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8 恕

 さて一触即発。オカマと火眼の視線の間に火花散り、比喩でもなんでもなく着火してしまいそうな有様だ。


「た、大変だわ大変だわ!」


 少し離れた物陰で、雪蓮は焦っていた。足元では黄雲が未だに気を失っていて、それもまた焦燥の一要因であったのだが。


「……ごめんね黄雲くん。後で必ず手当てするから……!」


 雪蓮はさしあたっての優先順位を、火眼と青ヒゲの諍いを止めることに定めた。今にも爆発しそうな彼らを止めねばならない。少女は懐から白い小物を取り出した。


「こうなったら、白虎娘娘(びゃっこにゃんにゃん)に変身するしかっ!」


 白虎鏡を目の前に構え、雪蓮は変身の呪文を唱えようと息を吸い込む。ところが。


「ちょい待ち、お嬢さん」

「黄雲くん!」


 背後から彼女の肩を掴み、変身を止めたのは気絶していたはずの黄雲で。

 黄雲はまだ頭が痛むのか、しぶい顔でこめかみを押さえつつ口を開く。


「仲裁に入ってやりたい気持ちは分かります。しかし、今はもう少し見守ってやりませんか?」

「見守るって……」

「ほら、あれ」


 そう言って黄雲が指し示した先。こちらへ向かって駆けてくる小さな人影が、三人分。

 雪蓮は目を丸くした。駆け寄ってきたのは、逍、遥、遊の三人だったからだ。


「やっぱり、哥哥(がーが)とせっちゃんだ!」

「あなたたち、気付いてたの……!?」


 驚いている雪蓮へ、逍が「バレバレ!」とニッコリ笑ってみせる。今まで必死で見つからぬよう身を潜めていた雪蓮だったから、壮絶な肩透かしを食らった気分である。それはさておき。


「やはり気付いてたな、お前達」

「だって普通に哥哥とせっちゃんの声聞こえてたもん」

「痴話喧嘩もほどほどにしてよね!」

「それよかお前たち。僕に何か用があって来たんじゃないのか?」


 黄雲の問いかけに、遊が一歩前へ進み出て応じる。小さな手を、兄貴分へ差し出して。


「ね、哥哥。ちょっと木剣貸してよ。もちろん無利子で!」


-------------------------------------------


 さて問題の火眼である。青ヒゲと対峙して睨み合うことしばし。子ども達の姿はすでになく、退散したものと火眼は思っている。

 ここは市場の外れ。客の姿はまばらだが、木組みの屋台が軒を連ね、ひとたび火を放てばよくよく燃え上がりそうだ。


「……アタシを消し炭にするですって?」


 そんな屋台群を背に、青ヒゲは腕を組み仁王立ち。


「あんた、突然手から火を吹いたかと思えば武器を取り出してみたり、ただもんじゃないわね。さしずめ仙道の類ってとこかしら?」

「…………」

「でもね! それしきのことでアタシを倒せると思わないことね! しゃらくせえモヤシめ、ここで引導を渡してくれるわっ!」

「いいだろう、もやす!」


 龍虎激突。青ヒゲはたくましい両腕の筋肉をさらに隆起させ、一方の火眼は棍棒を構え。それぞれお互い目掛けて走り出す。


(なんかもういろいろめんどうくさい)


