Vol.21
チグリの開発したピース・スティンガーは、対象の自我を破壊したり、ストレスを与えることなく、ピースフィア寄りに思考誘導できる。
対象の脳に直接打ち込む必要があり、殺傷能力はない。
基本的には不殺武器によって捕らえた相手を味方にするのに利用できる、『誰の心も痛めることのない兵器』だ。
……要するに、俺が一時期志向していた洗脳兵器の究極系を、チグリが完成させてしまったわけだ。
一定以上の知能がある対象にしか効果がないが、アースフィアで人語を解する種族相手ならば問題ない。
摘出は不可能であり、ヒュプノウェーブと違って効果は死ぬまで永続する。
これを使った場合、永劫収容所の政治犯たちの再教育プログラムを大幅に短縮することができるだろう。
グラーデン征服の際、チグリはすべての貴族にピース・スティンガーを打ち込んだ。
後に彼女に聞いたところ、躊躇いは一切なかったという。
思うところがないでもないが、やってしまったものは仕方がない。
事実、針を打ち込まれた貴族やクラップ王は、喜んでピースフィアに国を譲り渡した。
彼らは既にこちらの全面的な味方になってしまったため、収容所送りにする訳にはいかない。直轄領の王宮に住まわせることにした。
今まで以上の生活を保証してあげさえすれば、彼らが不満を漏らすことはない。
だからグラーデンのことは、もういい。
責任をもって民の生活レベル向上の政策もするし、他国への調整も行おう。
目下の悩みは、チグリが開発したピース・スティンガーの是非についてだ。
チグリを除いた女性陣をマザーシップのミーティングルームに呼び集め、意見を聞くことにした。
「わたしはいいと思います。それを使うことによって、アキヒコ様の理想が叶うのなら」
リオミだ。
彼女は俺を全肯定する。そう言うと思った。
「力ある者が他者を支配するのは当然の摂理だ。心は最後の砦であり、反抗心をもつ自由すら奪うという意味では、奴隷化と何も変わらない」
「シーリアは、反対か?」
「いや? アキヒコがいいと思うなら、使うといい。道具は使う者次第だ」
特に思うところはない……彼女は、そのように締めくくった。
「お兄ちゃんは殺したくないんでしょ? だったら、争わないために使うのはしょうがなくない?」
「王はそなただ。好きにするといい」
ザーダス姉妹の解答は、なんともあっさりしていた。
「わたくしは、もし自分に使われたらと考えたら……いっそ殺してほしいと思いますわ。でも、それはあくまでわたくしの意見であって、死ぬぐらいなら服従を選ぶという者もいますわね」
ヒルデは、それだけ言って黙り込んだ。
「私には、わかりません。自分の心が変えられてしまうかと思うと恐ろしいことだと思いますが……」
メリーナのそれは意見というより述懐だった。
個人的に、一番精神ダメージを受ける。
「んー、正直言って、自分はどうでもいいかな」
フランは無関心を装っている。
彼女のことだから、本音は全く別のことを考えていても不思議ではない。
彼女達にはマインドリサーチしない約束なので、使っていない。
そもそも、ディオコルトのような能力者を警戒して精神遮蔽オプションの指輪は全員装備しているので効かないが。
「あなた……」
リプラは不安そうに、俺を見つめてくるだけだった。
彼女の目に、今の俺はどう映っているのだろう。
「わたくしは、ご主人様には必要なモノになると考えます」
最後にフェイティスがそのように締めくくった。
ベニーはいない。
彼女の存在を気にする者はほとんどいない。
元々ベニーは、俺やフェイティス以外にはあまり話さなかったからだ。
……他の部下たちも表立って反対してくる者はいなかった。
俺の意見は最後に言うことになっている。
最初に俺の考えを言ってしまえば、彼女たちが自分たちの意見を言い難くなるからだ。
結局のところ、俺の一存にかかっている。
「俺は、ピース・スティンガーは人間の尊厳を踏みにじる、最悪の兵器だと思う。
シーリアも言ってくれたけど、心は人にとって自分を保つ最後の砦だ。
それすら奪ってしまうピース・スティンガーは、ある意味では命を奪う以上の冒涜と言える」
全員が、黙したまま俺の意見を聞いていた。
「だが、その上で敢えて言う。
この世界には、救いようのない悪党が確かに存在する。
