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8 童貞たちの挽歌

「………………」


 夜も明けきらぬうちから、二郎真君は清流堂の門前で呆然としている。

 というのも、開かれた門の前に。

 

早上好(ザオシャンハオ)! 拉麺の君!」

「早上好……」


 (パン)ちゃんをはじめとする、乙女連合がまた詰めかけていたからだった。

 朝も早よから門を叩く音に起こされた二郎神、少々戸惑い気味に乙女たちへ用向きを尋ねる。

 

「各々方、どうなされた。まだ夜も明けきらぬうちから……」

「もーっ、拉麺の君ったら! 昨日私たちの帰り際に言ってくださったじゃない! いつでもお話聞いて頂けるって!」

「ああ……」


 (パン)ちゃんの返答に、そんなことも言ったなと二郎真君、寝ぼけまなこで明後日の方向を見る。

 昨晩。遅くまで清流堂へ居座っていた彼女らへ、二郎神はこう声をかけた。「もう夜遅い。お話ならばまた、いつでもお聞きしますゆえ」と。

 確かに「いつでも」とは言った。

 だからといって、こんな朝早くに来なくても。

 ちなみに二郎真君、この度のスケベ忍軍騒動、事態の解決に向けて積極的に働きかける気はさらさらない。玉帝より下された命はあくまでも霊薬(エリキサ)の監視役で、街の治安維持活動は管轄外だからだ。

 そんなわけで、「まあ話なら聞くだけ聞きます」くらいの立ち位置を示したつもりであったのだが……。

 そんな彼へ乙女連合、昨晩は口を極めてスケベ忍軍の悪行をこき下ろした。それこそ昼日中から夜中まで。

 しかし女性(にょしょう)というのは元来話好き。話しても話してもまだ足りず、そんなわけで早朝からの再来襲である。


「ねえねえ拉麺の君! 今日もお話聞いてくださるでしょ! でしょでしょ!」

「ああっ、ご助言やご忠告は結構よ。ただ頷いて聞いてくださるだけで眼福ですわ!」

「寝ぼけまなこもお素敵……!」

「はぁ……」


 話を聞いてもらえる。しかも相手は絶世の美丈夫。乙女たち、遠慮はない。

 そして二郎真君も、戸惑ってはいるが迷惑には思っていない。此度のスケベ忍軍跳梁跋扈、女性が不安に思うのもさもありなん、ならば話を聞くくらいなんぞ厭わんや、といった心境だ。

 真君、乙女たちへ話しかけて曰く。

 

「承知した、各々方。この顕聖二郎真君、皆様がお望みとあらば未来永劫、永々無窮(えいえいむきゅう)に愚痴聞きへ徹したく……」

「ざっけんな! 朝からうっさい、よそでやれ!」


 ごいん。

 

 夜明け前から門前でわいわいやっていて、あたりに声が響かぬわけはなく。

 本堂から怒りたっぷりにやってきた那吒(なた)は、容赦なく美丈夫の後頭部へ乾坤圏(けんこんけん)を振り下ろすのであった。

 ちなみにこの少年神、昨日女装姿の黄雲を爆笑で見送ったのち、普段通りの時間に就寝、捕物には参加しなかった。夜更かしはお肌に悪いのだ。


「おはよう那吒。良い朝だな」

「ざっけんな! もっと痛がれよ! 乾坤圏だぞ!」


 さて、乾坤圏の一撃を食らっても大して痛がらない二郎真君に、那吒が業を煮やしている最中。突然後ろから現れた美少女が美丈夫を殴りつけたので、乙女の中にはどよめく者も少なからずいたのだが。

 

「……でも、私たち、これからどうすればいいのかしら」


 ぽつりとつぶやくような、その声。

 声の主は、昨日に引き続き男装姿の、お得意様姉妹の姉だ。静かながらもよく通るその声に、周囲がしんと静まり返る。

 

「確かに拉麺の君に困りごとを聞いてもらえるのは、とても素晴らしいことだわ。眼福だわ。でも、私たちそれでいいの?」

「それは……」


 その問いに、美丈夫に浮かれていた乙女たちは揃って顔を曇らせた。

 本当は皆、気付いているのだ。拉麺の君へ不満を語ったところで、何も解決しないことは。二郎真君自身も「本件へは一切手出し致しませぬ」と昨日はっきり彼女らへ語っている。

 だからここで駄弁っているだけでは事態は解決しない。今日はたまたまスケベ忍軍に遭遇せずに皆でここまで来れたが、いつまた街で遭遇するとも限らない。

 出会い頭に服を裂き、逃げ足速く去って行くスケベ忍軍。お上も手をこまねくスケベ忍軍。

 街に乙女の敵が溢れるこの惨状を、快く思う者は誰もいない。

 しかし一介の町娘でしかない彼女らに、対抗手段はあるのだろうか。

 暗い表情で一同がうなだれていたときだった。

 

「はいやーっ!」


 清流堂へ通じる路地に、ドカカと小気味よく鳴る馬蹄の音。そしてそれを御す勇ましい女の声が、未明の空気を貫いた。

 

「あれは……」

「例の姉ちゃんだな」


 知り合いの気配に、二郎真君は特段驚く様子もなく、那吒はうんざりしている。またうるさいのが来たな、くらいの反応だ。乙女たちはというと、「なにかしら」とどよめいている。

 ややあって。

 

「はいどう! どうどう紅箭(こうせん)!」


 ずざざ、と清流堂の門前、乙女集団のほんの少し手前で馬が止まる。

 その背にまたがるは、目元のきりりと吊り上がった、凛々しい女武者。なぜだか頭から虎の毛皮をかぶっている。それと。

 

「う、うぉえ……」


 馬に引きずられていた黒衣の巨乳が一人、ふらふらと虎皮の彼女の手を離れ、道廟の壁に手をつきえずきはじめた。濁流道人である。

 すっかり乗り物酔いに苛まれている清流は置いといて。

 

「おはようございます! 美丈夫に不思議ちゃん!」

「うむ、秀蓮殿。おはようございます」

「ちゃんを付けるんじゃねえ!」


 まずは馬上から元気な挨拶。虎皮の女──崔秀蓮は、挨拶が終わるやとたんにキッと目を細めた。

 

