Vol.32 King of Slaughter Side
少しだけ、昔話をさせてもらおう。
俺が聖鍵を失ったのは、カドニアを火の海に変えてから、そう間を置かずの出来事だった。
聖鍵に見放された……当時はそう考えて、絶望した。
俺に残されたのはアースフィア各地に点在する基地や兵器、そして衛星軌道上にあるマザーシップだけだった。
力が欲しかった。どんな敵であろうと、問答無用で殺せる力が。
リプラやヤムを守れなかった自分を変えなくてはならないと。
聖鍵なしで戦えるようになるために、あらゆる手を尽くした。
体をサイボーグタイプの全身義体へ換装したのも、その一環だった。
義体化すれば、人間の体を捨て去る代わりに絶大なパワーと耐久力を得られる。
なにより、義体だと直接バトルアライメントチップを挿入できる。バトルアライメントチップは本来なら聖鍵に挿入する装備であり、聖鍵を失うことで使えなくなっていたから、この点は重要だった。
義体換装後、俺は少し悩んだ。
剣聖アラムをそのまま使っても良かったが、剣は義体のパワーを活かしきれないと思ったからだ。
新たに選択したバトルアライメント・チップは『李書文』。
どんな相手であろうと一撃必殺……二の打ちいらずと称された、中国八極拳の使い手である。
何故、地球の使い手のチップが存在するのか……当時は見当もつかなかった。アースフィアで日本語が通用することから、地球となんらかの形で繋がりがあるのかと思っていた。
おそらく実際はパトリアーチが量子仮想宇宙で地球の歴史を再現し、そこからデータを取得したのだろう。
そうでもしなくては惑星アルテアのような地球のコピーを用意できない。
だが、李書文のデータだけではサイボーグでの戦闘に不足を感じた。
ターンパイルや空気砲弾など、サイボーグの義体にはさまざまな固定武装がある。
これらを生かさねば、八極拳を使うサイボーグどまりだ。往時の三好明彦なら夜良しとしたかもしれないが、力を求める俺は妥協しなかった。
いくつものアレンジを加えつつ、自分の体に李書文の型を覚えこませ、チップなしでも李書文の戦闘技術とサイボーグ独自の機能を使いこなせるようになった。
だから、今の俺の戦い方は李書文を師としたオリジナル、自分自身で編み出したものだ。
装備におんぶだっこせず、努力し、研鑽し、修得した……それが殺戮のための力であっても、自分の力だと誇れる。
幸い、並列思考は記憶がなくても経験として体が覚えている。
だから、この世界でも義体と白兵戦闘技術を取り戻すことができた。
俺は常に先手必勝、見敵必殺を信条としている。
その精神は能力にも現れている。
だがブラッドフラット相手だと、どこまでも調子を狂わされる。
「攻め落とすんじゃ、なかったのかい?」
あの男の嘲弄が、俺の焦りを加速させる。
「クッ……」
……攻めないのではない。
攻められなかった。
俺の目の前には、信じがたい光景が展開されている。
一言でいうなら光の結界。まるで蜘蛛の巣のように複雑に交錯する光の線が数多の軌跡を描いている。
滞空している無数のリフレクタードローンが、ディスインテグレイターの光線を反射し合い、行く手を防いでいるのだ。
「チグリに発注して、ドローンを改造してもらったのさ。ターゲットに反射するだけじゃなく、ドローン同士で光線をやりとりするようにな。もちろん……」
唐突に俺の左肩のあたりで光が弾ける。
「ぐっ……」
「ランダムでターゲットにも反射する」
ドローンに発射された光線の反射される方向がターゲットを含め乱数によって決定されるということは、反射される方向はまったく予想ができないということである。
つまりリフレクタードローンが光った瞬間に回避防御する、というこれまでの戦法が通用しない。
無論、対策は練ろうとした。
まずは空気砲弾でリフレクタードローンを撃墜した。だが、奴の黒衣の中からすぐにリフレクタードローンが追加され、キリがなかった。
次にルナベースの演算能力を使ってこちらに反射する確率が低いか高いかを計算し、100%に近い予測を弾き出した。演算データを俺の電脳にフィードバックし、事態の打開を試みる。
最初のうちは回避できていた。だが、先の被弾を受けたように予想が尽く覆されるようになってきたのだ。
「やはり、これは……確率変動の能力……貴様の能力か!」
頭部だけは何とか両手で守りながら、声を大にして叫ぶ。
ルナベースの確率計算は正確だった。闇の帳に通信妨害効果はなく、非活性ダークスが散布されている形跡もない。
これでは分析精査によって完全な予測……確定した未来を作り出すルナベースの演算が、予測変動をもたらす波動のようなもので妨害されているとしか考えられない。
「ご名答。だけど、俺の能力じゃない。《 明後日はわからない 》は、諦観のアーネの能力だ」
「……?」
ブラッドフラットは聞いたこともないような名前を口にした。
クローンのコードネームか……?
