第38話:魔獣化の訓練……?
王都でパーティーが開かれる当日。
国王さまの召喚命令が届いているにもかかわらず、私とリクさんは薬草菜園の前でのんびりと過ごしていた。
「くんくん。今日はチーズの香りですね」
「獣人の真似事をするな」
「いつも良い香りがするリクさんが悪いんですよ。今日の朝ごはんは何ですか?」
「今日はピザパンという他国の料理をモチーフにしたものだ」
なんだ、その料理は。どうやら今日は新作料理が楽しめるらしい。と、朝から花より団子の私である。
実家にいた頃は朝ごはんなんて食べられなかったのに、今ではリクさんの朝ごはんを食べないと一日が始まらないと感じるほど、餌付けされてしまっていた。
その影響もあってか、私たちに夫婦という雰囲気はない。良い意味でも悪い意味でも、今までと変わらない生活をしている。
「そういえば、もうそろそろスイート野菜が大量に採れますけど、どうされます?」
「必要な分だけ屋敷で買い取り、残りは街で販売するべきだと考えている。売れ残るようであれば、保存が利く干し野菜にしてもいいだろう」
「じゃあ、収穫したものは、いったん屋敷に集めるように言っておきますね」
「それで構わないが……。スイート野菜に関しては、レーネが中心になって育てたものだ。今後のことも含めて、レーネの意志を尊重しようと思っている」
「いえ、リクさんにお任せします。現状でも十分に好き勝手やらせていただいておりますので」
気遣ってくれたリクさんには申し訳ないが、毎日みんなでつまみ食いするくらいには、好き勝手やらせてもらっている。
なんだったら、マノンさんにお願いして、すでにマノン式カボチャジュースの開発に成功したほどだ。
これがまたおいしくて、芳醇な甘みとサラッとした喉ごしがよく、病みつきになってしまう。野菜畑を眺めながら飲むカボチャジュースは、一段とおいしく感じた。
そして、早くも第二弾の制作にも着手しており、寒い時期にピッタリなカボチャのポタージュを開発中。野菜畑に向かうと、スイートカボチャとにらめっこするマノンさんが見られるようになっている。
そんなマノンさんが屋敷で朝の仕事をするため、厳しい教官みたいな雰囲気を放って、近づいてきた。
「リク。魔獣化の訓練をする」
煎じたヒールライトを呑んだリクさんは、魔獣の血を抑え込むことに成功して、意図的に魔獣化できるようになっている。
しかし、まだ体の一部だけ魔獣化させることはできない。どうしても獣の姿になってしまうので、こうして毎朝訓練して魔獣化の制御能力を高めていた。
リクさんが好きでやっているかは、別にして。
「もう十分に魔獣化を制御できるようになっただろう。トレーニングはしなくてもいい」
「ダメ。今日はリクが魔獣化して、奥方を王都まで運ばなければならない。訓練は必要」
両腕を使って大きくバツサインを出すマノンさんを見て、リクさんは渋い顔をした。
国王さまにパーティーを招待してもらったとはいえ、私は植物学士なので、参加する義務はない。薬草菜園を放ったまま王都に向かおうとは思わないし、国も薬草を優先するべきだとわかっている。
しかし、魔獣化したリクさんに乗っていけば、数十分で到着することが発覚。話し合いの結果、召喚命令が届いたリクさんと共に、私も同席することになった。
だから、魔獣化のトレーニングは必須なわけであって――。
「仕方ない。魔力を残しておきたいから、訓練は短めにしてくれ」
マノンさんの言うことに、リクさんはしぶしぶ従う。
「大丈夫。リクに無理をさせるつもりはない」
「普通に恥ずかしいんだがな……」
ちょっぴりボヤくリクさんは、なんだかんだで私の名前が出ると、受け入れてくれる傾向にある。
いったい私のことをどう思っているんだろう。気遣ってくれているだけなのかな。
直接聞く勇気が持てない私が見守る中、リクさんが魔力を使って、金色に輝く魔獣に変化する。
準備が整ったところで、厳しい訓練が始まろうとしていた……!
