Vol.38
飛び込んだ場所は、おそらく広間のような場所だ。
おそらくというのは、暗視装置を通しても見通せない闇……ダークスがあたりに立ち込めているからだ。
ダークス係数は666%。
アースフィアの魔力値から考えられる最大値。
そして、魔王ザーダスのダークス係数と同値である。
「……よく来た、勇者たちよ」
幼子の声が聞こえてくる。
「ザーダスか! 姿を見せろ!」
シーリアがあたりを見回しながら、叫ぶ。
サド氏族の気配察知でも、これほどの瘴気の中では正確な居場所まではわからないらしい。
「待っていろ。今往く」
最も闇が立ち込める空間の中から、彼女はゆっくりと姿を現した。
「……え…………ラディ?」
「いかにも」
驚くシーリアに、ザーダスは鷹揚に頷いた。
彼女はまだ、瘴気に侵されていない。闇避けの指輪を外していないのだ。
だが、それでもこれほどの瘴気……魔王と同値のダークス係数の濃度が計測されてしまっている。
「余の真の名は、魔王ザーダス。シーリアよ……今まで騙していて、悪かったな」
「はは……そんな、嘘だ。出鱈目だ。お前が、魔王であるわけがない」
「真実だ」
狼狽するシーリアに、ザーダスは静かに答えた。
「余は勇者のホワイト・レイによってすべての力を失い、魔王となる前のこの姿に戻ってしまったのだ。ディーラは無力な幼子となった余を、そなたたちから守ろうとしたのだ」
「ディーラ……そう、なのか?」
『……シー姉、ごめん……ごめんね……』
シーリアの戸惑い気味の追求を、ディーラちゃんの涙まじりの電子音声が肯定する。
「……アキヒコも知っていたのか?」
「ああ。最初からじゃないけど、ザーダスが目覚めた頃にディーラちゃんの様子がおかしかったんで問い詰めたんだ」
「他に誰が知っている」
「フェイティスとリオミだ。フェイティスはショウギをやったときに疑惑を抱いたみたいで、その後に俺に追求してきた。リオミに話したのは、本当につい最近だ」
「…………」
「すまない、シーリア。お前には、なかなか話す踏ん切りがつかなかった」
俺は罵倒を覚悟した、が。
「……いや、そういうことなら……納得だ。私が話せば、ラディ……いや、ザーダスを殺そうとしただろうからな」
俺の謝罪に、意外にもシーリアは怒らなかった。
厳かな佇まいのザーダスが、朗々と俺に語りかけてくる。
「勇者よ……そなた、余が幼子の姿をしていることに驚かんのだな」
「もう、全部気づいてるよ。お前、シーリアに斬られるつもりだな」
「……お見通しか」
「気づいたのはディーラちゃんだ」
『お願い、お姉ちゃん。こんなことはやめて』
超宇宙大銀河帝国の暗黒竜が、その姿に不釣合いな少女の声で必死に説得を試みる。
「ならぬ。余は多くの罪を犯した。その償いはせねばならん……そして、シーリアの両親を……この手にかけたことも」
「……?」
ザーダスの言葉のニュアンスに、奇妙な違和感があった。
念のため、俺はザーダスにマインドリサーチを使用する。
まだ瘴気に囚われていないなら、俺の意識が引っ張られることはないはずだ。
「シーリアよ、余を殺せ。そなたには、資格がある」
「…………」
シーリアが、葛藤している。
だが、彼女が下す決断は既にビジョンで見たとおりだ。
シーリアがやめたいと思っても、彼女の中のアラムがそうさせない。
ザーダスを殺すのは、シーリアではなく、アラムなのだ。
そこに、彼女たちが築いた信頼関係は一切斟酌されない。
ザーダスとシーリア両方を真の意味で救うルートがないのは……このためだ。
「だが、私は……お前を……」
「何を躊躇うことがある! 余は、そなたの父ディアスと母エミリアを殺したのだぞ!」
「なっ!?」
俺は思わず呻いてしまった。
ザーダスの言葉に、ではない。
今の思考、本当か?
前提が全て覆るぞ。
どういうことだ?
