第49話:妻としてできること
スイート野菜の水やりが終わる頃。私はジャックスさんと二人で地べたに座り、休憩していた。
「嬢ちゃん。畑の範囲は広くしたが、大丈夫なのか?」
「これくらいなら大丈夫ですね。領民の皆さんも慣れてきた頃でしょうし、頼りにさせてもらおうと思います」
スイート野菜を栽培してから、まだひと月ほどしか経っていないが、私の仕事は少ない。ベテラン農家の方を中心に助け合い、領民たちだけでもしっかりと管理できていた。
前回の嵐で騒ぎになった雨よけも、気合いを入れて作ってくれているので、前回みたいな問題は起きないだろう。もちろん、何か問題が出た時は私も力を貸そうと思っているが。
どちらかと言うと、スイート野菜や薬草の心配よりも、遠征に向かうリクさんたちの方が心配だった。
「私のことよりもミノタウロスの方は大丈夫なんですか?」
「心配しなくても、何か月も放置しない限り、このあたりまで来やしねえぜ。なんだかんだでうちの縄張りは広いし、獣人には獣化のスキルがある。負けやしねえよ。万が一の時は、嬢ちゃんの薬草を頼らせてもらうぜ」
「万が一なんてない方がいいですよ。危険性が高いのであれば、私も傷薬を作りますけど」
「亀爺が作り方を忘れていない限りは大丈夫だろう。魔物が住み処を作るなんて、ここでは日常的な出来事だからな」
ジャックスさんは平然とした顔でそう言うが、私には非日常でしかない。
実家は穏やかな地域だったので、魔物が住み処を作るほど繁殖するなんて、今まで経験したことがなかった。
ベールヌイ家の屋敷でみんなと過ごす、そんな日常が崩れていく気がして、不安が募ってしまう。
リクさん、大丈夫なのかな。料理人っぽい姿しか見ていないだけに、危険な戦地に向かって、無事に戻ってこられるのか気になって仕方がないよ。
「そんなにダンナのことが心配か?」
「えっ!! いや、皆さんのことを心配しておりますが!」
「嬢ちゃんは顔に出るからわかりやすい。隠せるとは思わない方がいいぜ」
必死に誤魔化したつもりなのに、すべてお見通しだと言わんばかりに、ジャックスさんが微笑んでいた。
思わず、ポロッと愚痴をこぼしてしまう。
「今まで誰かを待つなんてなかったので、落ち着かないんですよね」
「残念だが、この地に住む限り、嫌でもこういう機会は増えてくる。慣れるのもどうかと思うが、心配しても仕方ねえよ」
「それはそうかもしれませんが……」
「少なくとも、魔獣の血を色濃く受け継いだダンナが死ぬことはねえと、断言してやろう。嬢ちゃんの身近な獣人で死ぬ奴がいるとしたら、暴走したダンナを最初に押さえ込む俺だな」
心配させないように気遣ってくれているのか、ジャックスさんは笑みを作り、冗談っぽく言っていた。
しかし、それが紛れもない事実なんだと、彼の怪我した目が物語っている。
「寂しいことは言わないでください」
「嬢ちゃんには理解できねえかもしれねえが、それが獣人の誇りってやつだ。人が死ぬ宿命を変えられねえのなら、意味のある形で死を選ぶ方が救われるってもんよ」
名誉の死を選ぶよりも、生きて帰ってきてほしいと思うのは、人族ゆえの感情なんだろうか。それとも、せっかくできた家族の繋がりを断ち切りたくないと思う私のエゴなのか……。
もちろん、ジャックスさんも死にたいわけじゃないと思う。死の道を選んでも成し遂げなければならないことがあるだけのこと。
種族による価値観の違いなのかもしれないが、彼の言い分を素直に受け入れられるような話ではなかった。
「ジャックスさんが寿命をまっとうできるように、ヒールライトを頑張って育てることにします」
「そこはダンナの魔獣化を抑えるため、の間違いじゃねえのか?」
「どっちもです。他にもできることがあればいいんですけどね」
薬草を栽培することが、リクさんや騎士の皆さんに大きな手助けとなることくらいは理解している。
でも、私にとっては、それも日常の一部に過ぎない。何もせずに待っているだけ、という状態と変わらなかった。
「じゃあ、ダンナに何かプレゼントを作ってみたらどうだ?」
「作る……?」
「戦場に向かう時、無事に生きて帰ってこられるようにと、大切なものを持ち込むことが多い。ゲン担ぎのようなものだな」
なるほど。死ぬかもしれないからこそ、生きたいと思えるようなものを持ち込んでいるのか。
……そんな難易度の高いもの、私に作れるかな。
「ちなみに、ジャックスさんは何を持っていくんですか?」
「孫の作ったどんぐり袋入れだ。今はどんぐりブームが来ているんだとよ」
そう言ったジャックスさんは、懐から小さな袋を取り出した。
袋がパンパンになっているので、すでにどんぐりを採取した後らしい。
ジャックスさんも生きて戻ってくる意志があるとわかり、私はちょっぴり安心した。
「へぇ~。お孫さんがいらっしゃったんですね。そういうものを大切にするのは、ジャックスさんらしいと思います」
「そうか? 見せるとだいたい笑われちまうぜ」
「平和な日常を感じられていいじゃないですか。お孫さんをとても可愛がっていそうなイメージがありますし、ジャックスさんにピッタリですよ」
「まあ、孫なんてそう言うもんだ。違う街に住んでいることもあって、あまり会える機会は多くない。その分、余計に可愛がりたくなっちまうがな」
嬉しそうに話すジャックスさんを見ると、こういった些細なものが生きる源になっていると理解した。
私もリクさんのために、そんなものを作ってあげたいけど……。
「ジャックスさんのアイデアはとても良いと思うんですが、一つだけ問題があります」
「なんだ?」
「私が作ったものを渡したとして、リクさんが喜ぶかどうかは別の話、だと言うことです」
まだまだ友達みたいな距離感だし、リクさんの好みを調べることもできていない。公爵夫人という立場であったとしても、恋愛イベントなんてほとんど起きていないので、プレゼントを渡しても微妙な空気が流れそうな気がした。
しかし、ジャックスさんの考えは違うみたいで、余裕の表情を浮かべている。
「嬢ちゃん。ダンナの尻尾を平然とした顔で触っていた時点で、その問題は解決しているぜ」
「どうしてですか?」
「獣人にもよるから一概には言えないが、尻尾の毛づくろいは、一種の求愛行動に分類される。ダンナが何食わぬ顔で受け入れていた時点で、確認するまでもないってことよ」
「……本気で言ってます?」
「本気だぜ。そんなしょうもない嘘をつく年齢だと思うか?」
「思いませんね」
朝ごはんの最中、無意識でリクさんに求愛していたという事実を聞かされた私は、思わず顔を赤くしてしまう。
みんなが見ている前で、そんな大胆な行動を取っていたなんて。リクさんが平然とした顔で受け入れてくれたという事実が、また一段と恥ずかしい。
……リクさんが喜んでくれるなら、何か作ってみようかな。
「ちょっと考えてみます」
「無理に焦らないことだな。今回の遠征に間に合わせる必要はない」
「わかりました」
ジャックスさんのアドバイスを聞いて、私は自分に何ができるのかを考える。
植物学士として生きてきた自分が、妻として何ができるのかを。





