Vol.02
昨晩はお楽しみでしたね。
宿屋の親父にそう言われる一歩手前で、俺はなんとか踏みとどまった。
ヘタレと呼ぶなら呼ぶがいい。アースフィアに召喚されて今日で一週間。これで先に進んだら、いくらなんでも急速に関係が進展し過ぎである。
日本にいた頃なら、そういうカップルもよく見かけたが、彼女は一国の王女で俺はパンピーなのだ。物事には順序、そして時期というものがあるだろう。
だが、あの攻勢を毎晩かけられたら、俺の心のダムはほどなく決壊する。間違いない。多分、彼女もそれを望んでいる。実際かなり強引に逢瀬を切り上げてしまったせいもあり、今日のリオミは目に見えて不機嫌だった。
だって朝起きて、おはようって挨拶したときから……彼女の顔には、一番怒らせてしまった時のニコニコスマイルがずっと張り付いているんだもの。
「……ねぇ、リオ姉と喧嘩したの?」
小声で俺に耳打ちしてくるディーラちゃん。やっぱり、あの笑顔は怒ってるってわかるものなんだ。
「ち、ちょっとあってね」
「ふーん……」
ディーラちゃんのドラゴン・ジト・アイズ。
だめだ、妹枠は味方になってくれそうもない。ちなみにシーリアはどこ吹く風といった様子で、朝からフィレステーキをほうばっている。
「そういえば、アキヒコ様。まだ聞いていなかったことがありましたよね?」
「な、なんでございましょうか」
俺は今、死刑宣告を待つ被告の気分を味わっている。ビクついた拍子に思わず、モーニングコーヒーのカップを取り落としそうになった。リオミは「これが貴方の残機です」と言わんばかりに指を二本立てる。
「ひとつめ。どうしてシーリアさんと最初に会った時、あんなに挙動不審だったのか。
確かシーリアさんのこと、ご存知だとおっしゃっていましたよね? それが本当だとしたら白閃峰剣のことを知らないのは、いくらなんでも不自然です。やはり、嘘を吐いていたのですか?」
有無を言わせず、指を一本折るリオミ。
「ふたつめ。いったいどういう経緯があって、シーリアさんの本名を呼ぶように……いや、本名で呼び合うようになったのか。詳細な説明を求めます」
リオミの最後の指が折られた。
解答次第では魔力行使も辞さない。スマイル解除された目が、最後通牒を突きつけてくる。
どうしよう。逃げたい。ものすごく逃げたい。
今すぐ聖鍵起動して、どこか遠くに転移したい。
「……ふぅ、ごちそうさま。いい肉だった」
シーリアがナプキンで口元を拭きながら、食事を終えた。
くそっ、当事者のくせに悠長な……これだからシリアルキラーは。
「ふたつめの質問には私が答えよう」
と、思いきや。二の句の継げない俺に助け舟を出してくれた。
シーリアさん! 私は最初から信じていましたよ?
「わたしはアキヒコ様に聞いているのですが」
「まあ、そう言うな。このまま追い詰めると、この男は逃げるぞ」
シーリアはすぅっと細めた目で俺を見る。
完全に読まれてるな。
「むーっ……」
リオミが頬を膨らませつつ唸った。
まあ、あたしゃ前科持ちですからね……。
「本名については何のことはない。リオミ王女が城に向かった後、私も一度宿に帰ったのだ。
その際にアキヒコが私を呼び止めて、本当の名前はなんなのかと聞いてきた。もうアラムではない以上、名前がなければ不便だろうと思い、聞いてきたのだろう。
そうだな、アキヒコ?」
こっちに話が振られたので、こくこくと頷く。
「そのあとはすぐに別れ、城で合流するまでは会っていない」
「……それ、本当ですか?」
「うむ。きのこに賭けて偽りはない」
きのこを引き合いに出しおった。
だが、なんとその言葉でリオミは納得してしまったらしい。鷹揚に頷いた。きのこの絆は世界を越え、かくも偉大だったのだ。
「だが……ひとつめの質問に関しては、改めて私も聞きたいことがある」
げぇーっ!?
シーリア、貴様、裏切りおったな!
