第63話:初めてのヒールライト1
日が昇り始めた早朝。あまりの寒さに息が白くなる中、繁殖したミノタウロスの討伐に向かうリクさんと騎士団を見送っていた。
「今日から遠征に向かい、周辺地域の調査を行なう。一週間ほどで戻ってくる予定だ。何か問題が起きれば、遠慮せずマノンに言ってくれ」
「わかりました。お気をつけください」
リクさんも騎士のみんなも平然としているので、これがここに住む人たちの日常なんだと実感する。
私も早く慣れなきゃ……と思う反面、心が落ち着いてくれない。こうして離れ離れになるのは、これが初めてのことだった。
魔物の住み処を叩くなんて危ないだろうし、魔獣化が暴走する危険もある。
王都に行った時は魔獣化も落ち着いていたので、ヒールライトの粉末を飲んでいれば、問題はないと思うんだけど……。
次々に不安なことが頭をよぎると、それが表情に出ていたのか、頭にリクさんの手がポンッと乗った。
「心配するな。魔獣化が暴走するような気配はない。必ず皆で無事に帰ってくる」
「……お待ちしております」
旦那さまを信じて待ち続けるのも、妻の役目である。騎士の人たちに彼を任せて、私はやるべきことをやろう。
次回の遠征には、お守りを持って行ってもらいたいし、薬草栽培にも力を入れないといけないから。
リクさんと騎士団の姿が見えなくなるまで見送った後、冷たくなった手を握り締め、私は屋敷の中に戻る。
まずはエイミーさんと一緒に、ヒールライトの栽培に取り掛かろう。彼女が手伝っても大丈夫か、薬草たちにも確認しないと。
そう思って、朝ごはんを食べるエイミーさんの元へ向かうと――。
「ふぁ~~~……」
朝は苦手なのか、大きな欠伸をして、ゆっくりとベーコンエッグマフィンを食べていた。
植物学士の朝は早いだけに、今後の彼女が心配である。
「あぁー……レーネさん、おはよー……」
「おはようございます、エイミーさん。今起きたばかりですか? 目が線になってますよ」
「うーん。昨晩からちょっと体がおかしかったんだよね……。たぶんだけど、近くにヒールライトが咲いているんじゃないかなあ」
「そうですね。裏庭で薬草菜園を営んでいるので、その影響かもしれません。空気中にヒールライトの魔力が含まれているんでしょう」
リクさんの魔獣化が落ち着く要因の一つとして、ヒールライトが金色の魔力を放っていることだと推測している。
魔蝕病も影響を受けるのであれば、この地で暮らすだけでも、リクさんもエイミーさんも良い方向に向かう……と、思っていたのに。
どちらかと言えば、エイミーさんはダメージを受けているというか、体調が悪そうだった。
「魔蝕病の治療としては、最適な環境だと思うわ。でも、ちょっと効きすぎかな。魔族の血が落ち着きすぎちゃって、力が入らにゃいんだよね……」
「予想外の出来事ですね。じゃあ、ヒールライトの栽培は、もっと体が慣れてからにしましょうか」
「ううん、大丈夫。気合いで乗り越えることも、時には必要なことよ」
本当に大丈夫かな……と思いながら見ていたけど、朝ごはんを食べ終わる頃には、スッカリと元気になり――。
「わあっ! ヒールライトって、こんなにも綺麗に咲くものなのね!」
裏庭に案内したエイミーさんが、ヒールライトに興奮しているのだから、本当に気合いというのは大事かもしれない。
彼女が無理をしないように、ちゃんと見ておこうと思っているが。
「これだけのヒールライトを一人で育てるなんて、やっぱりレーネさんはすごいわ!」
「私もちゃんと育てられるようになったのは、最近のことですよ。あまり期待しないでくださいね」
「栽培が難しくて、絶滅危惧種に指定されているのよ。いくら褒めても褒め足りないくらいだわ。大きな山から見下ろすよりも綺麗な光景で……」
エイミーさんが目を輝かせて、素直な気持ちをぶつけてくる。その言葉を受け取るのは、とても照れ臭いものだと知った。
私が旦那さまのことを力説していた時、リクさんもこんな気持ちだったのかもしれない。さすがに顔を赤くせずにはいられなかった。
どうにもエイミーさんは、ヒールライトのことになると周りが見えなくなるみたいで、持参したバッグから魔力測定器やらスケッチする紙など取り出して、やる気に満ち溢れている。
先ほどまでヒールライトの魔力に影響を受け、脱力しきっていたことが嘘のようだ。早くもヒールライトが咲く誇る光景を絵で描き始めるほど、テキパキと動いている。
このまま放っておくより、先に説明しておいた方がいいかな。おばあちゃんから教えてもらった栽培方法は魔力測定器を使わないし、植物学士の常識を覆す栽培方法だから。
「うちの家系は特殊な栽培方法で育ててきたので、ちょっと変わっていると思います。どんな方法であったとしても、ちゃんと受け入れてくださいね」
「構わないわ。実際に立派に育ったヒールライトを見て、疑う余地はないもの。でも、ほ、本当に教えてもらってもいいのかしら。代々受け継いできた方法なのよね?」
「基本的な栽培方法を伝えるだけですから、問題ありません。私もまだまだわからないことが多いですし、ヒールライトの育つ環境が増えるのは、決して悪いことではないと思います」
清らかな心を持ち続け、薬草を信じて栽培を続けるというのは、誰にでもできることではない。私も一歩間違えば、ヒールライトを枯らして、瘴気を作り出してしまう。
アーネスト家は没落したし、私も栽培技術や知識をすべて受け継いだわけではない。今後の国のためにも、ヒールライトの栽培者を増やすべきだろう。
「わかったわ。まずは何をすればいいの? 魔力の測定? 土の性質調査? それとも水分量の確認?」
目を輝かせるエイミーさんには申し訳ないが、おばあちゃんの教えに理論的なものは存在しない。すべては、カンである。
「えーっと……あえて言えば、薬草との対話ですかね」
「た、たいわ……?」
百聞は一見に如かず、と思い、私は水やり用の水球を魔法で作り出す。
「ちょ、ちょっと、レーネさん!? 水分量の計算は?」
「難しいことを考えるのは、試験だけにしておきましょう。ヒールライトを育てるには、実践的なカンと言うか、薬草に心を開かないとできないんですよ」
水球を打ち上げ、魔法で水の雨を降らせた後、私はいつもと同じように薬草に問いかける。
「まだ水がほしい子はいるかなー?」
至るところでガサガサガサッと揺れる薬草を見て、エイミーさんはキョトンッとしてしまった。
「こんな感じでヒールライトと対話しながら、栽培する感じです。魔力の濃さとか水温とかは、経験でなんとなくやっていることが多いので、あまり参考にならないかもしれません」
適当すぎると思われたかな、と心配しているのも束の間、興奮したエイミーさんが私の手をギュッと握り締めてくる。
「レーネさん、すごいわ! 本当に薬草と対話できるのね!」
そう言って満面の笑みを向けられた私は、子供の頃の自分を見ているような感覚に陥るのだった。





