Vol.30
宇宙要塞パズス。
惑星エグザイル……アースフィアの存在する星系の、ダークスに対する防衛の要。
何度か説明した気もするが、ルナベースと同規模の巨大艦艇であるペネトレイター艦隊を有する、物理的に考えられるおおよそ最大規模の宇宙要塞のひとつである。
パトリアーチはこの要塞の中枢区から、アースフィアに対してさまざまな介入を行なってきた。
聖剣教団の設立に始まり文化の調整、日本食や日本語の流布……。
三好明彦ができるだけ”快適にゲームをプレイできる”よう異世界ファンタジー世界を演出するために。
難易度イージーのチュートリアルを延々とプレイすることも可能な、接待用の世界の構築をするために。
パトリアーチは5兆を超える回数のループをずっと繰り返してきた。
介入されていたのはアースフィアだけに留まらず、ロボットもののお約束をとことん詰め込んだフェーダ星系も。
宇宙怪獣及び凶悪宇宙人に支配されたアスタロト星系も。
おおよそ考えうる限りの世界観が集積されたノイマン星系も。
ダークスさえも調整してきたパトリアーチ。
箱庭の脚本家。
『やはり、キミがエンディングに到達したか』
「パトリアーチ……」
パズスの中枢区。
かつて邂逅したときと同じように、パトリアーチのアバターは超然と浮かび上がっていた。
本来であればディメンジョンセキュリティによって固められたこの空間も、パトリアーチがすべての権利を失ったことで消滅していた。
現在は俺の聖鍵がパズスの中枢区を支配し、パトリアーチの牢獄として利用している。
「決着をつけにきた」
『決着? ふむ……まあいい。ともかく、ゲームクリアおめでとう!』
パトリアーチは満面の笑みを浮かべ、拍手した。
無音の拍手。
彼には現在、音声以外の再生を許可していない。
「お前……」
『恨み事のひとつでも言うと思ったか? とんでもない。全力で祝福しようじゃないか。まあ、今の俺はキミにすべてを奪われて、こんなことぐらいしかできないけどね』
パトリアーチの心を読むことはできない。
感情を持たない情報電子生命体に、表層思考などない。
0と1によって構築された量子的存在である。
「……本当に、一体何がしたかったんだ」
『俺の目的については話していたと思うけど? ループを途絶えさせないこと。データを集めること。そして、ダークスからこの宇宙を守ること』
「お前は最善の世界を探して、ループを続けていた筈だろう」
『肯定だ。そして、結論。そのようなものはない、という答えを得られた。キミがここに到達してしまったという時点でね。充分な成果だ。正直、兆などという微小な単位で結末を迎えようとは想定外だった』
俺も既に、人間の思考を超越している。
それでも尚、パトリアーチの行動原理は理解に苦しむ。
『アキヒコ。それほどまでに俺の態度が意外か?』
「俺の想定では、お前はループの継続そのものを目的としている筈だった」
『そうとも。肯定だ。ベニーのメッセージに託したとおり、俺は最善の世界を探し無限のループを繰り返す事そのもの……世界の無限創世システムの構築を模索し、そして失敗したんだ。無限連環する宇宙はループが閉じたことにより、有限であるという結論が得られた。無量大数後のループ世界で現れるはずの仮想三好明彦は、お前であると確定し大幅に前倒しされた。わかってもらえないかもしれないが、俺は成功を求めていたわけじゃない。成功するのか失敗するのか、その結末を見届けることを己の命題としていたんだ』
「造物主と同じように……」
『否定だ。彼は成功を疑うこともなかった。さらに違うのは、各宇宙を滅ぼすことなく新たな宇宙を並列的に存在させることができる点だ。彼よりは余程マシな方法だったと考えている』
「…………」
『アキヒコ。いや、敢えてオリジンと呼ばせてもらおうか。オリジンよ、キミは証明してしまったんだ。この宇宙に無限の可能性などないと。あるのは収束し、ひとつの終末へと至る螺旋の中心だとね』
「…………」
『造物主はどれほど創世を繰り返した所で、完全調和宇宙を生み出すことはできなかった。そして、彼の努力は無駄である事を俺とキミが証明したんだ』
「馬鹿な……」
『おや? 造物主は救世主たるキミにとっては、大敵であったはずだけど?』
「そういうことじゃない! そんな、そんな馬鹿馬鹿しい目的の為に……お前は宇宙を無限ループさせていたのか!?」
