第26話:みんなの野菜畑
大きなリュックを背負って野菜畑にたどり着いた私は、目の前の光景に驚きを隠せなかった。
「誰かこっちの骨組みを手伝ってくれ」
「杭で固定しないと飛ばされるぞ」
「この雨よけ、穴が開いてねえか?」
私よりも先に領民たちが訪れ、防災対策の作業を始めているのだ。
誰がどう見ても芳しくない天気であり、もうすぐ嵐がやってくるとわかる。早く街で防災対策しないと、家が災害に巻き込まれてしまう。
それなのに、早くも野菜畑の一部に雨よけを付けようとするほど、作業が進んでいた。
どうしてこんな状況に……と、呆気に取られている私の元に、ジャックスさんが近づいてくる。
「遅かったな。もう始めちまってるぞ」
「あっ、はい。全然構わないんですが、皆さんは大丈夫なんですか? 先に街で嵐の対策をしないと、雨風が凌げなくなりますよ」
「心配ないさ。ここにいるのは、自宅を追い出された連中だからな」
「自宅を、追い出された……?」
「嬢ちゃんが心配しているように、こいつらも心配で落ち着かなかったってことさ」
ジャックスさんの言葉を聞いて、私は心のどこかでホッとするような気持ちが芽生え始めていた。
嵐が来るとわかれば、自宅の防犯対策を優先するのは、当たり前のこと。窓が割れたり浸水したりしないようにと、最大限に注意して、自身と家族を守る必要がある。
だから、栽培を始めたばかりの領民たちが野菜畑に来ることはない。そう思っていたけど、現実は違った。
野菜畑を守るために、大勢の人が来てくれている。慣れない作業に戸惑いながらも、何とかしようと必死に雨よけを取り付けてくれていた。
たったそれだけのことが嬉しいと思う私は、おかしいのだろうか。野菜畑を心配していたのは自分だけではなかったと知り、失われていた感情が蘇ってくる。
おばあちゃんと一緒に薬草栽培をしていた時は、こんな風に温かい気持ちで過ごしていたな、と。
「おっ、やっとお嬢が来たな。こっちの立て付けをチェックほしいんだが」
「待て待て。正しい雨よけの取り付け方を教わるべきだろう」
「雨よけの強度も一緒に確認してもらった方がいいんじゃねえか?」
あの時と大きく違うのは、私がみんなを引っ張っていかなければならない立場にいること。いつまでも感傷に浸っている時間はなかった。
農家の経験者も少ないし、決して十分な準備ができているわけではない。大きな嵐が来ると仮定したら、直さなければならない部分が多すぎる。
完璧な雨よけは作り上げるのは、おそらく不可能だろう。でも、一晩だけでも乗り越えられるような雨よけだったら、何とかなるかもしれない。
「いったん雨よけを組み立てるのは、最小限の人数に減らしましょう。先に雨よけの皮を繋ぎ合わせたいので、手分けして手伝ってください」
「しっかしよー、俺たちは不器用だからな」
「ひとまず形になれば大丈夫です。風下の負担になりにくい場所に使えば、一晩くらいは持ちますから」
「……わかった。お嬢がそう言うなら、やってみるとすっか」
嵐が来るまで、どれくらいの猶予があるのかわからない。でも、私たちは一致団結して、その対策に全力を注ぎ込むことにした。
***
風が強く吹き始めた、昼下がりの午後。懸命に作業を続けたこともあって、ようやくすべての皮を繋ぎ合わせることができた。
正直に言えば、ぎこちない縫い方で心配な箇所も多い。しかし、天気の様子を見る限り、組み立て始めないと間に合わない状況だった。
「みなさーん! 風上から順番に取り付けていってくださ~い。とにかく無理に引っ張らず、いくつかに分けて張っていきますよー」
今回のように強度が低い雨よけでは、必ず縫い目からほつれて破れてしまう。そのため、それぞれの野菜ごとに雨よけを立てて、風を受け止める面積を小さくすることにした。
「奥方、あっちが怪しい。破れそう」
「わかりました。先に修理しましょう」
目の良いマノンさんに雨よけの状態をチェックしてもらい、縫った糸がほつれている部分は、私が修理する。