「私を選んだのは、やはり剣聖の力に惹かれてか?」
シーリアのそれは詰問というより、確認だった。
ああ、そういえばバトルアライメントチップの話はしてあるんだった。あの時点で、なんで俺がシーリアを知っていたか、彼女にはもうわかっている。
「なになに、どういうお話?」
「……シーリアさんを、選んだ?」
ディーラちゃんが首を突っ込んできた。
リオミは新たに聞き捨てならないワードを聞いてしまったせいで、口に残っていたスマイルまで消えた。
なんでだ。なんでいつも良かれと思ってやることが、墓穴になってしまうんだ。
「ま、まずは順番に話すから。深呼吸していいかな」
場が完全に俺の発言待ちになってしまったため、覚悟を決める。
逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ。
今逃げたら、二度と許してもらえなくなる。
「ええと、シーリアにとっては二度聞きになってしまうかもしれないけど……」
俺が剣聖アラムを知るきっかけとなった、バトルアライメントチップの話をする。
選んだ理由も「強いからだ」と正直に。シーリアは嬉しいような悲しいような、複雑な顔をしていた。
「うーん……確かに、あのときの戦い方はシーリアさんそっくりでしたね」
「真似できちゃうんだ。すごい! でも、なんかズルイ!」
「ずるいことは、アキヒコ自身がよくわかってやっている。言ってやるな」
白閃峰剣を知らなかったことについても、チップの性質で問題なく説明できた。
な、なんだ。話してみればどうということはないじゃないか。
リオミに気圧されて、冷静さを失っていたみたいだ。
「では、今の私の剣についても知らないわけか」
「ああ、そうなる。そういえば、新しい剣を調達したって言ってたけど……」
「フフ、見てのお楽しみだ」
お披露目を待てということか。
しかし、俺は白閃峰剣の過ちを繰り返したくない。
――ルナベース検索、開始。
――対象、シーリアの佩剣。
「……へぇ、ソード・オブ・メンタルアタックか。面白いのを選んだな」
「なっ!?」
「斬りつけた相手が生命体なら、精神にダメージを与え、殺すことなく気絶させる不殺の剣……か。あれ? シーリア、これひょっとして……」
「ど、どうしてだ! 私は鞘から抜いてもいない。鞘自体はありふれたものだ。見分けることなどできるわけがない」
む、ちょっと気になったことがあったのに。
まあいいか。ついでに、検索についても明かしておこう。
「実は俺の聖鍵には、アースフィアに存在するすべてのものを、リアルタイムに調査することが出来る機能があるんだ」
「へぇーっ! なにそれ、すごい! あたしもやってみたい!」
「残念ながら、聖鍵を使えるのは俺だけだよ」
「やっぱりお兄ちゃん、ずるいよ~」
口を尖らせるディーラちゃん。
ちろちろとブレスの火が出てて、ライターみたいだ。
「その力を使えば、どんなことでも調べられるのですか?」
「うん。一部無理なものもあるけど、ほとんど調べられないことはないね。例えば、リオミが今何を考えているのか……とかも、その気になれば読めるよ」
「ええっ!? や、やめてください……! 私の心は読まないでくださいね!」
赤面して身を縮こまらせるリオミ。
ごめんよ、もう前にやっちゃったんだ。
「……そうか。その力を使えば、敵の動きを先読みできる。経験の条件が同じだったのに私の剣が通じなかったのも、そういうことか……」
ぶつぶつと過去の戦を分析するシーリア。
彼女は、どんなことも戦いに繋げるんだなぁ。
「…………」
ん?