『肯定だ。いや、一部訂正しよう。ループは無限ではなく有限だったんだ』
無限の可能性などない。
そんなこと、子供でなければ誰もが感じることだ。
生まれによって己の人生のほとんどは規定されてしまうし、どれほど努力しようと報われないモノがあることなどわかっている。
だけど未来を知らないから、知らないでいられるから、まだ見ぬ明日を信じて足掻き続ける。
可能性は最初から有限だ。
そんなことを証明するために、無窮の時間を費やしたと……。
「無限でなくとも可能性ならある。現に俺はこうして、お前の前に到達している」
『ふむ。確かにそういう見方もあるけどね。まあ、一度答えの出た事案などどうでもいい』
己の存在そのものを賭けて繰り返していた努力を、パトリアーチは自ら切って捨てた。
『プログラムは次の段階に進む』
「お前にまだ先があると思ってるのか?」
『俺にはない。だが、キミにはある。さあ、俺を吸収するといい。それでお前は次の段階へとシフトする』
「…………」
『お前もそのつもりで来たんだろう?』
パトリアーチの言うとおりだ。
俺がここに来た目的はまさに、パトリアーチを取り込むことにあった。
機械仕掛けの救世主は、4つの要素から構成されている。
概念存在。情報電子生命体。機械知性体。完全生命体。
俺の目的はすなわち、機械仕掛けの救世主の復活。
俺が救世主概念ならば、パトリアーチを取り込むことで必要な部品は残り2つとなる。
『お前の予想しているとおり、俺はお前と同じく救世主の情報電子生命体としての部分を抽出された三好明彦だ。こうして救世主としての構成要素が三好明彦という個体に集まるとは、なんとも奇跡的かつ天文学的確率だ。いや、もはやここまで来ると必然と言えるだろう』
俺の思考が警鐘を鳴らしている。
このまま、パトリアーチを取り込むべきか否か。
もはや完全に人の領域を踏み外しているパトリアーチを吸収すれば、俺ももはや人として動くことはできないだろう。
残るパーツである機械知性体と完全生命体としての自分を探しに行くことしか考えられなくなる。
『何を躊躇うことがある。造物主との戦いに身を投じることは確定した。造物主と戦うには、完全体にならねばならない』
「戦いが確定している? 何を言っている?」
『お前の行動によって、宇宙の可能性は閉じられた。機械仕掛けの救世主を完成させ、過去の大戦の時代に時間遡行し、造物主を滅ぼさねばならない』
……まさか。
そんな、まさか。
『お前の考えているであろうことを肯定しよう、オリジン。我々こそが機械仕掛けの救世主なんだ。過去の大戦で造物主を滅ぼした機械仕掛けの救世主そのものなんだ』
「そんなことがあるわけが……」
『無限連環が閉じられた以上、終わりは始まりへと繋がらねばならない。もはや逃げられないんだ、オリジン』
嘘だ。
そんなことは、有り得ない。
『俺は機械仕掛けの救世主が過去の戦いにおいて、どのように発生したのかを調べた。突然だ。まったくもって唐突に出現するんだ、救世主は。
それまで宇宙に生きる者たちは、造物主による新たな創世による破壊を認識することすらできなかったんだ。
機械仕掛けの救世主がもたらした”聖鍵”という叡智によって、あらゆる生命は己の存在を次の段階へとシフトし、繰り返される宇宙の破壊を乗り越えるんだ』
もし、それが本当なら。
本当なのだとしたら。
『俺は機械仕掛けの救世主が過去に生まれる可能性を模索した。この宇宙が無限に続く限りにおいては、救世主が自然発生する可能性も残すことができた。だが、潰えた。お前が潰えさせ、可能性をたったひとつに絞り込んだんだ。
この宇宙に先はない。俺達はひとつの存在となり、過去を現在に繋げなければならない』
パトリアーチの言葉は厳然と告げられる。
今という次元がある以上、過去の戦いにおいて造物主は死ななければならない。
その死をもたらす機械仕掛けの救世主が過去に現れる以上、俺が過去に遡行することは決まっている。
宇宙の可能性が閉じられた以上、確定事項。
「だが、部品が足りないぞ。機械知性体と完全生命体が、まだループ途上に現れていない!」
『機械知性体とは、グラナドのことだ。あれが救世主の体だ。お前もすでに何度か融合しているだろう。
完全生命体はもうとっくの昔に完成して、アースフィアに送り込んである』
グラナド。
あれが救世主の肉体。
それは納得できる。
だが、完全生命体が既に完成している……?
