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九十三、アレシア編 離散集合




あれから数時間は経過しただろうか。私はレクーサさんに、基礎の基礎から常識という社会で生きる為の最低限のマナーを延々と講釈し続けた。


レクーサさんはどうやら常識を全く知らない危険人物だったらしく、普通の人ならそこまでかみ砕いて言われたら逆切れされるような程度の低いレベルの話にも、素直に驚きの表情を見せていた。


「……という訳です。分かりましたね?」


「……うん」


はは、流石に数時間ぶっ続けて話すと疲れるよ。とはいえ、レクーサさんには常識という奴をしっかり叩き込んだから、今後あんな事はないという事は確かだ。


「……じゃあ、私は謝らないといけないね。あなたに、迷惑かけちゃったから。ごめんなさい」


レクーサさんは私の前に立ち、頭を下げてきた。口調からも反省の気持ちが伝わってくる。


「いいえ、気にしないで下さい。だから、頭を上げて?」


「……許して、くれるの?」


頭を上げ、私に不安げな表情を見せるレクーサさん。


「ええ、相手が非を認めて謝罪してきたら許すのは当たり前の事です」


「……ありがとう」


ぎこちなく笑顔を浮かべ、感謝を述べるレクーサさんは少女らしく清純でかわいらしい。うん、あの欲情した時浮かべた笑顔より、こっちの方が私は好きだな。そういえば、あのテクニックは何処から仕入れたのだろう……いや、聞いたら後悔しそうだ。

それより、この謎空間について質問しよう。たかが質問するまで、随分長かったなあ……私は感慨深い気持ちでレクーサさんに話し掛けた。


「あの、レクーサさん。質問があるのですがいいですか?」


「……分かってる。この空間について、でしょ?」


「はい」


一体この空間は何なのだろうか。広さと言い、床の材質と言い、分からない事が多数に渡る。


「……私ね。あなた以外にも、謝らなくちゃいけない人がいるの」


ん? それがどういう意味を持つのだろう?


「……封鎖領域と接続。……目標確認。目標を、移転」


レクーサさんがぶつぶつと何やら呟く。


すると、何の前触れもなく突然四人の人物が現れた。


四人の内、二人は私の知っている人物だ。田口伊吹に、イブキ‐アレシア。ただ、何故だか田口伊吹は転生前の男性の姿である。そして残りの二人は分からない。


一人は艶やかな灰色の髪の毛に、紅い目。彼女自身も事態を把握出来ていないらしく、キョトンとしている。顔の造りや、身長、体型はレクーサさんとほぼ同じで唯一異なるのが灰色の髪の毛だ。彼女は伊吹と対面に立ち、その小さな両手には……!? チョコレート、だと! いや、落ち着くんだ私。今は状況把握が先だ。


チョコレートは後で分けて貰うとして、もう一人もレクーサさんと似た外見をしていて相違は漆黒の髪の毛のみ。黒髪の彼女はイブキに両手両足を押さえ付けられ、仰向けで床に横たわっている。また、イブキの肩にはディーウァが乗っかっており何故だか全員目をつぶっている。


うーむ……二人の様子を見てると、私とレクーサさんとの事があるので邪推してしまう。目をつぶっているのはいきなり衆知の元に曝されたからだろうか。まあ、合意の上なら何も言うまい。




んんん? ちょっと待てよ。何で私と田口伊吹とイブキ‐アレシアが同時に存在しているんだ?


確かに人格としては三つに分裂したが、肉体は一つしかない。つまり、同時に同じ場所にいるなんてありえない。これはどうなっているんだか……レクーサさんから何らかの回答を貰わないと、何が何だか分からない。レクーサさんは何処だ? あ、黒髪の彼女のところか。


「チクショー! また目が見えねえじゃねーか!」


「フュロル! 暴れるな!」


レクーサさんは騒ぎ立てる黒髪の彼女とイブキ‐アレシアのすぐ側に立ち、ジーと二人を覗き込んでいる。二人は未だに目をつぶったままだが、フュロルと呼ばれた黒髪の彼女の言動から目が見えないらしい事が分かる。理由はよく分からないが、暗い所から明るい所へでも移されたのだろうか。


「アレシア‐J‐バルカ。これは一体どうなっているんだ?」


後ろから田口伊吹が話し掛けて来たので振り返る。表情から彼も困惑している事が伺えるけど、私も同じようなものだ。


「いや、私にもさっぱり。というか、どうしてその姿を?」


「自分にも理解出来ん。気付いたら既に男だった」


そんな馬鹿な……。レクーサさん、これもあなたの仕業なの?