しかし、この状況。やはり純戦闘能力だけで突破するのは無理か。
仕方がない。量産鍵で気圧を変化させて……。
「そして、楽観のマティの《 明日は明日の風が吹く 》。闇の帳の中でそよ風を操る程度だけど、気圧の変動を無効化するっていう副産物があってね。量産鍵で気圧を操作し、突風でリフレクタードローンを吹き飛ばすことはできないよ」
「……!」
尽く、俺の打とうとする手が潰される。
そんな俺を嘲笑うように、ブラッドフラットはディスインテグレイターを撃ち続ける。
裸婦像は既に大半が消滅し、石畳もところどころクレーター状の穴ができている。
隠れる場所もなく、八方塞がりの状況だった。
……ブラッドフラット。
その戦闘センスには関心するばかりだ。
一体、どんな前世を生き抜いてきたんだ……?
「お前……並列思考だった時は何をしていた」
戦いの真っ最中だというのに、敵のルーツを知りたいと思ったのは初めてだった。
そもそも、こんな長期戦を強いられる事自体が稀なのだ。
「俺? 俺は『俺』だったよ? シーリアと戦ったり、サンドワーム消し飛ばしたり。まあ、戦いは大抵『俺』の役目だったしね」
ブラッドフラットは軽口を飛ばしながらも、決して隙を見せない。
現に俺はディスインテグレイターの被弾を続けており、いつ原子分解されてもおかしくない状態だ。
だが……そうか、こいつ。
バトルアライメントチップの扱いに長けていた三好明彦か。
「言っておくけど、今の俺はチップを使ってないぜ? 身体能力強化だけだ。いろんなチップを試していろいろ思い出したけど、やっぱり剣よりこの戦い方がしっくり来る」
ディスインテグレイターの二丁拳銃に、蹴術の組み合わせ。
原子分解光線で回避コースを封じ、蹴りで物理的に相手を倒す。
無論、光線を回避できない相手や、原子分解への抵抗ができない者は敵になりえない。
「チップを使ってる間の動き方さえ体に覚えこませれば、見よう見まねでできないこともない。前世の俺はそうやって反復練習を繰り返して、チップを使わずに戦う術を身につけたんだよ。今の戦い方は、ビリー・ザ・キッドにムエタイの足技とか、カポエラを合体させたやつだ」
俺が李書文の戦闘データをトレースするように修行したのと同様、この男もバトルアライメントチップを使って自分自身の力を引き上げたのか。
道理で妙なシンパシーを感じるわけだ……奇しくも、目の前の男はロストアフターを自身の研鑽に費やしていたのだ。
「何故、そんなことをした?」
「さあ? 多分趣味」
決定的に違うのは、動機。
俺は我執、奴は娯楽。
なら、俺が負けるわけにはいかない。
「いいや、今のお前じゃ無理だね」
……何?
