第71話:儀式魔法
リクさんが遠征に向かってから、十日が過ぎる頃。そろそろ帰ってくる見通しだったので、私は落ち着かない日々を送っていた。
寒さで布団から出にくくても、久しぶりに会う時くらいはシャンとした姿を見せたいと思い、頑張って早起きをしている。
すぐに顔を洗い、髪を解かして、歯を磨き、もしかしたら……と期待するけど、現実は厳しい。空気の冷たい朝を迎えるだけで、リクさんの姿はどこにもなかった。
主のいないベールヌイの屋敷は静かで、ずっとしんみりとしている。
一応、毎朝マノンさんと二人で、街の門兵さんのところまで足を運ぶものの、遠征に関する情報は何も入ってこない。非常事態の場合は伝令を走らせてくれるみたいなので、順調に進んでいる証拠らしいが……。
早く帰ってきてほしい。ただ待っているだけなのに、こんなにも時間を長く感じるとは思わなかった。
そんなことを考えながらも、私は自分のやるべきことを果たしている。
薬草の世話をしたり、エイミーさんに栽培方法を教えたり、スイート野菜を栽培したり。
とても充実しているはずの生活にも、徐々に心が満たされなくなり始めて、不安な気持ちが膨らみ続けていた。
それでもリクさんたちが無事に帰ってくると信じて、夜にはベリーちゃんと一緒にお守り作りを再開する。
「ヒールライトの厳選は終わっています。早くお守りを完成させましょう」
縫ったお守りとヒールライトをパパッと用意すると、ベリーちゃんに不審な目を向けられた。
「何やら落ち着かんやつよのぉ。リクとやらと喧嘩でもしたのか?」
「してないですよ。遠征に行ったものの、帰ってきそうで帰ってこないから、落ち着かないだけです」
私がムスッとした表情を浮かべると、ベリーちゃんは呆れるように大きな溜め息を吐く。
「心配せずとも、今日の深夜に帰ってくるであろう」
「どうしてわかるんですか? リクさんたちの情報は何も入ってきていないはずですけど」
「我くらいになれば、魔力探知で居場所がわかるものだ。ここより北東に大勢の獣人が移動している気配を感じるぞ」
さも当然みたいな顔でベリーちゃんは教えてくれるけど、普通はそんなことまでわからない。伝令が来たわけでもないし、五感の鋭い獣人たちでも読み取れない情報だ。
ただ、今までベリーちゃんと過ごしてきて、彼が嘘をつくような人とは思えなかった。
何より、もうすぐリクさんが帰ってくると思うと、違う意味でソワソワしてしまう。
「そうですか。この地は危険だと聞いていましたけど、夜でも移動するものなんですね」
「獣人は夜目が利く。夜間に休息を取るのが一般的ではあるが、もしかすると……クククッ。いや、何でもあるまい」
「不気味な笑いはやめてください。気になるじゃないですか」
「新鮮な肉をいち早く持ち運びたいだけであろう。クククッ」
マノンさんも肉を楽しみにしていたし、急いで帰ってきて、街でゆっくり休みたい思惑があるのかもしれない。
……何か怪しいけど。
「ともかく、今は早くお守りを完成させましょう。作っている最中に帰ってこられたら、ややこしいことになりそうです」
「そのあたりは気配を遮断しておるがゆえに問題ないが……。まあ、よかろう」
ベリーちゃんの言葉を聞いて、私はずっと疑問に抱いていたことが、確信へと変わり始める。
獣人のような見た目なのに、夜にしか現れないこと。暗闇から現れ、暗闇に消えていくこと。そして、決してヒールライトに触らないこと。
僅かな時間しか共に過ごしていなくても、おかしいと思うところは次々に出てくる。ベリーちゃんもいけないことだとわかっているから、わざわざ気配を遮断しているんだろう。
そこまでして私に協力してくれる意味がわからない。ヒールライトが受け入れている以上、悪い人ではないはずなんだけど……。
彼の頭に生える魔物みたいな立派な角を眺めていると、突然、地面に見たこともない文字が浮き出てきた。
「これが術式だ」
「……術式? もしかして、儀式魔法ですか?」
私が薬草栽培で使う簡易的な魔法とは違い、強大な力を持つ魔法は専用の儀式を行わなければならない。それに必要なものが、古代文字とその術式だと聞いたことがある。
「正確に言えば、封印の儀式を改良したものとなる。邪龍や災害獣などを封印するために作られた魔法を用いて、物質に魔力を付与させるのだ」
儀式魔法は普通の魔術師が扱えるものではない。それを改良するとなれば……。
ベリーちゃんの言っていることが壮大すぎて、まったく話についていけなかった。
「どうした? 早く術式をマネて、お守りに付与をせい」
そんなすごい魔法を使ってやろうとしていることが、とても良いお守りを作るだけ、というのも、余計に私の頭を混乱させる。
「このとんでもない魔法を、私がやるんですか?」
「貴様がお守りを作りたいのであろう。勘違いしてもらっては困るが、我はお手伝いをしているだけだぞ」
「それはそうなんですけど。術式が必要とする魔法なんて、使ったことありませんし……」
「戸惑っている間に、リクとやらが帰ってくるかもしれんなー」
「わ、わかりましたよ。やってみますので、やり方を教えてください」
ベリーちゃんに背中を押された私は、儀式魔法に挑戦することを決意した。
「まずは、お守りとヒールライトを重ねろ」
「こんな感じで大丈夫ですか?」
「うむ」
「次に、術式の古代文字に意識を送り、貴様の魔力で上書きするのだ」
「やっぱり古代文字だったんですね……」
「封印術を使うには、必ず必要な文字だぞ。それくらいは覚えておくといい」
確か古代文字の解析は、各国が総力を挙げて取り組んでいたはず、なんだけどなー……。
詳しいことを聞くのが、だんだん怖くなってきたよ、ベリーちゃん。ここまでして、銀色のヒールライトを求める理由って、いったい……。
聞くに聞けない環境が生まれたため、私はベリーちゃんの指示通りに動いて、古代文字を上書きすることに専念した。
そして、すべての術式を上書きすると、古代文字が光り始める。
「あとは古代文字に込めた魔力をお守りに収束するようにしたら、完成だ」
「こ、こうですか? ――わっ!」
儀式魔法が起動して、ヒールライトの魔力がお守りへと集まり始める。
術式を安定するために、私の魔力がゴッソリと持っていかれるけど……。何とか無事に済んだみたいだ。
付与を終えたお守りが、ヒールライトのように金色に輝いている。
「魔力が安定するまで、暗い場所に置いておくがいい。次第に落ち着くであろう」
「は、はい。ありがとうございます」
「気にするでない。銀色のヒールライトが手に入るかもしれぬのだ。これくらいの協力は惜しまぬぞ」
ベリーちゃんが期待してくれるのはありがたい。でも、銀色に輝くヒールライトを作れなかった時、どうやって恩を返せばいいんだろうか。
儀式魔法を用いたとなれば、これ、とんでもない高価なお守りになるよね……?
「一つ確認したいんですけど、いいですか?」
「次の機会にせい。封印術の補佐をしていたら、ヒールライトの魔力に当てられてしまった。我はもう帰るぞ」
「ま、待ってくだ――。はぁ~、行っちゃった」
だるそうにしたベリーちゃんが、スーッと闇夜に消える姿を見て、私はこう断言する。
ベリーちゃん、絶対に魔族だよね、と。