ここにいるみんななら、わざわざ例を挙げる必要はないよな?」
全員がある人物のことを思い浮かべているという前提で話を続ける。
メリーナだけは、何のことだかわからなそうだったが。
「俺はピース・スティンガーを使う。このことについて、グダグダと話すつもりはない……結論は以上だ」
そのように皆には言ったものの、俺自身はこの件について相当悩んだ。
正直、まだ自分にこんな脆さというか、人間らしさが残っていたことは驚きだった。
同時に、これが俺の心の最後の砦なのかもしれない。
マザーシップのバーで、トランさんに調達してもらったアースフィアにおける最高級の酒を飲み、心の痛みを和らげる。
「……アキヒコ、手酌は関心しないぞ」
「シーリア……お前、今は飲めないだろう」
「嫁として、夫の酌ぐらいは務めるさ」
シーリアは最初の頃とは、随分変わった。
子供ができてから、シーリアはこれまでの勤勉さを、子育ての予習に使った。
リプラから子育てについてのノウハウを聞き出したり、チグリの助けを得て学院の図書館に篭ったり。
アラムの闇から完全に脱却したことで、シーリアは最高にいい女……もとい、妻になった。
「すまん。俺がこんなんじゃあ、みんな不安になるのはわかってるんだが」
「臣下の前では堂々としてもらわねば困るが、我々には甘えたほうがいい。アキヒコが壊れてしまうぞ」
「だけど、俺は……」
「お前は人間だ。弱さを全部捨て去ろうとするのは、強さではない。弱さを見つめた上で乗り越えるのが本当の強さだ。私はお前から、そのように学んだのだがな」
チグリにも、似たようなことを言われたなぁ。シーリアの手前、口には出さないけど。
「……シーリアの言うこと、今ならわかる」
「そうでなくては困る」
「俺はもうすぐ、こんな痛みさえ忘れてしまうかもしれない」
「いくらでも思い出させてやる。心を鎧で覆ったところで、本当の意味で強くなることはできないとな」
「……」
「その顔は、あの針について悩んでいるのではないな。チグリのことを気にしているのだろう?」
「……ああ」
俺は、チグリに海戦を命じたとき、ビジョンを無視して訂正しなかった。
自分も甘さを捨てなければと思い、チグリにも甘えがあるのが見て取れたので、彼女にもそれを求めたのだ。
その結果、チグリはピース・スティンガーを造ってしまった。
造ってしまったことはいい。
使ってしまったことも、この際だ。人格レベルで上書きする完全洗脳兵器よりは幾分かマシだ。
今回は意に沿わぬ貴族たちにチグリが使ってしまったが、以後は悪人を改心させることに使うようにすればいい。
俺視点の悪を虐げる政治は、今に始まったことじゃない。
だが、チグリを精神的に不安定にしてしまったことは悔やまれる。
決して強い子ではないと、わかっていたのに。
多くの点で昔の俺に似ている部分のある彼女に、苦しみを乗り越えてほしいと考えたのは、俺の我侭だ。
記憶を消せばいい……と安易な俺の一部が笑う。
リオミやシーリアにだって、ヒュプノウェーブを使ったことがあるではないかと。
メリーナにしていることを考えれば、どうということはないと。
だが、他の時とは事情が違う。
王妃組のときは、ラディとの衝突を回避するためだった。
メリーナの場合も、そうしなければならない理由がある。
だけど、チグリのケースは完全に俺の責任だ。
なかったことにするのは彼女に対する向き合い方としては間違っている気がするし、辻褄合わせを繰り返せばメリーナと同じように幾度かの記憶調整を継続する必要が出てくる。
大した接点のない相手ならともかく、一号側室として尽くしてくれているチグリの頭の中を弄り回し、俺の都合でリセットボタンを押す……。
ダメとかじゃない。
嫌だ。
そんなこと、したくない。
本当は記憶操作も嫌で嫌で仕方がない。
リオミのときもシーリアのときも、そして現在進行中のメリーナも。
あるいは、それでチグリが元通りになるとしても……もう嫌だ。
俺が女の子を傷つけるのは、サガなのか。
俺が人を幸せにすることなど、できはしない。
感傷だ。
……まだまだ俺も人間か。
「クローンで分離活動し始めた頃は晴れやかな気分だったのに、あの一件でまたなんかストレスが溜まってきているっていうか……」
