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1 謁見

「二郎真君、前へ」

「はっ」


 白玉の宮殿、玉座の間。玉皇大帝(ぎょくこうたいてい)の住まう紫微宮(しびきゅう)にて、二郎真君は謁見に臨んでいた。

 いま彼が跪いている広間は、(おおとり)がゆったり羽を広げられるほど、臥龍が身を伸ばして休息できるほどに広い。彼の両脇、二列に規則正しく立ち並ぶ瑪瑙(めのう)の柱には、それぞれに見事な透かし彫りが施されていた。玲瓏たる玉柱の左右には、天帝配下の臣、将、兵が居並んでいる。

 開け放たれた窓からは透き通った光と清風が吹き込んで、あちこちに垂らされた(とばり)を優しく揺らしていた。

 二郎真君は立ち上がり進み出で、広間の最奥へ辿り着くと再び跪く。

 彼の正面には、長大な御簾(みす)。その向こう側には玉皇大帝が座しているのだろう。

 

「面を上げよ」


 先ほどから二郎真君へ語りかけるこの声は、玉帝のものではない。御簾の前に立つ、玉皇大帝を守護するための側近・捲簾大将(けんれんたいしょう)が発しているものだ。大将の手には武器が一振り。半月の形の刃がついた宝杖(ほうじょう)だ。

 青黒い顔のこの神将に指示されるまま、二郎真君は顔を上げた。上げたところで、目に入るのは御簾の編み目ばかり。玉帝の姿は厳重に隠されている。

 やがて発言が許され、二郎真君は慣例に則り、玉皇大帝を寿(ことほ)ぐ言葉をしばし紡ぐとさっそく本題へ入った。

 

霊薬(エリキサ)について、ご報告がございます」


 二郎真君の額の目が開き、ぎょろりと動く。

 

「定期的にご報告している通り、かの娘は刻々と霊薬(エリキサ)に侵されております。魂魄は言うに及ばず、ここのところは身体への影響が出始めている」


 とはいっても、当の雪蓮に自覚症状はない。しかし。

 

「まだ彼女を取り巻く者たちは気付いておりませぬが、崔雪蓮の身体は変容しようとしている。彼女の塩基配列は人知れず組み代わり、なにものかへと変貌を遂げようとしています」

「それなんだがな、二郎真君」


 不意に割って入る声。巻物を手に進み出たのは、学問を司る神である文昌帝君(ぶんしょうていくん)だ。

 文昌帝君は捲簾大将より発言の許可を得ると、黒い髯を撫でながら巻物へ視線を落とし、続ける。

 

「そなたが第三眼にて記録した遺伝情報を、天界に集積したあらゆる生物の遺伝情報と照合してみたのだがな。いまのところ、完全に合致するものはない」

「ふむ……」

「おそらく、まだ変わりつつある最中だからということもあるだろう。件の娘がこのまま霊薬(エリキサ)との融合を続け、完全にあれと一つになったとき、一体なにに成り果てるのか想像もつかん」

「…………」


 文昌帝君は疲れた表情で(かぶり)を振った。この博識で真面目な神格は、二郎真君よりもたらされる報告をもとに、日夜調べものに明け暮れているらしい。

 さて、霊薬(エリキサ)が宿主の身体を造り変えている現状も謎に満ちてはいるが。

 

「それとだな。以前、火眼金睛なる贋作者が件の娘を襲った際のことだ」


 紅火山から蘇った火眼金睛が、雪蓮を捕食しようと襲来した時。少女は正気を失ったまま、周囲の土壌から氣を使って砂鉄を精錬し、一振りの宝剣を作り上げた。

 二郎真君は改めてその顛末を語り、宝剣について知っている限りのことを玉帝とその臣下へ申し伝える。

 

