Vol.33
フランが元娼婦。
それは聖女という存在を信じていた人々への、驚天動地の裏切りであった。
各地で発生した暴動は、またたく間にカドニア全土に波及した。
俺達にできたのは、とにかくすべてのテレポーターを一時的に停止すること。
支部を閉鎖し、嘱託職員をマザーシップへ避難させること。
そして騎士団やドロイドトルーパーを使って暴動を鎮圧すること。
もはや炊き出し支援など、できるわけがない。
人々は再び飢えに苦しむことになるだろうが、今すぐどうにかするのは難しい。
フランは、アンダーソンに命じてすぐに回収させた。
放送室を破壊したとはいえ、あのような醜態を晒させるのは忍びなかったし、あのままやらせていたら、それこそ暴徒と化した人々によって暴行を受けていたかもしれない。
もちろん、フランにあんなことを仕出かすつもりはなかった。
ディオコルト。ヤツのチャームで操られ、娼婦時代の自分を呼び起こされたのだ。
彼女にかけられていた魅了効果は、呪い属性も含んだとてつもないシロモノで、リオミが《ハイレストレーション》を使って何とか解呪した。
この《ハイレストレーション》はあらゆる呪いを解呪可能な特効薬的魔法であるが、発動に日単位で時間がかかる。
リオミは詠唱短縮が可能であることと、魔法習得オプションがあるから不要だろうと思っていた詠唱短縮オプションが彼女の能力と重複することが判明したため、最低詠唱時間の24時間で済んだ。
リオミには負担をかけてしまったが、彼女は喜んで己の役目を引き受けてくれた。終わった直後は、ぐっすり眠ってもらってから、たっぷりご褒美をあげた。
正気を取り戻したフランは、まだ眠っている。数日は安静が必要だ。
「最初から仕込まれていたんだ……彼女が背徳都市にいたときから、いつでも操れるように、時限爆弾をセットしていやがったんだ」
「では、すべては八鬼侯の陰謀……!」
ガタン町長が驚きの声をあげる。
「いえ、ヤツは愉快犯です。最初からあの演説のためにフランを操っていたとは思えない」
ヤツの動きには、行き当たりばったりなところが見られる。
現に指輪のことを問い詰めて、フランが殺されそうになったとき、ヤツは何もしなかった。彼女が死んだら死んだで、それでよかったのだろう。
フォスで聖鍵派の立ち上げを知ったあと、支部の放送を聞いて今回のことを思いついたに違いない。すべてをご破算にできるタイミングを待っていたんだ。
つまり、これすらもディオコルトにとっては遊びに過ぎないのだ。
「ガタン町長、こんなことになって申し訳ありません」
「いえ……勇者様とて、さすがにこのような事態は予測できなかったでしょう。我々の街の復旧そのものは、それほど問題にはなっていませんしな」
町長はそう言ってくれたし、フォスの街はもともと俺が支援していただけあって、暴動などはなかった。
結局、この街から再スタートということになりそうだ。
だが、どうなのだろう。
聖女の求心力が今回逆側に作用してしまった以上、今度こそカドニアの動乱を止める術はないのではないか。
何より、せっかくうまく行きかけていたところに、この結果。
俺も心が折れかけていた。
実際、町長宅に揃った全員が、みな一様に陰鬱な表情だった。
「これから……どうする……」
「……ご主人様。残念ながら、今回の暴動はすぐには収まりません。
ですが王国側の制御は、まだ可能な状態です。フランから引き継ぎができる状態ではないので難しいかもしれませんが、暴動を鎮圧できさえすれば、元の支援活動が可能となります」
「それには、どれぐらいかかる」
「少なく見積もっても、1ヶ月ですね」
「…………」
1ヶ月。むしろそれは、これまでのカドニア王国を鑑みれば、短いといってもいい期間だ。
フランが正式に女王に即位した後だったら、本当に取り返しがつかなくなるところだった。
「聖鍵派が存続できたのは大きいです。聖女と女王という要素が使えなくなったのは痛いですが、事態はそこまで悲観する必要はありません」
聖剣教団には、正式に聖女を破門することを発表させた。