「ふむ。それは、何らかの形で発散すべきだな」
俺が外側から受ける刺激は、クローンを動かす分だけ分散されている。
ただ、記憶同期する際にはストレスも共有されてしまう。
まともな人間ではあっという間に潰れてしまうであろうことを考えれば、人間らしさを失っていっている状況は一概にも悪いことばかりじゃないと思える。
「今夜は付き合ってやる。とにかく今は飲め」
シーリアが酌してくれた酒は、最高に美味かった。
それにしてもシーリア、酒の注ぎ方まで堂に入っている。
ソムリエをやらせても、一流になれそうだ。
いいなあ、酒は。酒はいい。
あれから2ヶ月ほどの時間が経過し、アースフィアは完全に内政のターンに入った。
各大公国は大きく発展を遂げている。
無限資源は聖鍵の大きな武器ではあるが、経済を成り立たせるために過度の供給は行わない。
トランさんは約束どおり、エーデルベルト王国相手に大きな商談をいくつか持ちかけ、1兆円分のお金をアースフィアの市場に回し始めた。
エーデルベルトの精神が廃れるかどうかは、国民の愛国心にかかっている。
グラーデンはピースフィアの属領となった。
代官としてポタミアを置いたが、ユーフラテ家の世襲というわけではない。あくまで、俺が有能と思った人材を置くだけだ。
彼は今回の決着方法に納得したわけではなかった。だから、こちらの要求する水準まで民の生活レベルを引き上げられたら、大公国としてやり直すチャンスを与えることを約束した。
実を言うと、このあたりには一悶着あったのだが、今は言うまい。
バッカスを始めとする都市国家群は、これまでどおり放任することにした。
好き好んであそこで暮らしている者は、そうすればいい。
そんな自由すらなかった者たちは、相当数をカドニアに移住させることに成功している。
現在残っている課題は、非活性ダークスを発生させた黒幕だ。
オクヒュカートがアズーナンのクーデターについて無実なのは既に明らかであり、別の何者かがアースフィアに対して攻撃する意志があることは間違いない。
授業参観のとき学院付近をうろついていた不審者は、聖鍵派スタッフの見回りを増やしたら、まったく現れなくなった。
ただの不審者だった可能性もなくはないが、自動セキュリティに引っかからなかったことからダークス関連の疑いは捨てきれない。
聖鍵騎士団にも、引き続き追わせている。
央虚界の探索は、今も続いている。
造物主の遺骸に対する攻撃は中断したままである。
グラナド増殖がパトリアーチの怒りを買う可能性があったからだ。
そう。最大の懸念は、やはりパトリアーチの動きである。
ベニーを俺の下から外した理由はわからないが、警戒されていると考えるべきだろう。
いずれ決着を付ける可能性が高いとはいえ、徒に刺激するのは得策ではない。
今は、ヤツにとって有益な並行世界データを提供し続けるしかない。
俺が本当にその気なら困ることはほとんどないだろうが、最終目標は既にループの終結を目指す方向で調整がついている。
パトリアーチに対して、なんらかの成果を上げ続けねばならないということだ。
ベニー曰く、俺の欲望は基本的にアースフィアの冒険で満たせてしまうので、外宇宙攻略に実際に乗り出したケースは多くないらしい。
せいぜい、他の星系に旅行に出かけるくらいで。
「多くの可能性を見せるという意味でも、やっぱりアースフィア以外の星にも行ってみるべきだろうな」
ルナベース中枢区で、俺は呟く。
パトリアーチは、俺に自由にやれと言った。
言われた当初は途方にくれただけだったが、今ならいろいろやりようもある。
「多次元宇宙連合における最大の罰は『自由』……」
レールに敷かれる事が最大の幸福として教育されるメシアスの民は、自由こそ恐ろしいモノだと刷り込まれる。
自分の判断をコンピュータに委ね、間違いを犯すことを何より恐れるのだ。
「『自由』を手に入れるために死んでいく人だっているというのに……それが罰なんて、酷い話だな」
パトリアーチ……お前の檻の中での自由なんかじゃなく、俺なりの自由の形を見せてやる。
『……全部聞こえてますからね、聖鍵陛下。それとも聞かせているんですか?』
「ようやく出てきてくれたか。会いたかった」
ベネディクト枢姫……彼女の声は、聖鍵を通して俺の頭に直接響いてきた。
