Vol.12
主人公交代回に見える。
「ぐっ、う、ああッ!」
その瞬間、俺の中に膨大なメモリーが濁流となって襲いかかってきた。
頭を鈍器で殴られたような感覚に思わず呻いて膝を突く。
体が勝手に酸素を求め、息を整えようと肺をこき使い始める。
「陛下ッ!?」
ともに庭園を散歩していたメリーナが血相を変える。ドレスのスカートが土で汚れるのにも構わず、両膝を曲げて俺の肩に手を添えてくれた。
「ああ、どうすれば……!」
メリーナは涙を流しながら、助けを呼ぶことすらできずに右往左往している。
あらゆる俗事から遠ざけられ、知性はあっても知識のないメリーナには、自分がこんなときどうすればいいのかわからないのだ。
彼女をそういうふうに扱ってきたのは俺自身だ。
だから俺が、自分で何とかしなくては。
魔法習得オプションで《レストレーション》を使うと、不調は嘘のように消えた。
いわゆるバッドステータスを回復する魔法だが、俺の内的症状を緩和することが可能であることは既に何度か試してわかっていた。
なんとか起き上がり、体を支えようとしてくれたメリーナを手で制する。
「……俺は大丈夫。少し目眩がしただけだ」
「そんな。とても、そうは見えません」
覚えのある『卒業』の感覚。
それが一度に、3人分。
さすがに目眩では言い訳に無理があるか。
「……そうだな。少し大事を取るとしよう。すまないが、ライネルのところにはキミだけで行ってくれ」
「わかりました。くれぐれも、お体をご自愛ください……」
偽りなく本心から心配してくれるメリーナに少し後ろ暗い気持ちを抱きながら、スマートフォンを操作する。
無論、向かう先はメディカルルームじゃない。
――転移目標座標、アスタロト星系。
――AAランク保持者、ザーダス身辺の空間調査。
「……宇宙か」
彼女は今、ディーラとともに宇宙怪獣軍団と戦闘中のようだ。
宇宙空間でも生命を維持できる義体に換装したラディと、超進化を遂げたディーラちゃんならアトモスフィアフィールドを展開しなくても活動は可能である。
さすがに俺は無理だ。生身で向かうなら、先にフィールドを展開しておく必要がある。
だが、あまり悠長にしてはいられない。
今回、『卒業』したのはリオミ、ディーラちゃん、そして……ラディの3人。
3人に自我分裂の真実を告げていないのに、ラディを切り捨てたということは……オリジンはおそらく、彼女を取り込む事を決めたのだ。
俺は、ついさっきまでオリジンのすることに逆らうつもりなんて、これっぽっちもなかった。
もしラディへの感情が送られてくることがあっても、自分は三好明彦らしく事なかれ主義を貫くのだろうと思っていた。
だが、今は。
「……させるかよ」
湧き上がってきたのはオリジンへの畏れではなく、ただ怒り。
胸に懷くのは、ラディを守りたいという家族愛にも似た気持ち。
現在進行形でそれを感じるからこそ……彼女への絆を持ちながら、救世主としてパトリアーチの予言に従うことを決断したオリジンを許せない。
だからといって、付け焼き刃で勝てるような相手じゃない。
いや、勝てるわけがない。
もはやオリジンは、全盛期の造物主を超える力を身につけていると言っても過言ではない。
彼は神だ。
勝つのは不可能。
だからといって、方法がないわけじゃない。
ラディを逃がすんだ。
とにかく彼女をオリジンの手が届くことのない安全な場所へ送り届ける必要がある。
どこだ?
時間や並行世界の垣根さえも飛び越えてしまえるあの男から逃げられる場所などあるのか?