おかげで聖鍵派への打撃は……なんとか最低限で済んだ。
もともと聖女フラン・チェスカは浄火派の聖女だった。
あくまで聖鍵派は、彼女を聖女として受け入れただけだというスタンスを押し通すことができた。
だが、それでも聖女を信じていた人々の脱退はどうしようもなかった。
彼らのほとんどが元浄火派だったこともあって、すぐに過激な活動家に戻ってしまった。
「こうなったら、アンガス王の復帰を急がせるしかないな」
幸い、治療は順調だ。
最近では超宇宙文明の医療技術のおかげで、アンガス王も普通に会話ができるぐらいには回復している。
フランは、さすがにあんなことになってしまった以上、女王に即位させるのは不可能だ。
アンガス王にカドニアを取りまとめてもらい、彼と密約して、聖鍵派の活動に再び理解を広めていくしかない。
「暴動に関しては、聖鍵派の組織力、そして聖鍵の戦力が利用できます。問題は……」
「ディオコルトの次の動きか……」
ヤツがこのまま大人しくしているとは思えなかった。
さらなる混沌を望むのなら、暴徒と化した元聖鍵派……あの連中に、『闇の転移術法』の指輪を供与すれば、とんでもないことになる。
いや、既にばら撒いている可能性だってあるのだ。
「なんとか、ヤツを仕留めることはできないのか?」
シーリアの質問に、俺は首を振った。
「それなんだが……みんな、聞いてくれ。アイツは不死身なんだ。どれだけ攻撃したところで倒すことは絶対にできない」
一同が押し黙る。
「できるとしても、退散までだ。だけどヤツ自身に戦闘力はまったくない。
あれほどのことができて、八鬼侯の第八位に甘んじていたのは、そういうことなんだ。
ヤツは絶大な精神操作能力を持つが、それも女性限定なんだよ。おそらく『闇の転移術法』も、もともとはヤツの力じゃない」
「……それも、聖鍵の力で調べたことか?」
「そうだ」
とは言ったものの……それは嘘だった。
ルナベースにあるディオコルトのデータは、ほとんどない。謎に包まれているといってもいいレベルだ。
だが、それとはまったく別のルートで、俺にはヤツの情報が入ってきていた。
聖鍵だ。
どういうわけだが知らないが、ヤツと相対したとき、聖鍵から新しい情報が俺の脳にインストールされた。
それが絶対に必要だとばかりに、すべての認識に優先して。
こんなこと、今までには一度もなかった。
ゴスガルドやヴェルガードなどのザーダス八鬼侯に向かい合ったとき、聖鍵は何も反応しなかった。
ディオコルト。ヤツについてだけは特別だったのだ。
聖鍵は、ヤツこそが本当に戦うべき敵なのだと、俺に教えてくれた。
これまで俺は、聖鍵に対して得体のしれないものというイメージを払拭できないでいた。
だが、あのディオコルトという存在に対する警告とも思える聖鍵の反応は、この上なく頼もしいものだった。
聖鍵は俺の味方。それを確信できるほど、あのディオコルトは俺にとって相容れない存在だ。
あるいは、俺がずっとディオコルトに敵愾心のようなものを抱いていたのも、聖鍵がそれとなく警告していてくれたからなのかもしれない。
「ヤツへの対策方法も、すでにわかっている。だから、みんなに精神遮蔽シールドオプションを搭載した装備を配布したんだ。
これで少なくとも、みんながディオコルトに魅了されることはなくなる……」
これはフランの事件の後、最優先でやった。
ディオコルトが次に動く前に、少なくともみんなが籠絡されるなんてことだけは絶対に防がねばならなかった。
NTRダメ、絶対。
「……ご主人様、申し訳ありません。もちろんディオコルトへの対策も重要ですが、私が申し上げようとしたのは、フラン様の処遇についてです」
「フランの?」
「既に彼女は破門されましたが、カドニアの人々は彼女のことを『魔女』として糾弾しています」
「魔女……」
「フラン様を裁判にかけ、処刑すべしという意見が大半です。おそらくこのままフラン様を匿えば……」
「……!」
聖鍵派……いや、聖剣教団すら危ういというのか。
だけど……!
