1 見参! 爆裂お姉ちゃん!
「なんということだ……」
亮州知府・崔伯世は魂も抜けんばかりの消沈ぶりである。
というのも。
「玉皇大帝の御心次第で、我が娘は殺処分と……!」
「然り」
目の前の神将が、とんでもない話を持ってきたからだ。
崔知府の目前には、甲冑姿の二郎真君。そして室内でぷかぷかと浮いている那吒。
その後ろには黄雲を始め、雪蓮や清流道人、興味本位でついてきた巽が控えている。
崔知府、視察の旅を終え。
突然顔見知りが威風堂々たる神将を二人も連れてきたかと思えば、この話の成り行き。知府は思わず助けを求めるように清流道人を見るが。
「…………」
彼女も困ったように、軽く頭を振るばかり。
ちなみに崔知府の夫人も先刻まで同席して話を聞いていたのだが……。
「…………」
二郎真君の秀麗な容貌に見惚れるのもそこそこに、彼の語る話の顛末に、既に気を失っている。いましも侍女たちに抱えられ、奥の部屋へ搬送されるところ。
「崔伯世殿。及びご夫人。お二方の落胆ごもっともにございます」
天界から来ただの、事と次第によっては雪蓮を殺処分するだのと剣呑な話をした割に、二郎真君、顔色はいつも通りの涼やかさ。
「しかし、現状我らの役目は雪蓮殿、及び彼女に宿った霊薬の監視。殺処分は、その可能性があるとお伝えしたまで」
神将の語り口には、一切の同情感傷は含まれない。
淡々と己の立場を明確にするのみ。
「ご息女の御身に関わることなれば、心中お察し申すが。しかし事はこの天地を巻き込んで重大だ。ここは親心を忍んでお見守りいただきたい」
「そんな……あなた方は、雪蓮に取り憑いた霊薬とやらを、祓ってはくださらなんだか!」
「そういう命は帯びておりませんので」
「なんと!」
「というわけで、我ら現状特に何もいたしません」
「…………」
聞きようによっては冷淡な神将の言葉。
崔知府、呆然と顔色を蒼白に染めている。この頃少し気温が上がってきて、夏はすぐそこという時期。なのに知府は少し震えているようだ。
そんな大人の話し合いを眺めながら、突然那吒は。
「おい、おい雪蓮」
「は、はい?」
雪蓮を肘で突っつき始める。そして空中からそっと彼女へ耳打ち。
「お前さ。後で父ちゃんにあの話してやんな」
「あの話……?」
「兄いの伯父上が、お前の処遇をどうするかで悩んでる話」
可哀想なくらい真っ青な崔知府を見兼ねてか。那吒は少々照れ臭そうにそう言うと、腕組みしてふんぞりかえった。
そんな彼に、雪蓮は意外そうな面持ち。
「那吒さま……」
「べっ、別にお前ら親子のためじゃねえからな! 勘違いすんなよ、ったく!」
「ありがちな言い訳っすね、那吒殿」
「るっせえ守銭奴!」
横で聞いていた黄雲の茶々にもしっかり反応して、那吒はふてくされる。
と、そこへ。
「失礼いたします。お茶をお持ちしました」
応接間の扉を開き、盆に茶器を載せ、恭しく室内へ足を踏み入れる者が。
給仕に現れたのは、侍女でも下男でもない。
「ささ、皆様ご賞味くだされ」
この家の跡取り息子のはずの、崔子堅だ。
父親が顔面蒼白なのに構わずこの青年、卓に盆を載せ、白地に上品な文様を青く染め付けた青花の茶杯に茶を注ぎ、さっそくいの一番に清流へ勧め始める。
「さあ、清流殿! 我が崔家とっておきの茶葉にございますぞ! さあぐいっと!」
「かたじけないが……酒がいいなぁ……」
受け取る清流、香りよく味まろやかな茶液を、残念そうにそっとすする。やはり酒が飲みたい道人である。
「おーいあんちゃん、俺にも茶を……」
「はいはいただいま!」
茶を所望した巽を、目にも入らぬような勢いで無視して。
子堅、青花の茶杯を、今度は那吒へ捧げるようにして渡す。
「お、おう……ありがとな」
「ふふ……礼に及ばすですよ、素敵で不思議なお方」
二輪の輪で浮く不可解さを「不思議」の一言で済まし、子堅はのぼせた表情で那吒の少女のような面立ちを見上げている。
「おおっ、ここの茶はわりとうめえな!」
「はははっ、我が家が誇る最上の茶葉ですから!」
そして子堅、二人だけに茶を振る舞った後は、男連中を完全無視である。
「……おい黄雲にせっちゃんよ。なんなんだこのあんちゃんは!」
初対面の巽は完全に腹を立てている。覆面の下からはぷんすかと怒っている気配。そんな彼へ、雪蓮申し訳なさそうに。
「ごめんなさい巽さん……私の兄の、崔子堅です……」
「ふーん! 崔子堅くんね! よし覚えた覚えた! 覚えたけど五秒で忘れてやろーっと!」
けっ!
