第37話:変わらぬ心(アーネスト側5)
国王との約束を果たすため、新たに畑を耕したアーネスト家だったのだが……。
早くも同じ過ちを犯して、悲惨な状態に陥っていた。
「私は何も悪くない。ただ水をあげただけだもの。また瘴気が沸いたとしても、私のせいじゃない!」
アーネスト伯爵の苦労も虚しく、新たに植えた薬草の種にカサンドラが水をあげた瞬間、大量の瘴気を吐き出したのだ。
もはや、言い逃れはできない。大地は死に、空気は汚れ、見るも無惨な光景が広がっていた。
ただ、運が良かったのか悪かったのか……。大きな嵐がやってきた影響で、瘴気は洗い流されている。
せっかく耕した畑も使えなくなり、薬草の種も無駄になってしまったが。
「パパ、本当よ? 本当に私は何も悪いことをしてないのよ!」
当然、水をあげただけのカサンドラは無実を訴える。一度でも豹変した父に敵視されれば、レーネの二の舞になりかねないため、必死だった。
しかし、現実に起こったことと、その必死な形相を見れば、アーネスト伯爵の中にも僅かな疑問が生まれてしまう。
本当にカサンドラは聖女なのか、と。
魔物の影響ではないことくらい、二度も同じことが起これば、誰でもわかる。少なくとも、カサンドラの水魔法がきっかけで瘴気が発生しているのは、明白なことだった。
「あなた、わかってあげて。私たちの可愛い娘、カサンドラは本物の聖女なのよ。意図的にこんなことをする子じゃないわ」
いくら妻が擁護したとしても、言い逃れができるような状態ではない。現実は現実なのだ。
「信じてやりたい気持ちはあるが、どうにもならないこともあるだろう」
そして、アーネスト伯爵がカサンドラを庇えない理由は、もう一つある。
窓を閉め切っていても聞こえるほど、屋敷の外から数々の罵声が飛んできているのだから。
「これが貴族のやることか! 平和な土地を返せ!」
「猛毒を撒き散らしておいて、治療しないのか!」
「薬草を高く売るための策略だろ!」
嵐に流された瘴気の影響で、領地に多大なる被害を与えてしまった。
その結果、アーネスト家の屋敷前ではいま、平民たちが大きな声を上げるほどの騒動に発展している。
こんな状況が国王の耳に入ってしまえば……。そう頭によぎるだけで、アーネスト伯爵は頭を抱えてしまう。
「もう終わりかもしれないな……」
思わず、心の声をボソッと呟くほどに。
「パパ、心配しなくても大丈夫よ。まだ薬草の種はあるんだもの」
「そうよ、あなた。カサンドラは聖女なんだから、薬草なんていつでも育てられるわ。こんな平民の戯言なんて、早くお金で解決してあげましょう」
平民なんて金をバラ撒いて黙らせればいい――、そう思っていたのだが。
「もうないんだよ。金が」
「えっ?」
「えっ?」
裕福な暮らしが染みついているアーネスト家にとって、大金を消費するのは容易いこと。前回よりも高いドレスを、良い宝石を、良い娼館を、その積み重ねで出費が増え続けて、すでに金庫は空になっていた。
ましてや、その金がないから、アーネスト伯爵は自ら畑を耕していたのだ。
家族のために動いていたにもかかわらず、呑気なことを言われれば、ついカッとなってしまう。
「薬草が豊作にならなければ、もう貴族として生きられないんだよ!」
簡単に金で解決しようと口にする妻と娘に対して、隠してきた現実を突きつけるしかなかった。
「パパ、どうしたの? この間、国王さまと話をしてくるって言ってたじゃない」
「うまくいかなかったんだよ。内緒にしていたが、陛下にハッキリと言われたんだ。今年中に結果を出さなければ、爵位を返還しろ、と」
「じょ、冗談よね、あなた。だって、あなたは国王さまに好かれていると……」
「すまない。目を付けられていただけだった。このままでは、今まで受け取った補助金まで返済することになってしまう」