『魔王ザーダスだ。彼女の心臓……もとい存在を根こそぎ取り込むことで、救世主は完成する』
その瞬間。
俺の世界の時間が停まった。
つまり、俺がこの手でラディを……。
馬鹿な。ふざけている。あまりにも、ふざけすぎている。
『彼女がメシアスの愛玩奴隷だったという情報は造物主の使徒を騙すための欺瞞情報だ。
ダークスを取り込みながら理性を保ち、ダークスそのものへの耐性を他者に与えることができる魔王ザーダスの心臓こそ、救世主に絶対的な防御力を与えるんだ』
オクヒュカートも言っていた。
ダークスの能力は、ダークスには通じない。
「なら、予言はどうなる! 魔王ザーダスを殺すような予言を残すのは何故だ!」
『ホワイト・レイで魔王が死ぬことは万に一つもない。八鬼侯第五位ダイカンドはそのために俺たちが用意しているんだ。それ以外の要因で死ぬなら、その世界は不合格というだけの話だ』
無機物の王ダイカンドも介入によって用意された兵器だった。
魔王として君臨するザーダスの運命さえ、全て調整済み。
すべての情報が、俺の中で繋がる。
繋がって、しまった。
『もはや悪戯に時間を紡ぐ必要はない。こうしている間にも、ダークスは我々の目と鼻、耳を欺き近くに潜んでいる』
「だが、俺には……」
『……救世主として完全に覚醒しているのに、ザーダスを殺すことに躊躇があるだと? そうか、まだ完全に人間性を譲渡し切ったわけではないんだな。保険を残していたわけか』
『ライアー』の殺人を許容するために、俺は自分の人間性を『王宮のアキヒコ』に譲渡してある。
だが、仲間たち……リオミやシーリア、ディーラちゃんにラディ、チグリ、ヒルデ、メリーナ、少佐、フランケン……それにベニー。みんなに対する絆までは、全部を預けていない。
あれを全部預けてしまったとき、俺は俺ではなくなる……。
『まあいい。俺たちが機械仕掛けの救世主になることは確定した。造物主の使徒が今更何をしようと関係ない』
パトリアーチが俺を見る。
いや、俺の後ろを見て。
『そうだろう……ベネディクト?』
いつから、そこにいたのか。
ルナベースの中枢区に置いてきたはずのベニーのアバターが、俺の背後に浮かんでいた。
俺の持つスマートフォンからアクセスしているのだろう。そのぐらいなら、彼女にもまだできる。
馬鹿な、彼女が造物主の使徒? そんなわけがない。
ないのに。
『あらら、全部バレちゃってたんですね~』
彼女は実にあっけらかんとカミングアウトした。
いや、そんなのはアバターの故障だ。
俺の嫁が造物主の手先であるわけがない。
『いつからお気づきに? 私が使徒だと』
『お前の発言履歴からだ。我々にとって造物主は敵だ。偉大なる神格、は持ち上げ過ぎだったな』
そんなの言葉のあやだ。証拠じゃない。
『それにお前は俺のことを”あのお方”なんて呼称しない。最善を目指しているという点では造物主も同じだからな』
あの時だけ、そう呼んだかもしれない。
『決め手は造物主の遺骸の破壊に強硬に反対した事だね。グラナド増殖は確かにループを危機に晒すが、それ自体は俺にとって大した問題ではないと知っていたはずだよ』
『あうう~……』
こいつらは、一体何を言っているのか。
この2人は、幾多のループを超えてきたパートナー同士ではなかったのか。
ベニーは言い返すこともしなかった。
ただ笑顔で。
『もー、ベニーちゃんってば抜けてますね……泳がされてたのは、私の方だったってことですか』
『そもそも、お前の協力なくして使徒の連中が我々の技術を使うことなど不可能だ。アズーナンでのクーデター、非活性ダークスの跳梁、すべてお前の仕業だろう』