俺の声は、マインドリサーチで筒抜けだったというわけだ。
まあ、聞かせるためというのはそのとおり。精神遮蔽オプションも今は外してある。
『妙なこと、考えないでくださいね? 陛下は何も考えず、ただ自分の世界で頑張ることを考えてくれればいいんです』
「パトリアーチに首輪を嵌められた状態で、か?」
『”あのお方”に逆らった愚かな陛下も確かにいました。貴方の中にも、いらっしゃるのではないですか?』
ベネディクトの詰問に、俺は肩を竦める。
「生憎と、記憶まで完全に引き継いでるわけではなくてな。再経験しない限り、朧げとしかわからないのだよ」
『……? なんだか前と口調が違いますね」
「この2ヶ月ほどで、俺も内面が変わったのでね」
「……そうですか。ともかく貴方が考えていることの一部を肯定します。あのお方が探しているのは、確かに最善手であって、ループの打破ではありません。むしろ、ループをできるだけ長く引き伸ばし、最高の結果を100%の形でもたらすことが目標なのです。
こう言ってはなんですが、陛下の通っているルートは最適解ではあっても、最善とは程遠いかと』
「やっぱり、俺でループを終わらせる気はないということだな? これがループを終わらせる最後のチャンスかもしれないというのに」
『終わらせる必要が、そもそもあるのでしょうか? 無限連環宇宙が構成されたことで、宇宙は永遠を手に入れたとも言えるのです。決して滅びることなく、継続していくことが可能なのです。そこにエントロピー摩耗はなく、再生に破壊を伴うこともありません』
「平行線だな。まあいい、わかってたことだ」
『肯定です。陛下が今までの陛下と違うのは、今まで収集したデータからわかっていました』
ベネディクトは、俺の頭の中でクスリと笑った。
プログラミングされただけの、非人間的な笑い方だった。
俺もそれに、笑ってみせる。
「俺は、ベニーのことは結構嫌いではなかったんだがな」
『ありがとうございます。私、今回の陛下は……今までのループの中で一番嫌いでした』
「そうか。どうでもいいって言われるより、全然よかった」
『私にとって本当の陛下は、ひとりだけ。他の陛下に心を許したりするものですか。ましてや、貴方のように複数の女性と関係を持つことをよしとするような男に……』
「…………」
『それでは陛下。短いお付き合いでしたが、またあのお方からのメッセージを届ける必要がある場合には、連絡させて頂きますので。これで』
「さようなら、ベネディクト」
「はい、さようなら。ご自愛くださいな、陛下」
こうして、俺達は別れた。
いや、この表現は正しくないか。
彼女のルートは、とっくの昔に別の俺に攻略されているのだから……最初から、終わっていたのだ。
「……こっちにいたか」
振り返ると、いつの間にかラディが立っていた。
「ラディ? どうして中枢に」
「お前が、思いつめているようだったからな」
「そういえば、お前はAAランクのアカウント持ってるのだったな……」
ゲストアカウントのランクにおいて、AAランクには2種類ある。
一時的なAAランクと、永劫AAランクだ。
俺がクローン操作のために、一時的に騎士団に与えたのが一時的なAAランク、ベニーやラディは永劫AAランクだ。
永劫AAランクのほうは、俺の聖鍵でも上書きできない。
「……そなた、まだ余に話していないことがあるのではないか?」
「どうして、そう思う」
「余に相談してこないからだ」
「随分、自信過剰だな」
「うむ。自信において、余の右に出る者はそうおらん」
つるぺた幼女が、ない胸を張る。
これが大人になると、凄いことになるのだが。
「余に隠し事はよせ。元より余に残された絆はそう多くないのだ。お前と秘密と共有するぐらい、許してくれてもいいのではないか」
「…………」
「そなたも既に承知と思うが、余はすべてを受け入れる覚悟ができておる」
ラディの出生については、側室たちに話してある。
おそらく彼女も、皆の態度から何かを隠されていることを察知したのだろう。
「……わかった。ベニーも完全に脱退が決まったし、頃合いかもしれないな……」
どちらにせよ、いつか話そうと思っていたことだ。
ループのことも、今まではリオミとシーリアにしか話していない。
ラディにも……彼女のルーツを話そう。