「お尋ねするわっ! 街を騒がすスケベ忍軍とやらの頭目、こちらに匿っておいででしょう! さっさととっとと身柄を差し出しなさい、この私が脳天から真っ二つに叩ッ斬ってくれるっ!」

「どうどう、汗血馬大娘(かんけつばたいじょう)


 いきなり血気盛んな秀蓮を、馬をあやすようになだめる二郎真君。神将はごく真面目に、冷静に現状を説明する。

 

「すまぬが、貴女がお探しの黒ずくめ殿は昨晩から帰っていない」

「あらっ、いないの!?」

「左様。昨晩深夜から黄雲少年らが退治に向かっているが……どうやら、まだ捕物の最中のようだな」


 真君、街の西方からの氣を読みながら答えた。

 そんな彼の返答に、「あらそう……」と秀蓮、意気込んできたのに肩透かしを食らった気分。

 そんな彼女へ。

 

「秀蓮さま……」

「秀蓮さまだわ……」


 集まった女性たちから、ひそひそと声が上がる。

 そのざわめきに汗血馬大娘、キッときつい目元を引き締めて乙女の群れを見渡した。

 

「いかにも、この私が崔秀蓮である! して、あなた方のような妙齢の女子達が、この夜も明けぬうちから、どうしてここにいるのかしら!?」

「それは……」


 咎めたてるような口調で問われ。乙女連合、いきさつをぽつりぽつり話し始める。

 

 スケベ忍軍来襲。閉じこもらざるを得ない乙女たち。勇気をふるい外出したはいいけれど、目的は美丈夫に愚痴を聞いてもらうこと。


 顛末を聞いた秀蓮は。

 

「ええい! ぬるい! ぬるすぎる腑抜け共! (とつ)! 咄咄! とぉーつっ!」

「ひぇえ!!」


 予想通りの反応である。馬上から偃月刀をブンブン振り憤りを表現するも、非常に危ない。きゃあ! とすんでのところで避ける乙女たち、幸いけが人は出ずに済んだが。

 

「答えろ、おのれら!」


 秀蓮、柳眉を逆立て憤然たる面持ちで問う。

 

「おのれらは悔しくはないのか!!」


 汗血馬大娘の一声。その問いかけに、乙女たちの表情は再び曇った。

 しばしの沈黙。

 秀蓮は口を真一文字に引き結んで、答えを待っている。

 

「……悔しいです」


 ぽつり。

 つぶやくように答えたのは、男装姉妹の姉。すると彼女、さっと顔を上げ、悔しさに満ちた眼差しを秀蓮へ向ける。

 

「悔しくないわけないです! 変な覆面たちが街に蔓延って、外に出たら服を切り裂かれるだなんて……!」

「そうなの! おちおち買い物にも行けないの!」


 姉の言葉に妹も賛同し。

 

「そうよそうよ! あいつらのせいで、趣味の小吃(シャオチー)食べ歩きもできないじゃない!」


 (パン)ちゃんも怒りをたぎらせ。

 

「せっかく反物屋さんで流行りの柄を注文したのに、取りに行けないわっ!」

「老人会にも行けんわい……」

「井戸端会議だってしたいのに!」


 出るわ出るわ、不満の嵐。昨日二郎真君に散々愚痴ったはずなのに、とめどなく溢れる不満の嵐。

 どよどよと閑静な街筋に湧く乙女の声。鬱憤を訴える彼女らの言葉の数々。目を閉じてそれを聞いていた秀蓮は。

 

「ならば立ち向かえ!」


 くわっと開眼。

 やにわに大音声を発したかと思えば、この台詞である。

 しん、と静まり返る乙女連。汗血馬、続ける。

 

「相手が男だから、手練れだから! それがどうした! 立ち向かえ!」

「でも……」

「でももへちまもないっ!」


 言い返そうとした娘を一蹴して、秀蓮の弁はさらなる熱量を帯びる。

 

「よく聞きなさい! あなた達、さっきは悔しいと言ったわね! それでもここで燻り続けるつもり? こちらの美丈夫にお悩みを聞いて頂いて、その場はさぞや気分の良いことでしょうけれど」


 東の空が白々明けてきた。雲が割れ、街を暁光が照らし始める。

 

「それで何かが解決するの? 確かに相手はお上をも悩ませる、疾風迅雷の如き手練れ達なれども! 相手の強大さに恐れをなして逃げ隠れて、本当にそれでいいの!?」

「秀蓮さま……」


 秀蓮の熱弁は、徐々に(げき)へと変わっていく。

 

「いいか乙女諸君、立ち向かえ! たとえ敵わぬ相手でも! 匹夫の勇となじられようとも! 非力な乙女と侮られても! お前たちが戦意を捨てない限り、勝機は必ずある!」

「戦意を……捨てない限り……!」

「そうだ! おのが道はおのれで切り拓けっ! 乙女たちよっ!」


 そして日が昇る。力強い朝日を浴びて、秀蓮の面立ちは凛々しく笑みを浮かべている。

 

「武器を取れ! 敵を倒せ! 服の破れなど気にするな、恥を感じる暇があるなら一人でも多く討ち取り、駆逐し、鏖殺(おうさつ)の限りを尽くしなさいっ!」

「秀蓮さま……!」

「なに、みんなには私がついているっ!」


 なんという心強さ。なんという信頼感。旭光(きょっこう)に照らされたその御姿は、九天玄女(いくさめがみ)の神像のようである。

 彼女の熱い心に打たれなかった者など、誰一人としていない。

 かくして乙女連合は一個の軍団と化した。各々家に駆け戻り、武器になりそうなものをそれぞれ手に持ち再集結し。

 

()ってやるわ!」

「ええ、殺ってやる!」

「まさか草刈り以外の用途で鎌を使う日がくるなんて!」

「あのクソ野郎ども全員に、金的ぶち込んでやる!」


 いつの間に紛れたのやら、昨日忍軍被害に遭ったばかりの毒舌幼女・遊も隊伍に加えつつ。そして。

 

「はー、ひとしきり吐いたらスッキリ……」

「ぼさっとしてんじゃないわよおっぱい道士!」

「ぐえっ」

 

 清流は馬上の秀蓮に再びとっ捕まり。

 

