょうがないよ。だってこれ、魔法の論文じゃないじゃん」
「は、はいぃ……講師の方にもそう言われました」
さらに尻尾まですっかり元気を失ってしまったので、頭を撫でて慰める。
「はうぅ~……」
「よしよし。論文自体は章立てのバランスはめちゃくちゃだし、趣味に走り過ぎかなとは思うけど……でも、出来は悪く無いと思うよ」
「ありがとうございます……お世辞でも嬉しいです」
「お世辞じゃないよ。例えばここ……ヒルデガルドが長城を使った籠城戦をしたときの分析……」
俺は論文に関して、いくつか質問をぶつけてみた。
その結果……。
「……というわけでしてぇ……。このときヒルデガルド様が後方に伏兵を潜ませておいたおかげで、魔王軍の攻城兵器の大部分を無力化できたんです。ですけど、本来ならば敵の本陣に回りこむルートがありまして……」
「あー……ごめん、もう充分だ」
「そうですかぁ……」
長い説明の途中で俺が打ち切ると、あからさまにがっかりした様子で、元気だった耳がふにゃっとなってしまった。
「で……聞くけどさ。チグリ、戦争が好きなの?」
「戦争は……嫌いです。人がたくさん死にますし……」
「じゃあ、戦略や戦術に興味は……?」
「ええと……はい。ちょっとだけ、あります」
「ちょっとだけ?」
「はいぃ、いいえ! すいません……すごく、あります」
話を聞いてみれば、この論文。
始めはちゃんとした魔法の論文としての体裁が整っていたようだ。
だが、魔法を使った戦術の説明の引用のために戦の用例を調べるうちに、どんどん引きこまれていって脱線してしまったんだそうな。
最終的に彼女が引用した本のほとんどは、魔法学に無関係な軍事学関連のものばかりだった。
「最近、フェイティスと一緒に行動してもらったりしてるけど……どんなことを教わってる?」
「政治のことですとか……いろいろ勉強になっています」
「興味がある話題とかあった?」
「そうですね……エーデルベルトとカドニアの国境線のことですとか、迷宮洞窟が緩衝地帯になってることですとか……」
「カドニアの内乱については?」
「あ、それまだ聞いてませんでしたぁ! き、聞かせていただけるのでしょうか?」
チグリが身を乗り出してきたので、揺れた。
何が揺れたかは、言わないでおく。
少なくとも尻尾じゃない。
「そ、それはまた今度……それより、さ」
俺は談話室のテーブルにあるディスプレイを操作して、あるソフトを立ち上げた。
「これは、なんでしょう……?」
「戦術シミュレーションだよ。キミの論文で主題になった、エーデルベルト長城防衛戦」
「こ、これ……すごい! 兵の配置とか本のとおりです!」
尻尾が揺れ始めた。いい傾向だ。
「今から、ある人物とこれで対戦してもらう。やり方はすぐにわかると思うから……っと」
俺は件のゲストを召喚した。
はからずも、この2人は初対面ということになる。
「……ふむ。余を愉しませてくれるという者は、この娘か?」
「あぅ……かわいい」
「こう見えても、フェイティスを将棋で負かした天才少女だ。お互い手加減抜きで頼むよ」
こうして。
ザーダス率いる魔王軍VSチグリ率いるエーデルベルト軍のシミュレーションが開始と相成った。
魔王軍の編成は、オークを中心とした主力部隊と、指揮官のホブゴブリン。
そして、ワイバーンに乗ったゴブリンの空中騎兵の部隊。
対するチグリの方は重装歩兵、騎兵、槍兵、弩兵など、エーデルベルトの正式兵科。
戦力比は魔王軍3:エーデルベルト1。
エーデルベルトが防衛側。
魔王軍の領域からやってくる魔物を侵入させないために三国連合の国境をまたがるように作られた長城の防衛戦となる。
まず魔王軍はオーク突撃部隊を重装歩兵にぶつけた。
重装歩兵がいる限り、長城を攻略するために必要な攻城兵器をすべて展開できないのだ。
それでも遠方のカタパルトから発射された大岩が次々と長城に激突し、耐久力ゲージを削っていく。
だが、チグリは長城の上に弩兵を適切に配置し、重装歩兵に足止めされたオーク兵を次々に屠っていく。
「む、伏兵か……!」
状況が変わったのは、史実どおりに配置された槍兵による奇襲攻撃。
工作部隊によって、カタパルトと攻城兵器が大きな被害を受けた。
だが、今回の指揮官はホブゴブリンではなく魔王ザーダスだ。
ゴブリンのワイバーン騎兵を投入して、工作部隊を撤退させる。
「ふむ……だが、何故今なのだ……?」
確かに攻城兵器に対する打撃は大きいが、ザーダスからしてみればより適切な奇襲タイミングがあったはずだ。
彼女は、チグリの論文を読んでいない。
だから、彼女の狙いには遂に気づかなかった。
「すいません、もらいます!」
「む……! ここで騎兵か!」
ごく少数の騎兵を率いたヒルデガルドの部隊が、魔王軍の本陣に雪崩込んだ。
ザーダスも奮戦するが、遅かった。指揮官のホブゴブリンが討ち取られてしまう。
「クッ、余の負けだ」
ゲームオーバー。
チグリの勝ちである。
「余の本陣はかなり後方に配置されていた。どうして騎兵が、このタイミングで出現したのだ?」
「その……実は、この戦いのとき、オーク部隊は囮で、魔王軍の本来の狙いはトンネルを掘って、長城の中に侵入するのが狙いだったんです」
「ふむ、確かにな」
もちろん、ザーダス側からはトンネルを掘って長城を攻略するための作戦を指揮していたはずだ。
「こちらはその動きを察知し、逆にトンネルを利用することにしたんです。掘削魔法を使ってトンネルに直通する道をつくり、そこからオークの工作部隊を撃破した後……その穴を伝って、魔王軍の本陣後方に回り込んだのです」
「クク……なるほど。工作部隊が全滅すれば、本来であれば伝令が来ないことで異変がわかるが……」
「はい。だからこそ、《シェイプチェンジ》で伝令に化けた兵士をあらかじめ送り込んでおき、そちらには何もわからないようにさせてもらいました。すいません……」
「クハハハ……! 愉快だ。実に愉快な話だ……!」
ザーダスは愉しそうに笑った。
槍兵の奇襲タイミングが早かったのは、トンネルの中を馬を引っ張って歩かねばならない騎兵たちの移動を気取られないため。
もちろん、チグリはトンネル作戦のことは本で知っていたので、必ずしも公平とは言えない。
だが、相手はザーダスだ。人間側の取った作戦は知っている。
結果としてチグリは、完全にザーダスの裏をかいたのだ。
「史実だと、攻城兵器を破壊して魔王軍を撤退させたそうですが、犠牲も出たそうです。その点、この作戦なら……」
「確かに犠牲は最小限だ。なるほどな……」
「なあ、ザーダス。どうだ? お前の目から見て……」
魔王と呼ばれていた少女はひとつ頷き。
「うむ……この娘。用兵の資質がある。この分野においては、余も上回るであろうな」
「は、はいぃ?」
お墨付きをもらったチグリは、困惑した様子で尻尾を回していた。
? に見えなくもない。
「……よし、決めた。チグリ。キミを……ゴーディス地下帝国攻略司令に任命する!」
「えええええええぇぇぇッッ!!?」