「……いや、ある」
央虚界。
あそこなら、この宇宙より広い。
非活性ダークスの霧によって広範囲捜査が困難なあの地なら、なんとかなるかもしれない。
方針は決まった。
まずは、自分の持っていける最大戦力を用意する必要がある。
宮殿の格納庫には、俺専用のグラディアがある。
スマートフォンを使った転移で一足飛びにコックピットへ潜り込んだ俺は量産鍵をスロットに差し込んで、機体のチェックを省略、最速起動させる。
さらに、量産鍵にライアーが使用しているのと同じバトルアライメントチップを挿入した。
「……オリジン。お前はもう……」
決意を新たに、俺はグラディアをアスタロト星系戦闘宙域へと転移させる。
いきなり戦火に飛び込むことがないよう、500km以上の距離を取る。
グラディアに標準装備されたサーチドローンビットを展開、戦況を確認した。
「……リリカルディーラちゃんを先頭に置いた、突貫陣形か……」
リリカルディーラちゃんとは……ディーラちゃんがチグリの開発したリリカルスプーンを掲げることにより、超巨大魔法少女に変身した姿を言う。
これだけ離れているのに、リリカルディーラちゃんの姿は肉眼でもはっきり捉えられる。
豆粒にしか見えない戦艦級の宇宙怪獣を、ぺちんと音がしそうな平手で叩き落としているフリルのついた可愛らしい衣装を着た少女が、リリカルディーラちゃんだ。
ルール上、物量を覆せないことを把握したラディがチグリにパワーアップを依頼した結果、どうしてか知らないがこうなった。
「あれ? お兄ちゃんだ。おにーちゃーん!」
この距離からでも見えるのか。
無論、空気はないので彼女の声は思考通信をグラディアが拾ったものだ。
どうでもいいが、リリカルディーラちゃんが嬉しそうに振っている手に巻き込まれて、駆逐艦級の宇宙怪獣がプチプチと潰されているんだが、あれはいいのか。
「ようやく、あたしの雄姿を見に来てくれたんだね! そこで見てて、こいつらすぐにやっつけるから!」
「あ、ああ……」
微笑ましくも遠近感が狂う光景に頬が緩みそうになりつつ、そんな場合ではないのだと思い直す。
ドローンの捜査結果によると……オリジン、あるいはそれに類いするピースフィアの兵器の反応はない。
他の機動兵器ならともかく、グラナドなんかを持ってこられたら一巻の終わりだ。
シークレットモードの通信なら履歴は残らないが、オリジンに盗聴されないという保証はない。
ラディに直接会って話をするのが一番だ。
だが、肝心のラディの姿が見えない。
確かに座標はここなのに。
「ラディ、一体どこに……」
「後ろだ」
「えっ……」
頭に響いた声に反応して機体を180度回転させると、そこには確かにラディが浮かんでいた。
彼女を初めて見たときと同じパイロットスーツのようなものを着込んで腕を組み、グラディアを睥睨している。
「いつの間に……」
「別に転移はそなただけの専売特許ではあるまい」
そう、睥睨だ。全長20mほどの機体を悠々と見下ろしている。
宇宙空間だから上下はないのだが、そう感じてしまうほどにラディは巨大化していた。
彼女もまた、チグリの質量操作装置によって大きさを変えていた。
聖鍵の技術は既存の物理法則、相対性理論や質量保存の法則を平気で書き換えるので今更驚くことでもないが……実際見るとやはりビビる。
それでもリリカルディーラちゃんに比べればミクロ甚だしいが……。
とにかく、彼女はまだ無事だった。
オリジンが動き出す前に接触することができて、まずはほっと息を吐く。
「して、何用だ? 余はこれよりバルミス星人どもの反時空要塞を攻略すべく歩を進めておるのだが」