「彼女はそれを、『龍吟(りゅうぎん)』と呼んだそうです。宝剣は地を裂き炎の物の怪を負傷させ、さらには火眼金睛の炎に焼かれた道士の腕を再生させた」


 玉座の間はしんと静まりかえっている。

 その静けさの中、再び口を開いたのは文昌帝君で。


「その『龍吟』なる宝剣……これもまた、天界の情報には無いものだ。太古、上代から現代に至るまで、記録には残っていない」

「宝剣もさることながら、戦地となった亮州西部の荒野にもいささか疑問点がある」


 帝君の言葉を引き継ぎつつ、二郎真君は懐から巾着袋を取り出した。

 衆目の中で中身をその手のひらへ開けて見せる。

 

「これは現地で採取してきた土にござます。調べてみたところ、この土はほとんど鉄の成分を含んでいない。過去、天界による地質調査で下界の土をくまなく調べた時の結果と、成分的にはほぼ一致している」


 少し白っぽい色のその土は、二郎真君が数日前、調査用に持ち帰ったものだ。ほんのわずかに鉄の成分は散見されるものの、含有量は極めて少ない。あの荒野から宝剣一振り分を集積するなど、まったく無理な話である。

 では、宝剣を構成した鉄はどこからやってきたか。

 

「それがさっぱり分からない」


 文昌帝君が頭を抱えながらつぶやいた。巻物をたぐりつつ何やら書かれている記録を確かめているが、目当てのものがなかったか、やがてうなだれてため息を吐いた。

 宝剣『龍吟』。鉄分の少ない土壌から忽然と現れ、天界の記録にも足跡を残さぬこの宝剣。雪蓮に宿った霊薬(エリキサ)が不可思議な力で作り上げたものには違いないだろうが、謎は深まるばかりである。

 

「つまり、霊薬(エリキサ)が我らの予想を超えた行動を起こしたと考えて間違いないのだろう」


 また別の声が割り込んだ。堂々とした低い声の主が、天仙たちの最前列から歩み出る。

 

「森羅万象日月星辰、下界に起こるすべての自然現象を統括する身としては、あまり超常的な存在に人間(じんかん)をかき乱されたくないものだ」


 雄偉な容貌のその神。北斗七星をあしらった黄金の袍に身を包み、黒い払子を持ち、少しばかり迷惑そうな顔色を浮かべている。

 北極紫微大帝ほっきょくしびたいてい。下界の天候や星の巡りを管轄する神である。

 

「やはり事が重大になる前に、神兵を差し向けて霊薬(エリキサ)を討伐すべきではないか」


 大帝の提案に、声は発しないが後方の神将が何人か頷いている。

 しかしこれに異議を唱える声。

 

「お言葉ですが北極紫微大帝。それは性急過ぎるというものではないでしょうか」


 たおやかな女神だった。慈愛に満ちた美しい顔に心配そうな表情を浮かべ、后土娘娘(こうどにゃんにゃん)は続けた。

 

「兵を動かすということは、宿主である少女の命もろとも、霊薬(エリキサ)を滅するということにほかなりません」


 后土娘娘は眉をひそめ。

 

霊薬(エリキサ)を宿している娘は、太華の大地に生まれた愛しい我が子。いかに下界の安寧を守るためとはいえ、ひとりの命を蔑ろにしては人の子らに顔向けできません」


 地母神である彼女らしい主張である。慈悲の気持ちからか、祈るように両手を握り合わせる彼女に、北極紫微大帝は困り顔。

 

「しかしだな、后土どの。このまま手をこまねいていては一人の娘だけでなく、事は太華に住む生きとし生けるものに影響が……」

「それは、承知していますが……でも……」

「だいたい宝物殿の管理不行き届きが原因でしょうよー」

「そうだそうだーっ」


 野次まで混ざり始めた。賑やか好きな猿の神将がやんややんやと野次を飛ばし始めたあたりで。

 

「静粛に!」


 カツン。

 捲簾大将が宝杖を地面へ叩きつけ、高い音が広間へ響き渡る。

 途端に一同は静まった。

 荘厳さを取り戻した玉座の間で、二郎真君は不意に立ち上がる。そして玉皇大帝がいるであろう御簾の向こうを見据えつつ、口を開いた。

 