 火眼はすぐさまこの状況を終わらせたかった。ただ鞠を買って帰りたかっただけなのに、どうして自分はこの濃ゆい大男と戦っているのか。


──もやす。そしてかえってねる。


 短絡的に人ひとり燃やすことを決めて、火眼は軽く息を吸い込んだ。肺に火の氣が満ちる。


「うおおおおお!!」

「…………」


 丸太のように太い青ヒゲの腕が、拳が、空を裂き火眼へ到来する。対する火眼は拳の軌道からわずかに上体を逸らし、身中に満たした火氣を朱塗りの棍へ充填させ……。


「待て待て待てーっ!」


 そこへ突然割って入る、甲高い子どもの声。そして火眼の後頭部へ。


 ぽこんっ。


「あたっ」


 後ろ頭に感じる軽い衝撃。闖入者に、目前の青ヒゲの突進も止まったようで。

 火眼は後方を振り返る。


「その勝負、等一下(ドンイーシア)(ちょっと待って)!」


 背後に立っていたのは、逍、遥、遊の三人組。しかも三連肩車。一番上の遊は木剣を手に握っている。


「おまえたち……にげたんじゃ」

「へーんだ! これしきで逃げるかっての!」

「あたしたち、あなたの面倒を見てくれって清流先生に頼まれてるのよ! お駄賃ももらっちゃってるし!」

「だから火眼にーちゃんが非行に走るのを阻止しないと、ってわけ!」


 えっへん。子ども達は肩車の状態で、器用に三人そろって胸を張る。そして一番上段の遊が続けた。


「いい? 人を燃やすなんて、いけないことだわ! 犯罪だわ!」

「犯罪……」

「そうよ! いくら憎たらしく世にはばかるオカマとはいえ、燃やしちゃったら死んじゃうわ!」


 至極当たり前のことを、年端もいかない少女が五百歳の少年へ言って聞かせる。


「でね、もし人を殺しちゃったら! 都頭(とどう)さんに捕まって刑吏に尋問されて、最悪死罪! あなたと一緒に住んでる私たちにもお咎めがあるかもしれないじゃない!」

「そーだそーだ!」

「むぅ……」


 そんな子ども達の説得。

 火眼は木剣で小突かれた頭を軽くさすりつつ、少しだけ困った気色を浮かべてこう返した。


「死罪といわれても、おれはしぬにしねない身……」

「そういやこいつ、清流先生とおんなじくらいジジイなんだっけ?」

「そんな話も聞いたような……」

「先生とおんなじなら、きっと殺しても死なないよね……」

「そう、しねないから死罪などいみがない。おまえたちに累が及ぶというなら、邪魔者はぜんぶもやしてやる」

「うわぁ、無表情で言っちゃいけない台詞」


 思考回路の行き着く先は大体「もやす」。火眼の単純さが今頃分かってきた子ども達は、速やかに肩車形態を解き、げんなりと顔を見合わせた。


「ちょっとなによ! アタシを無視すんなっつーの!」


 さて、蚊帳の外のオカマは面白くない。長々と話し込んでいる子ども達の背後からぬぅっと腕を伸ばし。


「ああっ!」

「遥!」


 三人の真ん中にいた、目当ての少年の襟首をひっ掴んだ。口元のヒゲを歪め、青ヒゲ、恍惚の笑み。


「ほーらほらほらっ! 油断するもんじゃないわねーっ!」

「しまった……!」


 慌てて遥を取り戻そうと手を伸ばす火眼から、青ヒゲは特殊な歩法で距離を取った。そして続く憎たらしい口調。


「さーて! このお坊っちゃんはアタシがさくっと頂いたわ! で、あんた達ムカつくから鞠も売ってやんない!」

「おのれ!」


 いかにも愉快痛快といった様子の青ヒゲ。その腕の中で、遥はじたばたともがいている。


「離せ! 離せこの野郎!」

「んまっ! 野郎だなんて口の悪い子ね! 少しの間おだまりなさい!」

「ぐぇっ!」


 きゅっ。

 青ヒゲが腕の筋肉を少し盛り上げただけで、遥はぐったりと気を失ってしまった。大人しくなった少年を抱えたまま、青ヒゲは退散の準備だ。捨て台詞を吐きつつオカマは踵を返す。


「じゃ、アタシ新たな人生を送ることにするわ! クソむかつくあんた達は、失意のままおうちに帰ることね!」

「まて!」


 火眼は青ヒゲへ追いすがる。手に持った棍に熱がこもり、周囲に陽炎が立ち昇った。


「望まぬ者をその道へ連れ込もうなど! やはりもやしてやる!」


 辺りの気温が急に高くなる。火眼の周辺など蒸し風呂のようで、いまにも炎が巻き起こりそうだ。

 そんな火眼だったが。


「だから待って! 火眼にーちゃん!」


 高温に耐えながら、逍と遊が後ろから火眼の腰にしがみついた。


「おまえたち……?」


 身体を張っての突然の制止に、火眼はとっさに火氣を和らげて振り返る。額から汗を流しながら、こちらを見上げる二人の子ども。逍と遊は火眼が止まったことに安堵してか、互いに微笑みながら目を見合わせた。


「逍! 火眼にーちゃんは遊に任せて、遥をお願いね!」

「がってんしょうち!」


 逍が火眼から手を放し、汗を拭きふきオカマの後を追う。

 二人のやりとりを、火眼は呆然と眺めている。遊はそんな彼の前へ回り込んで、じっと炎の色の瞳を見上げた。


「ねえ、火眼にーちゃん。人を燃やしちゃいけないっていうのはね。もちろん、犯罪になっちゃうし、他の人の迷惑になっちゃうっていうのもおっきな理由なんだけど……」


 遊はいったんそこで言葉を切ると、真剣な表情で続ける。


「あのね! 燃やされた人はきっと、熱くて苦しくて、とっても辛いと思うよ! そんなの絶対だめだよ!」

「………………」


 童女の言葉は諭すように響く。火眼はただ棒立ちになって、いつもの無表情で聞き入っていた。


「ねえ、火眼にーちゃんだって、苦しくて辛いのはいやでしょ?」


 焼殺事件が起こるかどうかの瀬戸際だった。遊は普段の毒舌を封印し、ガチめの説教で火眼に臨む。

 果たして効果のほどは。


「おれは……」


 火眼、ぽつりとつぶやくように一言。


「おれは、もやされても死なない」

「えっ」


 説得失敗か。「燃やされても死なない」などと嘯くということは、一見あまり骨身に染みていないように思えたが。


「でも……もやされたらくるしいし、つらいこともわかる」

「火眼にーちゃん……」


 良かった。要諦は伝わっていたようだ。遊はほっと胸をなでおろす。

 そして火眼も、そんな彼女の目線に合わせしゃがみこんだ。


「そうだな、おれにはよくよくわかる。からだじゅうをやかれるくるしみは、これ以上ないほどに」

「うんうん、分かってくれて遊うれし……」

「永劫にもかんじられるながい時間。つねに炎に身をつつまれ、息もできず真っ赤な闇にただよい、あつくくるしく、無上の責め苦をうけつづけるあの地獄」

「……火眼にーちゃん?」


 がしっ。遊の両肩を掴んで火眼が語るのは、かつて紅火山に封印されていたときの思い出だろうか。

 火眼はまっすぐ遊の双眸を見据えながら真剣に語っているが、「あの地獄」とか言われても正直、断片的にしか彼の身の上を知らない幼い遊にはなんのこっちゃである。幼子の戸惑い、最高潮。

 しかし遊が理解していようがいまいが、火眼にはそれほど関係ないようで。炎の少年はひとしきり苦難の五百年へ思いを馳せた後、赤と金の瞳を再び遊へ向けた。

 少々の、微笑みとともに。


「おまえの言うことはよくわかった。たしかに、もやされたらつらいな」


 人間にとってはごくごく当たり前のこと。どんなに性格がクソでねじ曲がっていたとしても、身体を燃やされたらそれは当然苦しいし死ぬ。

 そんな『当たり前』からかけ離れていた少年は、拉麺作れたり守銭奴を論破できる割に、人間の常識がよく分からない。困ったことがあればとりあえず燃やせばいいと思っていた。