領民たちに支えてもらい、接合部分を火魔法で溶かして、強固に付着させていった。
時間がかかる作業だけに焦ってしまうが、魔力量を間違えたら、燃やしかねない。
一つのミスが命取りになるため、現場には緊張感が漂っている。
「奥の作業が遅れているぞ。手の空いた騎士はそっちに回れ」
ジャックスさんの指示を受けて、今は周囲を警戒していた騎士も手伝ってくれていた。
これだけ風が強くなると、魔物も出てこなくなるらしいので、遠慮なく甘えさせてもらっている。雨よけを立て終えた後には、土嚢を積んでもらうようにお願いもしていた。
ここまで来れば、終わりの目処が見えてくる。
あとは雨が降る前に取り付けられれば……と、思っていた時だった。
息を止めるほど強い突風が吹いたのは。
ビューッ! という音が耳に入り、思わず目を閉じると同時に、組み立てに使っていた木材が吹き飛ぶような音が聞こえてきた。
薄目を開けて確認すると……大きな雨よけが宙を舞い、木の枝に深く突き刺さる光景が目に飛び込んでくる。
大きな穴が開くだけなら、まだ修復は簡単だった。しかし、革を繋ぎ留めていた糸が切れ、希望を打ち砕くようにバラバラにほどけていく。
先にしっかりと杭を打ち付けて、雨よけを飛ばないようにしておくべきだった。作業に支障が生じると思い、後回しにしていたのがダメだったんだろう。
でも、まだすべての雨よけが壊れたわけではない。幸いにも、分割して雨よけを立てていたため、壊れたのは一か所だけ。
まだ他の畑は守れる。少しくらいの被害は想定のうち。野菜を作っていれば、もっと酷い被害に遭うのだから。
そんなことを思うのは、こういった光景を何度も目の当たりにした私だけにすぎない。
初めて野菜を作り、雨よけで守ろうとしてた領民の心は、いとも簡単に折れてしまっていた。
「……」
あの皮を縫ったのは、自分かもしれない。もっと強く取り付けておけば、吹き飛ばなかったかもしれない。
そんな自己嫌悪に陥るくらいなら、励ましてあげればいいだけなのだが……。人は何かの出来事を境に、凶悪な心を持ち始める時がある。
誰かのせいにした方が、自分の心が保たれるから。
この地の優しい人たちが、そういう行動を取るとは思えない。ただ、空に漂うドンヨリとした雲が、実家に住む化け物を思い出させる。
何よりも運が悪いと思うのは、手が空いたであろうリクさんが大勢の騎士を率いてやってきたこと。
何が起きているんだ? と言いたげなその表情を見れば、領民たちが言い訳をしたくなるわけであって……。
いつ言い争いが起きても不思議ではなかった。
野菜を育てる平穏な生活が、みんなと築いてきた信頼関係が、何気ない幸せな日々が、嵐で壊されようとしている。
おばあちゃんと過ごしていた日常と重ねてしまった私には、それが我慢できなかった。
もしも領民たちが頑張って畑を守ろうとしていなかったら、こんな気持ちを抱かなかったかもしれない。
でも、もう遅い。私はこの地の生活が好きで、守りたいと思ってしまったのだから。
今朝、念のために持ってきていたリュックに近づき、そこから大きな一枚の皮を取り出し、両手で広げる。
精一杯の笑みと共に。
「やっぱり一年目で雨よけまで作るのは、無理がありましたね。そんなこともあろうかと、予備を用意しておいたんですよ」
ホッと安堵のため息を漏らす領民たちを見て、これでよかったんだと思う。みんなが心を持ち直してくれるのなら、これくらいは安いものだ。
「おいー。焦らすんじゃねえよ、お嬢」
「馬鹿野郎。お嬢のせいじゃねえだろうが」
「さすがにもうダメかと思ったけどな」
たとえ、サイズの合わない雨よけだったとしても、こんな非常時なら誰も気づくことはない。どこに使う予定だった雨よけか、考える余裕なんてないはずだから。
場の雰囲気を壊さないようにと、遅れてきたリクさんと騎士たちに向かって、声をかける。
「またいつ突風が来るかわかりません。次は飛ばさないように早く取り付けましょう」
うまく笑えているかな、それだけが私の気がかりだった。