『あちゃ~、さすがに調子に乗り過ぎましたかねぇ。でもま、あの辺は私もやりたくてやってたわけじゃないですからね?』
元からそういうセリフを用意してあったかのように、棒読みで会話するパトリアーチとベネディクト。
そこに、少し前まで仲間だったという絆はまったく感じられなかった。
…………。
…………。
そうか。
ああ、そうなのか。
先程は薄情にも、自壊なら仕方ないなどと思っておいてなんだが。
……ベニー。
心の何処かで、また元通りになれるんじゃないかと思っていた。
フェイティスと喧嘩したり、他ループの話で盛り上がったり。
パトリアーチさえ何とかすれば何食わぬ顔で戻ってきたりしてさ。
また皆で笑い合い。
あんなこともあったね、なんてさ……。
でも、ダメか。
俺達もう、戻れないんだな。
俺は、ベニーに対する思い出や願望を切り離し、すべて『王宮のアキヒコ』に送り込んだ。
途端に、目の前の少女が造物主の使徒である事実を受け入れられた。
ベネディクトは敵。
裏切り者だ。
これでいい。
ああ、なんと清々しい。
さっきまでの苦しみが嘘のよう。
人の心を捨て去れば苦しまなくて済むのだ。
なんてシンプルで、明瞭な答えであろうか。
『だが、何故ここに来た? ランクを剥奪され、実質的になんの力も使えなくなったお前が』
『ちょっとした命乞いです。ねえねぇ、陛下~』
……ひょっとして、俺のほうに話しかけているのか。
「何だ」
『私も別に、好き好んで造物主様の使徒やってるわけじゃないんですよ~。私が協力していた別の使徒の情報を渡しますから、なんとか助命して頂けません?』
『耳を貸すなよ、オリジン。そいつはお前の聖鍵にハッキングをかけようとしているだけだ』
『パトリアーチこそ、そうですよ! その男を吸収したら、乗っ取られるのは陛下の方ですよ!』
……なんなんだ。
なんだんだ、お前たちは。
俺に好き勝手なことを言って。
もう、いい。
面倒くさい。
――聖鍵、起動。
――情報電子生命体自壊ウィルス、生成。
――注入対象、パトリアーチ及びベネディクト。
『何をしてる! ここで俺を破壊するなんてことをすれば、この宇宙が……!』
『あ~ん、後生ですよ~陛下~!!』
2人のアバターにノイズが走る。
「……本当に必要になったら、プログラムから組み直してやるよ。聖鍵にお前たちのデータだけはコピーしたからな」
情報電子生命体は0と1の情報で構成された生き物。
俺たちと違って、魂は存在しない。
ガフの部屋から魂を汲み取らずとも、聖鍵により復旧可能である。
であれば、いずれ俺が本当に機械仕掛けの救世主になるのだとしても、パトリアーチを取り込む可能性を残しておくことができる。
宇宙が今すぐどうこうなど、なりはしない。
『そうか。なら予言しよう……お前は必ず俺を取り込む。もはや円環は閉じたんだ。おまえが過去に現れる救世主なんだ』
……それが最期。
努めて冷静な様子で、パトリアーチのアバターは消滅した。
『やだ。やだやだヤダ。陛下、私嫌です! 消えたくないです!』
ベネディクトは今にも消えそうなアバターを掻き抱き、必死に懇願してくる。
同情を引くためのアクションプログラムを走らせているのか。
だが、無駄だ。俺はベネディクトに対してもう何も感じない。
「ベネディクト。お前は世界を裏切ったんだ。報いを受けなくてはならない」
『お願いです。聞いて、話だけでも……!』
「二度目のさよならは言わないぞ、ベネディクト」
俺の言葉に彼女は絶望に満ちた表情を浮かべる。