「フランを殺せっていうのか? あの子だってディオコルトに操られていただけの被害者なんだぞ!
八鬼侯に操られてやらされたんだってことを、アースフィアに公表すれば今からだって……」
「果たして民衆がそれを信じるでしょうか。ディオコルトは今まで表舞台には一度も登場していません。
ヤツの姿を実際に見ているのは……ご主人様だけですし」
「俺が戦った時の映像なら、すぐにでも放送できる! それを流せばいいじゃないか」
「……ご主人様」
甘い香りが鼻孔をくすぐる。
フェイティスの柔らかい部分が、俺の頭を優しく包み込んだ。
「……フェイティス?」
「お気持ちはわかります。ですが、どうか……落ち着いてください」
フェイティスは、すぐ離れた。
リオミはちょっと顔をひくつかせたが、何か言ってきたりはしない。
「……無理、なのか。彼女の無罪を証明するのは」
「彼女の来歴については、既につまびらかにされつつあります。
背徳都市の娼婦時代についても、複数の証言が出てきてしまいました。
さらに、母親を暗殺して獄中死したはずのフライム王女が、フラン・チェスカと同一人物であるという噂まで流れ始めています」
「それもきっとヤツが……」
「彼女が操られていたことが真実だとしても。人々を騙していたという事実は覆りようもないのです」
聖女の正体。
清らかなる乙女が、実際は春を売る女だった。
多くの人々が騙されたと、気持ちを裏切られたという想いを抱いた。
つまり、浄火派の連中は処女厨だったということだ……。
信奉するアイドルが実は違ったとすれば、怒り狂うファンも出てくるということか。
俺には理解できない考え方だが、そういった群衆が存在するのは知っている。
「じゃあ、彼女を処刑するっていうのか?」
「それが最もこの混乱を早く終結させる方法です」
「そんなの! くそっ、そんなのって……」
フランを犠牲にすることで、カドニアは再び聖鍵派によってまとまる。
彼女を魔女として処断すれば、すべての罪を背負わせて、今回の問題をすべて解決できる。
そうすれば、人々は笑顔になる。
……本当にそうか?
俺の目指したみんなの笑顔って、そんなことで手に入れていいものなのか?
だが、俺自身が心の奥底で認めてしまっている。
そうするのがいいのだと。
何もフランを本当に殺す必要なんてない。
彼女と同じ姿の生体アンドロイドを替え玉として用意すれば、少なくともフランは死ななくて済む。
だがそうすれば、命は助かったとしてもフラン・チェスカという存在は死ぬ。
関係が噂されている以上、フライム王女として戻ってくることもできない。
彼女はもう、アースフィアで生きていけない。
誰もが、黙りこんでしまった。
そんな空気の中で。
「やっぱり、嘘って……それが必要だったとしても、いけないことなのかな……」
「……ディーラちゃん?」
意外にも声をあげたのは、ディーラちゃんだった。
「……ねぇ、騙してたことは悪いことかもしれないけど。それって、謝って許されないものなの?」
嘘。
俺だって、ディオコルトのことについて今さっき嘘をついた。
必要だったからというより、そう説明したほうが早いと思ったからだ。
フェイティスには酷い嘘もついた。あれはリオミとの仲を改善するため。
俺は謝らないと宣言したが、それも嘘。本当は最終的に謝るつもりだった。
嘘が謝って許されないなら、俺は決して許されない。
「あたしね……みんなに、ひとつおっきな嘘をついてるの。
今もね、そのことをみんなに言うことはできないんだ」
ディーラちゃんが嘘をついている。