「さあっ! 行くわよ皆の者! かの変態犯罪者集団をば、我らの武力で根絶やしにしてくれるっ!」

「おおーっ!」


 朝日を背に、乙女の軍は進軍を開始した。「あいやぁ……」と馬に引きずられる清流の声が、徐々に遠くなっていく。

 後に残された、神将ふたりは。

 

「そういえば那吒、今日の朝餉は?」

「勝手に何か食ってろよ……オレは二度寝する……」


 何事もなかったかのように、本堂へ戻るのであった。

 

---------------------------------


 さて、時間は少し遡り、夜明け前。街の西。

 

「よーしっ、やれぃ! 野郎ども!」

「へい頭領!」

「いざいざすっぱだかーっ!」


 戦いは始まった。クソニンジャの号令一声、堰を切ったかのようにスケベの手勢が、少女めがけて殺到する。

 迎え撃つ白虎娘娘、すっと呼吸を整え拳を構え。

 

「はいっ、たぁっ、やあっ!」

「ぐふっ!」

「どむっ!」


 徒手空拳を遠慮なく、眉間こめかみ鳩尾(みぞおち)と、急所めがけてぶち込みまくる。瞬く間に周囲には激痛にうずくまる黒ずくめの山。しかしこのスケベ共、なにしろ総勢五十人。倒れても倒れても、後からあとから家庭内害虫のように湧いてくる。


「負けるか!」

「俺たちはスケベ忍軍!」

「すっぽんぽんに剥くまではーっ!」

「むむむ……! さすがに数が多いわ……!」


 さしもの白虎娘娘も、仮面の奥の顔色は焦燥に染まっていた。

 雪蓮、次から次に現れる新手の攻撃を、腰を落とし、跳躍し、身を翻してかわしつつ。

 

螳螂拳(とうろうけん)!」

「ぐはっ」

鷹爪拳(ようそうけん)!」

「はひっ」

地功拳(ちこうけん)!」

「あざまっす!」


 太華の各地に伝わる各種拳法を大盤振る舞い。

 バッタバッタとなぎ倒されるスケベ忍軍。しかし彼ら、負傷することよりも、女の子に殴られ蹴られ、痛めつけられる悦びの方が大きかった。

 

「もっと!」

「もっとぶってくれ!」

「うひゃあ!?」


 被虐嗜好は不死身の性癖。童貞ども、激痛を快感に変え、さらなる快感を求めるため、殭屍(キョンシー)の如く起き上がり何度でも襲い来る。

 さすがの異様さ、不気味さに、さしもの白虎娘娘も。

 

「ひ、ひえっ! こ、来ないで!」


 思わず後じさり。しかしその怯え・拒絶の声と仕草は、火に油を注ぐようなものだった。

 

「怖がらないで美麗姑娘(メイリーグーニャン)!」

「仮面で顔は見えないけど、とりあえずおだてとくからさ!」

「怯えてないでもっとぶってくれ!」

「ひーんっ! なんでみんなぶたれたがるのーっ!」


 全然理解できないっ!


 令嬢、不可解すぎる童貞どもにもちろん大混乱。しかしここで逃げるわけにはいかない。雪蓮は困惑と怯えの気持ちを押さえつけて、左斜め前方、石畳の上を見る。

 もやし体型の黒ずくめが見張る中、石畳の地面に横たわっているのは黄雲ちゃん。ここで諦めたら彼女……じゃなかった、彼の命はない。

 

「理解できない性癖なれど!」


 雪蓮、後じさりをやめキッと前を向く。拳を正面に構え。

 

「黄雲ちゃんを守るため! 街の平和を守るため! 私は負けない、絶対に! いざっ!」


 己を奮い立たせるように朗々と口上を発し、白虎娘娘は目前へ飛び出した。

 彼女の四方を囲いのように包囲するスケベ忍軍。雪蓮、蹴りで前方の黒ずくめへ足払いをかけ囲みを破り、黄雲めがけて走り出す。

 

「行かせるか!」


 当然そうはさせじとスケベ忍軍、進路を阻みにかかる。ざざざと雪蓮の先へ、三人の黒ずくめが縦列で立ちはだかる。ところが。

 

「たぁっ!」


 跳躍一閃。

 白虎娘娘、夜明け前の空を舞い。

 着地点は目前の覆面頭。(いー)(ある)(さん)と、縦列三人の頭をてんてんと踏み。

 

「俺たちを踏み台にしたぁ!?」


 驚く障害物たちを尻目に着地、一路黄雲のもとへ。しかし。

 

「させねえ!!」

「きゃっ!」


 背後からぶぉんと風切り音。とっさに避けて振り返れば。

 

「ど、鈍器とか女の子に使いたくないけど! ここを通すわけにはいかないし!」


 へっぴり腰で武器を構える黒ずくめ。その手に握られているのは、先ほど雪蓮が巽へ投げつけた狼牙棍で。

 

「お、大人しく脱がされろーっ!」


 あまり長柄武器慣れしていないらしい彼、狼牙棍を前に構えつつこちらへ歩みを進める。

 白虎面はその様をしばし静かに見つめた後。

 

「はっ!」


 再びの跳躍。着地点は、今度は狼牙棍の上。尖端の突起を器用に爪先立ちで避け、白虎娘娘は静かに武器の持ち手を見下ろしている。

 狼牙棍を持つ男、手をぷるぷるさせながら覆面の中の目を見開いている。

 

「ななな、なんだとう!?」

「命は取りませんが、御免!」


 雪蓮は言うなり狼牙棍の柄を駆け下り、躊躇なく武器を握る男の頬へ、勢いのまま蹴りを叩き込んだ。

「ぐえっ」と蛙の断末魔のような声を上げ、黒ずくめが一人地面へ沈む。

 しかし雪蓮、すかさず拾い上げる狼牙棍。スケベの徒はさらに後から後から押し寄せてくる。


「はいっ! たあーっ!」


 取り返した得物をぶんぶん振るい、雪蓮はさらに戦い続ける。

 先ほど得物を躊躇なく投げつけたのは、難なく奪い返す自信があったから。実際難なく取り返せた。だが。

 

