Vol.02
「おい、聞いてるのか?」
「……え?」
何だ?
気がつくと、俺はいつの間にか別の場所にいた。
さっきまで、ヒルデを迎えに後宮に赴いていたはずなのに。
いや、この場所も見覚えがある。
ここも後宮には違いない。
医療施設ではなく、談話室。
さっきまで立っていたはずなのに、今はソファに座っている。
「……おいおい、本当に大丈夫なのか? なんかずっとぼーっとしてるけど」
「あれ、俺……?」
目の前には、俺にそっくりの男。
クローンのうちの誰かだろうか。
「白昼夢にでも晒されてたのか? オレだよ、オレオレ。オクヒュカートだ」
「え? あれ……あ、そっか……」
仮面を取っているのか。
よく見れば、格好はいつものオクヒュカートだ。
それはわかるが。
なんだ?
俺、記憶が飛んで……?
こんなのはいつ以来だろう。
「せっかくこうして夢のマッチングが成立したんだから、もっと観察しようぜ」
「はぁ……」
オクヒュカートに促されるように、俺は正面を見た。
「おなか、さわっていい?」
「ええ、どうぞ。叩いたりしちゃダメですよ~」
何とも不可思議な光景が繰り広げられていた。
お腹の大きくなったリオミが、お腹の大きくないリオミと話している。
本体とクローン?
「何してるんだ、あれ?」
「本当に大丈夫か? 前に言ってただろうが、オレの方のリオミとお前のリオミを会わせるって……」
「ああ、そういえば……」
そんな話もしていたか。
あの時は、俺もそれどころではなくて右の耳から左の耳へ抜けていた。
じゃあ、あの子はリオミクローンじゃなくて、アナザーリオミか。
「どんなかんじなの?」
「そうですね。自分の中に別の誰かがいるような感じです」
「リオミも、こんなふうになれる?」
「もちろん。貴女はわたしなんですから」
くすくすと笑うリオミに、アナザーリオミも花のようにぱぁっと笑う。
「ぱぱ! リオミもおなじふうになりたい!」
「ぐはっ……!」
なんか、オクヒュカートが吐血した。
うーむ、アナザーリオミの中身はまるっきり子供のそれだ。
もともとリオミは幼女体型なので、全く違和感がない。
本来なら心温まる光景なのだろうが、残念ながら俺は特に何も感じない。
リオミへの絆はオリジン担当だからだろう。
少し前はそんなこともなかったような気がするのだが、自分の立ち位置を思い知らされてからは気持ちが冷める一方だ。
そういえば、メリーナへの感情だけは最初から俺に預けていたみたいだが。
オリジンにとって、彼女に対する感情など持っていてもしょうがないという判断だったのかもしれない。
「アキヒコ様……ご気分が優れないのなら、お休みになってください」
「ん? ああ……そうだな」
リオミに心配されるのもいつものことのような気もするが、今の俺は確かにどうかしている。
お言葉に甘えたほうが良さそうだ。
「すまん、オクヒュカート。俺は先に休む」
「おい、アキヒコ……お前」
「大丈夫だ。ちょっと疲れてるだけだよ」
俺は適当に手を振って、部屋を辞した。
きっとオリジンなら人の心を維持するのに必要なやり取りなのだろうが、今の俺には億劫なだけだ。
そもそも、この催しに参加すべきなのは本物の三好明彦であるオリジンだろう。俺じゃないはずだ。何を考えてるんだオリジンは。
ああ、そんなことよりメリーナのところに行きたい。
彼女だけが俺に残った心のオアシスだ。
メリーナだって妊婦なので、性交渉があるわけではないが、そんなことがなくても彼女の存在だけで心が癒される。
肉欲に滾ったノブリスハイネスは、どうせ今もチグリとクローン同士乳繰り合っているのだろう。
オリジン的にアレは寝取りじゃないんだろうか。いや、そんなことはもうどうでもいい。
内政関連の仕事も、お払い箱にしてたコピーボットに引き継いでしまったし。
アースフィアのために何かしたいという気持ちは、救世主概念を持つオリジンだけの感情だったんだろう。
俺は、もう何もしたくない。
「おい、アキヒコ!」
「ん?」
部屋を出てしばらく歩いたところで、背後から呼び止められた。
振り向くと、オクヒュカートが追ってきていた。
「……なんだよ、何かあるのか」
「いや、お前の様子がおかしかったから。もしかしてと思ったんだが、お前ちょっとやばいかもしれないぞ」
「やばい? やばいって、何がだよ……」
これ以上、俺を不安にさせる要素なんて何があるというのだろうか。
「いやお前……戻ってるように見えたからさ」
「……?」
戻ってる?