「悪いけど、ゲームは中断だ。緊急事態なんだ、今すぐ俺と一緒に央虚界に来てほしい」
「ふむ、よかろう」
「……は?」
いともすんなりと、ラディは了解する。
思わず拍子抜けして、間の抜けた声を出してしまった。
「なんで? 理由は聞かないのか?」
「そなたが緊急事態と言うからには、余程のことなのだろう? 遊興はまたやり直せば良いのだし、四の五のと説明を求めるつもりはない。余裕があれば、事態が落ち着いてから聞くがな……今は指示に従おう」
よくわからないが、相当信用されているようだ。
オリジンが培ってきた絆によるものなのだろうが、今は助かる。
「えっ、ふたりとも行っちゃうの? あたしも行きたい!」
「……良いか?」
ディーラちゃんを連れて行くべきか否か、俺は直ぐに判断した。
「ああ、ディーラちゃんも無関係じゃない。一緒に来てくれ」
「ほんと!? じゃあ、ちょっと待っててね!」
がおーっと、リリカルディーラちゃんがブレスを吐いた。
うん、魔法少女なのにブレスを吐いた。
一見変哲のない放射火炎が、数億体の宇宙怪獣軍団をチリひとつ残さず消し去り、空間を歪ませた。
宇宙開闢かと思しき光がすべてを照らし、不可視の反時空間に構築されたバルミス星人の超巨大要塞を通常空間に引きずり出し、焼き払う。
あとに残るは、本来あるべき静寂のみ。
「さ、行こ!」
「お、おう……」
いつしかオリジンから同期された記憶を思い出す。
ディーラちゃんには物理的には苦戦するだろうという言葉の意味を、俺はようやく肌で実感した。
その後の顛末は、語るほどのことはない。
俺達はオリジンの妨害を受けることなく、あっさりと央虚界の未探査地域へと逃げこむことに成功した。
ここは造物主の遺骸が浮かんでいるのと非活性ダークスがあること以外、本当に何もない場所ではあるのだが……身を隠すには最適である。オクヒュカートがパトリアーチの目を盗み続けることができたことも納得だ。
ひとまず俺達は空間内に保管してあるホワイト・レイ・フィールドの設置と、簡単な基地の設営だけを行い、ひとごこちついていた。
俺とラディはコーヒーを、ディーラちゃんにはイチゴジュースを振る舞う。
「さて……そろそろ事情を説明してもらえると考えて良いのか?」
「ああ、そうだな……俺も自分の存在を賭けた一戦ぐらいは覚悟してたんだが……」
今更隠すことなど何もない。
彼女たちには知る必要と、権利がある。
俺は自身の知るすべてを語った。
自我の分裂のこと、『卒業』の通過儀礼のこと、パトリアーチの語った情報と、それに付随してラディがオリジンに殺される可能性が高かったことを。
「余が完全生命体……のぅ。確かにメシアスで暮らしていた頃は呼吸も食事も生殖も必要とせず、あらゆる環境で生きていける屈強な義体を与えられていたようだが……」
「今使ってる義体は違うのか?」
「うむ。余も自分の記憶を消していたようなので確信を持っては言えないが……記録によれば、余はアースフィアの魔力に適応した義体を作ったとある。 魔王としての肉体だな。まあ、アレはもう一度ダメにしてしまったが」
「じゃあ、完全生命体としての肉体はもうないってことなのか……」
「少なくとも、余はもともとのボディをどうしたのかは覚えておらん。記録にも残っておらんな……余が抹消したのかもしれん」
「……そうか。確かに、ボディだけが完全だから完全生命体っていうのは、なんか違う気もするんだよな。パトリアーチは魂ごとラディを取り込むと言っていたはずだし、体だけでいいんだったら何もラディを殺す必要はないわけだから」
「ふむ……」