芸達者な情報電子生命体だ。俺の同情を引こうと無駄なことをしている。
いよいよ観念したのか騒ぐのをやめたベネディクトは、ただ一言。
『……陛下、ごめんなさい』
儚いつぶやきを残して、消えた。
「造物主の走狗に謝罪される覚えはない」
俺は救世主。
敵にかける情けなどない。
すべての悪を処断し、己の独善でもって宇宙の理と成す。
今までも、そしてこれからもだ。
こうして。
この宇宙を多次元に渡り実質支配していた2つの情報電子生命体は終焉を迎えた。
「…………」
「どうした、勇者よ」
「たった今、パトリアーチを消した」
思考を同期したクローンが、俺のメッセージを伝えた。
アスタロト星系で未だにゲームをしているラディとディーラちゃんが、驚きの声を上げる。
「えっ、パトリアーチって確かアレでしょ? 別の世界のお兄ちゃん……」
「……そなた、やってしまったのか」
「ああ、俺がやった。これでアースフィアがいきなり吹っ飛ぶこともない」
「そっか~。なんか、お姉ちゃんのときと違ってあっけないね」
ループのこともあんまり把握していないディーラちゃんは、無邪気に笑った。
一方のラディは、神妙な顔つきだ。
「……和解の道はなかったのか」
「ああ。あいつと分かり合うのは不可能だった」
あいつが出した結論なんて、所詮は高次元並行世界理論に基づいての話だ。
俺が、過去に造物主を殺した救世主そのものなどと、馬鹿げている。
俺は単に、救世主としての概念を受け継いだだけのただの人間。
可能性は、閉じてなど……。
「ラディ。俺は……」
「うむ。何だ、言ってみろ」
成体の義体に入ったラディは、俺よりほんの少し小さいぐらいの背丈だ。
自然と、まっすぐに、目と目が合う。
俺は彼女を。
彼女は俺を。
「泣いているのか、勇者よ」
「え?」
指摘されて初めて気づいた。
頬に触れると、確かに涙が伝っている。
「……すまない。俺の中で整理してから伝える」
「そうか」
ラディは鷹揚に頷いた。
背を向ける彼女はまったくの無防備に見えて。
今の俺には殺せないが。
人間性をすべて切り離し、パトリアーチを再構成して取り込んだら……。
危険な思考だ。
先送りにしよう。
棚上げにしよう。
俺自らが可能性を閉じてしまえば、パトリアーチの言うとおりになってしまう。
今はパトリアーチの消滅を最も知りたがっている人物に、この情報を伝えるに止めよう。
「だけど、あいつがいなくなったなら……俺達もようやく、この不景気な世界からオサラバできるな!」
オクヒュカートが長年の抑圧から解放されて、喜びの声を上げた。
央虚界の連絡用に配置されているクローンから、ラディと同様の話を聞かせた。
「ぱぱー、おそとにいけるの?」
指を銜えながら小首をかわいらしく傾げるアナザーリオミ。
「おお、そうだぞリオミ! 外はすごいんだ。こんな殺風景な世界じゃなくて、空も青いし海も青いぞ!」
「わぁい、あおいんだ! ここのじめんといっしょ! リオミあおだいすき」
「おまえのお姉ちゃんにも会わせてやるからな! なあ、別にいいよなアキヒコ?」
「ああ……」
王宮の俺にも記憶が同期されたので、愛おしそうに自分のお腹を撫でていたリオミにオクヒュカートからの提案を告げる。
「話に聞いてた、もうひとりのわたしですか! なんか、魂吸われてた自分に会うのって複雑ですけど……」
「すごくいい子だよ」
「そうですか! ああ、なんだか今からワクワクします! アキヒコ様との赤ちゃんとももうすぐ逢えますし……!!」
この上ない幸せに包まれているリオミは、ずっとこんな感じのハイテンションだ。
一方、シーリアが俺を案じるように声をかけてくる。