 そうじゃない。いくら邪魔だと思っても、相手が人間ならば。生き物ならば。


「みんな『おんなじ』なんだな」


 皆おなじように、苦痛を感じ、悲しみを得る。自分がされたくないことは、相手もされたくないものだ。

 そんなごくごく当たり前。やっとこさ理解した火眼は、遊へ告げる。


「あの青ヒゲとやらも、もやされたらつらかろう。ならばもやさない」

「分かってくれたのね……!」

「ああ。べつの方法で、(あいつ)を救うとしよう」


 そう言って火眼は立ち上がる。そしてさきほど逍が駆けて行った方向へ足を踏み出した。


「恩にきる。おまえのおかげで、目が覚めた気分だ。ありがとう、遊」

「火眼にーちゃん……!」


 少しだけ振り返りそう言い残し。火眼は青ヒゲのもとへ向かう。遥を救うため、風のように駆けていく。


「……火眼にーちゃん」


 遊はその背をじっと見送って、やがて火眼の姿が遠のいたころ。


「はーぁ、ったく世話が焼けるわよねー。身内から犯罪者が出るとかちょーめいわく」


 鼻をほじほじ、つぶやく本音はふてぶてしく。これがこの幼女のまごうことなき本性。正直青ヒゲが焼かれようが煮られようがどうでも良かったのだが、火眼の暴走を止めるため、一肌脱いで猫を被ったわけだ。


「さてと。次は……」


 遊はくるりと後ろを振り返る。そしてじっと見つめる先。

 物陰に隠れる、二人組。遊は声を張り上げた。


「ねえ哥哥! 哥哥ってばー!」


---------------------------------------------


「ったく! しつっこいわね!」

「いってえ!」


 市場の外れから、さらに外れ。人通りの少ない路地で、逍は尻もちをついていた。

 青ヒゲを引き留めようとして、突き飛ばされたのだ。これで累計三回目の尻もち。

 オカマの腕の中で遥はまだぐったりしている。


「いい! このコはもうアタシの彼氏になるの! そういう運命なの! 邪魔しないでもらえる!?」

「だーかーらー! 遥はそういうのいやだって言ってたじゃん! わっかんねーオカマだな!」

「そこまでだ!」


 そんなやりとりの最中、火眼はやっと追いついた。

 尻もちをついていた逍を助け起こし、遥を抱えている青ヒゲと対峙する。

 その火眼の手には、朱塗りの棍。

 ちらりとそれを見遣って、青ヒゲはこめかみにビキリと青筋を浮き上がらせた。


「なによアンタ……やっぱりアタシとやりあおうってのね!」

「いや……」


 そんな青ヒゲの視線の遷移を見ていた火眼は、持っていた棍をあっさり投げ捨てた。

 カラリ、と棍が地面に転がる。


「おまえと戦うのはやめだ。べつの方法を模索しようとおもう」

「なによ! さっきまでヤル気満々だったくせに、わけわかんないモヤシね!」

「なんとでも言うがいい。おい、逍」

「え、なに?」


 火眼は唐突に逍を呼んだ。「ガキそのいち」とぶっきらぼうな代名詞ではなく、ちゃんと名前で。

 戸惑う少年に、火眼は声を落としてヒソヒソ問う。


「この国に、誘拐をとりしまる法律はないのか?」

「え、誘拐……?」


 突然の質問だったが、逍は「むむ」としばし考えて。


「確か、あったはずだよ。去年かおととし、奴隷商がその辺の村から子ども二、三人かどわかして、知府さまに捕まってた」

「そうか。じゃあそれでいこう」


 青ヒゲから遥を取り戻す算段は、ざっくり決まったようだ。


「青ヒゲとやら。おまえが遥をつれていくというのなら、おれはおまえを誘拐犯として知府へ通告しよう」

「アンタ急に常識に則った対応してきたわね! どういうこと!?」

「もやすのはよくないとおもった」


 あっさり答えつつ、火眼はゆっくりと青ヒゲへ歩み寄る。


「さあ、そいつをかえしてくれ。いまかえすなら、おまえの罪は不問にしてやろう」


 しかし青ヒゲも引き下がれない。後じさりながら、オカマは大人げなく反論する。


「ば、ばか言わないで! 大体誘拐犯として通告するですって? そんなら捕り手の都頭(とどう)に賄賂掴ませて無かったことにしてやるわよ、バーカ!」

「だいたいそんな金あるのか?」

「あるに決まってんでしょ! アタシんちね、親が大地主なのよ! あの店も道楽でやってんのよ、道楽!」


 意外なところで亮州七不思議の一つが解けてしまった。オカマの実家が金持ちだっただけのこと。


「この国の警吏や役人なんてね、大体袖の下でも見せりゃ簡単になびくもんよ! はっはーん、ザマァないわね! 完全犯罪成立よ!」

「むむぅ、賄賂ときたか……」

「あきらめちゃだめだよ、火眼にーちゃん!」


 逍が割って入る。少年はキッと青ヒゲを見据え、びしっと人差し指を突き付けた。


「やいやい青ヒゲ! おまえ知らねえな! おれたち、知府さまと知り合いみてえなもんなんだ!」


 逍、得意げにふんぞり返る。

 確かに、現在彼らは知府令嬢である雪蓮と同居中。崔知府とも、繋がりがあるといえばある。


「だから知府さまに直接通告することだってできるし、もちろん元から金持ちで公明正大な知府さまに、鼻薬なんて効かないからな! どうだ青ヒゲ!」

「ぐ、ぐぬぬ……!」


 形勢が変わった。知府の存在をほのめかしたことで、一転オカマが不利となる。

 攻め方を変え、法律を盾に青ヒゲの説得を試みる火眼たちであったが。


「しゃらくさいガキどもね! こうなったら!」


 もとより青ヒゲに円満解決する気はさらさら無い。どこから取り出したか、荒縄で遥を亀甲縛りにしてその辺にぽいっと放ると。


「アンタ達をここで倒し! 口封じしてくれるわ!」


 オカマが選んだのは最悪の手段だった。なよなよとした仕草に殺気をこめて、青ヒゲは火眼たち目がけてのしのし歩み寄った。

 歩みは早足へ。早足から駆け足へ。逞しい腕、そして(いわお)のような拳を振りかざし、火眼たちへ巨体が迫りくる。


「火眼にーちゃん!」

「くっ!」


 火眼は眉間にしわ寄せ、悔しさを満面ににじませる。せっかく「もやす」以外の手段を選ぶ決意をしたのに、事態はとんでもなく剣呑だ。青ヒゲは殺す気でこちらへ向かって来ている。いかに剛腕を誇る巨漢とはいえ、火眼が生身の人間に(おく)れを取ることはないものの。