「ともかくとして、霊薬(エリキサ)が我ら天界の管理の外で、超常の宝剣を作り上げたことに違いはありません。確かにかの宝剣を構成した鉄がどこから来たか、記録も手掛かりもない状態。通常天仙や下界の道士が術を使い奇跡を起こした場合、記録に残ります。が、霊薬(エリキサ)が起こした奇跡に関してはそれが一切ない。しかし──」


 そこで、涼やかだった顔に浮かぶ不敵の笑み。

 

「似たようなことができる者……いや、『できた』者が一人いる筈です。そう……」


 言いかけた二郎真君の言葉に、その場にいたすべての天仙の顔がぎょっと強張った。

 

「そう、嫦娥娘娘(じょうがにゃんにゃん)ならば──」


 二郎真君は跪く。そして請う。

 

「陛下、ご許可を頂きたい。以前我が愛犬を使いに申し入れ断られましたが、改めてこい願います。月宮(げっきゅう)の嫦娥どのへ(まみ)える機会を、どうか」


 しん、と場が静まり返った。

 沈黙は短かったのか、長かったのか。

 

「二郎真君」


 呼びかけた声は、御簾の向こうから響く。

 玉帝は重々しく告げる。

 

「お前の願いは聞き届けられない。月宮へは誰も立ち入ってはならぬ。それはここにいる皆が承知しているはず」


 玉帝の答えに、二郎真君は目を閉じた。拱手し、「差し出がましい事を申しました」と頭を下げる。


「みな聞け」


 玉帝はなおも続けた。百官がひれ伏し拝聴する中で、言葉が紡がれる。

 

「指摘のあった通り、霊薬(エリキサ)に関しては我ら天界側の落ち度もあることだ。神兵を向けるかどうかは、かの娘から霊薬(エリキサ)が分離できるかどうかを見極めてからでよい。が、必要以上に人間へ肩入れすべきでもない」


 一拍置いて。

 

「二郎真君にはこれまで通り、霊薬(エリキサ)の監視を命ずる。他の者も、それぞれに与えられた役割を果たすがよい」


 告げられた命。一同は跪き、声を揃えて応える。


「御意」


 かくて謁見が終わった。

 一同で万歳を唱え、捲簾大将が解散の許可を下したところで三々五々、天仙たちは散っていく。その中で。

 

「二郎真君!」


 退出しようとした三つ眼の神将を引き留めたのは、北極紫微大帝だった。美丈夫が振り返るなり、大帝は。

 

「貴殿、少しばかり職務を逸脱しているのではないか?」


 そう咎めるような視線を向ける。二郎真君は涼しい顔でわけを尋ねた。

 

「と、言いますと?」

「さっきの嫦娥娘娘の件だ。霊薬(エリキサ)の監視をするだけの貴殿が、どうして月宮になぞ。それだとまるで──」


 大帝はそこまで口にしたものの、突然気まずそうな面持ちを浮かべて言葉を切った。

 

「……いや、他の者の耳目がある中で、滅多なことは言うまい。ともかくだ。先ほどの陛下の言葉通り、人の子にあまり肩入れしてはならんぞ」

「…………」


 大帝はそう言って、二郎真君の肩をポンと叩き、部下を引き連れその場を後にした。

 真君は無言でその背を見送っている。感情の読めない瞳で。

 と、そこへ。

 

「のう、二郎真君よ」

「あなたは……」


 突然話しかけてきたのは、逆立った髯と髪が特徴的な神将だ。

 

九天応元雷声普化天尊きゅうてんおうげんらいせいふかてんそん

「いちいちクソ真面目に正式名で呼ばんでもええわい。雷帝でよい、雷帝で」


 九天応元雷声普化天尊──雷帝は、少々真君の生真面目さにうんざりした様子だ。この神将、雷部二十四神を配下に従える、雷神の中でも最高位の神である。

 

「少し話がある。お前さんの下界での逗留先に、清流道人なる女道士がいるはずだが……」

「そうですが、九天応元雷声普化天尊」

「だから雷帝でいいっつーに」


 雷帝、うんざり度合を強めつつ致し方なしに二郎真君へ話を続けるのであった。

 

「実はだな……」


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「あれ、兄い! いま帰ってきたのかい?」

「ああ、ただいま那吒(なた)