「アキヒコ……顔色が優れないが、大丈夫か?」
「え、あ、うん……平気だよ」
「パトリアーチに勝ったのだろう? 一体、何があった」
「いや。自分を倒したっていうのが、ちょっとね……」
『ライアー』を切り離したというのに、俺は息をするように嘘を吐く。
シーリアは納得したわけではなさそうだったが、それ以上の追求はしてこなかった。
「ノイマンでの試合、楽しみにしているからな?」
「ああ、それまでにはちゃんとするよ」
一度彼女たちの元を離れ、俺は自室に入る。
そして、同期された記憶を思い出す。
「……オリジンが譲渡した人間性って、まさか……」
俺は王宮でみんなの相手をしたり、政務をこなすために用意されたクローンだ。
何の特徴もない俺に、どうして自我が芽生えたんだと思っていたけど。
「……俺に? オリジンの人間性が?」
だとしたら。
自分が嫌いだとか、聖鍵に持っていたコンプレックスとか、チグリへの罪悪感とか、殺人への忌避感とか……。
そういうもの、全部俺に押し付けたのか……?
自分だけ都合よく綺麗なアキヒコになって、汚い部分は全部俺に残していったっていうのか?
だとしたら、俺は本当に残骸じゃないか……。
ベニーの最期を思い出す。
オリジンは無慈悲に彼女を消し去った。
助けてあげたかった。許してあげたかった。
もう、あいつは三好明彦でもなんでもない。
救世主オリジンなんだ……。
あいつは今はまだ他のみんなへの感情を俺に送りつけていないが、時間の問題だ。
俺の中にラディに対する感情が芽生えた時、それが……彼女の最期となる。
こんなのを抱えて、俺に生きろっていうのか。
あんまりじゃないか……。
「あっはっはっはっは!!!!」
「えっ!? ど、どうしたんですかシャゼ少佐!?」
「いやー、悪い悪い、エイジ君。ちょっと思い出し笑いだ」
いやー、こいつは傑作だ!
本体の奴、味な真似してくれるなぁ!
俺の嘘吐きや殺人インパクトどころじゃないだろコレ。
自分の汚い部分を全部王宮のクローンに押し付けて、しかもそれのせいでクローンに自我が芽生えてるとかマジぱないわ。
すげえよ、お前、本当にすげえ。
ノブリスハイネスや俺なんか到底追いつけない最低っぷりだよ。
もう褒めるしかない。
「認めたくないものだな。自分の若さ故の過ちというものを……ってか? いやいや、それにしたって限度があんだろ」
「少佐! 戦闘中なんですよ!?」
「へいへい。ひとーつ、ふたーつ、おちろカトンボー」
連邦軍のモナドギアを適当に撃墜しつつ、俺こと『ライアー』は次の大舞台を心待ちにするのだった。
「あ、ぅ、はぅん……陛下ぁ。もっとお願いしますぅ~」
「よしよし、いい子だ」
妊娠中でお預け状態だったチグリは、クローンプレイにすっかり夢中になった。
今回の世界の主役は俺ではないので、側室のチグリのクローンひとりで我慢するとオリジンとは約束している。
俺としては全員本体を寝取るぐらいのことはしたかったのだが、オリジンとの力の差を考えると迂闊な真似はできない。
だが、ノブリスハイネスの辞書に我慢という文字はない。
お前ごとき救世主の塵芥に、俺の欲望を止められるものか。
もちろん、こんな記憶は同期しない。
やはり自我持ちは自分の記憶を同期するかどうかを選択できるようだ。
『ライアー』に感謝だな、ククク。
「ふわあああっ、陛下ぁー!」
パトリアーチも、もういない。
オリジンもいずれ、いなくなる。
もっとも使える人材を籠絡し……今度の世界では、宇宙の支配者となろう……。
「お父さん、どうして逃げるの?」