「逍、はなれろ!」

「う、うわ、うわ!」


 まだ十歳の逍はいい的だった。見た目に似合わず俊敏な青ヒゲは、まずもっとも弱々しいこの少年を狙う。巨体が逍の退路へ回り込んだ。


「ちっ!」


 火眼、足元に転がしていた棍を足で宙へ跳ね上げ、右手に掴み。体内に氣を練り、素早く逍と青ヒゲの間に入る。


「お死になさい!」


 青ヒゲ、渾身の一撃。隕石のような勢いと威力の拳が叩き込まれる。

 火眼は間髪入れず棍を眼前へ、横一文字に構え。


「ぐっ……!」


 棍にて拳を防ぐ。衝突の刹那、ビリビリと響く振動。青ヒゲの、魁偉な容貌に違わぬ凄まじい膂力。

 かくて戦いは始まった。

 火眼は逍をかばいつつ、防戦一方。対する青ヒゲは、おのが野望を、夢を成し遂げるため。ただひたすらに苛烈な、攻めそして攻め。


「さっきまでの威勢はどうしたのかしら、このモヤシ!」

「くっ……!」


 間断なく青ヒゲの拳は火眼を打つ。火眼はひたすら棍による防御で耐えるのみ。しばし応酬が続く。


「くそ! お互いにスキがねえな!」


 火眼の後ろで、逍は悔しげに唇を噛んだ。青ヒゲの隙を見て遥の救出へ向かいたいところだが、とてもじゃないがそんな好機はなかなかやってこない。

 かと言って、このままここにいたのでは火眼の足手まといだ。


「ここはおれにまかせておけ、おまえははやく──!」


 火眼もちらりと彼へ線を向けながら、退却を促す。

 そんなときだった。

 逍と火眼のさらに背後から、突如飛び出す小さな人影。

 お団子頭のその女児は、火眼と青ヒゲの脇をすり抜け、一目散に遥のもとへ。


「遊!」

「あ、あんのガキャ……!」


 遊は懸命に走っていた。亀甲縛りされてぐったりしている兄弟分めがけて。

 もちろんそれを許す青ヒゲではない。


「させるかああああっ!!」

「うおっ!」


 火眼を力任せに蹴り飛ばし、青ヒゲは標的を遊へ切り替える。巨体は俊足で幼女を狙う。


「ひ、ひえええっ!」


 当然遊はおっかなくて、情けない声を上げながら進路を変えた。遥のいる方から大きく逸れて、童女は遮二無二逃げ回る。


「待ちなさいこのガキ!」

「ひゃあああ!」


 そして始まる追いかけっこ。青ヒゲは相変わらずの速度で遊を追っているが、遊は小さな体を活かし、ちょこまかとした動きで青ヒゲを攪乱している。意外となかなか捕まらない。


「遊!」


 火眼は体勢を整え、遊のもとへ向かった。


「え、えーと……?」


 その混乱の最中。呆然としていた逍の足元に、ぼこりと土が盛り上がる。


「わ!」


 驚く逍の眼下で、まるで目に見えぬ指でなぞるように、土盛りに文字が描き出された。

 曰く。


『いまのうち』

「いまのうち……?」


 この地面の異変。誰の仕業かなんて逍にはすぐわかる。十中八九黄雲に間違いない。

 逍ははたと、逃げる遊を目で追った。青ヒゲと追いかけっこを演じている遊が、こちらを見て頷いた気がする。


「そうか、陽動作戦だな! 遊、哥哥!」


 逍、閃く。そして一目散に駆けだした。遊が青ヒゲの気を引いている間に、遥のもとへ向かうのだ。


 そして、一方の遊。兄弟の危機に、物陰でのんびり見守っていた黄雲を駆り出したはいいが。


(もー……哥哥ったらこの緊急事態に、手間賃だなんて!)


 しっかりと手助け料金を要求されていた。

 黄雲が言うにはこうである。


『ちょっとくらいの手助けならまあ無料でいいぞ、でも僕が直接手を出すような手助けなら相応の銭を取る。ガンガン取る。小遣い三ヶ月分は取る。さあどうする!』


 そんないつもの調子であんまり当てになりそうもなかったので、遊は無料の範囲の手助けを頼んだ。このクソ守銭奴、脇で聞いている雪蓮の冷たい視線もどこ吹く風だった。


(あのクソ野郎! 無事に帰ったら金玉蹴り上げてやるわ!)


 さて、作戦はこうだ。遊が囮となり青ヒゲの気を引き、その間に逍が遥を救い出す。黄雲はちょっとした伝令役だ。ちなみに有料なら青ヒゲを生き埋めにしてくれるらしかったが、小遣い三ヶ月分。

 それはともかくとして、こうして逃げ回るにもやはり体力がいる。小さな身体でちょこまかと、遊は必死で青ヒゲの魔手を搔い潜り続けているが……。


「きゃっ!」


 童女は路傍の石に蹴つまづき、転んでしまった。青ヒゲはそんな好機を当然見逃さず、遊めがけて怒涛の勢いで到来する。


「遊!」


 火眼は青ヒゲの後方で、神行法を発動するための氣を練っているが、寸刻間に合いそうにない。

 絶体絶命。

 遊がぎゅっと目をつむったときだった。


「陰陽五行、はじけて混ざれ!」


──アルパチカブト!