こいつ、今……。
「お前は明らかに手加減して戦っている。量産鍵も使わずに、手抜きをしている。そいつを使えばこの程度のギミックを突破する方法はいくらでもあるだろう? それとも、そんなことにも気づかないぐらい、なまっちまったのか? 約束とやらが、そんなに大切かい? 前に同期したときのお前は、もっと抜身のナイフのように鋭かったぞ」
俺の考えを読んでいる? マインドリサーチか? いや、精神遮蔽の指輪は装備している!
「お前の考えがわかるのは、廃王女フライムの《マインドハッキング》だ。そいつを《テレパシー》の魔法で直接伝えてもらっている。クラッキングと同様、こいつに精神遮蔽は効かない」
……ようやく、電脳記憶野のキーワードにヒットする名前が出てきた。
その名は……彼女の……。
「そうだ。フランのことだよ」
その名を聞いた途端、俺の中に弾けるものがあった。
抑えていた何かを呼び起こされる感覚……そう、これは初めて俺が使徒になったときと同じ感覚ではないか。
「紹介しよう。俺の相方の……フラビリスだ」
黒衣がゆらめく。
白い影がゆらりと現れた。
「……ご無沙汰ね、殺戮王……いいえ、聖鍵の勇者」
「おまえ……」
再会を揶揄するような言葉を投げかけてきた女性は白い外套を身にまとい、顔の左半分を仮面で覆っていた。
思い出す。
ああ、その姿は忘れない。
フランの姿を認めた瞬間、俺の中に記憶が復元された。
俺はフランを追い詰め、いざ殺そうというタイミングで聖鍵が消えた。
聖鍵を失った俺は棒立ちのまま、フランのエストックに胸を貫かれ……。
それ以来、ついに発見できなかった女が……今、目の前にいる。
何も聞こえない。
隣で何かをしゃべっているブラッドフラットのセリフもわからない。
約束……何かあった気がするが、そんなものは過去の記憶の復元とともに、蘇った憎悪と殺意とで塗りつぶされた。
殺すしか、ない。
「《 くたばれ、フラン 》!!」
「《 させるか、スローター 》」
俺の背中から出現した赤黒い暗殺者はフランの首を撥ねる、はずだった。
だが、暗殺者はフランの眼前に到達した途端、泡沫の夢の如く溶け消えた。
「な……ッ!?」
次の瞬間、憎悪に支配されかけていた心に冷水をぶっかけられた。
一気に頭の中が冷える。
「《 フラットフラット 》……闇の帳の中で発揮された能力を抑制する。俺の唯一の能力だ」
「なんだと……!? ならば、何故……」
確率変動も、そよ風も。
奴が宣言した能力はすべて発動したままだ。
「《 玉虫色の仮面 》……フラビリスの能力は、自分の中にある潜在人格の能力をすべて引き出すというものだよ。俺が《フラットフラット》で封じる能力は、1人の中に複数の人格がいる場合は1人分だけ。だから……能力戦で俺たちコンビに勝てる奴はいない」
「つまり、先ほどからの能力は……」
「そ。全部フランの潜在人格の能力さ」
ブラッドフラットは優雅に一礼する。
「改めて、紹介しよう。彼女はキミのいた並行世界のフラン……造物主の使徒だ」
聞き逃せないキーワードが同時に2つ出てきたことで、俺の頭は再び沸騰寸前にまで加熱された。
右手のあたりに光が当たったことも気にならない。
「キミの魔手から逃れることを望み、その願いを造物主が拾った。彼女に渡されていた闇の転移術法の指輪が瘴気を集め、造物主の霊を召喚したんだ……あとは、わかるだろう?」
あのときのフランが、使徒……フラビリスになっていた。
しかも、今回の世界のフランの人格のひとつに擬態……潜んでいたというのか。
「貴様……何故、使徒だとわかっていて……フラビリスに協力する!?」
「惚れたから。理由はそれだけだ。ちなみに俺、前世ではフランと接点ないよ。何も思い出さなかったからね」
