3 決断の朝
やがて空が白んで朝が来て。
昨日と同様、宦官のうめき声が二つ上がり、直後扉が蹴破られる。
「よう太子さん、おはようさん」
悠然と部屋へ入ってきたのは、もちろん那吒……とその肩に乗った二郎真君。美少女女官は今日も懲りずにネギたっぷりの粥を持参している。
よく眠れたか、と声をかけようとして、那吒は苦笑を漏らした。聞くまでもないほど、ひどいクマが王晠の下まぶたに張り付いている。
「貴殿らのお話……お受けします!」
こちらから返答を請う暇もなく、王晠ははっきりと己の言葉を口にした。
そんな彼に、那吒はパチクリ。傍らのネズミはというと、優しげに目を細めている。
「一晩、しっかり私なりに考えました。本当はもう、危ないことはしたくないし、私のせいで誰かが傷つくところも見たくない。でも……!」
最初から王晠は気付いていた。
何もしない方がいいなんて、ただの逃げだ。己の行動の結果を引き受けたくないばかりに、最初から何もせずに済ませようとするのは、やはりずるいことで。
「私が清流堂の彼らを城内に引き入れることは即ち、雪蓮殿を救うことにつながるのでしょう?」
息せき切って尋ねる王晠の声に、真君、ごく冷静な声で。
『有体に言えばそうです。その他にも、救われる者が数多いるはずだ』
「ならば私が断る理由はない」
王晠はここに至って、やっと自分の身体を手に入れたような心地だった。今日の決断は、己が己のために成す決断だ。自分や誰かが傷つくとしても、己の行動で誰かが、なにかが救われるのならば。
「私に、雪蓮を救出するお手伝いをさせてください!」
深々頭を下げる第二太子に、神将二人はふっと笑みを漏らした。
もちろん、と二人が異口同音に言えば。王晠は覚悟の面持ちで顔を上げた。
そして次に紡ぐ言葉は、皇后──母のこと。
「それから私は……我が母のことも救いたい」
他者の不幸を望み、かような外法に手を染め、罪のない少女に人智の及ばぬ苦痛を与えたこと。到底人として許されることではない。
「だからこそ、罰を受けてほしい。罪を償ってほしい」
己の罪業と向き合うことがきっと、母にとっての救いとなるだろうから。
王晠の偽りのない胸の内に、神将たちはじっと聞き入っている。
慮るような沈黙の後。
ネズミは那吒の肩から降りると、とててと床を走り調度を登り、窓辺に立ち。王晠へ向けて、深々と感謝の礼を捧げる。
『御覚悟、しかと聞き届けました。ご助力賜りまことに重畳』
静かな口調で二郎神が敬意を表せば。
「でもいいのかよぉ~太子サマよぉ。オレたちもクソニンジャみてえに裏切るかもしれないんだぜ? 雪蓮を助けたとたん本性あらわして、頭から霊薬ごとバリバリ食っちまうかもよ?」
那吒はにやにやとわざと脅かすようなことを言う。そんな彼に、王晠は少しだけ苦い顔。
「…………そうだな。差し伸べられる手を信じるしかないことに関しては、私は八洲の忍びの件以来進歩がない」
だけど、と第二太子は途端に冷たい眼差し。
「もし貴殿らが私の意に添わぬ行動をなされましたら、太華中の二郎廟、那吒廟を打ち壊すよう国中に命じます」
「うっわ、きっつー……」
信仰の拠点を破壊されては、神格かたなしである。さすがに神通力激減だ。
『一晩で、随分としたたかになられましたようで』
脅し文句に、二郎真君はどこか満足げな声音。『しかし』と言い添え、真君。
『己に正直になることは、恐ろしく、難しく、そして大いに勇気を要することだ』
「二郎神……」
二郎真君の言いようはまるで、昨日の王晠の胸中一切をつぶさに見ていたようであり。
『……殿下の御意志、無下にすることは決して致しませぬ』
二郎神は真摯に告げる。
『…………絶対に』
窓から差し込む朝日の中に、王晠は神将の姿を見た気がする。明眸皓歯、黒い髪に三つの眼。龍紋の戦袍に白銀の鎧。
美丈夫の姿が見えたように思えたのは、一瞬のこと。
王晠が目をぱちくりさせれば、もはや二郎真君は元のネズミである。つぶらな三つの瞳がクソ真面目にこちらを見つめている。
「で」
話に割って入るのは那吒である。少年神、眉間にしわ寄せ苦慮の顔。
「なんかいい話みたいな雰囲気になってるとこ悪いんだけどさ……具体的にどうすんだ?」
那吒の言う通りだ。
雪蓮は囚われたまま、黄雲は重傷を負ったうえ行方不明。王晠の話から鑑みて、雪蓮の身魂に巣食った霊薬は、急速にその侵食の度合いを強めている。
状況の打開には、この垙京城下に来ているはずの清流道人一行の力が必要だと二郎真君は言うが。
「どうやってあいつらに接触する? オレらは禁城を出ることができないし、そもそも現状奴らとなんの接点もない。鴻鈞道人の結界のせいで当然連絡する術もない。一体どうやって……」
「それについては、私に少し考えがあります」
那吒の呈した疑義へ応じたのは、王晠。
「一人だけ、彼らとの連絡に使えそうな臣下を存じ上げています」
『ほう』
「それって、もしかして……」
ピンときた様子の神将たち。王晠はその名を告げる。
「──劉仲孝」




