Vol.12
「あ、あの、落ち着いてください」
「お願いです! どうか、どうか……」
俺が宥めても、受付女性は解放してくれなかった。困った顔でリオミに助けを求めると、彼女は少しむっとしていたが……。
「……《汝に健やかなる心を取り戻さん。サニティ》」
ちゃんと助けてくれた。美しい声が確かな魔力の形となって、受付女性に効果を現す。
「え、あれ、わたしは……」
混乱した人に平静を取り戻させる魔法か。
ようやく受付女性は、俺から離れてくれた。
「何か事情があるみたいですが、俺は今日はまったく別の用事で……」
「そうだったんですか……」
物凄くがっかりさせてしまった。
胸は痛むが、俺がここで話を聞いてしまうと多分……。
「アキヒコ様。せめてお話だけでも聞いてあげてはどうでしょうか」
うっ……リオミなら、そう言うよな。
「そうだよ、こんなに頼んでるのに、かわいそう!」
ディーラちゃんまでもが。しまった、2人を連れてきたのは失敗だった。受付女性がすがるように俺を見てくる。
うぐぐ、ダメだ。そんな目をされたら……。
「どうかお願いします。ほんとうにもう、他にどうすることもできないのです」
他にどうすることもできない。そうだ、そのことは俺もよく知っている。
だから、今更俺が何をしたところで……。
「アキヒコ様」
「お兄ちゃん」
ここで話を聞いてしまったら、もう引き返すことができなくなる。
……でも無理か、悪者にはなりきれないみたいだ。
「わかりました、お話を聞かせてください」
一抹の迷いを振りきれないまま、俺は頷くしかなかった。
「ありがとうございます! こんなところで立ち話もなんですから……」
彼女の案内で教団支部を出る。
受付の仕事はいいのかと聞くと、
「もう、あまり祈りに来る人もいませんから……」
と苦笑していた。
聖剣教団の本質を考えれば、祈りなど無意味であることを俺は知っている。それでも、人は苦しければ祈ることが唯一の希望となる。だが、その気力すらも失っているということは、やはり……。
「自己紹介が遅れました。わたしは、ドナと申します」
「リオミ=ルド=ロードニアです」
「ええっ!? ま、まさかタート=ロードニアの王女さま!?」
「はい。でも、お構いなく。今はアキヒコ様の……ただの連れ添いですから」
「シャ=ディーラですっ」
「え、えっとよろしくね」
ひととおりの挨拶が終わる頃には、目的の建物にたどり着いていた。工事現場の事務所といった風情の2階建てだ。ドナは俺達を町長に会わせたいと、ここに連れてきたのだ。町長は在宅だったようで、俺達はすぐに会うことができた。
「フォスの町長、ガタンです」
ガタンと名乗った町長は背が低く、髭をたくさん蓄えた人だった。いわゆるドワーフという種族である。本来はもっと筋肉ダルマのような姿なのだが、ガタン町長はやや細めで、顔もやつれていた。
「本当に……予言の勇者様なのですか?」
「はい、間違いありません」
ガタン町長の問いかけに答えたのは、リオミだった。
「わたしはリオミ=ルド=ロードニア。アキヒコ様をアースフィアに召喚致しました」
「なんと……」
ガタン町長はしばらくわなわなと震えていたが、拳をもう片方の手で強く握りしめ、額に当てた。
「ようやく……ようやく、カドニアにも、希望の灯火が…………!」
ガタン町長は感無量といった面持ちで、想いを吐露していた。
俺はなんとも言えない気分になって、下唇を噛んだ。
「そのように大袈裟にとられても、俺も困ってしまいます」
「ああ、ああ! 失礼! 申し訳ありません。私としたことが……取り乱しました」
冷静を取り戻した風を装っているが、町長は期待の眼差しを向けてくる。
目をそらしたくなる衝動に駆られたが、堪えた。
「まずは、このような辺鄙な鉱山街によく来てくださいました。歓迎の催しを開きたい思いはあるのですが、私達にはそれすらも叶いません」
「生活が、苦しいのですか?」
リオミは、もうとっくに気づいているだろう。ここに来るまでの間、街を眺める時間はあった。
人々は仕事をするでもなく道端に座り込み、生気もなかった。きつい体臭を漂わせていたのはもちろん、糞尿の類も転がっていた。あれは犬猫のものではあるまい。
そして、ところどころに無数の墓標。餓死した者、病にかかった者の末路。
街全体を、死の臭いが支配していた。
「正直な話、我々はもう生きていく糧を稼ぐことができません」