ブラッドフラットは、笑っていた。
どこまでも純粋な少年のような笑みだった。
フラビリスも仮面の下で薄ら笑いを浮かべている。
こちらも、穢れを知らぬ少女のような微笑みだった。
「これでようやく願いが叶うわ。背徳都市ヴェニッカは永遠を与えられ、消え去る。この世界からだけではなく、あらゆる並行世界の可能性から消滅するのよ」
「住民が消えているのは、この宇宙から背徳都市の存在が消されかかっている為か……?」
「そのために三好明彦という特異点をこれだけ集めたんだ。あとは闇の帳を次元圧縮してしまえば、全次元から背徳都市ヴェニッカが消える」
俺の脳裏をかすめた予想を、ブラッドフラットははっきりと肯定した。
使徒フラビリスは、この男を利用しているだけだろう。
そして、この男はそれを理解した上で協力している。
虫唾の走る関係だ……。
「そんなことをしても、どこかの都市がヴェニッカの代わりを引き継ぐだけだ……フランの運命は何も変わらんぞ……」
「百も承知よ。それでも、わたしはこの街を自分の記憶の中から消し去りたいの」
もはや、一刻の猶予もない。
俺は半ば反射的に量産鍵を取り出す。
「手癖のエステル。《 ピックポケット・オブ・ラマン 》発動」
が、フラビリスが何事かを呟いた次の瞬間……俺の手の中から量産鍵は消え、彼女の手に納まった。
「はい、フラット。これ」
「ほい、あんがとさん」
そして、ブラッドフラットの手に渡された。
いつの間にかブラッドフラットの右手からディスインテグレイターが消えており、代わりに俺の量産鍵が納まる。
……最初から、コレが狙いか。
「チェックメイト。これで、詰みだ」
「……どうかな」
……実に、ありがたい。
抜いたはいいものの、この後どうしようと思っていたんだ。
「どういう意味……?」
フラビリスが怪訝に眉を寄せる。
ああ、そうか。
フライム王女の《マインドハッキング》で心が読めるんだったな。
「お前たちがアルテア星系に派遣されて能力のスペシャリストになることは、俺も予想していた」
「へぇ、それで?」
勝利を確信しているせいか、フラビリスは微笑みを湛えながら首を傾げる。
「純粋な白兵戦で制圧できなければ、《オーソーン・キルダイヤル》もやむなしと考えていた」
「そうさ。それが俺たちの本性だ。自分が安全な間ぐらいしか、舐めプはしないものだ」
「もしそれでも駄目そうなら命乞いをして、リプラとヤムのところに逃げ帰るつもりだった。量産鍵を手土産に」
「残念だったな。もう俺の手の中に献上品がある以上、お前は彼女たちのところに帰れない」
残酷に宣言しながら、ブラッドフラットはリフレクタードローンに向けてディスインテグレイターを追加する。
周囲を光の結界に守られながら、安全地帯からなぶり殺すつもりなのだろう。
今も尚降り注ぐ輝きにも構わず、俺は言う。
「そして、俺の量産鍵に触ったな? 俺以外の誰かであるお前が」
「……! フラット、今すぐ量産鍵を捨て――」
フラビリスが叫ぶが、もう遅い。
発動条件は満たした。
俺は電脳から指令コマンドを送る。
量産鍵に装備された、あるものに向けて。
「ぐおおあああああああああああッ!!?」
ブラッドフラットが全身を痙攣させながら、両膝をついて泡を吹き始める。
「フ、フラット……!?」
突然の事態に、フラビリスは狼狽しながらも咄嗟にブラッドフラットから離れた。
警戒してのことだろう。巻き添えを食らうことを恐れて、触れようとしない。
薄情だが、それは正解だ。やがてブラッドフラットの痙攣が止まり、全身から煙が立ち上る。
「トラップ、だと……ばかな……」
苦しげに呻くブラッドフラットが、量産鍵を取り落とした。
それでも気絶しないあたり、さすがというしかない。
