Vol.19
死んでもいいと思ったことは、何度かある。
例えば、初めて彼女ができたとき。
両想いになれて、結ばれて。
ずっと時間が止まってしまえばいい、いっそこのまま人生の幕を閉じてしまいたいと思った。
次に死んでもいいと思ったのは、その彼女に捨てられたときだ。
「変わったのはわたし、だからごめん」
そう言って、彼女は坂を登っていった。
いつもなら、その隣には俺がいて。
でもそのときは、どんどん離れていく背中を見送るしかなくって。
死んでもいいというより、死にたいと思った。
消えてしまいたい想いに駆られ続けた俺を救ってくれたのは、大学のサークルのみんなだった。
俺が彼女と付き合い始めてからは距離を取っていたみんなが、急に優しくなった。
後から聞けば、あのときは俺を全員で慰めようと共謀していたらしい。
ありがたいこって。
それ以来、どれほど辛い目に遭っても、死にたいと思ったことはなかった。
だから、死んでもいいと思うだけなら、今夜で3回目。
いや、俺はきっと一度死んだのだ。
彼女たちの尻尾はとてもモフモフで、触っていると天にも昇る心地がした。
彼女たちの鳴き声はとても魅惑的で、脳髄が痺れた。
耳をハムハムさせてもらった。切なげな声をあげる彼女たちに襲い掛かられた。
俺は徹底的に貪り食われた。
彼女たちの”食”欲は留まるところを知らず、俺は何度も生きたまま喰われ続けた。
だが、不思議と苦痛ではないのだ。
それはもはや、快感ですらない。
悟りだ。
悟りの境地だ。
周囲のすべてが真っ白になって、俺はどこにも存在していない。
ただ、俺という体が水面の上を漂い、どこまでもただ流されて行く。
星が見えた。
星々の輝きが、闇に喰われていく。
ダークスか。
星々の嘆きが聞こえる。
喰われることの恐怖。
だが、その中には少なからず滅びへの歓喜もあった。
タナトスか。
終わることの喜び。
終焉へのあこがれ。
消えてなくなってしまいたいほどの充足と絶望。
すべて、理解る。
あるいはダークスは、滅びを求める者たちの望みを叶えようとしているのかもしれない。
俺は今、死んでもいいと思っていると言ったな。
あれは嘘だ。
冗談じゃない。
俺は生きたい。
俺たちを……巻き込むな。
目覚めは、さわやかだった。
ベッドの上には、3人の女性が疲れ果てて眠っている。
《レイスチェンジ》の効果はリオミの能力なら24時間のはず。
もちろん、あとでキャンセルするのだろうが、今はまだ彼女たちには獣耳と尻尾がついていた。
天国の続きだ。
眠っている最中に女性を襲う趣味はないが、髪を触るぐらいならいいだろう。
尻尾はやめておき、リオミのネコミミを堪能する。
「ん、ん……」
リオミの呻きとともに、ぴくぴくっと耳が動く。
んー、ファンタスティック。
次はシーリアの狼耳。
指でつつくと、ちゃんと硬いのがわかる。
「アキヒコ……」
起こしちゃったかな?
いや、寝言だったらしい。
尻尾ほどでないにせよ、耳は敏感らしかった。
さて、フェイティスには感謝しなくては。
彼女はああやって俺を追い詰めておきながら、とてつもないドッキリを用意してくれていた。
感謝を込めて、ウサミミを撫でる。
うさぎの耳は急所のはずだから、本当に触れるぐらいで。
「…………ふ、ぁうん……」
フェイティスが悩ましげな声をあげた。
そういえば、うさぎって万年発情してるんじゃなかったっけ。
フェイティスらしいかもしれない。
しかし、いつもなら俺より先に起きる彼女がこうもグロッキーになっているのは珍しい。
時刻を確認すると、まだ4時だった。彼女が起きるには、まだ少し早い。
「せっかくだから、早起きするかな」
洗顔し、着替え、3人に手を振ってから部屋を出た。
まだ誰も起きてないようだ。
食堂には、誰もいない。
朝食はできればみんなで摂りたいし、後回しにしよう。
中枢へ跳び、日替わり更新のついでに情報のチェック。
ディオコルトの新たな動きはないようだが、各国で結構いろいろと事件らしきものが起きているな。
なになに、聖鍵王国のやり方に対する反対運動が起きた……って?
騒ぎは王立騎士団によって沈静化されてるし、もちろん各国が聖鍵王国への反対運動を主導しているわけではない。
純粋に急激に膨れ上がっている聖鍵王国への不安が噴出してきているのか?