「実のところいまいち、パトリアーチの言っていた完全生命体の定義がよくわからないんだ。だから、本当にラディが完全生命体と呼ばれる存在なのかは、イマイチ確証を持てないんだよ……」
オリジンは3人分の記憶を俺に送りつける直前まで、シークレットモードで行動していた。
そして今も。
一切記憶同期はなく、ラディたちへの絆を手に入れたのが突然だった為、緊急措置としてラディを避難させたが……。
彼女が今は完全生命体としての肉体を持っていないのなら、彼女は安全だったのだろうか。
俺の早とちりだったのだろうか。
「……またふたりして、難しい話してる……」
ジュースをストローですすりながら、ディーラちゃんはあからさまにぶすーっとしていた。
テラかわゆす。
初めての感覚なのに、なんだか久しぶりにも思えて新鮮だ。
「前に難しい話をしてたのは俺じゃなくて、オリジンのほうだけどね」
「そのオリジンっていうのも、よくわかんないよ……いきなりお兄ちゃんがいっぱい分かれてたなんて言われても、あたし……」
「そう難しく考えなくてもいいよ。もともといっぱいクローン作って、いっぱい動かしてたろ? それがそれぞれみんな勝手に動き出しただけ。かくいう俺も、その一人にすぎないんだけどね」
ちょっと自嘲気味に肩を竦めて見せた。
今更、所詮は自分がクローンに過ぎないとかは考えていない。
むしろ、彼女たちへの心を取り戻した三好明彦が復活した、という感覚が強かった。
だからか。
「それはどうかと思うがな、勇者よ」
「……ラディ」
彼女が面白そうに、尚且つ何かを企んでいそうな不敵な笑みを浮かべているのを見ても、それほど驚きがなかったのは。
「余はむしろ、そなたが『元通りになった』ように感じる。ここ3ヶ月ほど、そなたの様子がおかしいと訝しんでいたが、今の話を聞いて合点がいった。
今思えば、人間らしさとやらを捨て去っていたオリジン……勇者の本体が、どうにもつまらぬ存在に成り果てていた為だったわけだな。
……逆にそなたは、かつて余を倒し、説き伏せたときのオーラを纏っているように見える」
「……オーラ?」
「魔力という意味ではないぞ。人が持つ自信というか、雰囲気に近いものだ」
「……はは。でも、今の俺はオリジナルの聖鍵を持っていないし、オリジンと戦ったら瞬殺されるような雑魚だよ?」
「心持たぬ救世主など、兵器と変わらん。造物主を倒し世界を救うという役割を果たすだけの、機械仕掛けの装置に過ぎん。そうさな……奴はもう、聖鍵の補助装置と呼んでも差し支えなかろう。聖鍵が十全な機能を果たす為に必要な外部出力装置だ。そんなものを余は勇者とは呼ばぬ。良いか『アキヒコ』よ。それは……」
ラディはそこで一呼吸区切り、
「アイテム、と。そう呼ぶのだ」
はっきりと。
オリジンという一個体の命を否定する。
「アイテム……」
「そうだ」
俺の呟きに頷くラディの目には、悲しみも憐れみもない。
ただ、事実だけを述べる研究者の目。
確かに今のオリジンは、世界を脅かす物だけを殺す機械だ。
人との絆をすべて手放した彼はもう、人間とは呼べない……。
……ん?
なんだ、今の違和感は。
何かを決定的に見落としているような……。
「……余も救世主概念についてはデータベースで齧った程度にしか知らぬが……わかりやすく括るなら『世界を思い通りに出来る程度の能力』といったところであろう?
あらゆる物理法則、魔法の原理、運命さえも書き換えてしまえる存在。
世界のルールに従う者ではなく、世界の理を乱す者を掃討する為ならルールそのものを作り替えられる者……そんなものが、人間である筈があるまい」
「……そうか。あいつは事象さえも自分の思い通りに惹きつけることができるんだった……」
……それが見落としか?