俺はリフレクタードローンから反射される光線を防御することに専念しながら、その姿を見届ける。
「どうして……《ライトニング》の魔法なら絶対魔法防御オプションがあるし、能力なら俺の《フラットフラット》を抜けられないはずなのに……」
「そいつは能力でも魔法でもない。俺が仕掛けておいた、ただのバトルアライメントチップさ」
「チップ、だと……」
「そうさ……ただし、『李書文』『キング・オブ・アーサー』『シモ・ヘイヘ』『エーリッヒ・ハルトマン』……複数のデータをミックスし、意図的にメモリーリークを起こすようにしたバグチップだ。俺の電脳から信号を受信したら、当然ショートする……量産鍵には電流が流れやすいようにしておいたが、仕掛けはそれだけだ」
リフレクタードローンが反射していた最後の一発が、俺の胸のあたりに吸い込まれた。
……これで、終わりだな。
「お前、俺が最初から量産鍵を奪うことを予想していたのか……?」
「いいや。そいつは多分使うこともないだろうとタカを括っていた。というか、今さっきまで忘れていたよ」
「道理で……《マインドハッキング》でも、わからないわけだ……」
「三好明彦からペテンをとったら何が残る?」
どんな魔法や能力、そしてメシアスの技術力があっても。
俺達の本質は変わらない。
ライアーなど、俺の在り方を先鋭化させた存在に過ぎないのだから。
「お前は本当に強かった、ブラッドフラット。またそのうち、やり合おう」
それは心の底から湧き出てきた、忌憚のない賛辞だった。
苦しめてやろう、復讐してやろうなんて気持ちは、戦いの中で消え去っていた。
「いつから殺戮王からバトルマニアに鞍替えしたんだ……まったく」
そう呟いて、ブラッドフラットは意識を手放した。
膝立ちのまま、前のめりに崩れる。
「フラット……! ゆるせない……よくもフラットを……!」
ブラッドフラットを倒された怒りからか、フラビリスが泣きながら俺を睨んだ。
意外にも情が移っていたのだろうか。どうやら、本気で俺と戦うつもりらしい。
それなら……俺も拳で応えよう。
「フラビリス……苦痛は与えない。一撃で決めてやる」
俺はフラビリスの息の根を止めるべく、腰を落として呼吸を整える。
約束は守れなくなるが……この女は俺が前世から追い続けていたフラン本人なのだ。
因縁は断ち切らねばならない……。
ヴェニッカの中央広場は荒涼とした有り様で、既に原型を留めていない。
粉々に吹き飛んだ建物、原子分解されたオブジェ。
地面に至っては、隕石群でも降り注いだとしか思えない有り様だ。
闇の帳の中ではこの街特有の生臭い風が吹き抜けることなく、楽観のマティによるそよ風が頬を撫でるのみ。
俺とフラビリスの間には何の躊躇いもない。
互いの間にあるのは、相手に対する殺意だけだった。
だが、そのとき。
夕闇色に染まる空に、ひとりの女性の姿が映しだされた。
『どうか、皆さん。今すぐ武器を捨てて、戦いをやめてください!』
朗々と響き渡る、透き通るような美しい声に俺は心を奪われる。
彼女の名は、聖鍵王国第一王妃リオミ=ルド=ピースフィア。
『恨みもありましょう。許せぬこともあるでしょう。ですが、どうか今はわたしの願いを聞き入れてください』
彼女の声が聞こえてくる。
まったく同じ音、同じ言葉を、どこかで聞いた覚えがある気がする……。
その瞬間、俺の中で知覚できなかったはずの記憶が蘇ってきた。
瘴気が吹き荒れる中、俺は既に死にかけで。
俺の腕の中で、リオミもまた息絶える寸前だった。
「どうか……次に生まれてくるときは……」
彼女は涙を流しながらも、笑っている。
「わたしに、彼を止める言葉を……声を……力を……お与えください」
その言葉を最期に、彼女は静かに息絶えた。
