Vol.39
自分に巨大な影を落とすモニュメントを見上げる。
聖鍵領、西の要塞塔。
ゴーディス地下帝国からの守りとして設営した地上要塞だ。
ここに訪れるのは、いつぶりか。
地下帝国が事実上壊滅し、研究施設として再開発された要塞塔。
ゲームが終了し、要塞の主人たるチグリが帰還したことで再稼働している。
「陛下ぁ、こっちのテレポーターですぅ!」
今回はその視察に来ている。
なんでも、チグリが俺にだけ見せたいものがあるとか……。
「ああ、今行くよ」
俺とチグリはテレポーターをくぐり、兵器工廠施設へと移動する。
長い廊下をテレポーターを乗り継いでいく。
……それにしても、長い。
何もない廊下を、ひたすらに歩き続けている。
「まだ、かかるのか?」
「もうちょっとですよぅ。我慢してくださいね。一足飛びに行けないようにしないと、また叛乱が起きたりしたとき大変ですからぁ」
身から出た錆、ってわけか。
テレポーターとテレポーターの間のディメンジョン・セキュリティを通り抜けるには、徒歩で移動するしかない。
叛乱が起きたとき、この要塞を抑えられるとペズンからしか兵器を取り出せなくなるしな。
まあ……その叛乱からも、既に2週間が経っている。
あれからというもの、大きなトラブルはない。
アースフィアは至って平穏だ。
そもそも、叛乱事件でざわついていたのは、俺達ぐらいなものだ。
俺自身も順調だった。
並列思考がないから、極端なストレスに晒されることはなくなった。
央虚界ブート・キャンプも習慣付いて、欲求発散できている。
仕事もこなしているのに、疲れが溜まらない。
技術に頼っているわけではない。
フェイティスに教えてもらった生活習慣改善を実践している。
それだけで、体がどんどん軽くなっていく。
他のみんなもだ。
例えばリオミは普通の王族が経験できないであろう子育てライフを満喫している。
アキオミの世話には四苦八苦しているが、それでも幸せそうだ。
シーリアは両親と過ごす時間が長くなった。
最近はあまり会っていないけど、電話すると楽しそうな声が返ってくる。
今は両親との時間を取り戻すほうがいいだろう。
ラディとディーラちゃんは、なんと異星人退治に戻ってしまった。
どうやら、余程あの遊びが気に入ったらしい。
人類解放まで頑張るつもりのようだ。
ヒルデは現在、里帰り中である。
エーデルベルト王国内でトラン商会と手を組んで、新しいビジネスを始めるつもりらしい。
アナザーリオミはオクヒュカートと一緒に、後宮で暮らし始めた。
だが、好奇心旺盛なアナザーリオミはアースフィアを冒険したいと言い出している。
近々、オクヒュカートを引っ張り回して出かけそうだ。
すべてがうまくいっている。
それでも。
いや、だからこそなのか。
「俺は、これでいいんだろうか……」
そんな贅沢な不安が胸中にわだかまっているのだ。
「ひゃ? ど、どうしたんですかぁ? 急に……」
並んで歩いていたチグリが、驚いて顔をあげた。
考えが口に出てしまっていたか。
「あ、いや。ごめん……なんでもない」
「陛下ぁ~……暗いですぅ!」
チグリが、ポカポカと俺の背中を叩いてくる。
昔の彼女なら、こんな積極的なスキンシップは取ってこなかっただろう。
どっちがいい悪いで言えば、きっといいのだろうが。
「嫌なことは、ヒュプノウェーブで忘れるに限りますよぅ?」
「それはちょっと……」
忘れれば楽にはなれる。
だけどそれじゃ、また同じことを繰り返すだけだ。
「う~ん、わたしはそうしてるんですけどぉ……」
「…………」
結局チグリはライアーゲームの一件を忘れることで、真実を回避。
罪悪感を逃れた。
今後、彼女がしてしまったことはゲームの中の出来事として記憶され続けるだろう。
「それも知恵……なんだろうけどな」
誰もが真実に目を向けて生きられるほど、強くはない。
弱い人間は真実から目を背けることで、偽りの安寧を得る。
心安らかに生きていくには、そんな知恵も必要となるのかもしれない。
でも、俺はもう、弱いままでいたくない。
強い心を手に入れて、振るう力に相応しい人間になりたい。
苦しいことも全部バネにして、成長できるようになりたい。
何をしていても、何もしなくても、決して逃れることのできない不安。
こればっかりは、自信をつけて克服する他ない。
「つきましたぁ」