そんなこと、考えたこともなかった。
「でもね……みんなのことは好き。
お兄ちゃんのこと、リオ姉やシー姉に負けないくらい大好き。
リオ姉も、シー姉も、フェイ姉のこともみんな好きなの。
そして……お姉ちゃんはあたしにとっては一番大切な、大好きなヒトなの。
それは全部ホントのことだよ」
彼女が時折見せる儚げな微笑。
自分の心を読まないでほしいと言ったときも確か、こんな顔をしていた。
「それでもね。あたしは、みんなに嘘をつき続けるよ。
だから、ごめんなさい。嘘をついてて、ごめんなさい。
これからも嘘をつくことを、許してください。
みんなと一緒にいさせてください、お願いします」
それを許せないと。
言えるはずがなかった。
大好きだけど、これからも嘘はつく。
そんな宣言に、誰ひとり何も言えなかった。
当たり前だ。
嘘をつかない人間なんていない。
「……謝って許されない嘘は、誰かを貶めようとしてつく嘘のことだ。
誰かを守ろうとしたり、誰かを助けようとしたりした嘘が、許されないなんて……あってたまるか」
そんなこと、考えるまでもなかった。
「アースフィアに向けて、フランにすべての真実を話してもらおう」
「アキヒコ様、それは……」
リオミが難色を示す。
当然だ。真実を話すということは。
彼女の暗黒時代も、すべて明らかにし。
心の傷を開き、それを他人に見せろと彼女に迫るということ。
「受け入れられない人もいると思う。全員にわかってもらうなんて、ムシのいいことは言わない。
だけど、誰かの心には届くはずだ。全部、正直に話させよう。
暗殺事件が王女ではなく、ヴェルガードこそが真犯人であることも。
その後、背徳都市で暮らしていたことも。
カドニアに戻り、人々の暮らしを見て戦いを決意したことも。
聖女を名乗り、人々を王国の圧政から解放しようとしたことも。
裏切られ、俺たちに助けられたことを。
ディオコルトに操られ、醜態をさらしたことも」
フランの受けるプレッシャーは、俺の想像をはるかに絶するものになるだろう。
あるいは魔女として処刑されるほうが、よほど気が楽かもしれない。
少なくとも、一瞬で終わることができるのだから。
だが、この方法は彼女の終わりではなく、その後を占うものだ。
勝機があるわけでもない。完全にやぶれかぶれだ。
当然、フェイティスが正論で武装してかかってくる。
「民衆がすべてを信じるとは思えません」
「でも、訴えなきゃ何も始まらない!」
「フラン様に、かなりの負担を強いることになりますが」
「それでも、彼女を殺すよりはいい」
「彼女が死の救済を望んだ場合はどうするのですか?」
「それこそ絶対に駄目だ! 俺が説得する!」
俺とフェイティスの視線が交錯する。
だが、一瞬だった。
「……かしこまりました。手配いたしますので、ご主人様はフラン様のほうを」
「わかった。ありがとう、フェイティス」
「はい、いいえ。ご主人様のご意向ですから」
「キミは本当に、世界一のメイドだ」
「最高の褒め言葉をありがとうございます、ご主人様」
他のみんなは、何も言わずに微笑んでいた。
フェイティスもおそらくは本気で反対していたわけではない。
自分の役割を徹頭徹尾、果たしてくれただけのこと。
「よし、じゃあみんなは……」
俺が動き出そうとしたときだった。
ブリッジに警報が鳴り響いたのは。
「何だ?!」
「ア、アキヒコ様!」
「……今、聖鍵から情報が来た」
視界にポップアップした情報を見て、俺は蒼白になった。
「フォスが……襲撃を受けている……!?」