衝撃的な事実を聞かされた二人は沈黙するが、部屋には平民たちの荒々しい声だけが響き渡る。
嫌でも聞こえてくる言葉の数々が、どれほどの窮地に立たされているのか物語っていた。
すべてはレーネを追い出したあの日から、状況が一変してしまったのだ。
絶望的な状況に陥ったと落ち込むアーネスト伯爵とは違い、カサンドラは何かを思い出すようにハッとする。
「ねえ、パパ。今ならまだ、何とかなるかも知れないわ。一か所だけ、うちの薬草が育っている場所があるもの」
「何を馬鹿なことを言っているんだね。そんな場所は――」
「お義姉さまが薬草を持ち出してる。まだ化け物公爵に食べられていなければ、薬草が育っている可能性が高いわ」
僅かに見えた希望の光に、アーネスト伯爵は不気味な笑みを浮かべる。
「そうか、その手があったか! レーネから薬草を奪ってしまえばいいのだ!」
「パパ、それは違うわ。薬草を返してもらうのよ。だって、元々はうちのものなんだもの」
「ハッハッハ、そうだったな。よく考えれば、薬草を不作にしたレーネが悪いんだ。こんなことになった責任を取るのは、当然のことだろう」
今まで虐げてきた家族が、レーネの意思や都合など考えるはずがない。自分たちにとって都合の良い存在であり、何をしても許されるものだと思っていた。
同じ血が流れる父と娘の関係。それはいつまで変わることのない事実なのだから。
すべての責任をレーネに押し付けることに決めたアーネスト伯爵は、平民たちを説得するため、堂々とした強気の姿勢で屋敷の外に出る。
「聞いてくれ! 此度のことは、皆もよく知っているレーネという娘がすべて悪いんだ!」
信頼が地に落ちたアーネスト伯爵の言葉に、いったい誰が耳を傾けるだろうか。
もはや、それは自分を疑ってほしいと言っているようなものだった。
「アーネスト家の血を引かぬよそ者が馬鹿を言うな! レーネさまは正統な聖女の血を引くお方だぞ!」
「受け継いできた薬草がこんなことになり、心を痛められているはずだ!」
「先代が亡くなってから食事が喉に通らないと聞いていたが、本当だったのか!」
小さな女の子が薬草を守ってきたことくらい、この地に住む人なら誰でも知っている。分娩直後に母を亡くし、僅か八歳で祖母を亡くしたレーネに、同情しない者はいなかった。
そのショックを引きずるかのような痩せこけた姿と、祖母との思い出に浸るようなボロボロの服を見て、領民たちはずっと遠くから見守り続けていたのだ。
下手に声をかければ、傷つけるだけかもしれない。いつか元気な姿を見せてくれたときに、力になってあげよう、と。
しかし、急にレーネの姿が見えなくなり、こんな事件の罪を着せられたとなれば、領民たちが怒るのも無理はない。
レーネがいなくなったアーネスト家に、信頼と言う文字は存在しなかった。
「待ちたまえ! 現アーネスト家の当主は私であり、本当の聖女は娘のカサンドラで――」
「ふざけるな! 瘴気を作り出す聖女がどこにいる!」
「お前たちは悪魔だろ! 殺人まがいのことをしやがって!」
「レーネさまをどこにやった! この地にいらっしゃるのか!」
暴動に発展しそうな領民たちの姿を見て、アーネスト伯爵はすぐに屋敷に戻る。
「ダメだ、瘴気で頭がやられている。人の話を聞こうとしない」
「どうするの、パパ。このままだと、無実の罪で私たちが殺されてしまうわ」
「奴等の様子を見計らって、いったん王都へ逃げよう。もしかしたら、近日開かれるパーティーにレーネが顔を出すかもしれない」
決して自分たちに非があると認めない彼らは、奇しくもレーネが招待を受けたパーティーに参加しようと、夜逃げを決意する。
しかし、目をつけられているアーネスト家の現状が、国王に伝わらないはずがない。
破滅の未来に近づくとも知らずに、彼らは王都へ向かう準備をするのだった。





