第75話:おかえりなさい
肌寒い風が吹き、薬草をサーッと揺らす音が聞こえて、私は意識を取り戻す。
知らないうちに眠っていたみたいだ……と思いつつも、何だか様子がおかしい。
魔獣化したリクさんのモフモフした毛に包み込まれていたはずなのに、それを感じられなかった。
なぜか横になっているし、手を動かしてペタペタと触ってみると、とにかくいろんな場所が固い。急に寒くなった気がするし、枕も変な感じする。
不審に思って目を開けてみると――、
「起きたみたいだな」
なぜかリクさんの顔が大きく映し出され、見下ろされていた。
なんだ、この展開は。こんな角度から見るリクさんは、初めてだ。
……ん? んんんっ!?
急速に目が覚めてきた私は、バッと体を起こして飛び起きる。すると、今まで頭を載せていた場所が、リクさんの太ももだったと判明した。
男性の太ももって、意外に固いんだな……。いや、今はそれどころじゃない。
「どうして私がリクさんに膝枕をされていたんですか?」
「俺が聞きたいくらいだ。魔獣化が解けたと思ったら、こうなっていた」
確かに、魔獣化していたリクさんが覚えているはずもない。
仮に記憶が残っていたとしたら、部屋に閉じこもりたくなるほど恥ずかしいことをしたと自覚して、居ても立っても居られなくなるだろう。
しかし、平然とした顔で立ち上がったリクさんは、冷静に周囲を見渡して、堂々としていた。
「パッと見た限り、魔獣化の被害があった形跡はないな。どうにも毛並みが変わると、魔獣の性格も変わるみたいだ」
エイミーさんを威嚇していたので、一概にそうとは言えない。どちらかと言えば、魔獣さんは私に甘えたくて、体を乗っ取っていただけのような印象があった。
そんなこと、さすがに本人には言えないけど。
「尻尾も元の銀色に戻りましたし、もう大丈夫そうですね」
「心配をかけたな。もっと自分の力で魔獣の血を抑えられればいいんだが」
「定期的に魔獣化していただいても大丈夫ですよ。大人しい子でしたので」
甘え上手な魔獣さんをモフモフして戯れたい、という私の願望である。
「意識を奪われる身にもなってくれ。妙に心が晴れやかになっているだけに、何をしていたのか気になって仕方がない」
そう言われてみれば、リクさんは眠そうな目をしていたのに、今はスッキリとした表情を浮かべている。
もしかしたら、リクさんと魔獣さんの心は繋がってるのかもしれない。
モフモフされるのも好きだし、撫でられたい場所も同じだったし……。リクさんって、本当は甘えたい願望でもあるのかな。
「何をしていたのか、知りたいですか?」
「いや、俺の尊厳に関わる気がして、聞いてはならない気がする」
ただ、リクさんはガードが固い。魔獣さんとは、そこが大きく違う。
リクさんの心の内を少しくらいは聞いてみたかったけど、どうやら難しいみたいだ。
でも、今は元気なリクさんが戻ってきてくれたことを、素直に嬉しく思う。
「一つだけお伝えしておくべきことがあるかもしれません」
「何かあったのか?」
力強い赤い瞳に見つめられた私は、大きく息を吸う。
そして、喜びを我慢できない子供のように頬を緩めた。
「おかえりなさい」
こんな何気ない言葉を伝えられることが、妙に嬉しい。私の平穏な日常は、本当に戻ってきたのだ。
「ああ、ただいま」
優しく微笑み返してくれたリクさんと私は、自然と見つめ合う。
こうして二人だけで顔を合わせるのは、王都でデートしたとき以来だろうか。それからすぐにリクさんが遠征に出かけて、ずっと寂しかったはずなのに、今は傍にいるだけで心が満たされている。
夫婦って、こういう感情を分かち合う人たちのことを言うのかな。リクさんは今、何を考えているんだろうか。
「リクさん、しばらくはこのままいてくれますよね?」
「そのつもりだ。心配をかけたな」
スーッとリクさんの大きな手が伸びてきて、私の頭を撫で始める。数時間前とは、逆の立場になっていた。
モフモフされるのって、こんな気持ちなのかな。魔獣さんが撫でられたがっていたのも、なんだか納得する。
じゃあ、今度は私が頭を押し付ける番になるんだろうか。それはさすがに恥ずかしいような――。
ガサガサッ
ふと、今は来るんじゃない、とイケメンさんが揺れた音を聞いて、私は周囲を見渡す。
すると、両手に毛布を持つエイミーさんの姿が目に映った。
「ごめんなさい。やっぱり私、お邪魔だったかしら」
どうやら魔獣化が解けたと気づいて、風邪を引かないように毛布を持ってきてくれたみたいだ。
彼女に悪気はないと思うけど……、何とも間が悪い。ガサガサッと揺れたイケメンさんが、悪い奴じゃないんだぜ、とフォローまでしてくれていた。
別に怒っているわけじゃないんだけど、私、今どんな顔をしているんだろう。ムスッとしている自信はある。
「邪魔だったなんて、全然思ってないですよ」
「……ぷっ。そうかしら。二人ともそういう顔をしているようにしか――」
エイミーさんに笑われた、その時だった。突然、彼女が足から崩れ落ちるようにして、地面に倒れ込む。
受け身も取らず、まったく動かない彼女は、どうにも様子がおかしい。思わず、私とリクさんはすぐに駆け寄った。
「だ、大丈夫ですか?」
「意識はあるみたいだな」
リクさんの言う通り、エイミーさんは気絶したわけではなく、意識がある。その証拠に、戸惑うように何度も瞬きをしていた。
「全然平気よ。平気なんだけど……」
エイミーさんと目が合うと、ぎこちない表情を向けられてしまう。
「私、もしかしたら、死んだかもしれないわ」
『あとがき』
次回から一部シリアスな展開が混じりますが、すぐに抜けるのでご安心を。あくまで、ハッピーエンドなので!





