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1 ファンタジスタ火眼金睛

「いーち、にーい、さーん……」


 清流堂の庭に、元気な声が響いている。

 (しょう)(よう)(ゆう)の三人の子どもたちは、今日も今日とて雪蓮と一緒に鞠つきに興じていた。

 最年長の逍の手の下で、鞠はてんてんと軽快に跳ねている。


「じゅうご、じゅうろく、じゅうなな……」

「ねえねえ、そろそろ代わってよー!」

「次あたしー!」

「ほらほら順番順番。みんな仲良くしなきゃ!」


 すっかり子守が板についてきた良家の令嬢は、にこにこと三人組を見守っている。

 そんなのどかな良い日和。

 清流は部屋で酒に溺れていて、黄雲は近所で商売に奔走し、巽は街で悪行三昧。神将二人はまたどこかへ出かけている。

 守銭奴の毒っ気も変態忍者の猥褻な気配もない、平和なひととき。しかし。


「…………えーと」


 雪蓮はいまいち安らげなかった。本堂の石段から、先ほどよりじっとこちらを見つめる視線があるからだ。


「…………」


 火眼金睛(かがんきんせい)。今日は珍しく炎の(まなこ)をぱっちり開き、石段に腰掛けて頬杖をついて雪蓮たちに見入っている。

 身じろぎもせず、瞬きもせず、寸毫も視線を逸らさずに。


(な、なんで見ているのかしら……?)


 雪蓮は当然疑問に思う。そしてはたと思い起こすのは、この炎の化身の当初の目的。彼の本来の目的は、雪蓮の中に宿る霊薬(エリキサ)を、彼女ごと喰らうことだ。


(ままま、まさか……!)


 思い至り、少女は戦慄した。まさかとは思うが、彼に施したはずの術が解けて、あの凶暴性が復活したなどとは。

 それにしては襲って来ずに、ただ見ているだけだが。切羽詰まった雪蓮はひたすら慌てるのみ。


「こ、黄雲くん! 黄雲くんは! 緊急事態だわっ!」


 思わずきょろきょろと黄雲の姿を探し始める雪蓮だが、かの守銭奴はいま裏路地で護符を売りさばいて高笑いの真っ最中である。当然助けにくるはずもない。

 さて、そんな雪蓮はともかくとして。

 こちらへ突き刺さる不審な視線を疑問に思うのは、なにも彼女ばかりではない。


「ねー、せっちゃんなにあいつー」

「すっげーこっち見てくる!」

「わかったわ! あたしに気があるのね!」


 もちろん子ども達も火眼に気付く。各々が緊張感の無い反応を示している最中。


「…………」


 不意に火眼は立ち上がり、まっすぐこちらへ向かって歩いてくる。炎の眼は相も変わらず、雪蓮達へ突き刺さったままだ。


「わわわ! だ、だめっ! こっちこないで!」

「だめよ! あたしまだ五歳なんだから!」


 咄嗟に子ども達をかばいつつ、後ずさる雪蓮だったが。

 火眼の歩みは彼女の目前で止まり、そのままその場へしゃがみこむ。彼がじっと視線を注いでいるのは、遊……が持っている鞠。


「……かせ」


 ぶっきらぼうに言いつつ手を差し出し、火眼は鞠を所望する。

 てっきり我が身の危機だと身構えていた雪蓮、唖然。


「……え?」

「いいからかせ。おまえたちのあそびは、みていてなまぬるい」


 火眼は至って無表情。

 そんな彼の態度に、子ども達はそれぞれ顔を見合わせて。


「まあ、ちょっとだけなら……」


 よく分からないながらも、鞠を差し出した。

 そして次の瞬間。清流堂の庭に、奇跡が起きる。

 

 

 

「うわー……」

「すっげぇ……」


 三人の子どもたちと雪蓮は、そろってぽかんと口を半開き。

 目前の絶技に、ただただ呆けて魅入るのみ。

 さてさて先刻鞠を受け取った火眼金睛は、その鞠を手ではなく、足で蹴り上げた。そう、まるで蹴鞠(しゅうきく)のように。

 天高く蹴り上げた鞠を、膝で受け、足先でさばき、さらに高くへ跳ね上げて額で受け。火眼が披露したのは、蹴鞠における美技の数々だった。

 彼の周囲で跳ねる鞠の、なんと小気味良いことか。

 手は絶対に使わず、しかしながら自由自在に鞠を操り、火眼は次から次へ妙技をくり出した。

 

「…………」


 終始無言、かつ無表情で。

 

「わあ……!」


 雪蓮も目を丸くしてその様を眺めている。

 齢およそ五百歳、普段寝てばかりいるこの少年は、絶品拉麺を作ったり蹴鞠の名人であったり、一体全体何なのか。

 

「…………」


 ひたすら沈黙のまま鞠を蹴り続けた火眼だが、どうやらその神業もいよいよ佳境。

 火眼はひときわ高く鞠を蹴り上げて。

 

「おわり」


 素っ気なくつぶやきながら落ちてきた鞠を、雪蓮たちの方へ軽い動作で蹴り飛ばした。

 足使いこそ軽々としたものだったが、鞠へ込められた力は百万馬力。

 

「わっ!」

 

 ごう、と空気を切り裂きながら鞠は雪蓮の頬を掠めて飛んで行った。

 そして彼女たちの背後からは、パンとけたたましい破裂音。革でできた鞠は威力に耐え切れず、塀に当たって無残に張り裂けてしまった。

 