「よし、奥方。いつものあれを」
「わかりました」
マノンさんの合図と共に、魔獣化したリクさんに抱き付いた私は、全力でモフモフを開始する。
どこが訓練なのか、ただの欲望の発散ではないのかと、疑問に思うかもしれない。でも、これはちゃんとした訓練だった。
マノンさん曰く。獣化が暴走する原因は、心が乱れて魔力が制御できなくなることにあるらしい。
リクさんは特殊な魔力を用いる魔獣化なので、どんなことがあっても平然と過ごす心が求められている。
よって、獣人が大事にしている耳をモフモフされ、ついでに体もモフモフされるという恐ろしいストレスに耐え抜く訓練を実施して、強靭な精神力を身に付けているのだ!
人の身ではツラさがわかりにくいが、髪を解かしたばかりでワチャワチャされたら腹が立つので、見た目以上に厳しい訓練なのかもしれない。
しかし、もしリクさんの魔獣化が暴走したら、誰かが犠牲になる可能性がある。ここは心を鬼にして厳しい訓練をしなければ、リクさんのためにならないのだ。
……という雰囲気を放ち、私は全力でモフモフを楽しんでいた。
「さすがリク。強靭な心で持ち堪えている」
「そんなにツラいものなんですね。とても心地よいモフモフですが」
「普通の獣人なら、三分も持たない。ましてや、全身を獣化させてベタベタと触られるなんて、私には無理」
マノンさんがブンッブンッと首を横に振るくらいなので、相当ツラいことなんだと察した。
この機会を逃したら、二度とモフモフできないかもしれない。今日はたっぷりと楽しませていただこう。
「うーん。でも、リクが喜んでいるような気も……」
不意にマノンさんが変なことを言うため、ひょいっと顔を覗き込んでみるが、リクさんはムスッとしている。
早く終わってくれ、と言わんばかりに素っ気ない態度をしていた。
「マノンさんの見間違いでしょう。声は出せなくても、人の心は残っていますからね」
「なんか怪しい……」
そういえば、リクさんが無意識に魔獣化していたときも、普通にモフモフさせてもらっていたっけ。
獣人族の獣化と魔獣化は少し感覚が違って、意外に心地いい、なーんてことはないよね。
試しにリクさんの正面に立ち、耳周りをワシャワシャワシャ……としていく。
すると、我慢できなかったのか、次第に目がトロ~ンとなっていった。
人よりも味覚や嗅覚が鋭い獣人は心地よさも強く感じる、そうわかった瞬間である。
恥ずかしいとボヤいていたのは、こんな姿を誰にも見られたくなかったからだろうか。
「リクさん? 今までちゃんと訓練してまし……あっ! 逃げた!」
居たたまれない気持ちになったのか、リクさんが猛ダッシュで立ち去り、訓練を放棄してしまった。
それと同時に、入れ替わるように亀爺さまがやってくる。
「奥さまや、思い出しましたぞ。魔獣化を止めるには、ヒールライトを煎じて飲むだけで効果があるんじゃよ。継続して飲み続けることで、魔獣の血は落ち着きますぞ」
「やっぱりそうだったんですね」
「なんと! まさかすでに奥さまが知っておったとは。もしや、奥さまはアーネスト家出身では?」
「まあ……はい。アーネスト家から嫁いできたんです」
「やはり!」
驚愕の表情を浮かべる亀爺さまには申し訳ないが、だいたい予想通りの内容だった。
その事実が確定しただけでもありがたいんだけど……、もう少し早く思い出してほしかったよ、亀爺さま。
魔獣化の訓練と称して、リクさんに恥ずかしい思いをさせるだけになってしまった。
もしかしたら、魔獣化が暴走しないと、リクさんも気づいていたかもしれない。でも、私がモフモフを楽しんでいたから、言いにくかったんだろう。
まあ、別の見方もできるけど……と思っていると、マノンさんが私の服を軽く引っ張った。
「リク、奥方にモフモフされたかっただけなのかな」
「どうなんでしょうか。一応、このことは内緒にしておきましょう」
「わかった」
リクさんのプライドを守る、それも妻の役目なのである。