聖鍵王国ピースフィアに対して、友好的な人ばかりではない。当然だ。
とはいえ、まだ警戒するほどの規模にはなっていない。
突然隣人がドロイドトルーパーに連行されていくところを見れば、不安に思う人もいるだろう。
まあ、連行される人は大抵、聖鍵騎士団への調査結果で判明した過激派だったり、重犯罪に手を染めているような奴だったりするのだが。
何も知らなかった人が、家族を、友人を、恋人を返してくれと支部に訴えにくるケースもある。
説明したところで、知人が犯罪に手を染めていたことを信じないケースが多いらしい。
今のところヒュプノウェーブは使わない方針だが、今後は必要かもしれない。
関係者への対応はマニュアル化してあるが、スタッフの説明がおざなりだったり、犯人が周囲には良き隣人として振舞っていたりする場合、それが聖鍵騎士団ひいてはピースフィアへの反発に繋がるようだ。
聖鍵騎士団はあくまで聖剣教団聖鍵派の組織なんだけどなぁ。
まあ、聖鍵王国と聖鍵派を一緒くたに考えてる人も多いみたいだし、誤解とも言い切れない部分はある。
あくまで建前の話だし。
こういう、単純に不安を訴える人たちを強引に鎮圧するわけにもいかない。
いずれ、各国から相談というか苦言みたいなのが来るかも。
って、エーデルベルトとグラーデンからは、もうクレームが来てたのか。フェイティスが処理してくれたらしい。
逆にアズーナン王国では、フォーマンに勲章の授与の話が来てるな。治安貢献って部分では、やはりアズーナンが一番俺たちを歓迎してくれているみたいだ。
元から縁談の話が多かったメリーナ王女が側室候補になってるのも、案外ディオコルトの差し金という理由だけではないかもしれない。
む、聖鍵派内部からの陳情がある。
一部のスタッフによる物資横領……?
ああ、炊き出しのときに懐に食料品をちょろまかすスタッフがいるって聞いたけど……やっぱり、満腹になれるほどの物資を提供してるわけじゃないから、こういうことも起きるか。あんまり締め付けるとかわいそうだし、どうしたものか。後でフェイティスに相談しよう。
こっちはフォーマンからの陳情だ。
現状の戦力だけだと、少し足りなくなってきているみたいだ。
よくやってくれているし、メタルノイド5体とキャンプシップを一気に4隻ほどプレゼントしよう。
ドロイドトルーパーはその都度、要請に応じて増員できるように彼の権限を設定しておく。騎士団の今の施設だと、最大50機までの補充を許可してるから、その上限を100に再設定しておく。
最新の更新状況はスマートフォンを見れば一発でわかるから、大丈夫だろう。
お、早速フォーマンから感謝のメールが……どうやら、ここまで増員してもらえるとは思っていなかったらしく、凄い恐縮された。
活躍が華々しいし、あとで激励に行ってあげよう。
ん、これはアンガス大公からだ。
大公国になったことに関して、一部反発が起きてるようだが……なんだこいつら、ヴェルガードの腰巾着だった連中じゃないか。
一番声を張り上げてるウェンターって確か、フォスに来た使者じゃん。
閑職に飛ばされたことを根に持っているのか。
大公の陳情内容としては、こいつらを黙らせるのは簡単だけど、政治犯というほどでもないので扱いに困っているので何とかならないかというモノらしい。
もし不穏な活動があったらわかるし……今のところは無視でいいと思うけどな。
事情を説明したうえで、フォーマンへのホットラインを教えておく。
これでいざというときは、即応できる。
フェイティスも目を通すだろうから、正式な対応は彼女に任せよう。
その他、雑多な情報にも軽く目を通して、俺の認可が必要な項目に関してもフェイティスの認可が降りてるものに関してはゴーサインを出しておく。
彼女がOKを出してるってことは、既に俺が決断するだけの状態。やっちまって大丈夫ってことだ。
「おっと……」
さすがに、ちょっとフラっとした。
昨晩は相当無茶したし、精力ドーピングも効果時間が切れている。
一度、ベッドに戻ろう。
「おはようございます、ご主人様」
フェイティスは既にメイド服に着替えていて、俺を出迎えてくれた。
リオミはまだ寝ているので、ウサミミはそのままである。
そのせいで、カチューチャがつけられないようだ。
ウェヒヒ。
「おはよう、フェイティス。今朝のうちに、いくつかの案件を処理しておいたよ。あと、相談したいことも」
「朝早くから、ありがとうございます」
確認したことを相談した。
「かしこまりました。あとの公務は、わたくしだけで大丈夫です。ご主人も流石にお疲れでしょう? 今日はゆっくりとお休みください」
どうやら、今日は休んでいいらしい。
お言葉に甘えさせてもらおう……。
リオミとシーリアの獣耳に癒されつつ、俺はまどろみに身を任せた。
目が覚めると、昼だった。
「なんで起こしてくれなかったのさ」
「アキヒコ様があんまりにぐっすりと眠っていたもので……起こすのが忍びなくて」
「それに、寝顔がかわいかったしな」
ふたりして、うんうんと頷き合っている。
むぅ……俺も2人の寝顔を楽しんでいた手前、強く出られない。