「お?」
辿り着いた場所は、中枢ルームによく似たドーム状の部屋だった。
しかし、中央には中枢システムの代わりに台座が設置されているのみ。
そして、そこには。
「……まさか」
俺は思わず台座に駆け寄って、それを観察した。
形は剣。
しかし、刃はない。
形状は刃に相当する部分はメタリックカラー。
ところどころに細長い溝があり、溝によって色が違う。
俺は、こいつを……何度となく見たことがある。
だけど、ここにはないはずのもの。
「びっくりしましたか、陛下ぁ?」
チグリが追いついてきて、後ろから抱きついてきた。
普段なら胸がドキドキするふたつの感触も、今はまったく気にならない。
「びっくりも何も、チグリ、これって……」
「はい。聖鍵ですぅ」
「…………」
チグリのあっけらかんとした返事に、俺は絶句するしかなかった。
確かにここにあるのは、聖鍵だ。
だけど、俺が持っていた聖鍵はオリジンが持ち去り、もう1本のメシアスに安置されていた聖鍵も失われているはず。
なら……。
「まさかとは思うけど、聖鍵を創っちゃったのか?」
「まっさか! そんなことできませんよぅ」
「そうだよな。聖鍵はペズンを使ったコピーはできないはずだし……」
「でも、誰も使っていない聖鍵を借りることはできますぅ!」
じゃじゃーん! と効果音が出そうなポーズで万歳し、チグリは自分の研究自慢を始めた。
この子、ベニーに似てきたな……。
「これは、オリジン陛下が最初の三好明彦に送ったメシアスの聖鍵ですぅ」
「どういうことか、説明してもらえる?」
「えっとぉ、ですね。やったことは陛下のグラナド無限増殖の応用ですぅ」
グラナド無限増殖。
央虚界攻略のためにオリジン化しつつあった俺の暴挙。
各並行世界に鎮座しているグラナドの創られた理由そのものをねじ曲げ、同時に存在させるという危険極まりない反則技。
「でも、あれは因果律の逆転があったからできたことだろ。オリジンごと消えたグラナドがないと、そもそも……」
「今のグラディアならできるんですぅ。ブラックボックスも一部解析して、ライアー陛下のリゼダとかにも取り入れてますしぃ」
……そういえば、あいつのモナドギア……そんなことやってたな。
バージョンアップでグラディアでも、できるようになってたか。
「じゃあ、これは最初の三好明彦が使い終わって用済みになった聖鍵?」
「いいえぇ。それだと他の並行世界に飛んでいっちゃいますし。聖鍵の存在理由をいじることはできませんからね」
「じゃあ、どうやって?」
「えへへ、最初の三好明彦の手に渡る前の一瞬だけを借りることにしましたぁ」
チグリの説明はこうだ。
まず、オリジンがメシアスの聖鍵を最初の三好明彦に送る。
本来、即座に最初の三好明彦の手に渡る聖鍵を、送られる一瞬の間だけこの世界に留まるよう調整する。
俺が死ぬと同時に再度、最初の三好明彦に聖鍵が返却される。
つまり聖鍵を刹那の間だけ、死ぬまで借りる。
だから、何の問題もないのだそうだが。
「陛下、嬉しくないんですか?」
チグリが聖鍵の刺さっている台座の隣に立ち、小首を傾げる。
「…………」
俺は答えられない。
聖鍵。
これを見ると、複雑な気分になるからだ。
聖鍵に使われていた自分を思い出してしまう。
使いこなせない自分を意識してしまう。
オリジンに全てを任せてしまった自分が、一度は手放したもの。
「……チグリ」
俺は問いかける。
「俺にはまだ、聖鍵が必要だと思うか?」
「はいぃ。陛下と聖鍵は切っても切れないものだと思いますぅ!」
少女は答える。
俺は再度問う。
「俺にはもう魔鍵がある。聖鍵がなくても、できないことなんてほとんどない。それでもか?」
「量産鍵じゃできないことだってありますぅ。例えば、死んじゃったロリコン陛下を蘇らせたり……」
「――チグリ」
「ひっ」
チグリが怯え、後退る。
「俺は、死んだ者を生き返らせるつもりはない」
俺の宣言は、高らかに響き渡った。
チグリが黙り込んだことで、部屋には静寂が訪れる。
沈黙を破ったのは、チグリではなく。
「……甘い」
俺の声だった。
「そんなことでは、ダークスには勝てない」
しかし、自分の口からではない。
背後から聞こえてきている。
どうして? いや、そんな。
戦慄が背筋を駆け上り、後頭部のあたりが強烈な熱を持ち始めた。
