Vol.23
「じゃあ、飯にするかー」
確かに腹も減ってきた。
どちらにせよ、作戦指揮権を譲渡したのだから俺のやることは三食昼寝、そしてリオミの相手ぐらいだ。
あとは、なんとかベニーを説得して……クローン叛乱を納めるのに一役買ってもらおう。
それで、この愚かな戦争はおしまいになる。
この時の俺はなんだか気力が萎えてしまって、すっかり油断していた。
『何を終わった気になっている?』
だからか。
聞き覚えのある電子音声が耳に入ってきたのと、
「ダーク・ミヨシン――」
白い剣が俺の胸を貫いたのは、同時だった。
「かあぁ……ぁ……ッ!?」
傷つけられた内蔵が流血し、口の方へと血が逆流してくる。
赤い液体が俺の中から吐き出された。
「アキ、ヒコ……様……!?」
リオミの呆けたような声が聴こえる。
『……ほう、死なないか』
忘れていたのだ。
――彼らは、今までの敵と違うということを。
『白閃峰剣でパワードスーツごと心臓を貫いたのに……ようやくお前も、自分の体を弄ったか?』
いつの間にか、俺は天井を見上げている。
その身を床に横たえ、体中が熱くなるような強烈な痛みが自動投薬によってセーブされるのを感じる。
薄れる意識の中、防御貫通特性を持つアラムの魔剣を佩びたダーク・シーリアス卿が俺を見下ろしているのが見えた。
「イヤァッ、アキヒコ様――」
『おっと』
シーリアス卿の隣に立つダーク・ミヨシン卿が右手を掲げる。
「――んっ!?」
『キミの"声"は厄介だからな。少し、黙っていてくれ……』
リオミが苦しげに呻き、藻掻くように首を抑える。
ダーク・ミヨシンセットのサイコキネシスで口を塞がれたのだろう。
『大丈夫、これ以上は何もしない。お腹に子供がいるんだから、無茶はしないこと。オーケー?』
軽口めいた電子音声に、リオミはただ頷くしかない。
さっきまでいたベニーは、いつの間にか消えている……尻尾巻いて逃げたのか。
「き、さま……」
かろうじて、声が出た。
『いやぁ、悪いな。ココには話をしに来たのに、あんまりにも隙だらけだったんで……つい殺せるんじゃないかと思ってな』
「……ダーク……ミヨシンの、コピー……ボット、じゃないな…………ライアーか…………」
『おお、傷口が再生していくな! お前もいよいよ人間やめたんだねぇ』
俺の異能を眺めつつ、ダーク・ミヨシン……いや、ライアーがわざとらしく拍手する。
『三好明彦は、普通の弱い人間の状態のまま、聖鍵みたいな外部出力で最強の力を振るいたいって隠れ願望が強いからねぇ。なかなか義体化とかしないもんだが……一歩、抜け出たみたいだな?』
奴の言うとおり、胸の傷は人間なら致命傷だった。
だけど、今の俺は魔人。
この肉体には心臓が4つある。1つ潰されたぐらいなら、なんとか再生が可能だ。
だけど、状況は最悪。
俺はまだ床に転がっていて、ダーク・シーリアス卿……おそらくこちらはコピーボット……が、俺に白閃峰剣の切っ先を向けている。残る3つの心臓ぐらい、あっという間に瞬突される。
死ぬのか。
俺は、ここで殺されるのか。
混乱する思考と死の恐怖を他所に、口をついて出たのは最初の疑問だった。
「どうやって、ここに……」
『お前がいろいろやっているように、俺も……それに、ノブリスもいろいろ仕込んでいるのさ。隠し球を持ってるのは、何もお前だけじゃない』
ライアーは心底嬉しそうに、しかし無感情な電子音声を発しながら肩を竦めてみせる。
ダーク・ミヨシンの仮面も外していないので、表情も読み取れない。
次々に疑問が浮かんでくる。
ディメンジョン・セキュリティ下の環境で、どうやってこの部屋に入ってこれたのか。
不意打ちを成功させて一気に決めることもできるのに、それをしないのは何故か。