「王宮は危ない。フォスへ行く……」
「学校、毎日通ってるよ?」
「学院の寮を借りて、そこで暮らすんだ……」
俺はリプラさんとヤムを連れて、逃げた。
予想通りオリジンは俺の行動を見逃してくれた。
俺が警戒すべきは、ノブリスハイネスというクローンだ。
奴の目の届く範囲にヤムたちを置いておくわけにはいかない……。
「あなた……そろそろ、理由を話してください」
「リプラさん。もう、あそこは安全じゃないんだ……」
「あなた……どうして……」
リプラさんが悲しそうに涙ぐむ。
嗚呼、そんな顔はしてほしくない……。
「お父さん……お顔、怖い」
「ああ、ごめんよヤム! お父さんは今度こそ、うまくやるから! だから安心してほしい。ヤムたちの安全は保証する、キミたちのことは必ず守るよ」
「あなた………」
ヤムとリプラさんが怯えた顔で俺を見ている……。
それはそうだろう、こんな殺人鬼と一緒では不安になるのも仕方ない……。
だが、大丈夫だ、今回はうまくいく……。
きっといつか、俺のことをわかってくれる……。
三好明彦は静かに暮らしたいだけなのだ……。
「話せないというなら、聞きません。でも、せめてフランも一緒に……」
「フラン!?」
何故、あの女を……?!
ああ、そうかこの世界では彼女たちが双子の姉妹だと明らかになっているんだったな……。
だが、あの浄火派の売女なんかと一緒にいられるか……!
あの女……あのときは逃がしてしまったが……。
リプラさんたちが殺されたのは、あの女が醜態を晒したせいだ……。
今度会ったら殺してやる……!
「……ねぇ、アッキー。なんだか今、すごく嫌な予感がしたんだけど」
「ん? 気のせいじゃないかな」
東京スカイツリーにそっくりな塔の展望台で立ち止まるフランに、俺は努めて平静を装ってみせる。
「ちょっと、アースフィアの体に帰ってもいい?」
「い、今ここでは流石にまずいよ。せめて家に帰ってからにしよう」
「そう? まあ、アッキーがそう言うなら……」
フランの体は現在、母子ともどもマザーシップに保護してある。
オリジンがどうしてあんな危険なクローンたちを野放しにしているのかはわからないが、おそらく何か考えがあるのだろう。
俺も自我はあるが、ピース・スティンガーによってオリジンの制御下にある。
ああ、俺は何の悩みもなく彼に従って、何も考えずにフランと一緒にいられる。なんて幸せなんだろう。
「ねーねーアッキー。嘘でもいいからさー、自分のこと一番好きだって言ってくれない?」
「えっ、何いきなり」
「この星ではさ、自分たちのことを知ってる人は誰もいないんだもん。みんなに遠慮する必要もないし……。そりゃ、もちろん自分たちは今クローン同士で乳繰り合ってるだけだけどさ、ちゃんと子供だってできてるんだし……」
何やらもじもじしながら、上目遣いのフラン。
……あれ、フランってこんなキャラだっけ?
「これでも結構、我慢してたんだよ……?」
「あ、そっか……」
フランはアースフィアだと、決して楽な立場ではない。
実際、こっちにきてフランはかなり羽目を外している。
俺も、スティンガーを刺されているとはいえ自我持ちだ。
俺はこの世界の俺ではないのに、こうしてフランに言い寄られている。
これも一種のNTRシチュではないのか。
だが、これはオリジンに対する反逆になってしまうのではないか。
反逆は許されない。
「でもゴメン、やっぱり俺はフランとは……」
「……そっか、そうだよね。ごめん、忘れて」
フランはちょっと寂しそうに笑った。
ああ、ごめんよフラン。
でも、オリジンのことは裏切れないんだ!