「まだだ!」

「ぶってくれ! もっとだ!」

「時に激しく! やっぱり激しく!」

「う、うぅ……」


 巽配下のクソ童貞ども、一人ひとりはただの有象無象といえど、五十人寄ればしぶとさ万倍の変態集団。倒しても倒しても蘇り、蹴って殴ってとたかってくる。

 絶対に負けないと誓ったものの、雪蓮だってこの状況にげんなりだ。さらに普段は寝ている時間帯に起きっぱなし。睡眠不足も手伝って、雪蓮は心身ともに消耗しつつあった。

 さらに。

 

「えいっ!」

「うわっ!」


 目前の黒ずくめへ狼牙棍を振り下ろした、その時。

 

「あらよっと!」


 黒ずくめの足元へ突き刺さる棒手裏剣。瞬く間に細い木片が桜の大樹と化し。

 

「なっ!」


 がつんと木肌で狼牙棍を受け止めて、雪蓮の攻撃を見事阻んだ。

 鈍器の一撃から仲間を救ったのは、もちろんあの男。

 

「わりぃなせっちゃん! 俺は直接手を出すと雷公に一撃食らっちゃうもんだからさ……だから仲間を援護させてもらうぜ!」

「頭領……!」

「礼はいい! 早く脱がすんだ! ほれ早く!」

「オッス頭領!」

「むむぅ……!」


 厄介な介入まで始まった。

 黒ずくめは雪蓮を狙い、雪蓮の攻撃は巽の道術で弾かれる。少女の消耗は大きくなる。

 

「……う」


 そんな最中、黄雲は目を覚ました。

 いつの間にか明るんだ空の下。顔を上げると、遥か前方に見えるのは桜の木々。その中でちらちら揺れる白い武闘着。黒い嵐に追われるように、少女の姿は徐々に建物の壁際へ追い詰められていく。

 

「お、お嬢さん……!」


 慌てて立ち上がり、駆けだそうとするが。

 

「ちょ、ちょっと待て! いつの間に目を覚ましたお前!」

「は、離せ!」


 そばにいたもやし体型の黒ずくめに止められる。

 縛られた腕を掴まれながらも、黄雲は振りほどき、雪蓮のもとへ駆け付けようと必死だ。

 

「わ、ちょ、ちょっと! ちょっと誰か!」


 危うく引きずられそうになりながらもやし体型、救援要請。幸い黒ずくめ、人手はいっぱいある。あっという間に四、五人が駆け寄って黄雲を羽交い絞めにした。

 

「離せ! 離せってば! あの人脱がせるのはやばいんだってば!」


 黄雲も必死の抵抗だ。なにせ目の前で追い詰められているあの子は、知府令嬢。こんなところで良家の娘が裸体を晒したとあらば、黄雲、責任を問われて哀れ首切り役人のご厄介となるに違いない。

 しかしそんな事情、スケベ忍軍は知ったこっちゃない。黄雲のそばにいるもやし……すなわち子堅も、鈍いことに白虎娘娘が妹と気付いていないのだ。

 そんな彼らの目の前で。

 

「あっ……!」


 猛攻に耐えかねて、ついに雪蓮が狼牙棍を取り落とす。

 その隙を見逃す忍軍ではない。


「いまだ! 野郎ども!」


 巽の号令。間髪入れず投擲される数多の棒手裏剣。

 

「くっ!」


 雪蓮は後方へ跳びすさるも、すでに背後は壁。逃げ場を失った彼女の白い袖を、棒手裏剣が壁へ打ち付ける。

 

「う、うごけな……!」


 両腕の袖を縫い付けられ、雪蓮、一大窮地。

 身動きできない彼女、昇る太陽に照らされてまさに裸体映えするというもの。大興奮のスケベ忍軍、総員棒手裏剣を構え。

 

「ようやく……ようやくか。せっちゃんのすっぱだか、ここに御開帳……」


 なにやら感極まっている巽だが、不意に三白眼を黄雲へ向ける。

 

「悪いな黄雲! いや、悪くねえか! いまからせっちゃんひん剥くから! よろしく!」

「お、おい待てクソニンジャ! マジやめろ、僕の首が……!」

「やれーい! スケベ忍軍!」

「オッス頭領!」


 黄雲の四の五のを爽やかに無視して、巽は全軍に指示を下す。

 再び構えられる棒手裏剣、そして放たれ、一直線に。

 

「や、やめて……!」


 弱々しくつぶやく雪蓮。

 

「おおおおおおお!!」


 興奮に湧くスケベ忍軍。

 

「えっ、あっ、そんな……!」

 

 黄雲までもが期待のまなざし。

 

「いっけえええええ!!」


 そして巽、熱い気持ちで三白眼をかっ開く。

 朝日に照らされ、白い裸体が……。

 

 開帳しなかった。

 棒手裏剣は少女へ到達する寸前、横合いから突如噴出した高圧水流によって阻まれる。

 

「こ、これは……!」

「清流先生!」

「師匠……!?」


 全ての視線が、水流の発生地点へ集中する。朝日を浴びて立っていたのは、黒衣の道士。もちろん清流道人だが、なぜだか顔色がまっさおだ。

 

「やれやれ、間に合ったか……おえっぷ」


 えずく彼女。周囲にはどこぞの水路で調達したのか、ふよふよと水の塊がいくつも浮遊している。おそらくは先ほどの高圧水流の射出元だろう。

 そして現れたのは、巨乳道士だけではない。

 

「白虎娘娘さまっ!」

「大丈夫! 助けにきたの!」

「あなた方は……!」


 白虎娘娘に駆け寄ってきた少女が二人。男装を解き、普段通りの女らしさ一色の依頼人姉妹だ。

 姉妹は雪蓮の袖に刺さっていた棒手裏剣を引き抜き、彼女の拘束を解く。

 そして。

 

「ひとつ……人の衣を裂き……」


 コツンコツンと、遠くから響く馬蹄の音。

 

「ふたつ……不埒な変態三昧……」


 馬蹄の音の後ろには、人の足音が多数続いていて。

 

「みっつ! 皆殺しにしてやる下郎ども!」


 物騒な台詞とともに、路地の暗がりから軍勢が姿を現す。

 先頭に立つ(パン)ちゃんが、仁王の表情で戦鼓を打ち鳴らした。

 

 ジャーン! ジャーン! ジャーン!