彼にとって宇宙のすべてが思い通りに運ぶなら……そもそも、俺達がこうして無事に避難できてしまっている事は、オリジンにとっては不都合でもなんでもないということになる。
「俺がどんなに考えたところで、どんなに覚悟を決めたところで、こんな救出劇が成功するわけがないってことか」
「余の存在がどういうキーパーソンとなるにせよ、オリジンは今すぐ余をどうこうするつもりはないということであろう」
ならば、ラディの安全が保証される。
それ自体はむしろ喜ぶべきことだ。
だけど、俺の見落としとは違う気がする。
こんなとき、いつも俺にヒントをくれるのは……。
「ねーねー、お兄ちゃん」
ラディに”感”が利くと褒められた竜の少女。
俺の中に根を張ったディーラちゃんへの信頼が、彼女の一言一言にアンテナを立てろと命じる。
「あたしには何が起きてるのかさっぱりわからないんだけど……お兄ちゃんはもう、お兄ちゃんなの?」
「……えっと。どういう意味?」
「お兄ちゃんは、あたしの知ってるお兄ちゃんで合ってるのかなって。今はもうあたしとの思い出、ちゃんと心の中にあるんでしょ? 記憶のコピーとかじゃなくて。そういう思い出とかは、オリジンだけが持ってたんでしょ?」
「そうだね。記憶を同期できるから出来事の原因と結果は共有できるけど、絆が送られてくるまで自分の思い出だという感覚はなかったな……」
……あと少し、もう喉まで出かかっている。
「じゃあ、あたしの知ってるお兄ちゃんは今まではオリジンで、今はお兄ちゃんの方なんだ……」
そこじゃない。
ディーラちゃん、もうちょい斜め右の発想を頼む。
「ねぇ……オリジンと分かり合うことはできないのかな? 戦うしか、ないの? どっちもお兄ちゃんなのに。みんなのことを忘れないように、ギリギリまで人間として頑張ってた人なのに」
「……ああ。もしあいつがラディや他のみんなに危害を加えるつもりなら、俺はどんな手を使っても……」
みんな。
そうだ。
俺にとって、大切な女の子たち。
リオミ、シーリア、ディーラちゃん、ラディ、リプラ、ヤム、フラン、ヒルデ、チグリ、メリーナ……そしてベニー。
彼女たちを守るためなら、俺は……。
彼女たち……?
……。
「……足りない」
「何?」
俺がふと漏らした一言に、ラディが眉を寄せる。
やっぱり、最後のヒントをくれたのはディーラちゃんだった。
「何が足りんのだ?」
「三好明彦が縁を持つヒロインたち……彼女たちとの絆は、オリジンが人間性を失わないための保険だった。
あいつが人間を卒業するのは、ラディを殺すときとイコールだという先入観が俺の中にあったんだよ。だからてっきり、最後に送られくる絆はラディかリオミが最後だと思い込んでたけど……」
「まあ、話を聞く限りでは、そのあたりが妥当であろうな」
オリジンの『人間卒業』は、ひとりひとり想いを寄せた女の子たちに自身の現況を伝え、未練を捨て去る行程に他ならない。
人を人たらしめるのは、人の縁。
一見孤独な人間ですら、他界した親族や自分自身に対する縁を捨て去るまでは人間でいられる。
現に多くの人の縁を獲得した俺は、人間であった頃のオリジンに最も近い三好明彦としての自我を確立しつつある。
アイデンティティすらおぼつかず、鬱になっていたあの頃とは対照的だ。
「でも、1人足りないんだ」
「何? 全員分の絆が送りつけられてきたと言っていたではないか」
「ああ。だから、本当に単純な見落としだよ」
誰よりも有能で、誰よりも俺の役に立ってくれた女性のひとりでありながら……。
決して深入りせず。
決して情の関係とはならず。
三好明彦と主と従の一線を超えなかった女性。
「俺の中にはまだ……フェイティスの絆が送られてきていない」
唯一、あらゆるクローンと主従関係を持ったヒロイン。