「少なくとも、この空間についてはあのレクーサという名前の白髪の彼女が知っているみたいです」


「そうか、じゃあ聞かせて貰おうじゃないか」


そう言うなり伊吹はレクーサさんの元へ歩み寄っていく。気のせいだろうか、伊吹が怒っていたような印象を受けた。何だか引っ掛かる。


「アレシアちゃんだーっ!」


私もついて行こうとする。しかし、背中から灰色髪の彼女が突っ込んできた。まさか自動展開型魔法障壁で弾く訳にも、避けて彼女を床にダイブさせる訳にもいかず、直撃をわざとくらう。


「くぅ……」


彼女の頭が私の背骨に当たり、鈍痛が地味に響いてくる。


「えへへへー」


正面に回り込んできた灰色髪の彼女は、ひざを床につけ私の腰に抱き着きながら、ただただニコニコと笑顔を浮かべている。その太陽のようなまばゆい笑顔に、私は文句を言う気が失せてしまった。心なしか、背中の痛みも和らいだ気がする。一体誰だろう。


「あなたの名前は何ですか?」


「ソールスだよ? えへへー」


ニコニコニコニコ。ソールスさんは笑顔を絶やさない。天真爛漫の笑顔とは、こういうものなのだろうか。


「何で、私にくっつくんですか?」


一概に駄目とは言わないが、純粋に理由が分からない。何か目的があるんじゃないのか?


「えーと、何でだっけ?」


ソールスさんも、分からない。何でだ。


「えーとねー」


ソールスさんは顔をしかめる。どうやら考え始めたようだ。はてさて、思い出せるのか。どうでもいいが、彼女には笑顔が一番似合う。見ていて和やかな気持ちになる。その笑顔が消えたのは若干残念。


「うーん……」


そういえば、伊吹はレクーサさんとまともな会話が出来ているかな。ソールスさんに抱き着かれながらも、首を少し捻って数メートル離れた場所にいる二人を見遣る。


「レクーサ、だな?」


「……そうだよ」


「この世界について何か知っているそうだが、よければ教えてくれないか?」


「うん。だけど……みんな一緒に聞いて貰いたいの」


二人は未だ騒ぎ立てている黒髪の彼女とイブキ‐アレシアを見下ろす。ちょうどその時、黒髪の彼女の目が開いた。


「ははっ! アタシが先に……うえ?」


黒髪の彼女はレクーサさんと伊吹を見て、開いた目をさらに大きく見開き、体を硬直させる。


「ディーウァ! フュロルを何とかして下さい!」


イブキが黒髪の彼女、恐らくフュロルの発言を受けて焦り出す。イブキも頻繁に瞬きを繰り返しているから、もうそろそろ目が見えるようになるだろう。


『ご主人様……その必要はないと思うです』


ディーウァもレクーサさんと伊吹を見上げ呆然としながら、上の空な口調でイブキに返答する。


「え? どうしてですか? 確かに何故だか抵抗しなくなっていますが、ただ休憩をはさんでいるだけ…………」


遅れてイブキも視力が回復したらしい。始めに右隣にいるディーウァを、次にイブキの真下でほうけているフュロルを、最後に首をぐるりと回してレクーサさんと伊吹を見て、口をだらしなく開け一言呟いた。


「何、これ?」


最もな意見だ。


「テメェよくもやってくれたなっ!」


何だか知らないが真上に乗っかっている茫然自失の体をなしているイブキを跳ね飛ばし、赤光剣を物質創造でその手におさめたフュロルが突然レクーサさんに斬りかかる。


レクーサさんは目をつぶるだけで、抵抗しようとしない。


まずい。レクーサさんが何もしない以上、私が対処しないと彼女が危ない!


フュロルが赤光剣を振り下ろす。物質創造を、え!? 伊吹がフュロルとレクーサさんとの間に割り込んで来た、これじゃあ何も出来ないじゃないか! 一体どういうつもりなんだ!?


「はぁ、どうしてこうなるのやら」


「なっ!? んな馬鹿な……」


うお……伊吹がフュロルの振り下ろした赤光剣の柄の部分を掴んで奪い取ってしまった。赤光剣の剣の部分は大抵の物質をドロドロに出来る熱を持ってるのに、よくあんな危ない事出来るなあ。伊吹、かっこいいじゃないか。


赤光剣の柄にある、剣の部分である赤い光を出し入れする為の押すタイプのスイッチ。それを押して刃を失った赤光剣を真っ黒なズボンのポケットへ納める伊吹。それから鋭い視線をフュロルへと向ける。


「君は何故こんな事をするんだ?」


「う、うるさい! あんたにゃ関係ないだろ!」


一方、赤光剣を取られて動揺しまくっているフュロルは伊吹にそっぽを向き、ぶっきらぼうに突っ返す。恥か怒りかは分からないが、顔は真っ赤に染まっている。


「関係ないかは分からないぞ。ソールスはレクーサに酷い目に遭わされていたらしい、君も同じような目に遭ったからレクーサへ斬り掛かったんじゃないか?」


伊吹の語りかけにぶっきらぼうに突き返すフュロル。


「……なら何で邪魔したんだよ!?」


伊吹は後ろで目をつぶったままでいるレクーサさんへと振り返る。


「それは、レクーサ。君の口から事情を聞きたいからだ。何故君は彼女達を、いや、ソールスの場合しか知らないから少なくともソールスをどうしてあんな苛烈な環境の空間へ閉じ込めたんだ? 釈明はあるか?」


「……ううん。私が、全部悪かったの」


伊吹の鋭い口調に顔は俯き、手を落ち着きなく絡み合わせながらも、レクーサさんは自己弁護など挟まず言い切る。


「そうか、っ!?」


物質創造の利点は物質を自由に出したり消したり出来る事。赤光剣は伊吹のポケットから掻き消え、フュロルの手の中へ移動していた。


「死ねよバカっ!」


そして赤光剣はレクーサさんの肉体を貫いた。


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