「鉱山からは、もう何も取れないのですか……?」
「いえ……。ただ単に、買い手がつかないのです。このフォスは、王国にも浄火派にも価値なしと判断され、見捨てられたのです」
フォスは中立。
中立になることを、強いられているんだ。
「歩く力の残っている若者は、浄火派か王国に行きました。ですが、そちらに向かってもおそらくは地獄のような労働が待っているだけでしょう」
「それは一体どういうことなのですか?」
俺はもう、この国で起きていることがほとんどわかってしまっている。ディーラちゃんは、そもそもどういう話なのかを理解していない。
だから町長とのやりとりは、すべてリオミだ。
そうか、リオミはロードニアのことで精一杯。カドニアとは国交断絶。内情までは、知らなかったか……。
「我がカドニアの主要産業のひとつは、鉱山で算出される鉄鉱石です。埋蔵量は間違いなく、周辺国家では一番でした」
カドニア王国は山がちな地形で、人が住むには決して便利とはいえない。だが、鉄を始めとした資源は大量にある。これらをバッカスを通して各国にさばいたり、武器・防具を鋳造して輸出するのがカドニア王国のスタイルだった。
だった、というのは今は違うということだ。
「ですが、いつしか三国連合のうちの一国グラーデンでも、質のいい鉄が採れるようになりました。数のカドニア、質のグラーデンとされるようになってからは、苦しい競争が続いていました」
そう。それでもまだ、カドニアには有利な状況だった。魔王軍という脅威が人々を脅かし、多くの武器・防具が必要だった。もうひとつの主要産業である傭兵業と合わせ、必要とされていたのだ。魔王討伐遠征の際には大量の注文が殺到し、そのたびにカドニア王国は大いに潤った。
だが、9年前のあることを境に、カドニアの運命は大きく変わることになる。
「魔王討伐遠征が禁止されるようになると、武具の輸入は激減しました」
「それ、は……」
リオミの大宣言だ。
これによって聖剣教団は、魔王討伐遠征を禁止した。
リオミはもちろん知らないことだが、予言の成就には無関心だった教団も、予定には従う。浄火プログラムに従い、方針を変更したのだ。魔王への攻撃から、『魔を極めし王女』の実現へのシフト。それは国家の利害を一切斟酌しない、既定路線だったのだ。
カドニアの武具は売れなくなった。
武具の消耗や需要が減ったことで、グラーデンの鉄だけで充分に賄えるようになってしまったのだ。
戦争で疲弊していた三国連合は、あっさりとカドニアを見限った。殿様商売だったカドニアの傭兵たちも、この時点で多くが干された。
これがカドニアが反予言派であり続けた、最大の理由である。
予言の実現に世界が傾いてしまったら、自分たちは破滅するしかない。だが、それによってますます他国との歩調が合わなくなる結果を招いた。
カドニアにとって悲劇だったのは、武具職人になることを国家規模で奨励していたことだ。国民すべてと言わないまでも、ほとんどの人々は武具職人として手に職を持っていた。長年、魔王という脅威が続いていたアースフィアでは、必要なことだったのかもしれない。
だが、武具が売れなくなったことで、これら多くの職人は首をくくるしかない状態に陥った。職人の技術は長年の経験がモノを言う。今更、別の鉄製品を作るにしても売り物にできるレベルのものは用意できない。危機に陥ったのは鉱山労働者も同様だ。鉄の需要が激減したことにより、多くの者は過酷な労働条件でも安い賃金で働かざるを得なかった。
フォスも、そういったカドニアにおいては珍しくもなんともない、典型的な街だったのだ。
「…………」
町長の話を聞くに連れて、リオミは言葉を失っていった。
「カドニア王国がこのような状況になってしまったのは、そういった背景があるのです。浄火派や王国で働き口を見つけても、決して環境は良くないでしょう」
この話にはまだ続きがあるのだが、町長はそのことは話さなかった。フォスの窮乏を訴えるには、ここまでの情報で充分だからだろう。
「どうか、フォスを……いえ、カドニアを救ってはくださいませんか」
願いを込めて、ガタン町長は俺を見る。
ドナさんも、祈っている。おそらく、彼女が信じている聖剣、そして勇者である俺に。
そんな彼らに対し、俺は一呼吸置いて。
はっきりと告げた。
「お断りします。俺にこの国を救うことは、できません」
「え……っ」
声を漏らしたのは、リオミだった。
ドナも町長も無言のまま。
