第70話:リクとヒールライト
遠征に出かけてから、四日が過ぎる頃。
ミノタウロスの集落を壊滅させたリクたちは、周囲を警戒しながら野営していた。
本来であれば、これで遠征は終わるはずだったのだが、どうにも魔物の様子がおかしい。集落を作るほど繁殖していたのに、統率している親玉の姿が見当たらなかった。
事前情報と食い違っていたため、森の再調査を行なうことにしたのは、数時間前のこと。
静寂に包まれた夜の森にジャックスが戻ってくると、険しい表情を浮かべていた。
「ダンナ、今回の遠征はまだまだ時間がかかりそうだぜ。ミノタウロスの繁殖期がピークを過ぎ、第二・第三の集落ができてやがった」
ヒールライトを乾燥させている間に、想定を超えるほど魔物が繁殖していたと判明する。
リクたちが壊滅させた集落は、その一部にすぎなかったのだ。
「面倒なことになったな。いくら魔物とはいえ、仲間の集落が一つ落ちたとなれば、必要以上に警戒されるだろう」
「さすがに今回ばかりは仕方ねえさ。ダンナが暴走するより、警戒したミノタウロスと一戦交える方がマシだ。尻尾に魔獣化の兆候が出ている以上、慎重に動くしかなかったと思うぜ」
日に日に金色に染まっていく自分の尻尾を見て、リクは大きなため息を吐いた。
何十体ものミノタウロスに勝利する騎士団でさえ、魔獣化の暴走は簡単には押さえられない。時には何人もの家臣が犠牲になり、無理やり押さえ込むこともある。
もはや、災害と言っても過言ではなかった。
「以前のような禍々しい毛並みではないんだが……。俺が意識を保てるかどうかは、別の話だ。魔獣の血が肉体を乗っ取ろうとする限り、油断するわけにはいかない」
一段と気を引き締めるリクは、鋭い目つきで自身の尻尾を睨みつける。
今回の遠征で魔獣化はしない、その強い意志を表しているかのような力強い瞳だった。
――無事に帰ると、レーネと約束したからな。
遠征に出発する際、感情を押し殺して見送ってくれたレーネの寂しそうな顔が頭によぎる。
繁殖した魔物を討伐するために家を空けるなど、リクにとっては当たり前のことにすぎない。しかし、生まれた環境の違う彼女にとっては、耐え難いことなんだと知った。
あんな顔をさせてしまうとは……そう思うだけで、一刻も早く無事に帰還して、安心させてやりたいと思っている。
そのためには、被害を最小限に抑えなければならない。魔獣化を阻止することは、必須条件だった。
「ダンナも変わったな」
意を決するリクを見て、ジャックスの笑みがこぼれる。
「少し前までのダンナは、魔獣化で暴走することを恐れているように見えた。魔獣に意識を奪われているとはいえ、自分の手で仲間を傷つけていると悔やんでいたんだろう」
魔獣化を制御できなかったことによる代償は、リクの心に深い傷を刻み続けていた。
危険なベールヌイの地において、魔獣の血で得られる力は必要不可欠なものかもしれない。しかし、自分が犯してしまった罪を見れば、決して誇れるものとは思えなかった。
呪われた血……そんな穢れた血を受け継いでいるような気がしてならない。いつしか魔獣に体を奪われ、自分を失うのではないかと怖くてたまらなかった。
レーネと共に過ごすまでは。
「だが、今は違う。魔獣の血を恐れるよりも、帰るべき場所に戻りたいと強く願っている。ようやくベールヌイに生まれた運命を受け入れることができたみたいだな」
過酷な人生を送りながらも、一途に薬草を育てるレーネを見て、リクの心境は変化していた。
魔獣の血に怯え、心の逃げ道を探していた自分を恥じることはない。ただ、逃げ続けるばかりではダメだと、彼女が教えてくれた気がする。
薬草と共に変わるレーネのように、自分も変わりたい。いつしかリクはそう思うようになり、レーネに惹かれていくのを実感していた。
その姿を見たジャックスは、我が子の成長を見守る親のような気持ちで佇んでいる。
「どんな理由であったとしても、魔獣の血に囚われている頃よりは、男らしい顔をするようになったと思うぜ」
真面目な話し合いをしていたつもりだったはずなのに……。
ジャックスの安堵したような笑みは、いつしかニヤニヤとした不敵な笑みに変わっている。
「ジャックスまで変に突っかかってくるな。王都で嫌な思いをしてきたばかりだ」
「魔獣の血で苦しんできたことを知っているだけに、みんなダンナのことが気掛かりなだけさ。見送ってくれた嬢ちゃんを見る限り、早めに手を打っておいた方がいいと思うぜ」
「放っておいてくれ。俺なりにちゃんと考えている」
フンッとそっぽを向いたリクは、魔獣の血を抑えるため、乾燥したヒールライトから抽出した茶を口に運ぶ。
ベールヌイの屋敷を離れた今、これが魔獣化を制御する頼みの綱だったのだが。
「やはりこれだけでは厳しいか。どうやら魔獣の血は、ヒールライトの魔力だけで落ち着くものではないな」
効果がないとは言わないが、魔獣化の衝動を抑えきることができない。着実に魔獣化が進行して、体が蝕まれているような感覚があった。
「屋敷を出発してから、顕著にダンナの毛並みが変わり始めている。嬢ちゃんの魔力が魔獣化を抑え込む要因になっていたのかもしれねえな」
「本人は気づいてないと思うが、間違いないだろう。もしかしたら、それが聖女の力であり、魔獣化を抑える唯一の方法なのかもしれない」
「なるほどな。どうりで亀爺が薬のレシピを知らねえわけだぜ。魔獣化を治療する薬が、本当は存在しなかったなんてな」
百年に一度あるかないかの魔獣化とはいえ、大惨事を生み出す可能性があるなら、治療薬のレシピを書き残していないとおかしい。
二千年もの長い時間を生きている亀爺だからこそ、その重要性を誰よりも理解しているはずだ。それを考えると、魔獣化に効く薬は存在しないと考えるのが自然だろう。
「まだ確実にそうだと決まったわけではない。ただ、レーネの中に眠る聖女の力が覚醒しない限り、魔獣の血を抑える術はない気がする」
あくまでリクの予測にすぎない。しかし、体内に流れる魔獣の血の反応を見る限り、そんな気がしてならなかった。
「まさか嬢ちゃんがそれほどの力を秘めていたとはな。ダンナが落ち着かないのも、そういう理由だったか」
「……俺はそんな風に映っていたのか?」
「かなりソワソワしていたぜ。騎士団の中では、ミノタウロスがとんでもねえ繁殖の仕方をしているんじゃないかと、みんなで予想していたところだ。まあ、実際にそっちはそっちで事実だったんだがな」
自分のことで手一杯だったリクは、周りが見えていなかったと反省する。
しかし、魔獣の血が騒ぐこともあって、自分ではどうしようもできない状態だった。
「時間が経つにつれて、ヒールライトの魔力だけでは抑えられない状況に陥っている」
「夜も眠れないほどに、か?」
「眠らないだけだ。魔獣の血がたぎっている間に寝れば、意識を奪われかねない。今回の遠征は、仮眠で済ませるしかないだろう」
そう言ったリクは、残っていた茶を一気に飲む干し、心を落ち着かせる。
ヒールライトから僅かに感じるレーネの魔力を支えに、魔獣の血に立ち向かうのであった。
『あとがき』
第二部の完結に目処がつきましたので、ご報告です。
現在も執筆中ですが、不足の事態が起きない限り、無事に仕上がるかなと。
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