第32話 寝取り屋レグルス
凶手スピネル。
強盗騎士アゲート。
ファイア・サンド盗賊団。
密売人ニッカ。
遠耳のジギタリス。
冒険者“骸漁り”――。
いずれもカージュの街、及びその周辺地域に悪名を轟かせる者達である。
人々から疎まれ、忌み嫌われる存在に間違いはないが、一部特定の人種から必要とされていることもまた確かだ。
求める人間がいるかぎり、彼らが消え去ることは決して無い。
闇を払う光は、新しい影を生み出す。
たとえ正義のもとに駆逐しようとも、何処から生まれた別の悪名が知らず街に浸透していく。
そしてまた、街の暗部に名を連ねようとする者が一人。
◇◇◇
「あなたはご存知でいらっしゃる? “寝取り屋レグルス”という男。近頃よく街で噂されているの」
カーテンの引かれた薄暗い部屋で、女は男の首に手を回し、しなだれるように身を預ける。
「いいえ、恥ずかしながら。僕は商談でしばらく街から離れていたもので、その手の話題には疎いのです」
男が困ったように微笑みかけると、女は首を振り笑みを返した。
表情はうっとりと、耳まで紅潮させて。
「お忙しい方だもの。同じ商人でも、うちの夫とはやっぱり違うわね。……それにこんな素敵な贈り物、あの人はしてくれたことがない」
「よくお似合いですよ、奥様」
女の手を、下から支えるように男が持ち上げる。
宝石が嵌め込まれた指輪が光り、女は指先を男の頬へと伸ばした。
「奥様……?」
広い木製のベッドが軋みをあげる。
困惑した声を出しながらも、倒れかかってきた身体を男は受け止めた。
女の熱い吐息が、男の首に吐きかけられる。
「……ねえ。もう一度、いいでしょう」
「ですが、旦那様がそろそろ――」
「まだ帰らないわ。ね、側にいてくれるのなら、私からも良いものをあげるから」
そう言って女が差し出したのは、隠し持っていた夫の顧客台帳だった。
特に優良な顧客のみがリストアップされた台帳には、名や仕事場、家族構成に購入実績。
さらにはマメな夫が調べ上げたのだろう、好みの嗜好品や休日での過ごし方まで事細かに記されていた。
「これは……」
「大丈夫よ。少しくらい奪い取っても絶対に気づかない。鈍いもの、あの人。……だからお願い」
顔に微笑みを貼りつけたまま両手を広げ、従順な女を胸へと迎え入れる男。
夢中で身を寄せる女を尻目に、男はカーテンの隙間にそっと手を伸ばすと、握っていた金貨に窓から差し込む陽光を反射させた。
男がシーツへと押し倒され、しばらく。
狙い澄ましたようなタイミングで扉が乱暴に開けられ、帰るはずのなかった家主が勢いよく寝室に踏み込んでくる。
「あ……あなた……どうして……」
一糸まとわぬ姿で間男と一緒にシーツへ包まっているのだ。
蒼白な顔をしながら呆然と呟くばかりで、女が言い訳の一つも口に出来なかったのは当然という他ない。
「やっぱりお前だったか……っ。この尻軽女が! これまで何人の男に俺の客を流してやがった!?」
「ち、ちがう! これはちがうのあなた! この男が無理矢理――」
「黙れッ! この期に及んでまだ嘘を塗り重ねるのか!」
糾弾と言い訳が飛び交う中、男は狼狽することもなく服に袖を通し、さっさとベッドから降りた。
「お、お待ちなさい! どこへ!? 私だけ置いて逃げるつもり!?」
背後のヒステリックな叫びにも決して振り向かず、男は夫とすれ違いざまにぼそりと呟く。
「残りの金を忘れるなよ」
「ああ、わかってる……!」
忌々しげに吐き捨てる夫に対し、念を押すように一瞥を投げて男は部屋を出ていった。
二人のやり取りに困惑した女が、引き攣った笑みを浮かべて夫へ問いかける。
「なに……? いったい、なんの話をしているの……?」
「鈍い女だ、まだわからねぇか! お前が熱を上げてた、今の男が“寝取り屋レグルス”だよッ!」
その後、この夫婦がどうなろうとレグルスの知ったことではない。
ただ依頼を終えたばかりの疲れた体を引きずって、いつものように街の中心部へと向かう。
すっかり暖かな春の陽気にあてられてなお、なんの感情も読み取れないほどその顔は色を失くしていた。
◇◇◇
長い石段を底まで下りる。
華やかな冒険者が集うギルドには目もくれず、湿っぽく薄暗い路地へと入り込む。
目当ての男は、汚れた地面に平然とあぐらをかいて座り、昼間だというのに酒をあおっていた。
俺にとっては見慣れた光景だったので、かまわず声をかける。
「フィッチ」