生物的な本能が、逃亡を選択せよと警鐘を鳴らしている。
現実を受け入れるのが怖くて、振り返ることができない。
俺の前に立つチグリは驚くことなく、膝をつき、頭を垂れ、恭順を示していた。
「……オリ、ジン……なのか」
かろうじて、発音できた。
「怯えることはない。俺はお前に逆らうことはできないのだから」
冷徹な機械のように、そいつは俺の正面に転移した。
聖鍵の台座を挟んだ位置に、静かな眼差しをたたえながら。
かつて俺が会話したオリジンは、絆を持っていた。
人間らしさもあった。
だが、目の前にいる三好明彦は……。
まず顔には、一切の表情がない。
呼吸をしているのかさえ怪しいほど、体は微動だにしない。
それでいながら絶対的な存在感を放っており。
対峙する者に生命としての格の違いを嫌でも意識させる。
――神。
俺の眼前に顕現したのは、自分の姿をした神だった。
「無事に、クローンの叛乱を切り抜けたようだな」
だが、オリジンが言葉を発した瞬間、俺の中の時間が動き出した。
「お前のお膳立てのおかげだよ、オリジン」
頭の中がクリアーになって、言うべき言葉が見つかっていく。
不思議な感覚だった。
「万が一にもお前以外の誰かに支配されるわけにはいかなかった。本来であれば、ライアーも殺しておくのが最良だったが、お前がオリジナルであることを受け入れたのなら、問題はないだろう」
「お前……知ってたのか?」
「いいや。チグリから聞いた」
オリジンは結局、自分がオリジナルだと思い込んだまま動いていたのか。
だが、そのことにショックを受けているようには見えない。
「殺戮王は、死んだぞ」
「そうか」
彼についても、それだけだった。
そもそも動くような感情が、もうないのだ。
「聖鍵を手に取れ、アキヒコ」
そして、唐突に話題を変えてくる。
「今回の攻撃を何とか凌ぐことができたのは聖鍵があったおかげだ。今後も必ず必要になる」
「……聖鍵のことをチグリに入れ知恵したのも、お前か」
「そうだ。だが、そんなことはどうでもいい」
オリジンは自分の目的以外のすべてを切って捨てる。
それが言葉であっても、同じだった。
「約5兆の並列思考。そもそも、その中に俺……救世主が混ざっていたことが有り得ないことだ……わかるか」
両手を広げるオリジン。
まるでそれは、宇宙すべてを包み込むように。
「使徒オルフェンが《 存在否定方程式 》で救世主を消し去ろうとしていたのは、お前も同期で知っているだろう」
「……オルフェン? なんでそいつの話が今出てくる?」
「パトリアーチの多次元迷宮封印によって可能性が特定されなかったからこそ、これまで俺たちは生きてこれた。ループがなくなったことによって、特定できるようになった……とベニーは説明したようだが、事実はまったくの逆だ」
「逆だと?」
「俺達……ループ経験を積んだ三好明彦と救世主をかき集めたのは、コームダインという名の使徒だ」
コームダイン。
その名は、どこかで……。
確か、ベニーが言っていた「名前だけが観測されている使徒」だったはず。
「使徒コームダイン……今回の一連の事件はすべて、ヤツの運命干渉によるものだと判明した」
「ふざけるな。今回のことは、あくまで俺の心の弱さが招いた失態だ……!」
「弱くなるように作り変えられていたのだ。お前の中に……救世主概念が転生するようにな」
「……信じられるか、そんなもの」
「コームダインはオルフェンの指示で動いていた。そして、計画通りオルフェンはループが終了したことを確認した後、満を持して俺を消し去りにかかった」
「だけど、聖鍵がそれを跳ね返した……」
「何故そんなことが起きたのか、原因はわからん。パトリアーチもベニーも聖鍵にそんな機能はないの一点張りだ」
オリジンは台座の聖鍵を眺めながら呟いた。
「だが、聖鍵には俺たちも知らない何がしかの可能性があるに違いない」
彼は台座に近づき、聖鍵を手に取った。
そして、俺に向かって歩いてくる。
俺は……動けない。
蛇に睨まれた蛙のように、オリジンから目を離せない。
彼は聖鍵を俺に向かって突き出す。
「お前は今後も聖鍵を使え。手放すことがあってはならない。オルフェンが滅びたとしても、使徒の攻撃が止むことはない」
差し出された聖鍵。
宇宙を創世する為に根源より生み出された力の源。
俺は、その聖鍵を……。