機嫌最悪の巽はさておいて。
「いいんですかお嬢さん。あのおもしろ兄上、那吒殿のこと女子と勘違いしておいでのようですが」
「うーん……」
黄雲の小声の呼びかけに、真実を告げるべきかどうか、雪蓮はしばし迷う。兄の勘違いを早く解いてあげるべきだと思いつつも、引きこもりの彼が楽しげなのを見守ってあげたくもあり。
と、逡巡する雪蓮へ、当の本人が。
「おい、雪蓮!」
「は、はいっ!?」
突然の呼びかけ。いつもの通りつっけんどんな調子に、雪蓮は慌てて返事をした。
「何かしら、お兄さま!」
「あ、あーそのぉ……」
呼びかけたくせに言い淀む子堅だが。次にその口からこぼしたのは、意外にも妹を案じる言葉。
「その……今回は無事で良かったな。まったく、兄を心配させるもんじゃない」
「お兄さま……」
相変わらず素直じゃない兄だ。雪蓮の顔には、驚きの後にほんのり笑顔が浮かぶ。
「へぇ、うちの師匠の乳と尻ばっかり見てるわけじゃないんですね」
「うっ、うるさいっ! お前は相変わらずのクソ道士だな!」
黄雲への対応も相変わらず。どうにも反りの合わない二人は同時に「へんっ」とそっぽを向いた。
と、そこへ。
「少年。黄雲少年」
突然、話し合いをしていた大人の片割れ──二郎真君が黄雲を呼ばう。
なにか重要な話だろうか。そう思って歩み寄りかけた黄雲は、次の一言にずっこけた。
「私にも茶を頼む」
ずこっ。
「いやなんで僕が……」
黄雲、すでに二郎真君のお茶汲み係。
最初に茶器を持ってきたはずの子堅はいまや那吒と楽しげに談笑していて、ただの役立たずと化していた。
さて、話し合いは天界云々からいったん離れて。
「伯世殿。最近都の義兄殿は如何にござるか?」
「劉仲孝殿ですか……」
清流の問いに、崔知府はまだ青ざめている顔色のままで答える。
「どうもこうも……文のやりとりもあれから一度ありましたが、普段通りにございます。霊薬がどうのなんて話は、特に」
そう、懸念事項はもう一つある。霊薬が忍び込んだ書物『霊秘太源金丹経』を送ってきた張本人である、崔知府の義兄・劉仲孝。
都の官僚である彼が企みに関わっている可能性が、まだ残っている。
「ふぅむ、なかなか尻尾を出しませんな。それともそもそも、鴻鈞道人の企みに関わっていなかったか、いやそれは……」
考え込む清流。隣の席では、子堅がその様子をにこにこデレデレと愛想良く見守っている。
「あの、二郎殿に那吒殿」
師匠の長考をよそに、黄雲は挙手して神将へ呼びかけた。
「あなた方神仙のお力を借りて、都の様子をさぐってもらうことはできないんです?」
「すまん、我らの役目は霊薬の監視……」
「あーはいはい! そーでしたね分かってましたよまったく!」
返ってきた答えはやはり役目に根ざしたもの。内心「役立たず!」と吐き捨てる黄雲である。
「うーむ、そうだなぁ……あと変わったことと言えば」
崔知府は腕を組みながら、じっくり思い出しつつ口を開いた。
「皇太子殿下と第二太子殿下との軋轢がここのところ深まっている、という話をかなり長々と、文に……」
「ほう?」
崔知府の言葉に、清流と二郎真君は同時に反応する。
そんな彼らへ、崔知府続けて。
「うむ。まあ、以前から言われていたことではあるのだが……義兄の手紙によると、ここ最近は少し目立っているらしい」
今の太華を治めるのは、栄王朝。戦乱の末、以前の王朝を打ち倒した「王氏」が皇族となり、現在は泰平の世を築いているが。
「今上陛下の血を引く男子はお二人のみ。当然皇太子殿下が跡をお継ぎになると見る向きが大勢だが……第二太子を推す派閥が、ここ一年ほどで台頭し始めているそうだ」
「ほほう、なんとも不穏な話題でありますな」
知府の言葉にしたり顔で頷いて、清流。
「二郎真君。いまのお話、いかように思われます?」
「さあて……」
彼女の視線を受けて、二郎真君は涼しい面持ちで茶をすする。
「下界の王室にはよくあるお話でしょう。近いうち政変が起きるかもしれませんな」
「なんともあっさりとんでもないことを……」
長い時を生きる神将は、今日の天気でも話題にするかのような語り口だ。崔知府がそんな口ぶりに呆れているが、ともかく。