明らかに最適解から外れている行動をしているのに、ライアーはさも当然であるかのように笑っている。
『どうだ、初めてのダメージは?』
「何……?」
俺が悔しげに見上げているのが愉快なのか、無防備に顔を近づけてくる。
シュコーっというマスクからの排気が頬にあたるのが、とっても不快だ。
だけど、今は何もできない。
回復が完全じゃないし、リオミを人質にとられている。
リオミが今までにないぐらいに瞳を揺らして、俺達のやりとりを見ている。
彼女のスマートフォンはアラーム音を鳴らし続けている。お腹の赤ん坊に強烈なストレスがかかっていることを知らせているのだ。
『お前は今まで無傷でやってきた。大魔王化したザーダスですら、お前に傷ひとつつける事ができなかった。記念すべき初ダメージなんだよ』
「……何、言ってる……今まで戦ってきたのは、オリジンだろう。俺はアキヒコとして戦い始めて、まだそんなに経ってない」
俺は当たり前のことを言っただけなのに。
ライアーは不思議そうに首を傾げた。
「ふぅん……まあ、いいや。とにかく痛みとか、怒りとか……あるだろ。何か感想を言えよ』
「……痛い。すごく、痛い……」
そして、怖い。
死ぬのが。
リオミを奪われるのが。
みんなが殺されてしまうのが。
それでも取り乱していないのは精神安定の投薬もあるが、それ以上に自分が死ぬ事に実感がないからだ。
今もこうして、冷静に状況を分析できている。
『月並みだなぁ。まあ……実際に感じる痛みは抑えられちまってるしな。でも……これからの戦いでは必要になるだろうし、せいぜいもっと体のスペックを高めておけよ』
「……こんな戦い、すぐに終わるぞ……俺達が思っている以上に、ベニーは凄い存在だったんだ」
『そうらしいねぇ。まあ、俺も今さっきまで聞いてたし……つーか、ベニーが生きていたとはね。復活を知らずに戻って量産鍵を中枢に差してたら、俺の負けだったよ』
「ああ、そうかよ……」
……再生が進んで、体が動くようになってきた。
ライアーの様子を見ながら、ゆっくりと体を起こそうとする。
彼もダーク・シーリアス卿のコピーボットも、俺が体勢を変えるのを邪魔することなく見届けていた。
本当にもう、戦う気はないのか。
話をしにきたというのは、嘘じゃなかったのか。
たまたま、刹那的に殺せるんじゃないかと思っただけで。
でも一撃で死ななかったから、俺が人間をやめていたからやっぱり殺すのをやめただけで。
朝令暮改。それが三好明彦だというにや及ぶ。
『三好明彦は特異点だ。オリジンほどデタラメではないにせよ、お前を守る力が世界に働きかける。だけど……そいつは俺も同じなんだぜ? そこら辺の雑魚と違って、俺やノブリスは主人公を傷つける権利をもらっているんだよ』
「くっ……」
最強の使徒、ベニー曰くラスボスであるオルフェンがあっさり退場したと聞いて……やはり、どこか安心していたのだ。
何が来ても大丈夫。
そんな、無根拠な自信が湧いていた。
使徒を倒したのはオリジンであって、俺じゃないというのに。
『もうひとつ、いいことを教えてやろう。レオ=エネルゲイアに関する記憶について、ベニーがハッキングした情報はあってる。だけど、その情報ですべてってわけでもない。この意味わかる~?』
「…………」
『ノブリスハイネスに至っては、ジュゴバの中枢と一体化しちまった。せっかくダーク・ミヨシンとして潜り込んだのに、これじゃジュゴバを乗っ取るどころか、こっちが取り込まれちまう』
「ライアー……何故、それを教える」
クローン制御権が欲しいなら、ここで俺を殺せばいい。
ライアーのおしゃべりは、敵に塩を送る行為そのものだ。