 聞き覚えのある声が凛々しく響き、辺りに満ちる白い光。


「見参! 白虎娘娘(びゃっこにゃんにゃん)!」


 正義の用心棒、満を持してここに登場である。白い武闘衣に白虎の面。手に持つ得物は狼牙棍。その威風堂々たる偉容を見上げて、遊、喜色満面に。


「せっちゃん!」

「……白虎娘娘よ!」

「わーいせっちゃん! 助けにきてくれたのねせっちゃん!」

「びゃ、白虎娘娘だってば……!」


 ともかく助っ人登場。形勢逆転。

 白虎娘娘こと雪蓮は、狼牙棍を青ヒゲへ向け構える。


「か弱き少女を襲う不届きの輩よ! この白虎娘娘が来たからには、勧善懲悪、天に替わっておしおきよっ!」

「なにがおしおきよ! 女はお呼びじゃねーっつーの!」


 迫りくる筋骨隆々たるオカマ、迎え撃つは白虎面の用心棒。


「うるァ!」

「はいっ!」


 雪蓮、顔面に鋭く襲ってきた拳を熟練の体術でいなし、身軽に身体を跳躍させて背後を取る。しかし青ヒゲも大したもの、後方からの狼牙棍を難なく回し蹴りで跳ね飛ばす。

 手を離れ宙を舞う狼牙棍に構わず、雪蓮は白打でさらなる連撃を加えた。


「たあ! はいっ!」

「く、この、やるわねアンタ!」


 拳と蹴りの応酬が繰り広げられる。体術対体術、巨漢対少女。戦いはほぼ互角の様相だ。さらにそこへ。


「おまえは霊薬(エリキサ)のおんな……!」

「ちがいます! 白虎娘娘!」


 火眼も合流し、戦況は二対一へ。


「ちょっと! ちょっと卑怯よアンタ達! 二対一よ! ひどくない!?」

「おまえもじゅうぶんひどい」


 暴れる青ヒゲに、それぞれ棍と白打で立ち向かう火眼と雪蓮。

 雪蓮とは互角だった青ヒゲも、火眼の加勢はさすがに分が悪かったようだ。拳をくり出す回数は徐々に減り、防戦へ追い込まれていく。


「がんばれー! がんばれせっちゃーん! 火眼にーちゃーん!」


 遊はとっとと彼らから距離を取り、安全地帯で声援を送っていた。

 そんな彼女のもとへ。


「遊、大丈夫か! ケガしてない!?」

「逍! 遥も!」

「おう……」


 遥に肩を貸しながら、逍が帰ってきた。しかし。


「ねえ、遥ってばまだ縛られてるよ! 縄解かないの?」

「それが結び目がきつくてさぁ……いま刃物も持ってないし」

「めっちゃ締まる」


 いまだに遥の身体は亀甲縛りに(いまし)められていた。縛られているだけならまだしも。


「おれやばいかも……なんか気持ちいい……」

「お前素質あるんじゃね?」

「将来はあのクソニンジャね」

「おお、無事だったかクソガキ共」

「哥哥!」


 目覚めかけた遥の後ろから、子ども達の会話に割って入る声。三人が振り返れば、歩み寄ってくるのは最年長の兄貴分だ。


「なんだよ哥哥! せっちゃんはちゃんと助けにきてくれたのに、哥哥は高みの見物かよ!」

「失敬な! 僕だって手助けしたじゃないか、ほらあの地面の文字!」


 黄雲は大仰な身振り手振りで恩着せがましく言い聞かせ、ひとしきり子ども達から非難の視線を浴びるのであった。

 さてそれはともかくとして。


「ほら見ろ。言ってるうちに、決着がつきそうだぞ」


 黄雲の指さした先では、形勢不利の青ヒゲが二人に追い詰められているところだ。


「ていっ! ていっ!」

「……そろそろ降参したらどうだ」

「こ、こんの! こんのガキ共が!」


 雪蓮と火眼の攻撃を拳で弾きつつ、青ヒゲは叫ぶ。


「アタシの気持ちなんて知らないで! ずっと一人だった、アタシの気持ちなんて!」


 髪は乱れ、額からはとめどなく汗が流れ、青ヒゲは著しく消耗している。刻々と削られていく体力を感じながら、彼の心には寂寥の風が吹きすさんでいた。

 青ヒゲは孤独だった。男色への憧憬を周囲に理解されず、かといって自ら愛する人を探し出す勇気もなく。

 いつか己を恋人として見出してくれる者が現れないだろうかと、屋台を構えたあの日から。春夏秋冬、雨の日も風の日も雪の日も。

 青ヒゲはひとり侘しくこの場所で待ち続けていた。

 賑やかな市場の喧騒を聴きながら。変わり者のオカマへ向けられる、子ども達の嘲笑と好奇の視線に晒されながら。人に満ちた街中にいながら、孤独に。


「いつだってアタシは一人だったわ! 理想の恋人なんて、待っていてもきやしない! ただただ人波の中でひとりぼっち……!」


 独白。青ヒゲの目じりから、一筋光るものが流れ落ちた。

 そして。必死の抵抗を続けていた青ヒゲは動きをとめる。応じてピタリと攻め手を止めた火眼と雪蓮の目の前で、青ヒゲは顔を覆い、なよなよぺたりとくずおれた。


「えっ? えっ?」


 突然の落涙に、雪蓮はもちろん戸惑っている。火眼は青ヒゲをじっと見下ろしていて。


「おおっと、降参かな青ヒゲめ」


 雪蓮たちの後ろから、子ども達を引き連れ黄雲も駆け付けた。少年道士の顔はしめしめと、何やら悪だくみの色。


「へっへっへ、おい青ヒゲ! いまなら数々の狼藉、口止め料五十銭で見逃して……」


 やっぱり企んでいた。が、しかしその台詞は途中で遮られる。


「待て、守銭奴め」

「ぐえっ」


 ぶに。黄雲の頬に朱塗りの棍の一端がめりこんだ。

 守銭奴を制止させた火眼は、うずくまってシクシク泣いている青ヒゲの目の前にしゃがみ込む。


「……おい、青ヒゲとやら」

「なによ……」


 火眼が呼びかけると、青ヒゲは低い声を震わせながら反応した。


「なによ……アンタもどうせ気持ち悪いって思ってるんでしょ……アタシのこと……」


 グスグスと鼻をすすりながらの問いかけ。


「男が男を好きになって、何が悪いってのよ……」


 青ヒゲの拗ねたような声。

 火眼は眉一つ動かさず、そんな青ヒゲへ口を開く。


「べつにそこはきもちわるくない」

「え?」


 青ヒゲは思わずきょとんと顔を上げた。火眼の口から飛び出したのは、予想外の台詞。この不思議な色の瞳を持つ少年は、淡泊な口調で続ける。


「だれがだれを好きになろうが、どうでもいい。おれがおまえをゆるせないのは、べつのところだ」

「別のところ?」

「いやがる者に無理を強いたことだ」


 火眼はじっと炎の瞳で青ヒゲを見据える。

