第27話:偽り(リク側)
無事に野菜畑に雨よけが設置された、その日の夜。次第に雨が降り始め、嵐が一歩ずつ近づいていた。
土砂崩れの危険がある野菜畑には、レーネや領民たちの姿はなく、屈強な騎士とリクが集まっている。
災害が起こらないか注視しながら、雨よけの中で待機していた。
「意外に頑丈なものだな。もっと慌ただしくなると思っていたんだが」
降り注ぐ雨を弾く音は聞こえるが、まだ雨漏り一つしていない。縫い目がほつれる様子もなく、しっかりと風を受け止めているため、壊れそうな気配はなかった。
これから嵐が本格化することを考えると、強風が吹き荒れたら傷み始めるかもしれない。
しかし、みんなで力を合わせて作った雨よけは、その強い絆を示すかのように嵐に対抗している。
決して見た目がいいとは言えないが、どこか頼もしいと思わせるほど、丈夫な雨よけになっていた。
その光景を見たリクは、嵐よりも一人の少女のことを考え始める。
ベールヌイ家に嫁いできた、たった一人の不思議な少女のことを。
「不思議なものだ。あんな小さな体で大勢の人の心を動かすとは」
リクとレーネが初めて会ったのは、まだ数週間前のこと。
ボロボロの服を身にまとい、虚ろな瞳で薬草を植栽する姿は、お世辞にも綺麗な娘とは言えなかった。
どこからか迷い込んできた妖精のように、一心不乱に作業するレーネに対して、誰もが疑問を抱くほど不思議な女の子だったと記憶している。
どうして貴族令嬢がボロボロなのか、どうして自分よりも薬草を優先するのか、どうしてそこまで無理をするのか。
問いかけてみたい気持ちはあるものの、誰も声をかけなかった。正確には、声をかけられなかった、と言った方が正しいだろう。
薬草を植え続ける小さな背中から、絶対に薬草を絶やしてはならないと、強い想いが伝わってきたから。
そんなレーネの姿を見て、気を悪くした者はいない。今やベールヌイ家の公爵夫人として、新しい家族として、すっかり溶け込んでいる。
「これが聖女の血筋なのかもしれないな」
リクが物思いにふけっていると、大雨に打たれたジャックスが雨よけの中に入ってくる。
土嚢の一部が決壊していたため、修理に向かっていたのだ。
「被害の方はどうだ?」
「ダンナが心配する必要はねえよ。俺たちだけでも何とかできるもんだぜ」
「そうか。ならば、このまま様子を見るか」
「どちらかと言えば、こっちの方が問題かもしれないが」
そう言ったジャックスの後ろから、レインコートを着たマノンがひょこっと顔を出す。
レーネと共に屋敷にいるはずのマノンを見て、リクは驚きを隠せなかった。
「どうしてマノンがここにいるんだ?」
「奥方に、どうしても心配だから様子を見ていてほしい、と言われた」
「やはり気にしていたか……」
目を逸らしたリクは、裏山に到着した時のことを思い出す。
無事に雨よけを取り付け終えた領民と、騎士たちが安堵の笑みをこぼすなか、レーネだけは無理に笑っているように見えた。
それが何を意味していたのか、リクにはわからない。ただ、レーネが何かに不安を抱いていたことは察していた。
こんな日くらいは傍にいてやった方がよかったかもしれない、リクがそう思うのも、無理はないだろう。
レーネが弱音を吐くことなど、今まで一度もなかったのだから。
ましてや、まだ本格的に嵐が来ていないとはいえ、マノンを走らせたことに疑問を抱かずにはいられない。身内に危ない橋を渡らせてまで野菜畑を気にするのは、明らかに不自然だった。
ハッキリ言えば、レーネらしくない。いつものレーネなら、もっと身内を大切にするはず。
「奥方は優しい」
しかし、そんなリクの思いを否定するかのように、濡れた髪をタオルで拭くマノンが否定した。
専属侍女として、誰よりも同じ時間を過ごすマノンが言うのなら、それが正しいのかもしれない。嵐の中を走ることになっても、レーネの肩を持つマノンに対して、誰も反論することはできなかった。
「レーネの世話をしていて、何か困っていることはあるか?」
「ない。奥方は我が儘を言わないけど、顔に出るからわかりやすい。食事している時は、それが顕著」
誰もが納得する言い分を聞いて、思わずリクは何度も頷く。
毎日レーネが食事を楽しみにしていることなど、もはや誰もが知っている。テーブルに食事を持っていくのが少し遅れるだけでも、ソワソワしてしまうほどだった。
レーネが皆に愛されるのも、時折見せる無邪気な子供のような姿と、裏表のない性格が影響しているに違いない。
ただ、今回の件に思うところがあるみたいで、髪を拭いていたマノンはタオルで顔を隠した。
「本当に奥方は嘘をつくのが下手だ。自分を蔑ろにしてはいけないと、出会った頃に言っておいたのに」
うつむくマノンの言葉を聞き、リクは再びレーネのぎこちない笑顔を思い出す。
やっぱり何かを隠していたのではないだろうか。野菜畑で合流した時に感じた妙な雰囲気は、彼女なりに何かを誤魔化していたのかもしれない。
だが、いったい何を……。
リクがそう思っていると、他の雨よけの様子を見に行っていた騎士たちがやってきた。
「向こうの雨よけは、やけに頑丈だったな」
「あそこは心配いらないだろう。プロが作ったみたいにしっかりしていたぞ」
もしこの場にマノンが来ていなかったら、騎士たちの何気ない会話だと、誰もが聞き流していただろう。
しかし、精一杯の笑みを浮かべて、雨よけを広げるレーネの姿を思い浮かべたリクは違う。急に胸がざわつき始め、一つの問題が頭によぎる。
もう一ヶ所、雨よけが必要な場所があるのではないか、と。
その答えにたどり着いたとき、リクは自分の中で何かが崩れていく感覚に襲われた。
マノンに言われるまで気づかず、不器用な笑顔を作っていたレーネの気持ちを察してやれなかった自分の不甲斐なさを痛感する。
何より、そんな状況に追い込んでしまった自分が許せなかった。
「今朝、屋敷の裏庭で雨よけを設置していなかったな。クソッ、本当は予備なんて存在しなかったのか」
「最初から奥方が用意していたのなら、それを使えばよかった。わざわざみんなで作る必要はない」
悔しさが滲み出るように顔を隠し続けるマノンは、レーネのぎこちない笑顔を見て、止めるに止められなかったんだろう。
嵐の被害を最小限に抑えるには、手段を選んではいられない。レーネの意志を汲み取り、今までずっと黙っていたのだ。
――それなのに、俺は……。
後悔が溢れるリクの前に、ジャックスは無言でレインコートを差し出す。
これから本格的に嵐がやってくることを考えたら、普通は屋敷に戻るなんて選択肢はない。レーネが身を犠牲にしてでも野菜畑を守りたかったのなら、ここに残るべきだろう。
しかし、この場に残る屈強な騎士たちも同じ気持ちなのか、誰も止めようとする者はいなかった。
「急用ができた。あとはここを任せる」
レインコートを受け取ったリクは、外へ飛び出していく。
雨脚が強くなる中、たった一人の少女の元に向かうのであった。