「ん? ……ああ、どこの御曹司が迷い込んで来たのかと。今回は商人でしたっけ」
赤ら顔で鼻を鳴らすフィッチ。
だらしなく伸びた髪は輝きも失われ、もはや金髪ではなく、くすんだ黄色に見える。
落ち窪んだ目がいかにも不健康だ。
髪も髭も整えれば、わりと見れた顔をしてるはずなんだが。
まあ、俺が指摘するようなことじゃない。
「仕事は終わった。後金を受け取っておいてくれ。あんたの取り分はいつも通り、先に抜いておいてかまわない」
「ええ、わかりました。が……しかし」
歯切れ悪く了承したフィッチは、どこか自嘲気味に笑んで俺を見上げた。
「なんでおれなんです? 金を持ち逃げするかもしれませんよ?」
風体を見れば、フィッチが金に困っていることは誰でもわかるだろう。
俺だって信用してるわけじゃない。
でもだからこそ、こいつは逃げない。
「たった一回こっきりしか得られない金と、俺との縁が続く限り手にすることが出来る金。どちらが得かもわからないなら逃げればいい。そのときは他の仲介役を探すだけだ」
「じゃあ、あなたを王宮に売るかもしれない。褒賞出るんですよね? もしくは、たとえば怖い連中に脅されたらおれは平気で裏切りますよ」
あれこれ“自分は相応しくない”と訴えるフィッチに、ため息がもれる。
おそらく、報酬に見合う働きをしている自信が無いのだろう。
黙って甘い蜜だけ吸っておけばいいものを。
本当に不器用な男だ。
「約束したはずだ。俺が関わる案件に、もしあんたが巻き込まれた場合は多額の金を払うと。命を落としたのなら、あんたが指定した人間へ確実に渡す」
「だから裏切るなと?」
「そうだ。娘のために金がいるんだろ?」
仲介役にフィッチを選んだ理由の一つだ。
重い病に冒された一人娘がいるらしいことは事前に調べていた。
妻はいないようだが、詳しい事情にまでは踏み込んでいない。
フィッチは酒瓶をあおって俯くと、どうでもいいように吐き捨てる。
「酒のためですよ」
そう言うなら別に否定するつもりもない。
俺としてはこれまで通り仲介役をこなしてくれれば文句はなかった。
「そういえば、また一件依頼があってですね」
「え? なんでもっと早く言わないんだ」
「へへ、すいません。忘れてました」
「……頼むよ、まったく」
接触してきたのは強面の男で“ハニーバジャー”と名乗ったらしい。
依頼の詳細は対面して話したいとのこと。
少し悩んだ末、日時と場所をフィッチへ伝えた。
「――たしかに、承りましたよ。ですが盛況ですね、寝取りの仕事」
曖昧に笑うフィッチは、なぜこんな仕事に需要があるのか理解出来ない風情だ。
もっとも簡単な理由としては“レグルス”の名が広まったことが大きいのだろう。
俺にとって初めての依頼――あの案件。
当初は美談に仕立て上げられていたはずなのに、聖王宮は突如、掌を返した。
不当に聖女を貶めた犯罪人として“レグルス”の名を公表し、国中に手配したのだ。
身柄を拘束したものには褒賞金も出るという話で、晴れて俺も悪人どもの仲間入りを果たした。
おかげで仕事には事欠かなくなったのだが……。
王宮で何が起こっている?
聖女の追放は妥当だったのか。そしてアパリュ丘陵での戦による大損害。
民衆のみならず王宮内部でもその責を問われ、現王のムリフェインは心労により倒れたと聞く。
つまり今、聖王宮で多大な影響力を持っている人物は――。
「……レグルスさん?」
「ああ……いや、なんでもない。今度の仕事も、首尾よく頼む」
やめておこう。
今さら王宮について、俺があれこれ考察してどうなる。
もう終わった話なんだ。
青空の下で、淡く輝く金色の髪を揺らして振り返る、あの微笑み。
胸が苦しくなるほど屈託のない笑顔を、その幻想を必死に振り払った。
変装を解き、下流の川辺で髪の染色を落とす。
くたびれたローブを纏うと、フードですっぽり顔を覆い隠した。
定刻通りに宿へ戻れば、厨房から顔を出した宿の娘が、せわしなく駆けつけてくる。
「お帰りなさい、お客さん。今日の夕飯はどうしますか?」
「いや、外で食べてきたから大丈夫」
「そうなんですか!? せっかくいいお肉仕入れたのに」
「それは悪かった。今度はいただくよ」
「絶対ですよ!」
ふくれっ面も一瞬のことで。
すぐにパッと表情に花を咲かせ、娘は厨房へと引き返していった。
カウンターテーブルを通り過ぎようとしたところ、頬杖をついていた宿の店主から呼び止められる。
「なあ、あんた」
「? 宿代ならまだ日数の余裕があったはずだが」