……ああ、そうなのか。
俺を止める力を、欲したのか。
俺が信じなかったばっかりに。
キミを使徒にしたのは、キミ自身の願いか。
ループは順不同。使徒はダークスと同様、全並行世界で一個体しか存在しないというのに。
今期世界のリオミに使徒の力が宿るとは、どういう運命のイタズラだ。
……いや、これも救世主概念によってすべてが集められた、結果……か。
気づくと、闇の帳が晴れている。
夕闇に閉ざされていた背徳都市に太陽の光が燦燦と降り注ぎ、見上げれば青く広がる空はどこまでも続いていた。
喧騒が聞こえてくる。闇の帳が晴れたことで、次元圧縮とやらも阻止され……消えていた人々が戻ってきたのだろう。
同時に気づく。
俺の中に燃え上がっていたフラビリスへの戦意が、綺麗さっぱりなくなっていた。
フラビリスも戦いの構えを解いて、ブラッドフラットのもとに駆け寄っている。
滂沱の涙を流しながら、彼のコードネームを呼び続けていた。
「《フラットフラット》は闇の帳の中の能力を抑制する……リオミの声も効かないところだったか。なんとか、ギリギリ……」
前回の雪辱戦のつもりで挑んだというのに、まったく歯が立たなかった。
もう一度、一からクンフーを積み直すか……。
それにしても、さっきから頭の中がうるさい。
アラームが鳴っている。
視界には俺の義体に深刻な影響が出ていることを知らせる赤いメッセージが見える。
む……なんだ、この胸の空洞は……。
そうか、被弾したときに気付かなかっただけで……この部位は鏡面粒子が切れてたところに喰らったのか。
この分じゃ、人工心臓はとっくの昔になくなっていて。
電脳に回る分の人工血液も足りなってきている、か。
はは……このままじゃ死ぬなあ。
「ああ……ヤム。おとうさんは……」
予備の心臓を空間から取り出そうと腕を動かそうとして。
右手がもうないと気づくのに、3秒かかった。
どうするかと考えながら、ふと顔をあげると……。
そこに、ヤムとリプラがいた。
何故か彼女たちは半透明で、俺に笑いかけてくれていた。
そうだ……俺が守りたかったものは、そんな笑顔だったはず。
どうして、今までそんなことも忘れていたんだろう。
俺が殺戮王なんて呼ばれることを、彼女たちが望むわけがないのに。
「ごめんよ……ごめん。俺、こんな生き方しか選べなくて……」
悲しみを忘れるために敵を殺して。
自分の無力さを許せず力を求めて。
いつしかそれが手段ではなく目的になって。
赦してくれと、ただそれだけの言葉が言えなくて。
「なのに、赦してくれるのか……?」
リプラとヤムは静かに頷いて、俺に手を伸ばす。
残っていた左手で予備の人工心臓を取り出すことも考えなかった。
俺は彼女たちの手を取る。
いつの間にか俺はボロボロの義体を飛び出して、空を飛んでいた。
不思議なこともあるものだ。
「ありがとう……」
そう呟いた瞬間、自分が世界に広がっていくような幸福感に包まれていくのを感じた。
・《マインドハッキング》について
初出はオクヒュカートのセリフから(Episode05 Vol.03)。精神情報を深部まで探査可能な使徒の汎用能力のひとつ。戦闘中に読める情報はマインドリサーチとそう変わらないがATフィールド(ここでは心の壁のこと)のセキュリティホールを狙うため、精神遮蔽では防げない。本人の忘れていることまで読み取れないのが弱点。
正確には使徒フラビリスは聖女フランチェスカをベースとした存在であり、廃王女フライムは別途オリジナルの能力があったものと思われるが、詳細不明。
かつて殺戮王に使用された《マインドクラッキング》もディメンジョンマント内に潜んでいたフラビリスにより使用され、ブラッドフラットが仲介したものである。




