第74話:魔獣さん
魔獣化したリクさんと一緒に地面に腰を下ろし、薬草たちを眺めながら、私は彼の頭を撫でていた。
どうやらリクさんの体は、完全に魔獣の血に乗っ取られたらしい。でも、凶暴だと周知されている魔獣さんの目的は、モフモフされたいだけだった。
なぜなら、少しでも頭を撫でることをやめると――。
「くぅ~ん」
寂しそうな鳴き声と共に頭を押し付けて、ベタベタと甘えてくる。とてもではないが、リクさんが自分の意思でやっているとは思えなかった。
これには、近くで薬草をスケッチしていたエイミーさんも、驚きを隠せないでいる。
「私、お邪魔かしら」
ガサガサッ
空気読めよ、と言わんばかりにイケメンさんが揺れた。
でも、こんなことは今まで一度もなかっただけに、私も状況がうまく把握できていない。
「えーっと、お気遣いなく……?」
「別にいいわよ。私はもうそろそろ活動時間に限界が来る頃だし、マーベリックさんの方はそうでもないみたいだから」
「グルルルルル」
私が取られると思ったのか、小さく唸り声を上げた魔獣さんは、エイミーさんを睨みつける。
赤い瞳から放たれる鋭い眼光は、威圧しているとしか思えなかった。
「心配しなくても、ご主人さまは取らないわ。睨むのは控えてちょうだい」
「グルルルルル」
「聞いてないみたいね。これは他の獣人たちにも近寄らないように言っておいた方が良さそうだわ」
「あははは……。なんだかすいません」
「気にしないで。いつもお世話になってる代わりに、こういう時はちゃんと協力するわよ。注意喚起しておかないと、獣人たちがパニックを起こしそうだもの」
魔族の血が流れるエイミーさんや、動物の本能が反応する獣人たちは、魔獣化の圧を必要以上に強く感じてしまうんだろう。
魔獣さんの隣に座る私は、大きな番犬が唸っている程度にしか感じなかった。
「本当はもっと大人しいはずなんですけどね」
「レーネ先生が特別なんじゃないかしら。ワンちゃんにとっても、マーベリックさんにとっても、ね」
「……リクさんにとっても?」
「あら、気づいてないの? レーネ先生って、意外に鈍感なのね。彼、ずっとレーネ先生のことを気にしているわよ」
「その話、詳しく聞かせてもらってもいいですか」
「ワンちゃんに怒られたくないから、遠慮させてもらうわ。それに、ふぁ~……。もうお昼寝の時間なの」
魔獣さんに強く睨みつけられ、エイミーさんは追い払われるように屋敷へ戻っていった。
何だか申し訳ないと思いつつも、魔族の血も影響しているので、罪悪感はあまりない。むしろ、鈍感だと言われたことの方が頭に引っ掛かっていた。
「リクさん、そんなに気にかけてくれていたんですか?」
「くぅ~ん」
頭を強く擦りつけてくる魔獣さんは、ちゃんと言葉を理解しているような気がする。
リクさんの意思によるものなのか、魔獣さんの意思によるものなのか、それとも両方ともそういう気持ちを持っているのか……。
確認しようがないけど、一つだけ確かなことがある。
魔獣さんは、素直で可愛い。甘え上手なところも普段とギャップがあって、余計に愛らしく思えてしまう。
久しぶりにモフモフを堪能できると思った私は、魔獣化訓練の時に心地よさそうにしていた耳周りをワシャワシャしていく。
やっぱり体は正直なもので、魔獣さんの目がトローンとなり、次第に目を閉じていった。
ご満悦、と言わんばかりに幸せそうな表情をしている。この顔を独り占めしていると思うと、何とも言えない幸福感に満ちていた。
エイミーさんにもジャックスさんにも、私は特別だと言われている。案外、間違っていないのかもしれない。
魔獣さんの幸せそうな顔に癒されていると、最近は寝不足気味だったこともあって、ついつい欠伸が出てしまう。
その瞬間、モフモフする手を少し止めたこともあり、パチッと目を開けた魔獣さんと目が合った。
「わふ」
小さく鳴いた魔獣さんは、体を近づけてきて、凛とした表情でお座りをする。
モフモフした毛並みが温かく、余計に眠たくなりそうで……あっ、寝かしつけようとしてくれているのかな。
「もたれかかっても大丈夫ですか?」
「わふ」
許可が下りたので、吸い込まれるように体を預けると、ふわふわした毛並みに包み込まれた。
温かい……。どことなく幸せな香りが鼻をくすぐってくる。
今朝のごはんの香りと、太陽の香りと、リクさんの香り。それが妙に心地よくて、安堵の気持ちが生まれてくる。
魔獣化したとしても、私にとってはリクさんに変わりない。ここが世界で一番安らげる場所なんだと思う。
そんなことを考えていると、自然と瞼が落ちてきて、私はそのまま眠ってしまうのであった。