ディーラちゃんの証言とは矛盾する……。
いや、違う。
ひょっとして、俺達はとんでもない勘違いを……。
「う、ううううっ……!!」
俺が考えている間に、シーリアの表情が変わっていた。
美しい貌が憎悪に染まり、鬼の如く変容している。
「……魔王、ザーダス……!!」
シーリア……否、剣聖アラムが一歩を踏み出す。
ザーダスは動くことなく、彼女の動きを見守っている。
「シーリア、待て!」
「うるさい! 黙っていろ、アキヒコ! これは、私とあいつの問題だ!」
「シーリア!」
「黙れ黙れ! 私は殺すんだ。ザーダスを斬り、父と母の仇を討つ! そのために、そのためにだけに私は剣聖になったんだから、やらなきゃ、やらないといけないんだ、そうしなきゃ私が私でなくなってしまうんだ!」
あのときと同じ。
俺に決闘を挑んでこようとしたときと、同じだ。
彼女はアラムに呑まれている。
やはり、こうなるか。
こうなった彼女に言葉は届かない。
だから、俺は。
「な、何をする!」
「…………」
俺は、空間拘束を使ってシーリアの両手両足を完全に消滅させた。
これで、彼女は走ることも剣を振るうこともできない。
俺より前に突出していた彼女の前に回りこみ、息のかかるくらいの距離まで顔を近づけ。
表情を完全に消し去った。
「お前は黙れ、アラム。俺はシーリアに話しかけているんだ」
「……!」
「引っ込んでろ」
できるだけ非人間的な響きを声に載せた。
どちらが上かをわからせる、そのための儀式。
アラムは俺に一度負けている。
本来ならば、俺に命奪われた概念。
言ってみれば、俺は次期アラム。
絶対服従というわけではないが、先代までの魂は俺の意をある程度汲む。
シーリアが最終的に俺に従って、死を選ばなかった理由のひとつだろう。
「ちょっとくすぐったい……いや、死ぬほど痛いぞ」
「アキヒコ……?」
不安そうに、俺を見つめてくる。
俺はそんな彼女を安心させるように笑いかけ。
ホワイト・レイ・ソードユニットでアラムの心臓を貫いた。
「がはッ!?」
嫌な手応え。
シーリアが、ビクリと痙攣して動かなくなる。
ディーラちゃんもザーダスも、この行為の意味がわかっているので、慌てたりはしなかった。
目を背けてはいたけど。
愛する妻を手にかける経験に、ビジョンが明滅する。
そうか、シーリアを止めるために彼女を殺すこともあったのだな……。
もちろん、今回は違う。
俺は聖鍵に、チグリ謹製の不殺チップで同属性を付与していた。
絶対魔法防御オプションと同時に使用可能である。
これで完全にアラムの魂を浄化できたかは、わからない。
少なくとも、シーリアが暴れることはなくなると思う。
あとは、シーリア自身が魔王ザーダスを赦せるかどうか。
気絶してしまったシーリアに、気つけの薬を飲ませる。
むせながらも、彼女は意識を取り戻した。
念のため、空間拘束は解いていない。
「すまん、シーリア」
「アキヒコ……私に一体何をした……」
「後で話す。それよりシーリア。お前の両親は間違いなく魔王ザーダスに殺されたんだな?」
「……そ……そうだ。父さんと母さんは、15年前の魔王討伐に出かけたきり、帰って来なかった……」
「ザーダス。お前はシーリアの両親を殺したのか?」
「そうだ。余は嘘は言わぬ」
これまでは、そうだった。
俺に対して、決して嘘を言わなかった。
だが、彼女はこうして俺の指示を守らず、ここにいる。
ザーダスの周囲を取り巻くダークスどもが、早く自分たちを使えとアピールするかのように蠢いている。
「……うっとおしい」
俺は空間収納装置から、無数のマイクロ・ホワイト・レイの砲口を露出、瘴気に向けて発射した。
白き光が闇を染め上げ、黒を駆逐する。
完全に全滅したわけではないが、ザーダスの周辺に跳梁していた闇はだいぶ薄まった。
「そなた、いつの間にそのようなものを……」
「ホワイト・レイはどんどん小型化に成功してんの。チグリのおかげでな」
「…………恐るべき男よ」
恐ろしいのはチグリだと思うがな。
本当のところ、聖鍵専用だったホワイト・レイ・ソードユニットを改良して、ディオコルトに掴ませた偽聖鍵……というより量産型聖鍵に搭載したんだけど。
いや、実際これは強い。
聖鍵騎士団の正式装備にしようと思う。
「さて……お前は確かこう言ったな、ザーダス……嘘をつかないのは、たったひとつの嘘を一度だけ信じさせるためだと」
「ほう、あのような戯言を覚えておったか」
「お前は嘘をついている」
「ふん、何を根拠に……」
「忘れたのか。俺はお前の心を読むこともできると……」
「…………」
ザーダスが小さく舌打ちした。
彼女はできるだけ本心を隠すように気をつけているが、質問に対して思考しないのは難しい。
俺は、ザーダスの心の牙城を切り崩しにかかるべく、最初から決定的な言葉をぶつける。
