第56話:ホットココア
店員さんが持ってきてくれた飲み物を見て、私はそれに釘付けになっていた。
「ホットココアになりますねー」
チョコレートみたいな飲み物を出され、疑問を抱いていると、店員さんが退室した瞬間に異変を感じてしまう。
「な、なんていう甘い香り……」
ゆっくりと立ち上る蒸気から漂う甘い香りに、私は飲む前からとろけそうになっていた。
香りだけでおいしいとわかる。そんなことがあっていいのだろうか。
私、絶対にこの飲み物が好きだ! 飲む前からわかる!
でも、どうして温かくて甘そうな飲み物が好きだって気づいたのかな……。
「マノンにカボチャのポタージュを研究させていたな」
「ま、まさかそこから……?」
「俺の調べでは、ホットココアがレーネの好みである可能性が非常に高い。頬を緩めずに飲むことは、極めて困難だろう」
追い詰められた私は、無駄な悪あがきをするように表情筋を引き締め、ホットココアを口にする。
「うぐっ。今回は私の完敗ですね……」
だって、おいしすぎるから。こんなの自然と頬が緩んでしまうよ。
チョコレートみたいな独特の苦みと甘みが喉奥に流れるだけじゃない。鼻に抜ける香りが幸せすぎる……。
「素直に食の好みを教えてくれればいいものを」
「リクさんもスカートの好みを教えてくれなかったじゃないですか」
「答えにくい質問をしてくるからだ」
「夫婦なんですから、そんなこと気にしなくてもいいと思います」
結局、リクさんが好みを教えてくれないから、ドレスも合わせられなかったし。
私だけ知られてずるいなーと不貞腐れていると、リクさんが頭をポリポリとかいていた。
「良い機会だ。素直に問おう」
「ん? 何をですか?」
スカートの好みより言いにくいことなのか、リクさんは口をモゴモゴとさせている。
「最近まで、レーネは俺のことを領主と知らずに接していたが、その……どうなんだ? 随分と高い理想を抱かれていたように感じたが、俺が領主だったと知り、幻滅はしなかったのか」
理想も何も、私は旦那さまの優しい心に惹かれたんだから、幻滅しようがない。
「逆に聞きたいんですけど、嫁いできたばかりの時、ガリガリで貴族令嬢らしくない私を見て、幻滅しなかったんですか?」
出会った頃から、一貫してリクさんは優しく接してくれている。家臣ならともかく、自分の妻となる人が痩せこけていたら、普通はガッカリして遠ざけていただろう。
「質問を質問で返してくるのは、レーネの悪いところだな」
「リクさんの悪いところは、自分のことを教えてくれないところです」
変なところで譲り合わない私たちは、互いに折れることがなかった。
夫婦として進展しないがゆえに、どうしても探り合ってしまう。
「この機会を逃したら、二人きりで話す機会はないかもしれない。互いの問いに同時で回答して、決着をつけよう」
「わかりました。言うと見せかけて言わなかった場合、ペナルティで二つの質問に答えてもらうことにしましょう」
「構わない。逃げるつもりはないからな」
リクさんがそう言った時、退路を断つためにすぐに仕掛ける。
「せーのっ」
大きく息を吸い込んだリクさんを見た後、もしもの時を考えた私は、思わずギュッと目を閉じた。
「幻滅していない!」
「幻滅していません!」
おぉー……と、心の中でどよめきが起こる中、ゆっくりと目を開ける。すると、真剣な表情を浮かべるリクさんと目が合い、心の底からホッとした。
よ、よかった……。あれだけガリガリで、みすぼらしい服装だったのに、幻滅されていなかったんだ……。ん?
「えっ! ちょっと待ってください。もしかして、痩せてる女性の方が好みでしたか?」
「いや、今の方が健康的で綺麗だと思うぞ」
ちょ、ちょっと、なんですか、急に。今までそんなにストレートな言葉はなかったと思いますけど。
しかも、自分で言っておいて、顔を赤くしないでください。顔を赤くしたいのは、こっちなんですから。
急にカウンターを叩きこまれた私は、胸がドキドキと高鳴っている。
恥ずかしそうに目を逸らしたリクさんが、とても可愛く見えて仕方がない。
「それより、どうして俺に幻滅しなかったんだ。レーネの持っていた領主のイメージは、かなりハードルの高い存在のように感じたぞ」
「そうですか? 私はリクさんと結婚する人は幸せだろうなーと思っていたので、幻滅する要素はありませんでしたよ」
動揺を隠せない私は、ついつい心の声をポロッと漏らしてしまった。
ど、どうしよう。かなり恥ずかしいことを言ったかもしれない。こんなことを言うつもりはなかっただけに、リクさんの顔が見れなくなってしまう……!
「レーネがそう思ってくれているのであれば、無理をする必要はないな。少し焦りすぎたかもしれない」
「そ、そうですね。今回は急展開すぎましたね。不意打ちは身体に良くないので、もう少しゆっくりと歩みましょう」
何とか心を落ち着かせようとした私は、ホットココアを口にする。
やっぱりホットココアは甘くておいしい。そんな思考で無理やり頭を埋め尽くし、恥ずかしさを誤魔化すのであった。