『さあね。もしかしたら、こんなのは俺お得意のハッタリかもしれないし、本当のことかもしれない。もう一回、よく考えたほうがいいぜ? オリジンが仕込んだこのゲームは……もうちっとばっかし、シリアスだぞ」
わからない。
ライアーが、わからない。
殺しかけたかと思えば、アドバイス。
同じ三好明彦のはずなのに、思考パターンがまったく読めない。
もし俺が殺戮王だったなら、《オーソーン・キルダイヤル》でもって今の状況を打破しようとしただろう。
だけど、うまくいくように思えない………そんな不気味な気配をライアーは纏っていた。
『さて、邪魔したな。これからノブリスハイネスと戦うんだろ? もうチグリもフェイティスも避難してるから、遠慮なくやるんだな。不殺したいなら、属性付与とアトモスフィア・フィールドをうまく使うんだぞ』
「待て! トドメを刺そうと思えば、できたはずだ。どうしてこんな……」
『今の状況が楽しいから。ただ、それだけさ。他に理由はない』
そう言い残し、ライアーとダーク・シーリアスのコピーボットは唐突に消えた。
そこにいたのが……まるで嘘であるかのように。
ディメンジョン・セキュリティの転移不能ルールをあざ笑うかのように、奴は転移した。
「アキヒコ様、ご無事ですか!」
サイコキネシスから解放されたリオミが、お腹の子供に気を遣いながら駆け寄ってくる。
「……ああ、何とか大丈夫」
「よかった! アキヒコ様……わたし、今度こそ駄目だかもしれないと思いました」
「ああ……うん。心配かけてごめん」
ライアー達が立っていた場所を見据えながら、俺は思わず呟いた。
「……この戦い、そう簡単に終わらないみたいだ」
ライアーの襲撃は俺達にとって衝撃だった。
これまでディメンジョン・セキュリティはもちろんのこと、メシアスの技術が……非活性ダークスのように誤魔化されることはあっても、正面から破られることは一度もなかったからだ。
だけど魔法か能力か技術か、あるいは抜け道があるのか……ライアーは他の誰にもできないことを平然とやってのけた。
「確かに気になりますけど、わたくし達はわたくし達で最善を尽くすしかありませんわね……」
ヒルデはすぐに割り切ったが、だからといって対策ができるわけでもない。
俺に対する不意打ちを成功させるには、他にもいくつかの目に見えぬセキュリティ機構を突破しなくてはならない。
非活性ダークスを身に纏うだけでは達成不可能だ。
「わたし達が危険なのも確かですが、もし守りを突破されてしまうなら……ピースフィアに対する破壊工作も自由自在ということになりますよね」
「一応、このことはアースフィアの方にも報告したよ。一刻も早く、アイツの力を分析しないと……」
先ほどの襲撃のやりとりは、俺やリオミのスマートフォンに記憶されている。
ごく普通の録音や録画は問題なかった点を考えると、非活性ダークスとは別の方法の筈だ。
「それにしても……陛下。チラリとでも、わたくしの仇を討とうとか思ってくれませんでしたの? むしろ、そのことでハラワタ煮えくり返りそうなのですけど」
「……すまない。そんな余裕、全然なかった」
反撃しようという気は、初撃で完全に削がれていた。
リオミを人質にとられていたことを大義名分にして……死にたくない……ライアーに戦う気がないなら、無闇に反撃するのはやめたほうがいい…………そんな想いを優先した。
俺はライアーには勝てないと思い込んでしまった……。
「あの方だって、きっと本気じゃなかったんですよ」
「……あいつは、既にヒルデを殺してる。その気になればきっと、リオミのことだって……」
「……ですが、あの方はアキヒコ様もわたしも殺しませんでした。殺意も、ありませんでした」