「や、そうじゃなくてな。前もって宿代払うくらい潤ってるなら、格好にも少しは気を使ったらどうだい?」
服は、寝取り屋として仕事をするときには惜しまず購入している。
そもそも王宮に手配されている身の上で、普段から目立って良いことなんて一つも無い。
「それ、いいですね! よかったらあたしが今度、一緒に街でお客さんに似合いそうなの見繕ってあげましょうか?」
「王宮の仕事も無くなったからな。あいにく、懐が潤うほど儲けちゃいないんだ」
顔だけ覗かせていた娘は「そうですか……」とつまらなそうに漏らして厨房へ引っ込んだ。
「はぁ〜あ。そんな甲斐性なしに、娘は絶対にやらんからな」
「何を言ってるんだ、あんたは」
こちらも店主に嘆息を返してやり、二階へあがる。
建て付けの悪い扉に手をかけて、ふと立ち止まった。
床板の軋みも気になるくらい、老朽化が進んだ安宿なのに。
不本意ながら、ここへ戻ると“帰ってきた”という安堵がある。
殺伐とした空気が和らぐような――。
「……馬鹿馬鹿しい」
久しぶりに初依頼のことを思い出して、感傷的になり過ぎたか。
寝取り屋なんてものを生業にしてる俺に、安息なんて許されない。
求めていない。
こんな日は、とっとと寝てしまうに限る。
後日。
フィッチが言っていた依頼人と顔を合わせる日だ。
指定した繁華街の屋台に、上背は低いがずんぐりと恰幅のいい男が一人、骨付き肉とスープを汚く貪っている。
伸びた黒髭と鋭い眼光。
強面という特徴も一致する。
「……あんたが“ハニーバジャー”か?」
声をかけながら隣へ座ると、男は食べかけの骨付き肉を目前に投げてよこす。
粗雑な男だ。
「喰えよレグルス。にしてもずいぶん賑やかな場所を選びやがったな」
人の通りはひっきりなし。
だが雑踏に紛れて、密談を交わすには逆にうってつけとなる。
こちらが考えるほど、人は他人に関心を持たない。
「遠慮しておく。それよりも仕事の話をしよう。俺は誰を寝取ればいい?」
飲み干したスープの皿をテーブルに投げ、ハニーバジャーは肉汁で汚れた髭や口を豪快に腕でこすった。
「ち……せっかちな野郎だな」
こちらへ据わった目を向けるハニーバジャー。
額には深い切傷痕があり、一般に生きる民衆なら絶対に近づきたくはないと思うだろう。
人で賑わう場所には他にも利点がある。
それは何をしでかすかわからない依頼人への抑止になるということだ。
「だが気に入ったぜ。いいか? てめえに任せる女の名は“ジプシナ”ってんだ。期限は――特には無えかな。そのかわり必ずモノにしろ」
期限なし?
楽な仕事にも思えるが。
「相手は? 誰から寝取ればいいんだ?」
「“魔獣”だ。……なんつったっけな。まあ詳しい話はジプシナに聞いてくれや」
「は……?」
なんだ? 魔獣と言ったのか?
ハニーバジャーはすでに依頼が成立したかのように、気分良く追加の注文などしている。
「その魔獣というのは、いったい」
「だからジプシナに聞けつってんだろ! それより好きなもん喰え。ここはオレが奢ってやる」
肩に腕を回してこようとするハニーバジャーを手で制し、はっきりと口にする。
「悪いがその依頼は受けない」
「……あん?」
場が凍りついた。
片眉を吊り上げたハニーバジャーが、凄みのある形相を寄せてくるも、譲る気は無い。
神だの、魔物だの。
人間以外から寝取るのは、もうたくさんだ。
ろくな事にならない確信がある。
「てめえ……オレの仕事を引き受けねえってのか?」
「だからそう言っている。今日のところは、縁が無かったな」
立ち上がり、さっさと踵を返そうとした直後。
ハニーバジャーが空へ向かって雄叫びをあげた。
馬鹿でかい声量に思わず耳を塞ぐ。
常軌を逸したハニーバジャーの行為に、道行く人間も何事かと足を止める。
さらに街角のあちこちから悲鳴が聞こえた。
逃げ惑う人々。
何が起きているのか視線を巡らせている間に、あれほど人で溢れていた繁華街から談笑や話し声、一切の雑音が消えていく。
屋台の店主すらもいなくなっていて、俺は数十人もの屈強な男達に囲まれていた。
どうやら兎一匹逃げ出せる隙間も無い。
「……正気か? 街のど真ん中だぞ。すぐに聖王宮の兵が来る」
男どもを従えて、ハニーバジャーは豪快に笑い、不敵に獣のような犬歯を剥く。
「うるせえ。泣く子も黙る“ファイア・サンド”だぜ? てめえに依頼を拒否する権利なんざ無えんだよ、寝取り屋」