オリジンから絆を得るまでもなく、俺が尊敬し感謝するパーフェクトメイド。
それ故に、俺の中にもフェイティスに対する個人的な感情があった。
だからこそ、あっさり見落としていた。
数に数えていなかった。
「えっと、それはつまり……」
よくわからないながらも必死に話についていく努力を怠らないディーラちゃん。
そんな彼女にもできるだけわかりやすく、結論を述べた。
「オリジンはまだ、ギリギリ人間で踏み止まっているってことだ」
央虚界の闇の中を、ただ歩く。
避難基地から離れ、ホワイト・レイ・フィールドに守られた安全地帯を抜け出る。
荒涼と広がる群青の大地が視界に広がる。このすべてが一柱の神の骸だなどと誰が発想できるだろう。
現在、俺はすべてのクローンとの同期を切っている。
無論ラディの居場所を誰にも悟られない様にするための処置だが、他のクローンの動きも一切わからなくなる。
オリジンからも要注意と警告されていたクローンは3名。
すなわち。
嘘つきライアー……徹底したゲームプレイヤー、シャゼ・アクス少佐。
殺戮王と呼ばれる能力者、俺たちの間ではロリコン呼ばわりされるバッドエンド・ホルダー。
欲望を増幅させたノブリスハイネス……超宇宙大銀河帝国皇帝アルティメット・ゴクアック。
彼らのうちライアーとノブリスハイネスには、ピース・スティンガーの楔は打ち込まれていない。
扱いとしては、俺と同じ。今回の三好明彦の主力構成要素。
そう、俺も今回の明彦を構成する重要な一部分なのだ。
だからこそ、俺を含めた3人の魂はスペアを含め厳重に管理されている。
必要なときに、元通りの三好明彦に戻せるようにする為……だそうだが。
「知ったことか、そんなこと」
空間から、ジュエルソードクリスタルを取り出す。
並行世界から無制限の魔素を引き出せるチグリ謹製の人工アーティファクト。
央虚界を漂う非活性ダークスが漏れだした燃料に反応し、黒い靄となって近づいてくる。
それらを無視してジュエルソードクリスタルから、央虚界にはない魔素をばら撒く。
ダークスが活性化し、瘴気となって渦を巻き始めた。
スマートフォンがダークス係数の急上昇を感知し、アラームを鳴らす。
瘴気が俺を蝕もうと魔手を伸ばすが、闇避けの指輪に阻まれ消滅する。
それでも俺の周囲は真っ黒に塗り替えられてしまった。
「必要なのは高魔力によって活性化したダークスと、ダークスになっていない心に闇持つ者……」
すなわち、オリジンが語った使徒が生まれる環境。
すなわち、かの大悪霊を召喚する方法。
ましてやここは、かの神が横たわる宇宙。
心に闇持つ者も、今ここに立っている。
俺の正体が……三好明彦の抱いていた自己嫌悪そのものだからだ。
「俺は俺。三好明彦なんて最低野郎、宇宙にひとりで十分だ」
自分が嫌いな自分。三好明彦の暗黒面。
ライアーもノブリスハイネスも殺戮王も、そしてオリジンも。俺はすべて否定する。
いずれも消してしまいたい自分たちだ。
だけど、それすらもう……どうだっていい。
俺には、守りたい者がいる。
生まれてくる家族だっている。
それだけ十分だ。
自分が何者かなんて、自分で後から決めればいい。
「……お出ましか」
渦塊と化した闇がおぞましい形を取って、俺の前に顕現する。
「チカラヲ……ホッスルモノ。アタエルゾ……!」
通常の精神状態の人間なら心が濁り、魂を轢き潰されてしまうような悪意に満ちた声。
オクヒュカートから借り受けたマインドクラッキング対策の指輪を改造し、あらゆる邪神を前にしても精神を保つ事ができるようにしておかなければ、俺は不定の狂気に陥っていたことだろう。
「初めまして、だな。実に胸糞が悪いぜ……造物主」
「ワレヲ、ワレトシッテノ、ショウカンカ。フソンナル、ニンゲンメ……」