「あ……」


 愛用の鞠の哀れな末路。振り返り、じっと鞠だったものへ視線を注いでいた子どもたちは、キッと火眼を睨みつけた。

 

「なっ、なんてことすんだよーっ!」

「おれたちの大事な遊び道具だぞ!」

「うわーん! あたしたち明日からどうやって鞠つきしたらいいのーっ!」


 清流堂に鞠は一つきり。以前、清流道人が子どもたちへ、「大事にしなさい」という約束とともに与えていた、この一つだけ。


「清流先生がせっかく買ってきてくれたのにー!」

「あの飲んだくれが唯一施した善行なのにー!」

「わーん、ばーかばーか!」

「み、みんな、落ち着いて……!」


 猛抗議。

 雪蓮が宥めるが、効果は無い。子どもたちの怒りの糾弾に、火眼金睛は。

 

「ぐぅー…………」

「寝るなーーっ!」


 立ったまま入眠。当然逍・遥・遊の怒りは爆発。

 

「起きろー! 弁償しろーっ!」

「くっそー起きねえ! いけっ、遊!」

「がってんしょうち! くらえ怒りの金的!」

「うぐっ」

「きゃーっ! きゃーっ!」


 殴る蹴るの暴行を加える逍と遥に、火眼の股間へ渾身の頭突きを食らわせる遊。目元を手で覆って羞恥赤面、阿鼻叫喚の箱入り娘。

 しかし子どもたちがどう責め苦を与えようとも、雪蓮がどれだけ騒ごうとも。

 

「ぐー……」


 この寝坊助、目を覚まさない。

 

「く、くそーっ! 全然起きねえ!」

「もういいよ、行こっ!」

「あーあ、明日からなにして遊ぼう?」

哥哥(がーが)のヘソクリ探そうぜ!」

「そうだな!」


 やがて子どもたちは飽きてその場を離れて行く。時間も折よく夕刻で。みな母屋へさっさと上がりこんでしまった。

 

「あ、あのー……」


 残された雪蓮は、地面へ突っ伏している火眼へ恐々(こわごわ)近寄ってみた。どうやら彼にかけられた術は健在で、彼女を襲う意思もなさそうだが。それでもまだ少しこの少年に慣れない雪蓮である。

 火眼金睛は微動だにしない。うつぶせになった姿勢で、「ぐー」と相も変わらず寝息を立てている。

 そんなところへ。

 

「雪蓮? 何やってんだ?」

那吒(なた)さま!」


 門から彼女を呼ばう声。振り返ればそこにいるのは神将の片割れで。

 那吒は怪訝な表情を浮かべながら、宙を浮遊しつつこちらへ近づく。そんな彼に、雪蓮。

 

「あの、火眼さんが、その……子どもたちにいじめられて寝てるんです!」

「はぁ」


 少女は簡潔明瞭に経緯を述べる。那吒は興味なさそうな反応だ。

 

「ほっときゃいいんじゃね? こいついっつも寝てるしさ」

「い、いいのかしら……」


 気にしている雪蓮へ「ほっとけほっとけ」と那吒。

 そんな彼へ、少女はふと問いかけた。いつも一緒の、彼の片割れがいないからだ。

 

「あの、那吒さま。二郎さまはご一緒ではないのです?」

「ああ、兄いか」


 姿の見えない二郎神。雪蓮の問いに、那吒は天を指し示す。

 

「兄いなら今天界に帰ってる。玉帝陛下へご報告だとよ」

「まあ」

「オレはお前の中の霊薬(エリキサ)の監視のため、下界へ居残りだ」


 二郎神不在の理由はそんなところ。那吒によれば、数日ほどあちらへ滞在する予定らしい。

 さて、それはさておき。那吒は逆に雪蓮へ問いを投げかける。神将の表情は、からかうような、いたずらっぽい笑み。


「それよかお前、今日もずっと遊んでたわけ?」

「え?」


 那吒の唐突な質問に、雪蓮は一瞬きょとんと目を丸くした。

 続いてわたわたと慌て始める。言われてみれば確かにそうで、今日ならずとも雪蓮、ここのところ用事が無ければずっと子どもたちと遊んでいる。

 

「そ、その……お恥ずかしながら……!」

「ふーん」


 縮こまりながら正直に打ち明ける雪蓮。彼女を見下ろす那吒の態度に、それを責めるような声音や仕草は特段無い。

 那吒少し間を置いて、微笑のまま言葉を紡ぐ。

 

「まぁ……いいんじゃねえの? 遊べるうちに遊んどいた方がいいぜ」

「はあ……?」


 那吒の言に「いいのかしら」と雪蓮は首をかしげている。


「…………」


 那吒はそんな彼女を、無言で見下ろしている。微笑は既に消えていた。


「ねー、せっちゃーん!」

「こっちきなよー!」


 母屋の窓から首を出し、子どもたちが少女を呼ぶ。雪蓮は慌てて顔を上げた。

 

「うん、いま行くね!」

「那吒ちゃんもはやくー!」

「だーれが那吒ちゃんだ! ぶっ飛ばすぞクソガキ共!」


 雪蓮だけでなく、那吒もいつもの調子で母屋へ向かう。

 そして少女と神将が去り、庭に残されるのはただ一人。

 うつ伏せで惰眠を貪っていた火眼は、ふとむくりと顔だけ起こし、母屋の方を見遣る。


「……弁償……」


 つぶやく声音はなんとなく、ばつの悪そうな気色を帯びていた。

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