「お前……シーリアの両親を殺してないんだな」
「なっ……!?」
驚愕したのはシーリアの方だった。
「馬鹿な。魔王討伐から帰って来なかったんだぞ!」
「そ、そうだよ。あれから、あたしも人間の姿なんて見てないし、お姉ちゃんも久々にいい勝負だったって……」
ディーラちゃんも、自分の記憶を手繰り寄せながら反論する。
「でも、人間を殺したとは言ってなかったはずだ」
「そうだけど……」
「ルナベースには、15年前の遠征のことは確かに残ってる。魔王城戦でのザーダス、ディアスとエミリアの戦いも。でも、勝負が具体的にどうなったのかは、魔王の極大魔法でナノマシンが全部吹っ飛んだせいで残ってないんだ」
俺もザーダスが嘘をついていることがわかって初めて、そこに着眼できた。
あの魔法を食らって、シーリアの両親が生きているはずがないと結論していた。
だが、真実は違ったのだ。
「ククク……では、勇者よ。仮に余が殺しておらぬとして、彼奴らはどうなったというのだ? 余が殺さずとも、他の魔物に食わせたかもしれんし、そなたがダイカンドごと吹き飛ばしたやもしれんぞ」
「…………」
どちらも嘘だ。
だが、ザーダスもそう簡単に尻尾を掴ませない。
「おっと、そうなると困ったことになるな。勇者がシーリアの両親を殺したことになってしまう。うむ、それはない」
「…………今、考えたな。シーリアの両親のことを」
「む……」
「そうか、そういうことか」
「馬鹿な、はったりはよせ。余は考えてはおらぬぞ!」
「ダイカンド……確か、ザーダス八鬼侯の第五位だったな」
「……!」
ダイカンドの名を出したとき、わずかだがシーリアの両親のことを連想した。
シーリアの両親は当然ふたり。
入り込む枠がふたつ。
間違いない。
「第八位……ディオコルト」
「……」
「第七位ヴォイエルト」
「……」
「第六位オーカード」
「……」
「第五位ダイカンド」
「……」
「第四位ゴズガルド」
「……」
「第三位ヴェルガード」
「……」
「なあ、ザーダス。
第一位と第二位は誰なんだ?」
しばし、広間を静寂が支配する。
「……空位だ」
「そうか。確かにルナベース検索によると、15年前ぐらいまでは確実に空位みたいだな。でも今は、誰か存在するはずなんだ。正体不明って出るからね」
「むぅ……」
「ちょうどふたり。誰が収まってるんだろうな?」
「ア、アキヒコ……まさか……嘘だろう? そんな……」
「ああ、今ザーダスが連想してるのは……お前の両親だ。シーリア……」
いかなるループにおいても、ザーダスが隠しおおせていた真実。
あるときはシーリアのため、あるときは魔王として滅び、如何なる俺も知ることがなかった事実。
「もう隠しても意味ないぞ、ザーダス。八鬼侯のうち、第二位、第一位、そして……第零位は、今アースフィアにいないんだな」
「……そなたには、かなわんな。勇者よ」
ザーダスがついに観念し、肩を竦めた。
「如何にも。ディアスとエミリアは、余の軍門に下り、魔性転生した。人間としての記憶を残したまま余に仕えておるのは、あのふたりだけだ」
「一体、何をさせている?」
「第零位……オクヒュカートを追跡させておる」
「オクヒュカート……」
「同志であったが……余を裏切り、ダークスに魂を売った男だ。現在、この次元にはおらん……言ったであろう? ダークスは別の世界からも来るのだと」
「……」
蓋を開けてみれば、そういうことだった。
ザーダスは、シーリアの両親を殺していなかった。
殺されたというのは、帰って来なかったという情況証拠のみ。
「嘘だ……両親は、お前と戦い、誇り高く死んだ……そうなのだろう? そう言ってくれ!」
「シーリア……?」
シーリアの方を振り返る。
彼女の表情は悲しみに歪んでいた。
両親が殺されたと信じていたときよりも。
「嫌だ……。父さんと母さんが、私を置いていったなんて……信じないぞ!!」
「すまぬ。できれば、そういうことにしておきたかったのだが……」
「嘘だ! ザーダス、お前が殺したんだ!」
「そのとおりだ。人間のとしてのディアスとエミリアを殺したのは、紛れもなく余だ……」
俺が見るべきだったのは、シーリア……アラムの憎悪だけではなかった。
ザーダスが抱く罪悪感。彼女の背負い込んだ途方も無い罪業。
永遠に償い続けても尚、決して降ろすことの出来ない十字架。
「……そうだ、お前が殺した。信じない……信じたくない……」
「そうだ、シーリア。そなたには、余を殺す権利がある。できれば、これはやりたくはなかったが……」
……来たか。
わかっていた。
だが、俺は敢えて問う。
「何をするつもりだ?」
「勇者アキヒコよ。余は、そなたに会えてよかったと、心底思う。そなたこそ、アースフィアを……否、宇宙を救う英雄だ」
……今、ザーダスの意図が明確に読めた!