 

「げぇっ、姉上!」


 そう、子堅が思わず叫んでしまった通り。

 女子の大軍勢を率いて現れたのは、赤毛の馬にまたがる崔秀蓮。

 柳眉を逆立て、秀蓮は阿修羅の形相で。

 

「さあさあスケベ忍軍とやら、年貢の納めどきが来たようね! 我ら亮州娘子軍(じょうしぐん)がお相手するわっ!」

「りょ、亮州娘子軍……!?」


 乙女ばかりの大軍勢、亮州娘子軍。指揮官さながらの威風を振りまきながら、秀蓮、馬上から死刑宣告を朗々と。

 

「さあて……この場にいる奴ら、全員いまこの場で末代にしてくれるっ! 行くぞ、(パン)隊長!」

「行きましょう秀蓮将軍! みんな続けーっ!」

「おーっ!」


 朝日の満ちる亮州城西、いまをもってここは童貞と乙女との戦場と化した。

 突然の大軍勢到来に、スケベ忍軍。

 

「どっ、どうしよう頭領!?」

「頭領どうしよう!?」

「ええーい、落ち着け諸君!」


 乱れる足並み。しかし巽、そこをなんとか踏みとどまらせ。

 

「いいかっ! これは好機だ! 女の子が自ら飛び込んできてくれたんだ、ならすっぱだかに剥いて歓待すべきだろ!」

「確かに! 頭領の言う通り!」

「みんな行くぞーっ! 全員まとめてすっぱだかだーっ!」


 かくて童貞もやる気満々。棒手裏剣といやらし拳を武器に、敢然と乙女の群れへ立ち向かう。

 が。

 

「よーし、まずは君からすっぽんぽ……」

「ふんっ」


 乙女と童貞とでは、やる気が違う。

 ()る気が。

 

「よっしゃ、まずは一人討ち取ったり!」


 一番首を獲ったのは(パン)ちゃんで。容赦なく殺す気の拳を相手の鳩尾に叩き込み、童貞一人の意識を虚無に沈め。次なる獲物求めてドッタドッタと走り出す。

 そんな彼女の背後では。

 

「うらうらーっ! 金的金的ーっ!」

「あああああ!!」

「ご褒美!!」


 遊がすでに特技と化した金的をひたすら繰り出し。

 

「えい! えい!」

「死ね! 死んでくれなの!」

「あっ、あっ」


 依頼人姉妹が煉瓦(れんが)で覆面滅多打ち。

 

「巨乳だーっ! 巨乳を狙えーっ!」

「やれやれ、まだ乗り物酔いも治まらないというのに……」


 十数人のクソ童貞にたかられながら清流道人、さすがにカタギ相手に道術を使う訳にもいかないので。瓢箪(ひょうたん)の酒を一口煽り。

 

「ひっく」

「あれっ」


 後ろから服を剥ごうとしたスケベの徒を、しゃっくりしつつひらりとかわし、二口目を煽り。

 

「食らえ! 棒手裏剣!」

「ほいっと」


 飛び交う暗器ものらりくらりと千鳥足で避け、酔っ払いの歩法でやにわに覆面どもへ近づくと。

 

「いいものをくれてやろう。肘鉄だ」


 したり顔をにんまりさせて、黒衣の袖を翻し覆面の人中(じんちゅう)へ肘鉄一発。

 

「あ……ありがとうございまっ……!」

「ほれきみにも」

「あざまーっす!」


 左右に一発ずつ肘鉄をお見舞い。感謝されていると、さらに背後から迫る黒ずくめ。道人、酒を煽りながら「うぇー」と酔いの仕草でふらりと重心移動。よろけるふりをしながら回し蹴り。そんな調子で熟練の酔拳が、のらくらふらふらとスケベ忍軍を仕留めるのであった。

 

「黄雲くん!」


 あちこちで血風吹き荒れる中、雪蓮は黄雲のもとへ駆け寄った。先ほどまで彼をがんじがらめにしていた黒ずくめ達は、乙女への対応に駆り出されてしまいすでにいない。

 

「お嬢さん!」


 黄雲もこちらに気付き、駆け寄ってきた。女装姿の上縛られているので、まったく様にならない再会である。

 雪蓮は黄雲の縄を解いた。やっと自由になった手をぷらぷら振る黄雲から視線を外し、雪蓮の目は戦場を駆ける一騎の騎馬武者を追う。

 

「お姉さま……」

「まさか秀蓮殿が救援に来てくれるとは……」


 虎皮をかぶり、活き活きと黒ずくめを追う妊婦。

 黄雲と雪蓮はひとしきりその姿を眺め、どちらからともなく口を開く。

 

「あいつの……巽の葬式の準備、しといた方がいいですね」

「墓前に何を供えようかしら……」

 

 さて、気の早い二人だが。死亡予定のクソニンジャ。

 

「く……劣勢か……!」


 巽、形勢逆転にぐぬぬと眉間を険しくした。

 そう、童貞と乙女とでは殺る気が違う。命を獲る気で来ている乙女たちとは違い、童貞どもはただ脱がせたいだけである。覚悟が違う。

 乙女の攻撃から木行の道術で味方を守ろうにも、集団対集団だと防ぎ切れない。壊滅は火を見るよりも明らかだ。

 

「お、おいクソニンジャ! どうするんだ!?」


 横からは子堅の対策を急く声。しかし考えている暇はない。

 

「見つけたわっ! あなたが頭目ねっ!」

「げぇっ!!」


 子堅が絶望の声を上げる。いつのまに近くまで迫っていたのか、秀蓮が馬上からこちらへ高々と呼びかける。


「さて、下っ端では退屈だったところ……今にこの私が切り刻んでくれるっ!」

「相変わらず活きのいいお姉さまだなー」


 窮地のわりには巽、軽い口調である。

 いつの間にか覆面の中から苦渋の表情は消え。

「おい関節」と子堅の方を振り返った顔は、どこか晴れやかだった。

 

「全軍、撤退だ!」

「な、なんだって……!?」

「おい、野郎ども!」


 そして巽、大声を張りつつ周囲の仲間たちを見回して。


「我らスケベ忍軍、現時点を以て解散とする!」

「頭領……!?」


 ざわっ。

 突然の解散宣言に、どよめく童貞たち。巽はそんな彼らへなおも続ける。

 