 ところ変わって清流堂。天界から帰ってきた二郎真君を、留守居役の那吒が中庭で出迎えているところだ。

 天界と下界は少しばかり時の流れの速さが違う。出立時は初夏だったが、亮州は現在、夏真っ盛りであった。

 

「少し留守にしている間に、随分と暑くなったものだな」

「そうだなぁ。毎日暑くて暑くてやってらんねーよ」


 手でパタパタと風を送りながら、那吒はぐったりと夏バテ気味だった。さてそんな少年神将へ、二郎真君はきょろきょろと堂内を見まわしながら尋ねる。

 

「ところで那吒、清流殿は何処にいる。少し話したいことがあるのだが……」

「清流道人なら部屋で飲んだくれてるよ」

「ふぁ~あ……」


 二郎真君が所在を訪ねている中、ちょうど折よく本人が現れた。

 母屋から大あくびを放ちながら、今日も気だるく酒臭く、清流道人がふらふらひょこひょこやってくる。

 

「おや、二郎真君。天界からお戻りになられたか」

好久没見(ハオジウメイジエン)(お久しぶり)、清流どの」

「なんか兄いが話があるらしいぜ、清流さんよぅ」

「話?」


 清流道人のふしぎそうな表情を見据えながら、真君は口を開く。

 

「実は、黒ずくめ殿のことなのだが──」


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 さてそのころ。亮州城内、西の区域の狭い路地。

 

「きゃああああっ! 出たわっ、例の黒ずくめの変態よーっ!」

「きゃーーっ! いやああああっ!」


 絹を切り裂くような女性の悲鳴、それも同時に二、三人分。

 彼女らの行く手を遮るは、もう説明するのも面倒くさい。

 

「げっへっへー! お嬢さんがたーっ! 俺といいことしてあっそびっましょーっ!」


 極悪変態クソニンジャ、巽である。今日も今日とて悪行三昧の破廉恥三昧。その手にはお馴染み棒手裏剣、いままさに娘たちの衣服を狙い、投げつけられんとするところ。

 

「さあさあっ、ポロリの時間です! いってみよーっ!」


 スケベ心全開。三白眼をいやらしく歪めながら投擲の構え。

 ところがどっこい。

 

 どんがらがっしゃん!

 

「ぎゃああああっ!!」


 天から轟き降り来たる、悪滅の雷光。

 稲妻は巽目がけて一直線、クソニンジャは正義の雷電に焼かれて滅されるのであった。南無。

 

「た、助かったわ!」

「雷公さまのご加護のお陰ね!」

「いまのうちに退散しましょう!」

「地獄に落ちろクソ変態!」


 娘たちはほっと胸をなでおろし、とっとと路地から立ち去って行った。

 後に残されたのは屍が一体。しかし。

 

「お、おのれ……雷公の鞭め……!」


 憎まれっ子世に憚る。変態ハレンチクソニンジャもまた、しぶとくしつこく世に憚る。

 元々の黒ずくめをさらに焦がされつつも、巽は元気に起き上がった。そのままふてぶてしく地面にあぐらをかき、ぶつくさと己が境遇を愚痴りはじめる。

 

「ったく! スケベに勤しもうとするといっつも雷落としやがって! 俺が何か悪いことしたかっつーの!」


 している。思いっきりしている。

 

「あーあ、最初は清流先生に雷食らってると思えば愉しかったのになー。黄雲の野郎が『雷の神は皆オッサン』とか余計なこと言いやがってから全然たのしくねえ!」


 巽はがっくりと肩を落とした。このままではスケベ行為が楽しくない。

 

「どうすっかなぁー……。俺が女の子に何かしようとすると、すーぐ雷落としやがるからな、雷神さまはよう。うーん……」


 しばし腕組み考え込んで。

 ふと、ニンジャの頭の中に妙案が閃いた。

 

「そうだ! いいこと思いついちった!」


 巽が思いついたこと、それは悪魔の妙計で。

 この妙計が後に亮州へ大波乱をもたらそうなどと、このとき誰も知る由はなかった──。

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