やる気だ。
俺は予め用意していたセリフを叫んだ。
「よせ、ザーダス!!」
「さらばだ、勇者。そして、ディーラよ……達者でな」
『お姉ちゃん!!』
ザーダスはディーラちゃんに微笑み返すと、指輪を外した。
闇避けの指輪を。
「瘴気が……!」
ザーダスに殺到する。
これまで闇避けの指輪で近づくことのできなかったダークスどもが、一斉に群がったのだ。
駆け寄っても、もう遅い。
慌てることなくマインドリサーチを切る。このままだと俺もダークスに呑まれかねない。
すぐにシーリアの拘束も解く。
「う、うう……」
「おい、しっかりしろシーリア!」
シーリアの肩を揺さぶるが、なかなか正気に戻らない。
『お兄ちゃん! お姉ちゃんが! お姉ちゃんがぁ!』
「お前もしっかりしろ! ショックな場面は見ることになるけど、ちゃんと助けるって言っただろう!」
『うう、でもぉ……』
「大丈夫、昔ならいざ知らず、今なら方法はある!」
なんとかディーラちゃんを宥めることには成功した。
シーリアは依然として、目の前の光景に茫然自失状態だった。
「シーリア! 戻ってこい!」
頬を張る。
「うっ……アキヒコ?」
「よく聞け、シーリア。魔王ザーダスに勝つには、お前の力が必要だ」
「でも……私には、もう、魔王を倒す理由がない」
「だったら、俺のためでもいい!」
「アキヒコの、ため……」
ザーダスは、俺がシーリアを止めることを当然予測していた。
だからこそ瘴気を集め、闇避けの指輪を外した。俺達に、自分を魔王として討伐させるために。
俺はマインドリサーチをするまでもなく、ザーダスがこうするとわかっていた。
止めることもできた。
だが、俺はそれをしなかった。
シーリア説得のため。
かつて果たせなかった悲願を達成させるため。
彼女自身の手で決着をつけさせるため。
「お前なしじゃあ、無理なんだ!」
「…………」
「お前はまだ、ザーダスを殺したいか?」
シーリアは、首を横に振った。
思わず心の中でガッツポーズする。
アラムの浄火は、うまくいったんだ。
「じゃあ、ザーダスを救ってやりたいとは思わないか。あの子はずっと孤独な戦いをしてきたんだ」
「孤独な戦い……私と同じ……」
「そうだ。あいつは覚悟してやってた。あいつは、その罪も全部背負い込んで、そして消えるつもりなんだ。お前はそんなの許せるか!? 俺は絶対に許さない!」
「アキヒコ……」
「お前が魔王を倒して、家族を救うんだよ!」
魔王に戻ったザーダスを、アラムに倒させるのではなく、シーリアに救わせる。
それが俺が辿り着いた思考迷宮の終着点。
「あいつはもう、俺にとって、かけがえのない家族なんだ……お前はどうなんだ? あいつと交流して、何も感じなかったのか?」
「…………」
ダークスの吸収を大方終えたザーダスは、既に着ていた服を破り、瘴気できわどい箇所を隠している。
その表情は妖艶で、カリスマに満ち、危険な美しさを放っていた。
「使え」
「これは……」
「さっき預かった剣だ。今のお前が使うのは、こっちだろ?」
「……」
シーリアは、おずおずとソード・オブ・メンタルアタックを受け取った。
だが、彼女は白閃峰剣も離そうとしなかった。
「……わかった。やってみるよ、アキヒコ」
そう言うシーリアの表情は、俺のよく知る女性のものだった。
シーリアはメンタルが弱い。
俺と同じだ。
だけど、彼女は成長を模索した。
俺のように思考迷宮で遊んだりせず。
先に進むべく、努力をし続けた。
他の並行世界でもそうなのだから、彼女だけが例外なはずがない。
「仇を取るためじゃなく」
シーリアは右手の白閃峰剣を横に振るい。
「誰かを救うために」
左手の不殺の剣を騎士の誓いの如く胸の前で立て。
「そして……」
立ち上がり、ザーダスを見据えた。
おそらくふたつの意味を込め、誓いの言葉を謳いあげる。
「……家族を、取り戻すために」