「いいかみんな、これが俺たちの最終任務! 各員倒れた仲間を助けつつ、逃げて逃げて逃げまくれ! 素顔がバレないうちにな!」

「頭領……!」

「血路は俺が開く! 振り返るな、走れ!」


 頭領の意図を察し、黒ずくめ達、一様に目元を潤ませる。

 今までどうして黒ずくめの覆面衣装だったか。素顔を隠すためだ。

 ハレンチ行為をしでかしても、捕まらなければ、顔さえバレなければ元の生活を送ることができる。それがどうだ。ここで娘子軍に蹂躙され、捕縛され、覆面をはぎ取られたら全てが水の泡だ。

 だから逃げなくては。いま逃げなくては。全員の覆面が、無事なうちに。

 そして彼らの突破口を、たった一人で開こうとしている男。頭領・木ノ枝巽。

 

「頭領! 御免!」

「ご武運を!!」


 スケベ忍軍一同、倒れた仲間を肩に担ぎ、頭領の脇をすり抜けながら震える声で別れを告げる。

 

「待て!」

「逃がすか!」

「一兵卒たりとも逃すな!」


 背後から迫る亮州娘子軍。いまや鬼神の軍と化してしまった元乙女たち、痴漢者集団を逃すまいと追いすがるが。

 

「待て待てお嬢さん方! ここは俺が絶対に通さねえ!」


 たった一人、立ちふさがる黒ずくめ。いや、彼の後ろには、まだ。

 

「おい、クソニンジャ! 無茶だ! お前も早く逃げるんだ!」


 もやし体型の黒ずくめ。否、子堅。子堅は巽の肩を掴み、ともに逃げようと必死に語り掛ける。だが。

 

「おい関節。俺がなんでわざわざ『関節』って渾名(あだな)付けたか分かるか……?」

「こ、こんな時になにをっ……!」


 巽、前方を見つめたまま続ける。

 

「お前がお前の家族や知人に、『お前』だって分からせねえためだよ! 言わせんな!」

「!!」


 子堅、胸を突かれる思いである。そういえば疑問だったのだ。どうして「色白もやし」という渾名のようなものが既にあるにも関わらず、「関節大納言」などという不名誉な渾名をさらに授けられたのか。今までは単にいやがらせだと思っていた、が。

 

(そうか……こいつ、以前屋敷で私を皆の面前で『色白もやし』と揶揄したことを覚えていて……!)


 そう、「色白もやし」という不名誉の称号を避け、新たな渾名を付けた理由はまさしくそれ。不用意に子堅の関係者の前で「色白もやし」と呼ぶことで、彼に後難が及ばないようにするための配慮である。

 官僚を目指す子堅の清廉潔白な経歴を、傷つけないために。

 

「おま……クソニンジャ……!」


 子堅、鼻の奥がツンと痛くなる。目元に熱いものが込み上げるが。

 

「バーカ、分かったなら早く行け! 関節大納言!」

「くっ……お前のこと、絶対に忘れない!」


 クソニンジャの想いを、無駄にしないためには。

 子堅は踵を返し、直伝の遁走術で疾風の如く逃げ去って行く。

 後ろを、振り返らずに。

 

「ほう……、自らを犠牲にして仲間を逃がすとは、殊勝な」

「へっ……」


 残されたクソニンジャ。熱い友情劇もそこそこに、大軍率いる崔秀蓮と一対多の対峙である。

 形勢は明らかに不利。すでに仲間は逃げ去り、目の前には修羅の如き戦闘狂と化した乙女の皆々様。それも数十人。

 しかし巽の瞳に、絶望の色は宿らない。むしろ活力と期待に満ち溢れ、どこかムラムラとその時を待ち構えている様子で。

 

「こんな乙女の大軍勢……」


 つぶやく声も期待にまみれている。

 

「こんなにいい役どころ、誰にもくれてやるわけにはいかねえな!」


 そしてニンジャ、駆けだした。見ようによっては無謀そのものの自殺行為。しかしクソニンジャはそれこそが目的だ。

 

「うおおおおお!! お嬢さんがたーっ!!」

「きたわっ!」

「迎え撃て!」

「さあさあいい度胸ね! 挽き肉にして差し上げるっ!」


 多勢に無勢、いやむしろ望むところ。乙女の軍の先頭で、馬上の秀蓮が偃月刀を振りかぶる。

 朝日に白刃、きらめいて。

 

「死んだな」

「そうね」


 黄雲と雪蓮が寝ぼけ眼で未来予知。

 かくして。

 

「ありがとうございまあああああっす!」


 理解不能な感謝の言葉を残し。

 木ノ枝巽、暁天に死す。

 

------------------------------------------

 

 クソのような騒動が終わった。

 時刻は既に夕刻。亮州城内で一番大きな広場には、どよどよと大勢の人がひしめいている。

 今朝。娘子軍に散々いたぶられた巽は、絶命寸前でやっと役所に突き出された。

 さすがに修羅なる乙女たちも、この変態に触れるのは生理的に無理だったらしく。皆武器での攻撃に終始したのは、巽の生命にとっては幸いであった。

 役所で一通りの取り調べを受けるも、巽、スケベ忍軍構成員の所在については、ついに口を割らなかった。頭領の当然の務めである。

 ちなみに何度か覆面を剥がれかけたが、剥いでも剥いでも後から後から覆面がその下から現れる。そんな手品のような一幕もあったが、これは完全に余談だ。

 さて、夕空の下。クソニンジャは見せしめに磔刑に処せられている。広場に立てられた木柱に縛り付けられ、黒ずくめの衣装のあちこちにはどす黒い血の染み。俯き気味の顔には、どこか恍惚の感が漂っていた。

 

「ちっ……死ななかったか」


 それを下から見上げていた黄雲が、少々残念そうに吐き捨てた。すでに衣装はいつもの道服、仮眠を少し取り、多少すっきりした顔色である。

 

「ねえ、黄雲くん。巽さん、どうなっちゃうの?」


 彼の隣には、同じく仮眠を取りすっきりした面持ちの雪蓮。彼女の問いに、黄雲は腕を組み。

 