「ライアーの演技に騙されるな。アイツはその気になれば、自分の精神を操作して、本気を演出できるんだよ……」
フェイティスをペテンにかけたときも、そうだった。
あのときの俺は、本気でリオミを殺害させるつもりで動いていた。今はライアーとして自我を持っているクローンは、フェイティスを騙すために自分自身すら騙していた。
こちらが何かのきっかけを与えたら、奴はあっさり気を変えて、俺を殺していただろう。
ライアーという男が恐ろしいのは「楽しむためにやっている」という言葉を、今は本気で言っているのに、ある瞬間……突然嘘になることだ。
奴に真の本気はない。
奴に真の虚偽はない。
嘘吐きという名前すら、奴にとっては嘘なのだ。
「そうだとしても、何か目的はあるはずです。何の意味もなく、こんなことをするとは思えません」
「……確かにな」
聞き捨てならないキーワードもいくつかあった。
情報操作の可能性も高いが、だからこそ確かめなくてはならない。
「でも、ライアーのことは一旦置いておく。まずはチグリとフェイティスだ……」
考えて答えが出るとは思えない。
奴も考えた上で、俺に自分の不都合のないレベルで情報を渡してきたはずだ。
『それなんですけど、陛下』
「尻尾を巻いて逃げたベニー、何かあるのか」
『その言葉にはものっそく悪意の形をした愛を感じるけど、今はスルーしますねー』
実際、ライアーを前にしてベニーに何か出来たとは思えない。
オリジンの使ったような自壊ウィルスで攻撃されたら、今度こそベニーは死んでしまうだろうし。
『ライアー陛下の言ったとおり、チグリちゃんはフェイティスちゃんと一緒にジュゴバを脱出してますね』
「どこに向かっているかわかるか、ベニー?」
『……フェーダ星系です』
フェーダ星系。
たしか、そこは……。
「……そうですの」
ヒルデが呟く。
憤慨のような、郷愁のような、不思議なニュアンスだった。
「ふたたび帰ることになりますのね。あの戦場に」
ライアーの用意した舞台。
大型の人型ロボット兵器モナドギアによる人間同士の戦争と、異星侵略者エネルゲイアの三つ巴の宇宙。
かつてヒルデは、あの地で戦っていた。
「陛下。わたくしはフェーダ星系に向かうべきと考えますわ」
「ヒルデ……それは、ライアーへの私怨で言っているのか?」
「……いいえ。ノブリス陛下はまだチグリのことを大切にしていたみたいですけど……あの男は、気が向いたらチグリでも平気で殺すと思いますのよ。一刻も早く、助けないといけませんわ」
危険度で言えば、確かにノブリスハイネスよりもライアーの方が数段上だ。
だが、奴に相対したときに俺が勝てるかどうかは未知数だ。
大丈夫なんだろうか……。
「アキヒコ様。フェイティスがついているなら、そう簡単にチグリ様が殺されることはないと思います」
「貴女……!」
ヒルデに反対の意見を出したのは、リオミだった。
「フェイティスだって殺させるかもしれませんのよ? 本気ですの?」
「はい。フェイティスなら、ライアー様の機嫌を損ねる用なヘマはしないはずです。それにノブリス様のことを放置してしまうと、アースフィアに逆侵攻をかけられる可能性もあります」
「……そこはまだ、なんとも言えないな」
少々ふたりの間にギスギスした空気が出来始めていたので、間に入る。
「フェイティスがどっちについているのか、わからない。もしノブリスの命令でチグリを脱出させているなら、まだ大丈夫のはずだ」
「「どういうことですか?」ですの?」
「ノブリスハイネスにとって、フェイティスは頼れる部下であると同時に、アキレス腱なんだ」
ノブリスハイネスは前世において、フェイティスに毒殺されている。
おそらくノブリス自身は認めないだろうが、彼はフェイティスの裏切りを異常に恐れていた。