清流はしたり顔から、真剣な表情へ。そして知府へ尋ねる。
「伯世殿。義兄殿はその話題をかなり克明に?」
「ええ。今回の文は、大半その内容でして」
「ちなみにお聞きするが、劉殿はどちらの太子に肩入れしていなさる?」
「ううむ……」
彼女の問いかけに、知府はしばし困り顔で唸った後に。
「第二太子殿下だ……」
絞り出すように、そう告げた。
そして崔伯世、やれやれと腰を上げ、書棚から文箱を取り出すと、中の手紙を取り出し卓の上へ広げてみせる。
もちろんそれは、件の手紙で。
「これは……」
皆が覗き込んで見れば、文面に踊っているのは。
「こりゃ……やたら第二太子を絶賛してますね」
呆れたように黄雲が言う。
彼の言う通り。劉仲孝の手紙は流麗な筆運びで、第二太子の才気煥発さに対する賛辞や、彼自身の所属する第二太子派の官僚集団の優秀さを喧伝するような文章が書き連ねてあった。
「ふぅむ、第二太子か……」
「ちょっとにおいますね、師匠」
清流堂の師弟は顔を見合わせた。
『金丹経』をもたらした劉仲孝。その彼が所属する第二太子を担ぎ上げる派閥。霊薬と宮中の異変は、関係あるのだろうか。
清流は弟子から文へ視線を戻す。漆黒の瞳は、真剣な色を浮かべて文面をなぞっていた。その眼差しは、どこか苦々しさをたたえているようにも見える。
雪蓮も彼らの隣から、父宛の文を覗き込んでいた。
二人の言うように、第二太子への賛辞が所狭しと並んでいる。
まるで亮州知府である父に、第二太子への支持を促しているかのような文章だ。
「…………」
二郎真君は静かに茶を飲みつつ、文を眺めている。その表情は涼やかなままで。
皆が文を眺めるだけの時間がゆっくり過ぎていく。しかし、現状の情報だけでは霊薬と都の政情は繋がらない。
この話題はこれにてと、知府と清流が簡単な情報整理を行ったところで。
「子堅よ」
那吒を見上げながらだらしない表情の息子を、知府が呼んだ。
子堅はゆるんだ顔のまま父を振り返る。
「なんでしょう、父上」
「お前、数日前に張三のやつを使いにやっただろう」
「ああ……」
張三とは、この崔家邸宅に仕えている下男の一人である。知府の用件は、この下男の行方を問うものだ。
「いったいどこまで使いにやったのだ。何日経っても帰ってこんではないか」
「えーと、張三は……」
とろけきった表情でしばし考えていた子堅だが。
張三の行方を思い出すなり、その顔からさっと血の気が引く。
「わ……忘れてた! 私は張三のやつを、その、楼安関に……!」
「楼安関!?」
息子の返答に、崔知府すっとんきょうな声。
楼安関とは。この太華の最西端、西方異民族領との国境にある関所のことで。
太華東部のこの亮州から赴いたとして、早く着いたとしてもひと月半はかかる距離。
「なな……なんだって楼安関なんぞに!」
「だ、だって! 雪蓮が妙な物の怪に喰われると思ったから!」
父に咎められ狼狽しながら、子堅はやぶれかぶれに続けた。
どうやら彼、火眼金睛襲来の折。雪蓮が火眼に喰われると思っていてもたってもいられず、下男の張三にことづけて、楼安関まで使いをさせたとのこと。
「私には頼れる人など、姉上しか!」
黄雲たちがなんじゃらほいと見つめる中。一際大きく叫んだ子堅に続き、応接間の外が突如バタバタと騒がしくなる。
と、扉の奥から焦ったような注進。
「知府! 崔知府はおいでですか! 取り急ぎご報告が!」
「なんだ、騒々しい!」
入れ! と知府が命じると。転ぶようにして部屋に現れたのは、甲冑姿の士卒。
「申し上げます! 何者かが城門での検問を突破し、こちらへ向かっているとの由!」
兵の報告に、崔知府は一瞬瞠目。しかし、次の瞬間にはその驚きを抑え、握った拳を震えさせつつ士卒へさらに問う。
「人相などは!」
「騎乗の上、相当な武芸の手練れとしか!」
「女か!」
「……は?」
「女かと聞いている!」
喰らい付かんばかりの勢いで尋ねる知府に、兵は「それがしそこまでは……」と困り顔。
「なんだなんだ?」
「城門破りだってよ」