「さあて……今は知府殿のお沙汰待ちらしいですが」

「お父さまの……」


 そう二人が言葉を交わしている時だった。


「えー、おほん」


 役所の方面から、役人の行列が現れる。その最後尾から歩み出でて、知府は集まった人々の前で咳払いした。隣には、子堅と秀蓮の姿もある。

 知府、聴衆に向かい重々しく口を開く。

 

「この度、街を大いに騒がせたスケベ忍軍なる賊の一団……その頭目がこの男、キ、キノ……、キノコ……」

「木ノ枝! 木ノ枝巽!」


 知府、相変わらず八洲(やしま)の発音が難しい。磔にされた巽がやかましく訂正する。

 

「えーっ、おほん! そのなんちゃらだが!」

「くぉら! 人の名前をなんちゃらで済ますな! 偉い人だろアンタ!」

「刑は投石刑とする!」

「投石刑!?」


 どよっ、と広場中の人々がざわめいた。巽も刑の内容に驚いた様子だが、おののく様子は一切ない。というのも。

 

「よっしゃ! またお嬢ちゃんお姉ちゃんおばさま方にいっぱい石投げつけてもらえんだな! たーのしー!」


 言いつつ巽は足をパタパタさせて、楽しそうである。

 以前街でハレンチ騒ぎを起こした際、彼は同じ刑に処せられている。被害女性達から石を投げられる、というものだが。

 

「うーむ、それなんだがなぁ」

「待ってくれ!」


 知府が何かを言おうとするのを遮って。彼の隣から声が上がる。

 声の主は、崔伯世が長子・崔子堅。

 

「そいつが刑を受けるというなら私も同罪だ。私も処断してくれ」

「子堅、お前なにを……」

「私もスケベ忍軍の一員だ!!」

「はぁ!?」


 突然の告白。

 当然父は驚いているし、顔なじみの役人たちも目を白黒させている。

 そして彼の側に立っていた姉、秀蓮は。

 

「子堅! 貴様いま何と言った!」


 弟の胸ぐらを掴み憤怒の表情。しかし、いつもは姉に弱いはずの子堅は。


「私もあいつの仲間だということです、姉上!」

「し、子堅さん……!?」


 姉の手を振りほどき、巽の木柱へと駆け寄っていく。その顔に、いつもの弱気な、惰弱な気配は微塵もない。

 

「私はこやつや仲間とともに黒装束を纏い、街の女性を裸に剥きまくった! その罪、私もともに(あがな)おうというのだ!」

「えぇ……!?」


 知府長男の独白に、広場中から驚きの声。

 

「そんな……お兄さまがスケベ忍軍……!?」


 散々戦場で仲良く戦っていたくせに気付かなかった雪蓮も、驚愕に目を見開いている。黄雲はというと「ふーん」くらいの反応である。

 驚いているのは、なにも聴衆や彼の家族ばかりではない。

 

「お、お前……!」


 木柱から子堅を見下ろしつつ、巽、声を震わせている。

 そんな彼へ、子堅。

 

「ふっ、悪いなクソニンジャ……。私の正体を知られないようにとのお前の気持ちを、潰してしまう形にはなるが」


 子堅は巽を見上げて言う。

 

「やはり私は嫌なんだ。自分だけ穢れのないままで、のうのうと生きるのは……!」

「関節大納言……!」

「真面目な場面でその呼び名やめろ」


 ともかく子堅、友情に殉じる覚悟である。

 その意気を受け止めた巽。少々潤んだ三白眼で子堅を見下ろすと。

 

「そうでーす! こいつが真の頭目でーす!」

「ちょっ、おまっ!」

「ぜんぶこいつに指示されてやりましたー。責任はぜんぶこいつー」

「おまっ、ふざけんなクソニンジャ!」


 突然の裏切り。突然の責任転嫁。汚いニンジャに友情一転、子堅、白い顔に怒りの色を昇らせるが。

 

「……本当なのか、子堅」

「ちちち、父上!!」


 息子を見る、父の冷たい眼差し。子堅、やにわにもとの気弱に戻り。

 

「そ、そんなわけないでしょう父上! ああそうそう、冗談ですよ冗談! 私がスケベ忍軍にいたなどというのは、ちょっとした冗談……」

「ふむ、部下からの報告で『関節大納言』と呼ばれる幹部らしき覆面がいた、とあるが」

「ぎっくう!」

「さっき『関節大納言』と呼ばれて、応答していたな。子堅よ」


 父はさすがに亮州知府。淡々と罪人を問い詰めるその姿、さながら鉄面判官とでも言うべきか。

 

「あ、あのその……えーと……」

「子堅さん……いや子堅!」


 子堅があたふたしているうちに、姉が背後に回り込み。


「よもや知府の長男ともあろう者がこの非行……! ああ情けなや! 咄! 咄!」

「あっ、ちょっ、姉上」

「問答無用!」


 秀蓮、子堅のもやし体を両肩に担ぎ上げ、首と足をギリギリ締めあげる。

 

「関節技にて折檻致す!」

「あああああああ!!」


 絶叫。そして。

 

「うーむ、子堅の罪刑をどうすべきか……」


 息子の悲鳴を聞き流しつつ、知府は冷淡に思考する。すでに衆目の前で刑を処されているようなものではあるが。

 

「ふむ、性欲を持て余して犯罪に走ったのであれば、致し方ない、宮刑(きゅうけい)かな」

「ち、父上! それだけは!」


 締め上げられながら子堅、絶望の声。

 宮刑とは、男性器を切除される刑罰である。

 

「そう悲痛な声を上げるな子堅。後宮ならば仕官できるかもしれん」

「ちょ、ちょっと父上ーっ!」

「それか顔に刺青でも入れて、どこぞに配流するか……」

「だから父上ってばー!」

「とりあえず磔刑」

「父上ー!!」


 そんなこんなで。

 巽の隣に木柱がもう一本。かくして亮州知府が長子・崔子堅も、罪人として民衆へ晒される羽目となる。

 

「く、くっそぉ……! なんで裏切ったクソニンジャ!」

「決まってんだろ、なんか面白そうだったから!」

「お前最悪だな! やっぱり心の底からクソな野蛮人め!」


 さて、そんな二人を見上げる街衆の中には。

 

「頭領……」

「関節殿……」


 なぜか涙ながらに磔刑を見守る男たち。

 彼ら、目元のみ覆面の形に日焼けしていて。

 