「……つまり、フェイティスがノブリス陛下の味方である限り、アースフィアを攻撃される恐れはないということですの?」
「更にいうと、リオミが乗艦しているマザーシップを要塞砲とかで沈める心配もね」
「えっ……アキヒコ様、ひょっとしてわたしをこの艦に乗せたのは……」
「あ、いやいやそういうことじゃない。そういう意図もあるにはあるけど、一番は……リオミと離れたくなかった。一緒にいたかったから……」
「アキヒコ様……」
ぱぁっと花咲くリオミの笑顔。
俄にいいムードになってしまった。
「ヒューヒュー! お熱いねえ、聖鍵陛下様よーぅ!」
「妬けるぜェー!」
口々にクルーたちが囃し立ててくる。
うう、照れくさい……。
「はいはい、ブリッジでイチャイチャするの禁止ですわ!」
『やっぱリオミ様はチョロいですねぇ……』
側室のふたりも、実にそれらしい反応を見せてくる。
ヒルデもちょっと嫉妬してくれているのか、顔が赤くなっている。
そこなベニー、チョロいは余計だ。
『でもですねぇ……フェイティスちゃんはライアー陛下側のスパイですよ』
っと、有力情報が。
この娘への説教は後にしよう。
「間違いないのか?」
『ライアー陛下の記憶バックアップにデータがありましたからね。最初からフェイティスは、ノブリス陛下を監視……さらにロストアフターが開始した際に暗殺するために送り込んだそうです』
「そのために、ダリア星系で何年も……?」
《クイックタイム》によって15年の月日が流れていたダリア星系。
そこに、何年も潜伏していたのか。
フェイティスルートを開拓したライアー。
フェイティスによって暗殺されたノブリスハイネス。
その差が出たのか……。
『でもでも、ノブリス陛下もフェイティスがスパイである事はわかっていたんじゃないかと』
「……どういうことだ?」
『ジュゴバの中枢区からも記憶を攫ったんですけどね、ノブリス陛下は死期が迫っているのを感じていたみたいです』
「死期?」
『まあ、フェイティスに殺されるんじゃないかって予感ですね。なんか遺言みたいな日記です』
「ふーむ……」
シークレットモードだから、普段から俺達には見せたくなかった記憶だろう。
内容を同期してもらったところ、ノブリスの複雑な心中が伺える内容だった。
あいつ……。
「……これなら、フェイティスが裏切っていたとしても……アースフィアやリオミを攻撃することはなさそうだな」
『ですねー』
「どんな内容だったんですか?」
「本人の名誉のために、伏せておく……」
「そうですか……」
こう言うと、さすがにリオミも隠し事が云々とは言わなかった。
話さない理由はもうひとつある。
この話をリオミにしてしまうと、ノブリスのところに行きたいと言い出すに違いない。
俺としては、チグリとフェイティスの追跡を優先したかった。
「これで決まりだな。ダリア星系を出てフェーダ星系に向かう。ジュゴバの攻略は急がなくていい……」
ダリア星系や支配星系でジャ・アークの圧政を受けている人たちには気の毒だが、辛抱してもらおう。
俺は、オリジンとは違う。誰も彼もを救おうなんて考えない。
自分のことだって、ロクにできちゃいないんだから。
『で、ベニー……この情報を教えてくれたってことは……ひとまず、俺の味方になってくれるってことでいいんだな?」
『まあ……そうですねぇ。いつ切り捨てられるかわからないライアー陛下とかよりは、全然いいかと。でも……量産鍵を乗っ取るには、中枢に差してもらわないと。それに中枢の設計段階でセキュリティホールを仕込んであるから行き来ができるんですけど、そこを潰されたら駄目でしょうね。多分、ライアー陛下がチグリちゃんを連れて行ったのはそのためですよ』
