第33話:魔獣化
おばあちゃんの手紙に感極まった私は、周りの目を気にすることなく、大粒の涙をこぼしていた。
子供の頃、おばあちゃんが急死してから、何度も泣きたいと思うほど、私の人生は大きく変わっている。
決しておばあちゃんが悪いわけではない。アーネスト家の当主になった父が、家族という概念が変わるほど、私を取り巻く環境を壊してしまったのだ。
その影響もあって、私は形見でもある薬草を守ることに精一杯になり、おばあちゃんの死を受け入れることができていなかったんだろう。
八年の月日が経ったいま、こうして手紙を見て、ようやくそれができたんだと実感した。
少し心が落ち着いた私は、ハンカチで涙を拭いた後、リクさんとマノンさんに向かって軽く頭を下げる。
「またお見苦しいところをお見せしました」
「構わない。聖女の願いを聞き入れたのは、五十年前の恩を返すこともあるが、別の思惑もある。いつか話さなければならないと思っていたことだ」
急な展開に頭が混乱するが、今はおばあちゃんのことを聞くための時間ではない。もちろん、旦那さまの正体を聞くわけでもない。
ベールヌイ家の秘密を教えてもらうために、話し合いの場が設けられているのだ。
真剣な表情を浮かべて、真っすぐ見つめてくるリクさんを見れば、これが本題なんだと察した。
「結論から言おう。レーネが作った薬草で、俺の魔獣化を止めてほしい。俺はベールヌイ家に流れる魔獣の血を、色濃く受け継いでしまったんだ」
「魔獣化……ですか」
聞き慣れない魔獣化という言葉を聞いて、私は化け物公爵と呼ばれているリクさんの元へ嫁いできたことを思い出す。
今まで一緒に暮らしてきて、リクさんが暴力を振るうような人とは思えない。しかし、リクさんの意思とは別に、魔獣の血が暴走して制御できなくなるのであれば、話は変わってくる。
地位の高い公爵家なのに、辺境地に領地があるのも、そういった血の問題が影響しているのかもしれない。
「魔獣化と言うのは、文字通り獣人が獣の姿に化けることを言う。己に流れる獣の血を制御し、自由自在に扱うことができるんだ。一般的には、体の一部を獣化させ、戦闘能力を高めることが多いな」
リクさんが解説してくれるが、騎士たちが戦闘しているところを見たことがなくて、よくわからない。
でも、マノンさんはライオンの威厳で魔物を追い払うから、何かしらの力があるとは思っていた。きっと体の中に流れる魔獣の血のおかげなんだろう。
「そんな力があったんですね。人族とは違う耳や角、尻尾ばかり意識していましたが……あっ! マノンさんのマッサージ!!」
お風呂上がりにやってくれるマノンさんの極楽マッサージは、なぜか肉球で触れられているような感触だった。
そう思ってマノンさんを見ると、獣化させてくれたみたいで、手だけ獣っぽくなっている。もちろん、そこには大きな肉球が存在していた。
「ライオンゆえに。がおーー」
うわっ! 獣っぽい手になると、いつもより威厳が……いや、ないな。むしろ、本格的に可愛さ重視になった気がする。
「獣人の血を色濃く受け継いだ俺は、体の一部だけを獣化させることができない。身も心も獣化してしまうことで、俺の体は獣に乗っ取られて、魔物のように暴れてしまう」
「なるほど。実家を離れる時に聞いた噂とリクさんの印象が違ったのは、そういうことだったんですね」
「いや、あながち嘘でもない。いつ魔獣化するかもわからないし、ジャックスの目を傷つけたのは、俺だからな」
そういえば、義妹がこんなことを言っていたっけ。
『ベールヌイ公爵と言ったら、黒い噂が絶えない残虐な方よ。家臣を傷つけるだけならまだしも、殺したこともあるんだって』と。
化け物公爵と呼ばれていることに言及したつもりだったんだけど、配慮が足りていなかったみたいだ。
「すいません。余計なことを言ってしまいました」
「いや、ただの事実だ。気にしていない。どんなことがあったとしても、彼らは忠義を尽くしてくれる。俺が落ち込んでばかりいたら、顔も合わせていられないだろう」
本当に気にした様子を見せないリクさんは、堂々としている。
きっと料理で労う文化や敬語を使わない文化が浸透しているのも、互いに気遣わないように想い合っている影響だろう。
崩れることのない固い絆で結ばれている結果、獣人国ではなくなった今でも、根付いた文化が失われないのだ。
そんな屋敷に住む一人の家族として、私はリクさんの魔獣化を止めたい。
この地に住む優しい人たちにも、リクさん自身にも、悲しい思いはしてほしくないから。
「薬草で治すのは構わないんですが、過去に魔獣化が暴走された方はいらっしゃったんですか?」
「亀爺の話では、魔獣化が暴走したケースは少ないが、過去に何件か事例があるらしい。その半数近くが、アーネスト家で栽培されている薬草、ヒールライトで治療したそうだ」
さすが約二千年も生きる亀爺さま。伊達に長生きしていない。
「じゃあ、私の育てたヒールライトを使って、亀爺さまに薬を作ってもらえば、リクさんの魔獣化は治るってことですね!」
魔獣化という聞き慣れない言葉だったが、治療法がわかっているなら、難しく考える必要はない。
アーネスト産の薬草も元気に育っているから、すぐにでも解決できる問題……のはずなのに。
リクさんの顔が妙に険しかった。
「俺もそう思っていたんだがな……。現実は厳しく、予想外のハプニングに悩まされている。近年、亀爺のボケが深刻化しているんだ」
そんなことをとても真剣な顔で言われると、どう反応していいのかわからない。
実際に亀爺さまは、何回も同じ話をするほど老化が進行してしまっていた。
「薬のレシピは残ってないんですか?」
「百年に一度作るか作らないかわからないような薬だ。いろいろ探してみたが、レシピやメモは見つかっていない」
せっかくいい感じで話がまとまろうとしていたのに、まさか治療薬の作り方を忘れるなんて。
生き物は老いに敵わないと、思い知らされてしまうよ。
「どうりで今まで話が下りてこなかったわけですね」
「タイミングを見て話す必要があったからな。ベールヌイ家のような特殊な家系に馴染むまでは、時間が必要だと考えていた。嫁いできたばかりこんな話をされても、困っただけだろう」
「それはそうかもしれませんが……。私は薬草栽培の知識を持っていたとしても、薬の知識は多くありません。魔獣化の暴走を止める薬を作れと言われても、無理ですよ」
「わかっている。だが、まだ可能性は残っていると思わないか?」
リクさんが目線を下ろすと、そこにはおばあちゃんの栽培日誌があった。
確かに、ベールヌイ家に嫁げるように根回ししてくれていたのなら、魔獣化を止める方法が書かれているかもしれない。
あくまで薬草の栽培日誌である以上、望みは薄い気がするが……。
「わかりました。調べてみますので、少し時間をください。協力できることがあるかもしれません」