「知府、変な日焼けの泣いている奴ら、どうします?」

「全員捕縛し、あの二人と一緒に投石刑」


 というわけで、スケベ忍軍ご一同。

 みんな仲良く捕まって、めでたく愉快な投石刑。

 そして石を投げるのは。

 

「今まで散々苦労させやがって!」

「ちょっと眼福だったけどな!」

「死にさらせ犯罪者ども!」


 今まで捕物に苦心してきた、むさい捕り手役人たち。

 

「ちょ、ちょっと待って! 姑娘のみなさんが石投げるんじゃないの!? やめろ! 聞いてない!」


 混乱必至の巽だが、この被虐嗜好(クソニンジャ)が女性にいたぶられて悦ぶなんて、前回の投石の際に知府はすでに承知している。

 

「ぎゃーっ! 石がむさ苦しい!」

「いやだーっ、助けて頭領ーっ!」

「だめだ、頭領が今度こそ死んでる!」

「お前のせいだぞクソニンジャー!! 生き返ってもう一回死ねーっ!!」

 

 阿鼻叫喚の広場に石の降る音が鳴り響き、一件落着。

 

「さ、帰りますよ」

「今日の夕飯はなにかしら、黄雲くん」

「適当な菜っ葉を煮たやつです」


 めでたしめでたし。

 

---------------------------------------------


 その後。

 犯罪に手を染めるどころか、知府である父の面子を汚した子堅は屋敷の中で針のむしろ。

 しかしだからといって、卑屈に振る舞うことはないようで。

 

「ま、しょうがないよな。自分で蒔いた種なんだから」


 スケベ忍軍での日々は、世間的に褒められたようなものではないけれども。それでもこの貧弱書生の中の、何かを変えたらしい。

 父には「汚名返上は並大抵ではないぞ」ときつい説教を食らったが、「重々承知、むしろいずれ大きな名誉にて上書きしてやりますとも」と、いつにない大言壮語で返すのだった。

 そんなわけで、家族や下男下女から冷たい視線を浴びても、そりゃまあちょっとは気になるが、子堅は栄達への歩みを止めない。

 幸い、民衆への見せしめ刑罰こそ食らったものの、ギリギリ前科は付かずに済んだ。というのも、実は子堅が服を裂いたのは清流道人ただ一人。その彼女も特段お上へ被害を訴え出ることはなかったので、経歴的な処罰を免れたのだった。

 その幸運に感謝しつつ、今日も今日とて勉学勉学。

 今度こそ真面目に、栄耀栄華を掴むため。

 

 

 ところ変わって、亮州外れの農村。

 五男坊こと李小五も、スケベ忍軍へ参加したことが明るみになり、村の娘たちから軽蔑の眼差しを向けられる羽目となっていた。しかし。

 

(やっべぇ……女の子の汚いものを見る目って、すっげえ興奮する!)


 新たな境地を見出し、それなりに幸せなのであった。

 

 

 そしてクソニンジャは相変わらず。こやつこそばっちり前科がついたものの、どこ吹く風。今日もひとり、元気にハレンチ三昧。

 

「せっちゃーん! 今日こそ覚悟……」

「あら、突然の雷雲」


 どんがらがっしゃん。

 

 清流堂の庭に、いつもの通り雷が落ちる。すっかり慣れた雪蓮の目の前で落雷に焼かれ、ニンジャは半死半生のていでヒクヒクしている。

 そこへふっと現れる清流道人。瓢箪の酒を煽り、ひとこと。

 

「巽よ。此度の騒動の仕置きだ、二郎殿に頼んで雷公の鞭の出力を上げて頂いた。日に三発も食らえば死ぬぞ」


 道人は爽やかにそう言って去って行く。聞いているのかいないのか、巽はひくひく痙攣したままで。

 

「おーい、巽さーん! 大丈夫ですかーっ?」


 呼びかける雪蓮の声。するとクソニンジャ、やにわにガバリと起き上がり。

 

「こ、こんな雷なんのそのっ! いざいざ今度こそすっぽんぽんに……!」

「あ、またしても雷雲」


 かくして本日二度目のどんがらがっしゃん。

 クソニンジャ死亡まで、あと一発。

 

 

 

「ところで黄雲。夜中に巽たちは何をしていたんだ?」


 母屋の中で、雷鳴を聞きながら。清流道人は金の整理をしていた弟子へ、そう問いかけた。

 弟子は銭から視線を動かさず、声だけで答える。

 

「なんか役所に忍び込んでいたらしいですよ。女子の住所を調べるとか言って……」

「役所……」


 道人、あごに手を当て、考える素振り。

 弟子は気にせず、ひたすら銭を数えている。それはもう血走った眼で。

 銭を数えていなければやっていられないからだ。気になるあの子の衣装で女装、なるべくならば記憶から消してしまいたいほどに恥ずかしい。

 

 そして、二度の落雷に打たれたあの男。

 

「俺は……俺は負けねえからなー! 絶対いつか! 女の子のちちしりふとももに! さわりまくってやるーっ!」


 亮州の空に高々と。

 負け犬の遠吠えは、哀しく響き渡るのであった。

 

----------------------------------------------

 

 目を開く。

 視界に移るのは、壮麗な建物。瑠璃瓦がまぶしく陽光を反射している様を、彼は地面から見上げている。

 王城の中を這う、蜥蜴(とかげ)

 彼が今、視界と聴覚を借りているものだ。

 蜥蜴は王宮の渡り廊下の下、日陰に身を潜ませる。この上を渡る者が、有益な情報を漏らさないか、期待しながら。

 しかし。

 

「!」


 蜥蜴の視界へ不意に、なにか眩しいものが映り込む。

 金色の……髪の毛。それから碧い……。

 そう認識したところで。激痛とともに、蜥蜴の感覚は閉じられた。

 

 

 

 目を開く。

 再び視界に現れたのは、天究山の見慣れた石窟で。

 玄智真人は犠牲となってしまった蜥蜴の死を悼み、静かに祈りを捧げる。

 そして思いを馳せる。先ほど視界に映り込んだ、あの金髪碧眼。そして、氣の(かたち)

 あれは。

 

鴻鈞道人(こうきんどうじん)……!」

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