「言っている意味がわからない」
「……ちょっとお前、この後休んだら時間作って連絡くれ。本当は今すぐがいいと思うんだが、俺もリオミを連れて来てるんでな」
「はあ」
生返事をしてしまったものの、オクヒュカートはどうやら本気で心配してくれているようだ。
その気持ちは嬉しかったので、素直に頷いておく。
「一応、会うまではコレつけてろ」
「ん?」
指輪を渡された。
軽くひっくり返したりして見てみたが、特に何の変哲もなさそうな。
何かのアイテムのようだが。
「あるオプション機能つきだ。保険だが、もしそいつに何かあったらすぐにオレに連絡寄越せ。いいな!」
「わ、わかった」
ちょっとばかし鬼気迫る様子だったので、こくこく頷いてしまった。
言われるままに指輪を嵌める。
「杞憂だといいが……」
オクヒュカートの去り際のつぶやきは、多分独り言だったんだろうが。
余計に俺を不安にさせた。
メリーナの部屋へ行く途中、久しぶりにシーリアを見かけた。
しかもクローンじゃない。妊婦姿だから本体のほうだ。
彼女はいつもの気配察知で俺に気づいていたのだろう、声をかけてくる。
「アキヒコ。ちょっといいか」
「えっと……」
彼女は控えめに言っても嬉しそうに見える。
なんだなんだ。
シーリアの担当はオリジンの筈だぞ。
「先日の決勝戦のことだが……」
「決勝戦?」
俺が聞き返すと、彼女は怪訝そうに眉根を寄せた。
「ギャラクシーノイマンファイトだ」
「ああ……あれね」
あの頃の話は覚えているので、すぐにわかった。
だが、最近の俺は同期された記憶で不快な想いをすることが多かったので、チグハグなところがある。
決勝戦のことは覚えてない。
忘れてるとすれば、俺が消した記憶である可能性が高いのだが……。
何か嫌なことが?
でも、それだとシーリアが嬉しそうなのは何なのだろう。
「私は全力のお前と戦えると思って、宇宙の強豪を相手に多少の苦戦をしながら決勝まで勝ち進んだわけだが……」
それは、覚えている。
流石にひとつの星系から強者が集まっていただけあって、シーリアクラスの強さを持つ敵、下手をするともっと強い選手もたくさんいた。
彼女とて、対ザーダス戦の経験や聖鍵のテクノロジーを駆使した戦い方を覚えていなかったら、勝ち抜くことはできなかっただろう。
それでも敢えて俺達はブロックを別にして、決勝までお互い当たらないようにした。
まともな勝負で勝ち進んでいくシーリア。
強制転移や空間分割を使って、反則的な勝利を納める俺。
そんな流れだったはず。
「……というか、決勝戦?」
俺が覚えてないのは、自分で記憶を消した可能性があるとはいえ。
ノイマンファイトのプログラムは予選から、決勝トーナメントまでがちょうど1週間ほど。
開催されたのが5日前だから時間がずれている気がする。
ん?
……ん?