《レイスチェンジ》も解除しちゃったのか。ショボーン。
「今日も学院に行かれるのですか?」
「いや……今日は休むよ」
「本当に大丈夫なのか?」
「うん……いつもの疲労だから」
「聖鍵は使えます?」
「今は平気」
「……アキヒコ様、聖鍵が使えなくなるのは決まってアースフィアに行った時ですよね?」
リオミがまたまた鋭い。
そのとおりだ。
「それに、お疲れになるのは決まって、船にお戻りになった後……アキヒコ様。いったいわたしたちに隠して、一体何をしてらっしゃるのですか?」
「全部終わったら……」
「……もう待てません。教えてもらえませんか?」
「……まあ、いいか」
安心してもらうためにも、俺はリオミとシーリアに事情を話した。
「またそういうことを、わたしたちに隠して……」
「逆に心配になるというのが、わからんのか?」
「ごめん……」
俺もまだ疲労が抜けきっていないので、死人のような返事になってしまった。
彼女たちも怒るに怒れず、お互いに顔を見合わせた後、俺の傍に来てくれた。
「今日は何もせず、ゆっくりしましょうか」
「幸い、今日の公務は私たちである程度済ませておいたからな」
「……ん、ありがと」
気遣いが染みる。
最近もずっとハードだったから、たまにはこうやってのんびりするのもいいかもしれない。
3人で展望室に向かった。
最近はブリッジはクルーが詰めている事が多いので、アースフィアを見るだけならこっちの方がいい。
個室スペースでのんびりと雑談した。
本当に、ただの歓談だ。
リオミの修行時代の話や、シーリアの剣聖時代の武勇伝、俺の地球での生活の話、そして今までの冒険の話やカドニアでの一悶着……などなど。
話は全然尽きなかった。
びっくりするほど、時間がゆっくり過ぎていく。
たまにフェイティスからの連絡があったり、フォーマンからの報告が入ったが、それぐらいだ。
今日は本当に平和だった。
おかげでだいぶ体力を回復できた。
自分でも思った以上に疲労してたらしく、随分楽になった。
夕食は、学院から帰ってきたディーラちゃん、遊びに来たヤムたんとリプラさん、そしてフラン。部屋で大人しく過ごしていたザーダスが合流し、代行公務から戻ったフェイティスが手料理を披露してくれる。
「ああ……なんか、いいな。こういうの……」
「お兄ちゃん、どうかした?」
「ううん。なんでもない」
本当、別に、どうってことはない。
みんなが楽しそうに食事をして、楽しそうに話をしてて、それだけ。
いつもの光景だ。
日本にいた頃は、父さんと母さんと俺だけだった。
昔は祖父と妹もいたけど、祖父は認知症が悪化して介護施設に入れられ、妹は一人暮らしをしている。
みんな、どうしてるかな……。
「なあ、リオミ……確か、帰るの自体はいつでもできるんだよな」
「え? ああ、はい。アキヒコ様を連れてきた時間帯と、ほぼ同じぐらいのところにお返しできます。ですから、アースフィアにいる時間は気にしなくても大丈夫で――」
「……過去に帰ることはできる?」
「はい? ええと、それは……」
「ん、無理ならいいよ」
「はい。すいません」
リオミが謝ることないのに。
こんなの、ただの我侭で思いつきだ。
それに、それほど過去に帰りたいと思ってるわけじゃない。
「いいよ。俺はもう多分、地球には帰らない」
「アキヒコ様……」
カドニアの一件のときはまだ、俺は最終的に帰るつもりでいた。
だけど、建国までしてしまった以上、俺はここに骨を埋めるしかない。
それにもう、俺には明確な居場所がある。
「……ご両親が存命なんだろう。せめて、挨拶ぐらいはしてきたらどうだ」
「いいんだ、シーリア。俺はもう、いないも同然だったから」
「……そうか」
就職活動に不真面目な俺を、両親は半ば放任していた。
昔は口すっぱくいろいろ言われたけど、アースフィアに来る少し前くらいから、何も言われなくなった。
言われるうちが花だなんて聞くけど、それを実感する前に、こっちへ来てしまった。
「……でも、そうだな。たまにはメールだけは書いて送るか。向こうに行って送るだけなら、簡単だよな」
「……それだけで、よろしいのですか? 一度帰る時間帯を進めてしまったら、もう戻せませんよ」
「うん。俺の家族はもう、ここにいるみんなだから」
駆け落ちしました。
幸せにやってます。
そんな内容でしたためよう。
たまにそうやって無事を知らせるメールを送って、それだけの関係になろう。
子供が生まれたら、孫の写真を送ってやろう。
子供の成長写真を定期的に送ってあげるんだ。
結婚すら危うかった俺が子供を作って、ちゃんとやってるって知らせれば親も安心するだろう。
確か携帯で送った写真がそのままデジタルフォトフレームに記録・表示される何とかパネルとかいうやつを契約してたはずだ。
父さんが携帯のセット値引きのために、店員さんのススメに従ってホイホイと。
結果的に月額で高くなるのを知って母さんが怒ってたけど、あと1年は解約金がかかるって言ってたから、まだ残ってるはず。
案外写真を送るようにしたら、そのまま使い続けたりしてな……。
こんなのでも親孝行になるかなぁ。