ディーラちゃんは……寂しそうな、どうしてそんなことを言うのかと、目が訴えていた。
「……勇者様。わたしたちを、お見捨てになるのですか」
ドナさん。
その目は、痛い。
見捨てたりしない、そう言ってあげたかった。
毎日祈り続けた彼女にこんな言葉をかけるのは、死ぬほど苦しかった。
だが俺は、彼女たちの期待を裏切らねばならない。
「俺にできるのは、せいぜい魔物を倒したり、魔王を倒したりすることだけです。貧乏になった国にお金をあげたり、産業を復興させたりすることは、俺の能力を超えています」
カドニア王国は、詰んでいる。
本当にもう、どうしようもないレベルだ。
なにしろ今の話ですら、氷山の一角に過ぎない。この国の未来の姿さえ、俺はもうルナベースを通して知っている。あらゆるシミュレーションで、この国をどうすれば救えるかを試した。
だが、いずれも満足の行く結果は得られなかった。
「アキヒコ様、どうして……っ」
そうか。俺はリオミの想いさえも裏切ることになるのか。
ごめんな、本当に。
本当にごめん。
「……一応、フォスの街に関しては、できるだけの支援をさせてもらいます。ですが、俺にできることは、多分そこまでです」
「支援、ですか?」
「はい。水や食料の供給、炊き出し。あとは街の衛生状態の再管理。病の人を治す医療機関の設置などです。他にも必要があればできるだけ用意します」
「…………」
そう、俺にできるのはその程度。
カドニア全体をなんとかするなんて、俺にはできない。
だが、彼らは俺の申し出を喜んでくれた。
「それでも充分です! フォスの街はもう、死んだも同然でした」
「ありがとうございます、勇者様! どうか、わたしたちを助けて下さい!」
町長とドナさんの喜色に満ちた表情に、俺は苦笑いを返す。
「では、後ほど約束した支援をとりつけますので、俺はこれで失礼します」
何度も頭を下げてくれる町長に、俺は手を振った。
道中で涙を流すドナさんを宥めながら、教団支部へと送り届ける。
「アキヒコ様……」
リオミはどこか失望の混じった声で、俺を呼ぶ。
道中、いつも俺の横にいてくれた彼女は、今は後ろからついてくる。
振り返らず、俺はフォスの街を歩く。
「どうして、あんなことを」
少なからぬ非難の響きを含ませたリオミの声は、いつものような精彩を欠いていた。
「……さっき言ったとおりだよ。俺に、この国を救うなんて芸当はできない」
「……そんなのは嘘です」
「嘘じゃないよ」
「アキヒコ様は、アースフィアを既に救ってくださったではありませんか!」
彼女の声は震えていた。
かつても聞いた。彼女が涙ぐんでいるときの、大きな悲しみを湛えているときの声。
「……俺は、魔王を倒しただけだ」
その結果、アースフィアが救われたというだけの話。
「……どうして」
リオミは何を言えばいいのか、わからなくなっているようだった。
なんでもできると信じていた予言の勇者の弱音。
愛する恋人の、裏切りとも取れる言葉。
俺はそんな、彼女の態度に耐え切れなくなって。
「リオミなら、わかってくれると思ってたのに」
言ってはならない一言を、口に出してしまった。
「……アキヒコ様の、ばか……」
振り返る。
見てしまう。
見覚えのある、泣き顔。
また、傷つけてしまった。
俺はまた……本当に何度、繰り返すのか。
「……やめてっ!」
俺とリオミの間に、小さな影が割って入る。
ディーラちゃんだ。
「ふたりとも、お願いだから喧嘩はやめてっ……!」
彼女もまた、涙を流していた。
「ディーラちゃん……別に喧嘩をしていたわけじゃ」
「……それなら、どうしてお兄ちゃんもリオ姉も泣いてるの?」
俺も、泣いていた……?
気づかなかった。
「こんなの、ダメだよ! お願いだから、もう一度ちゃんと話して……!」
ディーラちゃんも、もう限界だったようだ。ひたすら泣き続ける。
リオミは彼女を抱きしめ、一緒に泣いた。
俺はただ、立ち尽くすしかなかった。
そんなときだ。聖鍵を通して、通話が入ってきた……シーリアからだ。
「ごめん、ふたりとも。また後で……」
俺は早足でふたりから離れ、通話に出た。
「私だ。聞こえているか、アキヒコ。これで使い方はあっているか?」
「…………ああ、大丈夫。どうした?」
「アキヒコ……?」
「なんだ?」
「……いや、なんでもない。カドニア王都のギルドで情報を得た」
「そうか、聞かせてくれ」
俺はシーリアの報告に耳を傾けた。