「決勝、終わったのか?」
「……何を寝ボケているんだ。お前が勝ったんじゃないか」
シーリアの話によると。
どうやら、ノイマンファイトそのものは俺の優勝で幕を閉じたらしい。
だが、シーリア自身は自分がどうやって負けたのかもわからないぐらい一方的な勝敗だったようだ。
「手加減しないで本気でぶつかってくれたのは嬉しいのだが……私は精神遮蔽オプションは装備して挑んだ。私の心を読まず、どうやって私をくだしたのかの種を教えてもらえないかと思ってな」
「ああ、そういうことか……」
「負けたときは流石にショックでな……何も聞けなかったし、そもそもその後も聞いていいものかどうか迷ったのだが。こうして、恥を忍んで聞きに来たというわけだ」
事情はわかった。
少々違和感を感じつつも、俺は自分にとって何か嫌なことがあるかもしれない覚悟で……素早く記憶同期を行なって答えを知った。
……なんだ、別に何も問題ないじゃないか。
どうして忘れていたんだ?
これで、俺は訳知り顔でシーリアに説明できる。
「バトルアライメントチップの説明は、もういらないよな?」
「ああ。私のデータを使って、私のように動けるというものだったな」
「当然、決勝の俺はアレを使った」
「だが、確か私の剣速を再現仕切れないから、マインドリサーチによる同期が必須であったという話のはずだが……」
あれ、そのあたりも説明したっけ。
したのかな。
「残念ながら、それは昔の話だな。そもそも、剣速を再現できなかったのは……あの剣がシーリアの魔法だったからなんだよ」
「そうなのか?」
「でなきゃ、あんな物理法則を無視したスピードで剣を振るえないよ。言ってみれば、アースフィアの剣士も達人とかになれば一種の魔法使いなんだ。まあ、剣や武器の扱いに特化した魔法使いなんだけど」
魔法習得オプションは声紋魔法の発音を人間に聞こえない周波数で再現することで、装備者に魔法を使わせる。
だが、剣聖クラスの使い手が無意識に利用する魔法を同じ技術で再現することは不可能だった。
完全義体などを使えば物理的に再現することはできるかもしれないが、どうしてもどこかで無理が出る。
「逆に言うと、その魔法さえ技術に組み込めればいいわけだ。これでもうわかるだろ」
「つまり、またチグリの仕業か……」
「ご名答」
この手の無理は、だいたいチグリで説明できる。
現在、彼女の生み出した魔法超科学とでもいうべきシロモノは実験段階のものが多い。
どこかで何かしら世界に副作用をもたらす可能性があるからだ。
バトルアライメントチップの強化のように、小さなところから実用化を進めている。
現在のチップのバージョンは、シーリアの戦闘力そのものをコピーできる領域に達したのだ。
「……そういうことか。得心はいったが、納得できないような微妙な気分だ」
「はは、なんとなく気持ちはわかるよ。まあ……シーリアは技術なしでも強いんだし、ズルしてる俺なんかに負けたぐらいで……」
「そうはいかん。いつかは、聖鍵の技術を超えたいと思っているんでな」
シーリアの求道精神は留まるところを知らないようだ。
俺には、とても真似できない。
「ゲームには負けてしまったが、いろいろな相手と戦えて、良い経験ができた。ありがとう」
「……どういたしまして」
ゲーム発案者がライアーであることを考えれば、あまり素直に喜べないのだが。
結果として、シーリアが満足しているならよしとするか。
……あれ? 俺にはシーリアに対する感情とかはないはずなのに、なんでだろう。
なんか、昔みたいに素直に笑顔で話せてる。
なんでだ。
というか、俺……相当おかしいな。
記憶が飛んでるし、そういえばノイマンファイトの決勝も……。
嫌な予感がして、スマートウォッチで時計を見る。
背中に氷を入れられたような感覚に、寒気を覚えた。
日付が、進んでいた。
まる3日間、俺の記憶は飛んでいた。