「俺の望みはただひとつ。貴様の力をすべて頂く。それだけだ」
「ニンゲンフゼイガ……! ブレイ、ナ……! トリコロシテ、クレル!」
造物主の悪霊は、かつての自分の肉体であった群青の岩を瘴気の嵐で砕きながら、ミキサーのような物理的破壊を伴って俺に襲い掛かってくる。
破壊とともに爆発音が周囲に怒号の如く響き渡る。
が。
「ウゴオオオォォ……!?」
しつこいようだが、AAランク保持者である三好明彦に対してあらゆる物理攻撃は空間遮蔽によって届くことがない。
破壊によって起きる爆音も無害なデシベルにまで自動的に調整され、俺の鼓膜を守る。
ディーラちゃんのようなドラゴンの咆哮を無効化するためのものだが、こういうところでも地味に役に立つ。
さらに空間遮蔽は俺の意思に応じて、空間に入り込んだ敵の攻撃を『空間に入れたまま戻さない』ことができる。
現在、俺を中心に半径5m以内の領域に入り込んだ敵は、跡形もなく消滅する。
それにより、体当たりも同然の造物主の攻撃は自滅を招く結果となったわけだ。自身の仮初の肉体であった瘴気を俺の空間領域に削り取られている。
無論、瘴気の嵐によって俺の足場は失われたが、リオミのバトルアライメントチップを装備した俺は至極冷静に魔法習得オプションで《レビテート》を発動していた。
「ひとつ、安心したよ。ひょっとしたら造物主はどこかの次元の俺自身……なんて可能性も考えてたんでな。空間防御が通用するなら、それはなさそうだ」
あるいは魂魄認証に必要な魂を持っていないから、というだけかもしれないが。
「チョウシニノルナ、ニンゲンフゼイ!」
さすがに学習したのか、造物主の霊は俺から距離を取って瘴気による魔力射撃を試みた。
空間シールドを貫通できたとしても絶対魔法防御オプションがある限り、俺には通用しない攻撃だ。
「……弱い」
オリジンの評価通りだ。
これが本当に、かつて宇宙を何度となく破壊しては創りなおしていたという無敵の神なのか。
所詮は成れの果て。殺される神の末期に抱いた怨念が形になったに過ぎない残滓というわけか。
すべてを無効化しつつ、俺は100丁ほどの量産鍵を空間から先端だけ露出させる。
「ホワイト・レイ、一斉発射」
マインドアタック不殺補正のかかった白き光の束が、造物主を象る闇をごっそりと削り取る。
「アガガガーー!」
造物主の霊はこの攻撃であっさりと消滅したように見えるが、あくまで目に見える形を取れなくなっただけだ。
俺は再びジュエルソードクリスタルから魔素を取り出し、ダークスを活性化させ、奴に再び肉体を与える。
「ナンノ、ツモリダ……!」
「最初に言ったとおりだ。お前の力をすべてもらう。確かにお前は決して滅びないが、それは恨みと悪意によって闇を操る力を持っているからだ。その根源的憎悪を失えば、お前はどこにでもいる浮遊霊と変わらなくなる」
情報レベル3から獲得した知識を引用して、俺の目的を語る。
果たして、この方法がディーラちゃんの叫んでいた「造物主を倒す方法」なのかどうかはわからないが。
俺は俺の目的のために、この神の力を必要としている。
試すだけ試すとしよう。
「アクイヲ、ウラミヲ、ソネミヲ……ソレラノガイネンヲケシサルコトナド、デキヌ……!!」
「消し去りなんてしないさ。どこでもない場所に向かってもらうだけだ」
量産鍵のひとつを掲げると、造物主を象る闇はそれらに吸収されていく。
ディオコルトを嵌める為に使った偽聖鍵の応用だ。
量産鍵は黒く染まり、ダークスごと造物主の霊を捕獲することとに成功した。
「……さて」
方法は既にオクヒュカートの記憶から攫って知っている。
「しますか。魔性転生」
最も安全なダークサイド堕ち方マニュアル。
あなたもおひとつ、いかがでしょう。




