第23話:消えゆく希望(アーネスト側3)
レーネがスイート野菜の栽培を始めた頃、アーネスト伯爵は王都に到着する。
腐敗した薬草の補助金をもらうため、国王に謁見を求めると、数時間ほど待たされただけで、その願いは聞き入れられた。
疲労を隠せない冷淡な表情を浮かべる国王の元に、と……。
「其方の謁見ということは、薬草のことであろう」
「はっ。さすが陛下。よくおわかりになられましたね」
以心伝心とも思える国王の言葉に、アーネスト伯爵は気を緩めた。
本来なら、急に謁見を求めても認められることはない。最低でも一週間は街で滞在し、国王のスケジュールに都合を合わせる必要がある。
しかし、アーネスト伯爵が待たされたことは一度もない。多忙な国王が時間を作ってまで会おうとするため、自分は特別扱いされているものだと確信していた。
「其方が余を訪ねるとしたら、薬草のこと以外にあるまい。で、アーネスト家で栽培している薬草はどうなった?」
「はい。最善は尽くしているのですが、八年前に先代が急死した影響が大きく、まだうまくいきません」
「今年も不作、ということか……」
「力及ばず申し訳ありません」
国王の大きなため息を聞き、アーネスト伯爵は頭を下げる。が、謝罪の気持ちなど、そこには存在しない。
今まで不作になればなるほど補助金が膨れ上がり、アーネスト伯爵の懐に大金が入っている。薬草の収穫量に反比例するように、金額が吊り上がっていくのだ。
今回のように薬草畑が壊滅するような被害が出れば、補助金が跳ね上がるのは、目に見えている。
国からの支援という名目で、返す必要のない大金が手に入ろうとしていた。
いつ緩んでもおかしくない口元を引き締めることだけに集中し、アーネスト伯爵は頭を上げる。
「薬草が破滅の道へ進んでいるように思えますが、今年度は違います。飛躍の年になりましょう。それゆえに、今まで以上に王家に支援いただけると心強いと思っております」
「ならん」
「さようでございますか。ありがとうござ……はい?」
予想外の言葉が耳に入り、アーネスト伯爵は唖然とした。
国王に特別扱いされていて、わざわざ声をかけられるほどお気に入りの自分が願いを申し出たにもかかわらず、二つ返事で断られてしまったのだ。
「ならんと言ったのだ」
それも、罪人でも見るかのような冷酷な瞳で見下ろされながら。
「薬草が不足することによって、高騰するのは仕方のないことであろう。自然を相手にする以上、不作や豊作の年があるのも納得がいく。しかし、国が補助金を出しているにもかかわらず、生産量が落ち続けているのはどういうことだ」
国王の鋭い目つきに、思わずアーネスト伯爵はゴクリッと喉を鳴らす。
「その、最善を尽くしているのですが……」
「今までどのように取り組み、どのような変化があり、どうして生産量が落ちたのか、詳しく説明しろ」
「そ、それは……ですね。なんと言いますか、非常に難しい内容でして、すぐに言葉にするのは……」
「できぬと申すのか? 今年度は更なる飛躍を目指していると言った者が、今まで以上に金を出せと言ったにもかかわらず、説明できぬと申すのか!」
国王の怒りに満ちた声を聞いても、アーネスト伯爵は言葉が出てこなかった。
なぜなら、現状はもっと悲惨な状況を迎えているのだ。
このタイミングで薬草がすべてダメになったと、伝えられるはずがない。いくら魔物のせいだと訴えても、責任を取らなければならないだろう。
魔物の被害が少ない地域だけに、その対策は簡単なのだから。
「もっと早く疑いの目を向けるべきだった。建国から国を支えてきたアーネスト家が、まさかここまで落ちぶれるとは。やはり、アーネスト家の当主の座を女性が守り続けてきたのは、何か意味があったのかもしれないな」
国王の態度を見て、さすがにアーネスト伯爵も気づき始める。
特別扱いされていたのは、自分ではなく、アーネスト家ではなかったのか、と。
古い伝統に縛られる必要はありません、などと口答えできたら、どれだけ楽だったか。いま下手なことを口にすれば、首が飛んでもおかしくないほど、謁見の間は緊迫した空気に包まれている。
そんな中、今までの話を聞いていた大臣がゆっくりと手を挙げた。