『いや……それでも、奴らが中枢のサポートを一部利用できなくなるのは大きいよ」
ルナベースと量産鍵は直接接続しなくても、通信そのものはできるし利用もできる。
だが、情報認証や各種メンテなどに関しては量産鍵を直接接続する必要がある。
並行大宇宙ペズンの利用……すなわち量産鍵そのものを殆ど使わないノブリスハイネスならともかく、今もペズンの無限資源やエネルギーを利用しているライアーにとって、中枢の量子コンピューターを利用できなくなるのは大きな痛手に違いない。
ランク認証において、チグリはAランクのままだ。つまり、ノブリスハイネスは人材として利用していただけで、中枢区に関しては弄らせなかった。だからこそ、セキュリティホールが健在で……今もベニーはジュゴバに対するハッキングが可能である。
ベニーに頼んで戦争を終わらせることはできないかもしれないが、それでも連中の情報を調べてもらうにはいい。
特にノブリスハイネスは、まだベニーの力を知らない。ワンチャンある。
そのとき、艦内にアラームが鳴り響いた。
「なんだ!?」
俺の言葉に応えたのは、元海賊のオペレーターだった。
「前方に大艦隊を確認! ジャ・アークですぜ! すげえ数だ……」
ディスプレイに表示される空間航宙図には、びっしりと赤い点がひしめいていた。
いずれも見たことのない形式だ……おそらく、チグリが一から自作させたジャ・アークの宇宙戦艦なのだろう。
「ふむ……そう簡単に逃がしてはくれませんのね」
「いけそうか?」
「陛下、ちょっと黙っていてくださいましね」
声、怖っ。
ヒルデがマジだ。
「ディメンジョン・セキュリティ宙域からの離脱には、どれぐらいかかりますの?」
「現地区からですと……戦闘船速で後退して……48分ですね!」
「縮退炉を一個潰しても構いませんわ! 40分でおやりなさい!」
「アイアイ・サー!」
「だからサーじゃないって言ってますのよ!」
そこまで言って、ヒルデが俺に向き直る。
真剣な眼差しだ。
「……陛下。この宙域では無人兵器が使えませんから、海賊の皆さんに【スペースマンタ】で出てもらいますわ」
「…………」
【スペースマンタ】はマザーシップに搭載されている宇宙戦闘機である。
現在ではアトモスフィア・フィールド下でも航空が可能なように改良してあるので、フィールド下でも飛べなくなるようなことはない。
だが、転移脱出も使えないこの空域で有人飛行するということは……。
「今回の敵戦力ですと、戦死者を出さずに戦うのは不可能。よろしいですね?」
「……わかった」
今回も何とかなるだろう、なんて甘い考えは吹っ飛んだ。
俺が、俺達が始めた愚かな戦争で人が死ぬ。
思わず申し訳なくなって、リオミの方に視線を泳がせた。
彼女は、優しい笑顔を浮かべて首を振った。
「……魔王と戦っている時代も、人は死んでいました。アキヒコ様が気に病む必要はありません……むしろ、今までが凄すぎたんです」
昔は聖鍵の力さえあれば、人を殺さずに済むと思っていた。
実際、こんな事を始めなければできたと思う。
だからこそ自分が人の命の責任を負う……そう考えた瞬間、腹は決まった。
「ヒルデ。俺もグラディアで出る」
「……わかりましたわ」
ヒルデは否とは言わなかった。
兵士に命を捨てろと命令するとき、彼女も常に陣頭に立ち続けたはずだ。
その気持ち、今ならわかる。
「今回、敵も有人機です。よろしいんですね?」
「ああ……」
宇宙空間でも、その気になれば不殺を貫くことはできるだろう。
しかし、事故はあり得る。
なによりジュゴバにあんな攻撃を仕掛けた時点で、俺は既に誰かを殺す命令をしているのだ。
「もう……自分だけ汚れない場所に居続けるのは、やめだ!」