一番食いついてきそうなディーラちゃんが、黙っている。
「どうしたんだ?」
「……お兄ちゃん、あたしの心も読めるの?」
「ん、できるけど……いつもやってるわけじゃないよ? 他人の心や感情に振り回されてしまうから、よほど必要に駆られない限りは使わない」
「……そっか。できれば、あたしにもその力、使わないでほしいな」
ディーラちゃんの瞳が揺れている。
何か言えないことでもあるのだろうか。まあ、心を読まれて不安に思わないわけないか。
「わかった。ディーラちゃんが嘘ついたり、悪いことしない限りは使わないって約束するよ」
「……うん。頑張って守る」
力なく笑う少女。
かつては魔王に支配され、暴虐の限りを尽くした竜の娘。今は明るく振舞っているけど、彼女の心には深い傷があるに違いない。
マインドリサーチだと深層心理までは読めないけど……そんなの、ディーラちゃんにとっては関係ないだろう。見られたくない自分は、誰にでもある。
朝食を終えた後は、自由時間になる。
マザーシップツアーを再開してもいいのだが……。
「なあ、みんなちょっと聞いてくれ。実はちょっとアースフィアを旅してみたいと思うんだ」
「旅、ですか? そういえば、前にもおっしゃってましたね」
ちょっと苦笑いをするリオミ。まあ、あのときのことはね。
「別にあのとき言ったことは、建前ってわけでもないんだよ」
俺はアースフィアについて、なんでも調べることができる。でもそれは、ルナベース越しの0と1のデータの羅列が変換されたものに過ぎない。
俺はアースフィアの生の空気を、まだほとんど味わっちゃいないのだ。
「魔王がいなくなったアースフィアを、歩いてみたいんだ。ほんとに特になんの目的もない、ただの散策になると思う。
ひょっとしたら退屈かもしれないけど、何人か付き合ってくれないか?」
「そういうことでしたら、お伴します」
「同じく。私の目的は、お前の側に侍ることなのだからな」
そういう言い方すると、またリオミが怒り出すんでやめてください。
ほら、頬が膨らんでる。言わんこっちゃない。
「あたしは……」
「ディーラちゃんは、ラディちゃんの側にいてあげてくれないか?」
ディーラちゃんが守ろうとしている『お姉ちゃん』。
彼女は、今も眠り続けている。
ディーラちゃんは不思議そうに俺を見つめていたが、
「うん!」
と、力強く頷いた。
俺達はロードニア王都へ跳ぶ。スタート地点は、ここからだ。
「ここからしばらくは転移なし、昼休憩もアースフィアで。
寝るときだけはマザーシップに戻って、また朝を食べた後は同じ地点から再開。そういうルールでいいかな?」
「はい、わたしはそれでいいですよ」
「委細承知した」
俺は空間からディスプレイシートを取り出した。地球のタブレット端末を紙のように薄くしたものだ。
「それは?」
「GPSっていう装置で自分の居場所がわかるんだ。俺だけなら聖鍵で事足りるけど、ふたりに説明するには見てもらったほうが早い」
「これ、今映っているのって、アースフィアの地図ですか……!?」
「しかも触ると、こうやって動かせる」
「すごいな。これほど正確なものは見たことがない」
「さらに聖鍵で遠隔操作もできるのだ! これでパケ代3880円!」
「パケ……ですか?」
しまった、流石に通じなかった。
通信インフラは発達してないんだな。月額使用料の概念もなさそうだ。
「あと、二人にはこれを渡しておく」
俺が用意したのは、ずばりスマートフォンだ。聖鍵を基地局代わりにして通話ができる。
時空オンライン接続設定はせず、機能を通話だけに絞った。まあ、メールのできないガラケーと変わらない。少しずつ慣れてもらい、機能を解放した方がいいだろうという俺なりの配慮だ。
「すごいです。魔法を使わず離れた場所同士で連絡が取れるなんて」
「別行動での連携がしやすくなるな」
「そういうこと。これで落ち合う場所を決めなくても集合できるし、なにかと便利だよ」
そして、二人にはあえて説明しなかったが、端末を通して彼女たちに聖鍵の効果を及ぼすことも出来る。
別に彼女たちのプライベートを暴きたいわけではなく、今どこにいるかわかったり、緊急転移で危機にある彼女たちを避難させたり、彼女たちの目を通して遠見もできるのだ。
聖鍵をいちいち起動したり、彼女たちの居場所を検索したりする手間を省けるのが最大の利点である。
この機能を悪用して、エッチな事をしようとしているのではないか?
そんな風に言う輩もいるかもしれない。
あらぬ疑いをかけられてはたまらないので、ここで宣言しておく。
できるけど見ない、やらない、触らない! それが紳士というものだ。
そもそも聖鍵を持ってる時点で他人のプライベートなど、いつでも覗ける。
他者を尊重する気概なくしては、聖鍵を持つ資格などない。
例えば寝ている友達の女の子に、エッチないたずらをしたとする。
自分を友達だと言ってくれる彼女に、明日からも友達として接することができるか。
少なくとも、俺には無理だ。
俺は、彼女たちとひとりの人間として、ちゃんと向き合って行きたい。
そうでなければ、彼女たちの隣に立っている自分を許せなくなってしまう。
そう。俺は彼女たちに敬意を表しているのだ!
…………。
…………。
…………。
…………。
ふむ……今日は二人共、白か。
諸君。
オートリサーチは事故だ。
そうは思わんかね?