他人事のような調子で黄雲と巽が顔を見合わせ、雪蓮もぽかんと成り行きを見守るのみ。
しかし事態はめまぐるしく変わる。扉の奥からはさらにもう一人士卒が現れて。
「知府ー! 知府ー! 今すぐ避難をー!」
士卒は大層慌てた様子で、付け加える。
「女が! 駿馬にまたがった女が!」
女。そう聞くなり知府、そばでうろたえていた子堅の首根っこを掴み。
「来い子堅! お前がまいた種がとんでもない厄介事を運んできたぞ!」
「ち、父上ーっ!」
「知府にご子息! 危のうございます!」
親子は引き止めに入る士卒たちを置いてけぼりに、ずんずん玄関へ進んでいく。
「よく分かんねえけど行ってみる? 女だってよ!」
「まあ、することも無いしヒマだし……」
「オレもオレも! なんか面白そー!」
「上質な茶を馳走になった。私も見物に参ろう」
後に残された連中も面白半分にぞろぞろと、その後ろに続いた。
そして黄雲の後ろを歩きながら、雪蓮、一言ぽつり。
「……もしかして」
雪蓮の脳裏には、一人、よくよく知っている人物の面影が浮かんでいた。
「知府! なぜここに!」
「危のうございます、お逃げください!」
「うおおお! 崔知府は我らが守り通す!」
緊急事態に、屋敷前は兵士達でごった返していた。物見の伝令によれば、城門を突破した不審な女は、大通りを真っ直ぐ馬でこちらに向かっているらしい。
そんな兵をかき分けるようにして。
崔知府は息子を引きずりつつ、先頭まで顔を出す。自分を守ろうと立ち塞がる兵達を、なんとかいなしつつ。
「皆の者、落ち着けい!」
知府は大音声で兵達の動揺を鎮めにかかる。長官の一声に、訓練された兵はぴたりと整列。そして静まり返る。
「いいか! 私の予想通りであれば、その女……!」
知府が兵達を振り返り、言葉を続けようとしたときだった。
「きたぞーっ!」
物見役が声を上げる。と、通りの南側から砂塵を巻き上げて。
馬蹄の音も高らかに、猛烈な勢いで近づいてくる馬影が一騎。
知府の指示なく、団牌(盾)を構えた一団が通りをふさぐように一列に並び、目前へ槍を構えた。
有事の際はこうしろと日頃の調練から言い含めていただけに、知府、一瞬何も言えなくなる。
馬は離れていても分かるほど、見事な側対歩。
陽炎の中、馬影は見る間に近付いて。
「はぁっ!」
団牌と槍を構える兵の目前。赤茶けた毛並みのその馬は。
後肢の筋肉を躍動させて、地面を高く高く蹴上がった。見上げる団牌兵の視界には、青空の中を突っ切っていく引き締まった馬の腹。
蹄の音を小気味よく鳴らし地を踏みしめ、崔邸の、居並ぶ兵士達を睥睨しながら馬は止まる。近くで見ればかなりの体高、それは西方産の汗血馬。
馬も、またがる人も。太陽を背負って逆光の中、黒い影となって浮かび上がる。
馬の背にまたがる人物。背中にはらりと長い髪をたなびかせ。その手にはギラリと光る青龍偃月刀。
その影の輪郭はまるで、古の美髯の英雄。しかしてその正体は。
「咄!!」
発せられるは女の声。一足遅れて舞う砂塵に逆光が遮られ、やっとその姿が判然とする。
「我が紅箭が他に類なき駿馬とて、みすみす城門を破られるとは何事かっ!」
長い黒髪、目元のキリリと上がった顔立ち。そう、知府夫人や子堅と、良く似た顔立ちだ。
美しい容貌ながらも、偃月刀を構える腕の筋肉は衣の上から分かるほどにしなやかで。
女は眼下の兵士どもを、良く通る声で怒鳴りつける。
「貴様らはそれでも我が故郷の亮州兵か! かくもたやすく押し通られるとは! ええい、我ら崔家の武風を受けし兵とは思えぬ!」
「しゅ、しゅ……」
彼女の顔を見、声を聞くごとに。兵士たちの目は見開き、恐怖に引きつり。そして。
「秀蓮さまーーっ!」
軍団は一斉にひれ伏した。突っ立っている崔知府と子堅がよく目立つ。そして、その後ろでぼけっと見物している、黄雲たちも。
「か、帰ってきおったか、このじゃじゃ馬め……!」
「あ、あ、あねっ、あねうっ……」
目の前の馬上の人を、苦渋の表情で見上げる知府にひたすら噛んでいる子堅。
そして雪蓮も、その姿を見上げながら驚きの表情で一言。
「お姉さま……!?」