「……でも、えっちはいいよね?」
「いいですとも!」
これは許可されてるので、何の問題もない。
ピースフィア万歳! アキヒコオリジンに栄光あれ!
同期された記憶に吐き気がした。
何もかもが狂っている。
ノブリスハイネスも、殺戮王も、ライアーも……そしてオリジンも。
三好明彦は分裂し、ピースフィアは狂気に侵されている。
そのことに気づいているのは、『アキヒコ』だけ……。
王宮担当のクローンである俺……いや、『アキヒコ』は王宮の空中庭園で。
メリーナと一緒に空を眺めていた。
「ああ、陛下。わたくしはこれほどまでに幸せで、いいのでしょうか」
「……メリーナ?」
「陛下は、わたくしに外の世界で起きていることをいろいろ聞かせて下さいます。
陛下はわたくしが悲しむようなことを、決してなさろうとはしません」
「そんなこと、当たり前じゃないか……」
「いいえ、そのようなことはありません。
現に、わたくしの父上と母上の夫婦仲は冷め切っております。
わたくしは側室の中でも一番格下。当然、陛下はわたくしのことなど気にかけないと思っておりました」
「馬鹿な……そんなこと」
メリーナが目を伏せる。
「ですが考えてみれば、わたくし如きに陛下がこれほどまでに尽くしてくれるのは望外です。
確かに少し前までは、わたくしは自分が一番の寵愛を頂けないことを不幸に思っておりました……。
「メリーナ……俺は……」
「その先はどうか、おっしゃらないでくださいませ」
儚げな微笑。
ユウギリの香りが俺の花を擽る。
「確かに陛下は時々わたくしのことを、悲しそうな目でご覧になります。
きっと何かしら、深遠なる理由がおありなのでしょう。
わたくしは決してそのことを聞こうとは思いませんし、話されることも望みません。
今、この刻を陛下と共に過ごしたいのです」
俺はこのとき、メリーナの瞳をはっきりと覗きこんだ。
彼女の目にははっきりとした意思が……催眠状態に陥っている目では、ない……。
「いいのです、陛下。いいのですよ……」
何も知らぬはずの、何もわからぬはずのメリーナの。
それは、赦しだった。
少し前の俺ならば、ただその目から顔を背け、彼女にヒュプノウェーブブラスターを浴びせていただろう。
だが、今はもう無理だ。
オリジンに対する不審、そして俺の中に押し込められた今回の三好明彦の卑念がそれをさせなかった。
「う、うわああっ……!!」
俺は彼女の胸に吸い込まれるように泣きついた。
年甲斐も分別も、何もかも捨てた。
彼女は少し驚いた様子だったが、無垢で優しさしか知らない女性はただ、ただ、俺を慰めてくれる。
嗚呼、メリーナは、ユウギリの花の香りはどこまでも俺の脳髄を痺れさせて……。
どこまでも、堕ちて行けそうだった。
ユウギリの花言葉は、禁忌……。
Episode05 Dark Menace ~FIN~
自我持ちクローンの紹介②
・『アキヒコ』
王宮担当のクローン。偽善を司る。
オリジンの持っていた人間としての甘さを、人間関係を除いて押し付けられたかわいそうな子。今回のアキヒコそのものと言っても過言ではない。思考に特化しているが、その夢想がよい結果をもたらすとは限らない。
・ブラッドフラット
フランと一緒にいた自我持ちクローン。
殺人経験があったというだけで、これといった特徴のない三好明彦。
ピース・スティンガーを打ち込まれた自我持ちがどうなっているのかというのを表現するためだけに出てきた。
「ダークスの脅威篇」完結。
「クローン叛乱篇」をお待ちください。
尚、ループ関係の話はややこしいので、感想欄での質問などを受け付けます。