「陛下。確か、アーネスト家の正統な血を引いたご息女がいらっしゃったはずです。今からでも遅くありません。陛下の権限を使い、当主の座を――」
「違います、陛下! そのアーネスト家の血を引いた娘がすべての元凶なのです!!」
もはや、アーネスト伯爵に取るべき手段は一つしかない。レーネにすべての責任を押し付け、身の潔白を証明しなければならなかった。
たとえ、それが嘘偽りで塗り固められたものであったとしても。
このままでは、補助金がもらえないどころか、国王の逆鱗に触れる恐れがあるのだから。
「何も答えられない貴様の言うことを信じろと言うつもりか?」
「しかしながら、今まで娘のレーネに補助金を渡し、薬草の維持に努めてきた所存でございます。私はバックアップに徹していただけであり、すべてはレーネが結果を出せなかったのです」
「ほう……。すべては当主の貴様ではなく、アーネスト家の血を引く者が悪いと申すのか」
国王の言葉の意味がわからないほど、アーネスト伯爵は馬鹿ではない。
本来なら、当主がすべての責任を負うのは、当たり前のこと。罪を押し付けるなど、あってはならないことなのだ。
しかし、アーネスト伯爵は怯まない。もう後戻りできる道など存在しなかった。
「その証拠と言っては何ですが、本人もアーネスト家に残るつもりはなく、化け物……ベールヌイ公爵の元に率先して嫁いでいきました。レーネは業績だけを悪化させ、遠方の地へ逃げたのです!」
「ベールヌイ家、マーベリックの元か。確かあそこは、ふーむ……」
ベールヌイ公爵の名前を出した瞬間、国王の表情がガラリッと変わる。
真っ黒な噂が流れる化け物公爵に嫁いだとなれば、レーネの印象も悪くなるだろう。そう考えて言ったアーネスト伯爵の言葉は、予想以上に場の空気を変えていた。
「そこまで言うのであれば、其方の言い分を聞き入れよう」
国王さまの意見がコロッと変わり、不敵な笑みを浮かべるほどに。
「ありがとうございます! 私がアーネスト家の繫栄を誓いましょう」
「無論、今年中に結果を出すのであろうな?」
「も、もちろんでございます! 我が娘、カサンドラには聖女の素質があり、薬草に好まれております。必ずや立派な薬草を育ててくれることでしょう。それゆえ、補助金をいただければと思っておりまして……」
まだやり直せる。不作の原因を作っていたレーネを追い出し、聖女であるカサンドラが後を継いだとなれば、今年の豊作は約束されているようなもの。
結果さえ出せば、まだやり直すことはできるのだ。
しかし、それをするには金がない。今までもらった補助金は、妻に高価な宝石を贈り、娘に新しいドレスを買い続け、王都に来る度に立ち寄る娼館でパーッと使い果たしてしまっている。
無論、レーネを売却した多額の金など、もう手元には残っていない。補助金が下りることを前提にしていたため、すでに豪遊した後だった。
このままでは、薬草栽培の作業に支障をきたしてしまう。毒地と化した薬草菜園の後処理、魔物対策、新しく畑を開拓するなど……今はとにかく人手が必要になり、人件費がかかる。
国からの支援がなければ、すぐに結果を出すのは、絶望的だった。
「では、こうしてやろう。今年中にアーネスト産の薬草を増やすことができれば、望む限りの補助金を出し、これまでのことは不問とする。だが、もしもできなかった場合、今までの補助金を全額返却し、爵位を返還してもらおう」
「なっ!? す、すべての補助金の返却に、爵位の返還ですと!?」
「当然であろう。幾度も民が納めた税で、多額の補助金を渡していたのだ。あれほどの金を簡単に使い切れるはずもあるまいし、誰かが責任は取らねばならんであろう。それとも、何か文句でもあるのか?」
「……いえ。ご、ございません」
交渉の余地がないことに気づいたアーネスト伯爵は、潔く身を引く。もはや、聖女であるカサンドラに運命を託すしか道は残されていなかった。
大丈夫だ、カサンドラなら絶対にできる。そう自分に言い聞かせて、謁見の前を後にする。
この日、突然の出来事で焦るアーネスト伯爵は気づかなかった。
下手な言い訳で国王の信頼が回復できるはずがないことを。そして、アーネスト家の正統な血を引く者が嫁いだ場所は、王家と関わりの深い公爵家であったことを。
不敵な笑みを浮かべる国王の真意を、彼が知る由はない。