 その言葉通り。彼が許せないのは、嫌がる遥を無理矢理連れ去り、人格改造しようとしたことだった。


「おまえはおとこが好きだといったな」

「ええ……」

「ならば、遥。おまえはどうだ?」

「え、おれ!?」


 火眼は突然、後ろに立っている遥へ話を振った。ちなみにまだ縛られている。


「お、おれは……できるなら女の人と結婚したい。巨乳でムチムチで飲んだくれじゃない人と結婚したい」

「正直でなにより」

「あと縛ってくれる人」

「そこまできいていない」


 火眼は青ヒゲへ視線を戻した。遥の好みは女性である。彼のそういう興味は、男性には向かっていないということで。


「ようは遥はおんながすきということだ。青ヒゲ、こんどはおまえにききたい。おまえはむりやりさらわれて、おんなと好き合えといわれたらどうするのだ」

「そっ、そんなの!」


 火眼の問いに、青ヒゲは身を乗り出して答える。


「そんなの無理に決まってるじゃない! アタシ、女は絶対いや!」

「……おまえがあいつにしようとしていたことは、そういうことだ」

「ハッ!」


 青ヒゲはようやく自覚した。己の成そうとしたことを、己の罪を。

 脇で「ハッ! じゃねえよ」と黄雲が呆れているが、ともかく。


「青ヒゲよ。真の愛とかいうのを追及するのはかまわない。しかし、ほかの者が犠牲になること前提の追及のしかたは、おれはどうかとおもう」

「ぐうの音も出ない正論!」


 感情のこもらない声音でずばっと言い切り、火眼はあっぱれ、青ヒゲを感服させたのであった。

 とたんにしおらしくなった青ヒゲは、申し訳なさそうに遥へ頭を下げる。


「ボク、ごめんなさいね。アタシ男にモテなさ過ぎるあまり、あなたにひどいことするところだったわ……」

「き、気にすんなよ! まあ新しい世界教えてもらったし、許してやるよ!」

「遥さあ、いいかげん哥哥に縄切ってもらったら?」


 さてさてこれにて一件落着……。

 とはいかない。


「でも、でもアタシ……!」


 和解もそこそこに、青ヒゲの瞳には再び涙がこみ上げた。


「アタシ、またこれからも一人だわ……! もう、一人はいやなのに……!」

「青ヒゲさん……」


 結局青ヒゲの野望は実らず、今後も伴侶が現れる望みは薄い。

 将来の展望はやはり孤独一色で、オカマは寂寥感に耐えられないのだ。

 しかし。


「きけ、青ヒゲ。おまえは一人じゃない」


 そんなオカマへ手を差し伸べるは、火眼金睛。


「孤独のつらさはおれにもよくわかる。息ができぬよりも焼かれるよりも、孤独がいちばんつらい」

「あんた……!」

「おれもおまえも『おんなじ』だ。孤独のつらさを知っている」


 かたや人中にて数十年、己が性癖を理解されない苦しみ。

 かたや火山の中で五百年、ただ一人炎の海に焼かれ続ける生き地獄。

 両者を結びつけるのは孤独という共通項だった。歩む道は違えど、理解者という存在の大きさはいかばかりか。


「正直おれにはおまえの好みはさっぱり分からん。だが、ひとりでつらいというならその気持ちは理解できる。安心しろ、おまえはもうひとりじゃない」

「う、うあぁ……」


 青ヒゲの両目から、ポロポロと涙が零れ落ちた。


「いいか青ヒゲ。まっているだけではだめだ。おまえのことを受け入れてくれる者を、これからは自分からさがしにいくのだ。拒絶をおそれるな、おまえにはおれという仲間がいる」

「な、なかまっ……!」


 そして怒涛の落涙である。涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった青ヒゲに、雪蓮はそっと手巾を差し出すのであった。

 青ヒゲは泣いた。ひとしきり泣いた。おんおん泣いた。

 そして立ち上がる。決意を胸に、新たな再起を誓って。


「アタシ……世間に負けない! 決して無理強いなんかじゃない、真の愛を探しに飛び出すわ!」

「わー」


 天高く決心を叫ぶ青ヒゲへ、小規模の歓声が起きる。

 かくて一人のオカマが救われた。彼はきっと明日から飛び出していくだろう。真なる愛を求めて、大いなる旅路へ。


「目覚めさせてくれてありがとう、あなた達! お礼と言ってはなんだけど……」


 青ヒゲは屋台へ駆け戻ると、売り物をわんさか腕に抱えて一同へ差し出した。


「ほら、これ! アタシの店の売り物、ぜーんぶあげる!」

「ぜ、ぜんぶ!?」

「もちろんタダよ! さあ持ってけドロボー!」

「やったー!」


 子ども達がわぁっと駆け寄る。きれいな(くつ)も、竹馬も。

 そしてもちろん、鞠も。


「さあさ、好きなだけ持って帰んなさいな。んで、できればまた遊びにきてちょうだい!」


 青ヒゲはにこやかに、火眼へ向けて続ける。


「火眼クンだっけ? あんた、なかなかいい男ね。好みじゃないけど」

「そうか」

「あんたもたまには顔出しなさいよ! んでアタシの愚痴に付き合いなさいよ!」

「きがむいたら」


 ふぁふ。

 気があるのかないのか分からないような返事を、あくび混じりに。

 火眼はこうして、役目を果たし終えたのだった。


「……なんだかつかれたな」

「そんな時は甘いものよ、火眼にーちゃん!」

小吃(シャオチー)食べに行こうぜ!」

「早く早く!」

「しゃおちー?」


 子ども達に背を押され、火眼の足は市場へ向けて歩き出す。遊達のおごりで、彼がアンマンの美味しさに目覚めるのはしばし後のこと。


「うぅ……いいお話ね……!」

「どこが?」


 火眼達の後に、なぜか感涙にむせぶ雪蓮と呆れ顔の黄雲も続いた。


「じゃあなー! 青ヒゲー!」

「またなー!」

「ええ! またねぇ~!」


 青ヒゲはにこやかに手を振っている。

 吹っ切れた、晴れやかな笑顔で。


------------------------


 波乱万丈の一日が過ぎ、空はすでに夕暮れ色だ。

 一行は清流堂への帰り道を、のんびりたどっている。

 すっかり遊び疲れて寝入ってしまった遊を火眼が背負い、両脇には逍と、縄を切られた遥が青ヒゲに貰った玩具を抱えて歩いていた。

 彼らの前を、黄雲と雪蓮が横に並んで先導している。

 

「おい、黄雲」

「んあ?」


 出し抜けに火眼が声を上げ、黄雲が振り返る。火眼は遊を起こさぬよう注意を払いながら、懐から何かを取り出して黄雲へ差し出す。

 

「これ、かえす」

「お前、これは……!」


 火眼のてのひらに載っていたのは、銭。ちょうど黄雲がこっそり立て替えてやったのと同じ額だ。

 

「さっきおれのあしもとにこれを置いたの、おまえだろう。けっきょくつかわなかったし、おまえにかえす」

「あちゃー、バレてたかー。あちゃー」


 黄雲は白々しい反応をひとしきり示した後、火眼の手から銭を受け取……らなかった。

 

「……いいさ。そいつはお前の今日の苦労料だ。その金で、もっと色々と買い物して、経験を積むがいい」

「えっ」


 守銭奴らしからぬ爽やかな台詞。普段のアレっぷりからは十万億土かけ離れた清らかな対応に、一行の歩みが止まった。

 

「こ、こここ、黄雲くん……!?」

「おまえ、ほんとうにあの守銭奴か……!?」

「うわーん、哥哥が狂ったー!」

「ひどい言い様だな! そんなに言うならやっぱり金取るぞ!」


 黄雲は周囲のあんまりな反応に憤然としながらも、「それに!」と付け加える。

 

「お前に立て替えてやった分だけど、別のところから取り立てるから僕に損はない。ねえお嬢さん?」

「げっ、忘れてた……!」


 ニヤリとゲスい笑みで振り返る黄雲から、雪蓮は気まずく視線をそらした。彼女の財布の未来は暗澹としている。

 

「でも、意外だわ」


 雪蓮はひとまず負債のことは置いておき、気を取り直して言う。

 

「火眼さんって、ずっと寝てばかりだと思ったらそうじゃないのね。蹴鞠をしたり、買い物に行こうとしたり、オカマさんを説得したり」

「むぅ……」


 少女の不思議そうな視線を受け止めながら、火眼は再び足を踏み出しつつ考え込んでいる様子。

 火眼の昨日今日の行動を意外に思っているのは、なにも雪蓮だけではない。一緒に歩みを進めている他の者たちも、雪蓮と同じ眼差しで火眼を見つめていた。

 そもそもこの騒動の発端は、火眼が突然子ども達の鞠遊びに加わったこと。鞠を蹴り飛ばして壊してしまい、弁償を申し出たことで今に至る。

 

「おれは……ねてるときがいちばんしあわせだ」


 夕暮れの街を歩きながら、火眼はぽつりとつぶやいた。

 

「ねているときのことはおぼえていない。心地いい夢をみていたようなきがするが、いったん起きるとまったくおぼえていないんだ。ただしあわせだという印象だけのこっている」

「ふぅん……」


 清流堂に来てからずっと、火眼は他の者と積極的に関わることなく、一日の大半を睡眠に費やしてきた。そう、寝ている時が一番幸せだったのだ。

 でも。

 

「最近はそうじゃない。ねているときもしあわせなんだが、起きているとき、おまえたちのさわがしい声をきいていると、うるさいんだけどなぜだか心地いい」

「…………」

「なぜだろうな」


 自問するが、答えは分からない。もちろん黄雲たちにも、明確な答えなど出せるはずもなく。

 普段火眼が見ている夢。贋作者へ成り果てる前の、両親や兄弟との記憶が描き出す、穏やかな夢。目を覚ませば消えてしまう、泡沫の夢。

 彼は知らない。夢の中で兄弟の笑う声が、逍、遥、遊がはしゃぐ声とそっくりだなんて。

 いまは、まだ。

 

「昨日はつい、おまえたちの輪のなかにはいってみたくなった。鞠であそんでいたし、おれのできそうなことをしてみたのだが……」


 要は仲間に入れてほしくて、蹴鞠を演じてみたということだ。しかし結果は。

 

「それで勢いあまって、おまえたちの鞠をこわしてしまった。すまなかった……」


 心底の申し訳なさをにじませながら、火眼は改めて謝罪する。寝ている遊はともかくとして、逍と遥は「いーっていーって!」と苦笑いを返した。


「確かに鞠を壊されたときは、すっげー腹立ったけど……ま、最終的にはたくさんおもちゃもらえたわけだしさ! 災い転じてなんとやらだな!」

「おれも新たな世界に巡り会えたし!」


 遥が青ヒゲの店からもらってきた荒縄を握りしめながら、恍惚の表情で言う。将来が大変に心配である。

 今日一日ですっかり馴れた様子の子ども達に、火眼は少しだけ目を細めた。一見無表情の口角も、わずかに微笑んでいるような。

 

「もしおまえたちさえよければ、鞠つきにまたおれも加えてくれないか」

「いいぜ! もちろん!」

「おれたちにも蹴鞠教えてくれよな!」

「ああ……!」


 火眼はゆっくり頷いた。

 眠っているときは幸せだけれど、今度は起きているときも。


「遊にも蹴鞠教えてよ、火眼にーちゃん!」

「おまえ、起きたのか」


 火眼に負ぶわれていた遊も目を覚ました。目鼻立ちはまったく似ていないが、皆、まるで兄弟のようで。

 

「うふふ、やっぱり火眼さんだって、『おんなじ』なのね」

「『おんなじ』とは?」

「私たちと『おんなじ』で、誰かと一緒にいたいってこと!」

「……けっ」

 

 和やかな雰囲気に雪蓮はほんのり笑みを浮かべ、黄雲は照れくさいのか、そっぽを向いて後ろ頭をこりこりかいている。

 そんな二人のやりとりを背景に、火眼は背中の遊へ問いかけた。

 

「遊。起きたなら自分で歩けるか?」

「うん! おぶってくれてありがとう!」

「ああ。それじゃあおれは……」


 遊が地面へ下りたのを見届けて。火眼は炎の瞳をゆっくり閉じる。そして。

 

「つかれたし晩安(ワンアン)

「はい!?」


 ばったんきゅう。

 なんの躊躇もなく前のめりに倒れこみ、うつ伏せのまま早くも高いびき。

 お疲れ火眼金睛。なんだかんだ言っても、やっぱり三度の飯より寝るのが好き。

 突然眠り始めた火眼に、他の五人は唖然茫然。帰途、いきなりの爆睡を決め込む困り者の処理は、いかんすべき。

 うんざり顔で口を開くは黄雲。

 

「え……これ誰が連れて帰るんだ?」

「ん」


 そして同時にクソ道士を指さす御一同。満場一致で黄雲、火眼の運搬係へ任命である。


「ちょ、ちょっと待て! コイツ僕より背丈が高くてだな……!」

「でも実際問題哥哥しか運べなくない?」

「頑張って! 黄雲くん!」

「ぐ、ぐぬぬ……!!」


 黄雲の窮地をよそに、火眼はぐーすか穏やかに、安眠に身を浸している。

 

「くっそー! やっぱり運搬料金として銭取ってやるーっ!」


 守銭奴の雄叫びは、夕焼け空に虚しく響くのであった。

 

-------------------------------------------------

 

 さて、数日後。

 

「いーち、にーい、さーん……」


 清流堂の中庭で遊ぶ子ども達の声。そこに、火眼の声も混じっている。

 木陰の下で順番に鞠を蹴り、火眼達は穏やかに過ごしていた。

 あれから火眼の睡眠時間は、少しだけ短くなった。その分子ども達と遊ぶようになった。遥はたまに清流道人に頼み込んで、縛ってもらっているらしい。

 今日もうららかな昼下がり。少しだけ蹴鞠の上達した子ども達と、鞠を落とさずに蹴り続ける回数を競っていた。

 そんな折。

 

「あらぁ、ちょっとだけお久しぶり~!」


 門の方から響く、なよなよとした重低音。

 一同が振り返ると、門からこちらへ駆け寄ってくるのは。

 

「青ヒゲ……と?」

「やーん何ここー? ボローい!」


 活き活きした表情の青ヒゲに、そんな彼に引率されてやってくる同種のオカマが五、六人ばかり。青ヒゲ同様筋骨たくましい者もいれば線の細い者もおり、見た目は種々様々である。いずれもヒゲの剃り跡が青々しい。

 

「見てみて、火眼クンにお子様方! あなた達のお陰で、アタシこんなにたくさんの同志と出会えたわ!」

「うわぁ……」


 オカマの遠足を、逍、遥、遊は呆然と眺めている。

 青ヒゲは火眼の前へ進み出て、彼の両手をぐっと握った。

 

「その、まだ運命のお相手とは出会えていないんだけど……アタシ、いまは全然寂しくないわ! それで今日はあなたにお礼をしにきたの!」

「お礼?」


 ぽかんとしている火眼の背後を、オカマ達が取り囲む。そして後ろから。

 

「あらぁん、青ヒゲちゃんの言う通りカワイイ顔してるじゃなぁい」

「アタシ結構好みだわぁ」

「な、ななな、なにを……!」


 さわさわわさわさぺたぺた。

 火眼の身体をまんべんなく妙な手付きで撫でさすりつつ品定め。思わずぞわぞわと総毛立つような触れ方に、火眼の顔も青くなる。

 そんな火眼へ、青ヒゲ。

 

「これがアタシのお・ん・が・え・し! アンタこの間言ってたでしょう? アタシと『おんなじ』だって、『仲間』だって!」


 青ヒゲは何やらとんでもない誤解をしているようだった。

 火眼が先日彼を諭した際放った、『おんなじ』、『仲間』という二つの言葉。どうやら火眼が同じく男色連合の同志であると受け取ってしまっていたようで。


「あ、あれはそういう意味では……!」

「あいにくアンタはアタシの好みの範囲外なのよね~。だからアンタのこと好きそうなコを連れてきてみたの! 良かったわね、モテモテで!」


 残念ながら青ヒゲ、火眼の言い分なんか聞いちゃいねえ。


「やーんこのコ可愛い~! うちに連れて帰りた~い!」

「や、やめ、どこさわって……!」

「照れちゃって~、うぶなんだからん!」

「うわぁ……」


 哀れ火眼、四方八方をオカマに取り囲まれ、もはやただのおもちゃ。

 そんな火眼にーちゃんへ注がれる子ども達の視線は、ドン引きそのもので。

 

「なんだなんだ?」

「なにかしら? にぎやかね!」


 母屋から黄雲と雪蓮が顔を出したところで、惨劇は起きる。

 

「ひとのはなしをきけ! おい!」

「だいじょーぶだいじょーぶ、痛いのは最初だけだから!」

「なっ、なにをするきだ!」


 火眼の鬼気迫った問いに、オカマ達、声を揃えて答えて言うに。

 

「かくかくしかじか、ずっこんばっこんオッスオッス!」


 火眼は思わず片手で尻をかばった。そして青い顔から一転、さすがに眉間を険しくして怒気を放ち。


「……尻の穴は出すところであって、入れるところではない……!!」


 ぷっちん。

 そんなこんなでブチ切れた。辺りに火の氣が充満し。

 

「やっ、やばい! みんな逃げろ!」

「うわあああ!」


 黄雲や雪蓮、子ども達が逃げ出そうとするも間に合わず。


「はぜてしまえ!」


 閃光。衝撃。爆発。

 かくて今日も元気な清流堂。

 爆発オチにて、はじめてのおつかいこれにておしまい。

 めでたしめでたし。

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